3話 虚勢 3
その日の夜、少し前のこと。
古本屋のアレックスもまた、レシートを見つつ、アバカスを弾き、売上の計上を行っていた。
カウンターの椅子に座り、本が溢れかえった店内でパチパチと音が響く。
そんな折、上の住居から階段を鳴らしながら白髪の老店主が降りてきた。
「アレックス。そろそろ閉めるぞ」
「あ、はーい。わかってます。こっちも売上数えてます」
この世界ではすでに印刷技術や簡単な機械式タイプライターが発達しており、いかにも中世といった世界とは異なっていた。
どちらかというと産業革命前夜というところで、何かのきっかけがあれば爆発的に発展する可能性を秘めていた。
アレックスはアバカスを弾き終わると、目元を揉む。
「目がつかれたのかい?」
店主にそう言われアレックスは頷く。
「ええ、まぁ、ちょっと目の奥が重い感じしますね。景色もぼやけてる」
そう言って首をぐるぐると回すと、アレックスは書き込んだ帳簿を店主に渡した。店主は感謝を述べた。
「いつもありがとう。帳簿まで任せるようになるとは思わなかった」
「いや、好き勝手本が読めるんです。これくらいは。家でもやってることですし」
「君は目つきが悪い割に思いやりのある子だね」
「ハハッ、目付きが悪いのは関係あります? それにしても、税の取り立てが相変わらず高いな」
「法人には定額税率があるからね。まぁ、言っても仕方ない。これでも前の領地よりは全然マシなんだよ」
「そうなんです? どこからかの移住?」
「2つ隣だ。複雑怪奇な取り立てかつ、トータルで見たら売上の何割も取られてた。その分領地が還付して回ってはいたが、もらいそびれると大損だ」
「それもどうなんですかね」
「だろう? それに比べればまだマシさ。わかりやすいよ」
アレックスはクロードの顔を思い浮かべた。あいつの家は働きもしないで金を吸い上げている。と。
「ムカつきますよね貴族。人の金で」
「そこまででもないさ」
年を取った店主は笑いながら首を振った。
「色々比較を知ってるとね、ここの領地はマシだなと思える。
この街は広いし、豊かだろ? 人がそれだけ住みたいと思ってるからね。
まぁ、急がなくてもいい。そのうち、【最善はこの世には無い】とわかるよ」
「そんなもんですか……」
「そんなもん、そんなもん」
店主が愚痴合戦に乗ってこなかったことに拍子抜けしながら、アレックスはエプロンを外してポールハンガーにかけると、肩がけカバンを下げて、店の入口においていた箒を掴み、もう片方の手にはカンテラを握った。
「それじゃあ上がります」
ドアに手をかけ、店主に挨拶すると、店主はにっこり笑って手を振った。
「ああ、気をつけて。落ちるなよ?」
「はい。お疲れ様でした」
店を出ると街の商店街は二階の住居だけに明かりが灯り、下の店舗部分は皆灯を落とし始めていた。
最後に残るのは酒場くらいなもので、ワハハハと声が漏れている。
いつもの平和な夜だ。
アレックスはカンテラに魔法で火を灯し、一旦石畳の地面にそれを置くと、ポケットから真鍮製のバングルを取り出し、利き手ではない左手に巻いて金具でガチンと取り付け、そこから伸びるストラップを箒に通した。
「サーキット始動」
ポツリとつぶやくと、バングルに刻まれたルーン文字が赤く輝き始め、熱を持つ。箒が腰の位置で水平に空中に浮き上がった。
拾い上げたカンテラを箒の柄の先端に備わっている金具の穴にフックで引っ掛けるとよっこいしょと腰掛ける。
「上がれ」
そう命令するとアレックスはそのまま輪のある月が浮かぶ空に飛び上がる。
みるみるうちに街の明かりは小さくなり、代わりにその全貌が視界に広がっていく。
通りには街灯が立ち並び、馬車が碁盤目状の道をゆく。
それはもはや集落でも村でもなかった。
町と呼ぶにも大きすぎる、数万人が暮らすひとつの街だった。
霧がかった森は遠く、遠くの谷には鉄骨の橋がかかり、水平線の海の水面は黒く、灯台が回る光を放っている。
よく見れば、いくつか空飛ぶ箒にカンテラを下げて行き来する者たちも確認できた。
向こうから来るカンテラの明かりを高度を上げて回避。
「ヤエー」
そのリュックを背負った誰かさんは中指と薬指を曲げた手首の甲を見せ、ひらひらと振る。
「はいはい、ヤエー」
アレックスはそう言って同じくハンドサインを振り返す。
誰が言い出したか知らないが、それは箒乗り同士が道中の無事を祈って交わす挨拶であった。
晴れた空には一面の星空。アレックスは頬を撫でる風に満足そうだった。
「あー……夜風が気持ちいい。今日も仕事したぞ」
そう口にしたとき、郊外でポーっと夜行機関車の汽笛が鳴った。
◆◆◆
白壁の廊下をドロシーに手を引かれ、睡魔にボコボコにされながらふわふわ歩くクロード。
「しっかり歩いてください。馬車で寝てましたよね?」
「そうだけどさぁ……」
クタクタを体現したような歩き方で風呂場の脱衣所になんとかやってくるクロード。
巨大な風呂ではあった。脱衣所には棚が何個も並びその中には脱いだものを入れるかごが入っていた。
「ハー……ねむ……」
言いながら紳士服の上着を脱ぎ、ネクタイを乱暴に解くとそれをかごの中に入れる。
続いてズボンに手をかけるクロード。
そんなクロードの後ろでドロシーもメイド服を脱ぎ始め、衣擦れの音が響いた。
「一人でも入れるよ? いつまでも子どもじゃないんだし」
ズボンをスポーンと脱ぎ捨て、クロードは長いポニーテールの髪留めを外す。
髪に編み込まれていたサファイヤブルーのウィッグも同じタイミングで外した。
毛先が撥ねる。
「そういうわけにも行きません。特に今日は風呂場で寝てしまいかねないでしょう?」
ドロシーの衣擦れの音は止まらない。
「そういうことね……」
クロードはシャツに手を付けると、ボタンを一つ一つ外していく。
ドロシーの衣擦れの音も同じく止まることはなかった。
「寝てる間にさ……」
「何でしょう?」
「お祖父様、僕のこと、なにか言ってた?」
「いいえ特に何も。ちゃんと寝ろとだけ」
次の瞬間、クロードの声が急に高くなった。
「お祖父様らしいや」
ジャラリと音を鳴らしながら、ペンダントを取り外した瞬間のことだった。
小指を耳の穴に突っ込んで、ごそごそと鼓膜の様子を確認するクロード。
「あー、耳が変。低い方に慣れすぎてる……」
「私もいつもそれは思います。別人になったのかと」
「そうじゃなきゃ困るよ」
シャツを脱ぐと、クロードの胸をギチギチに締めたサラシが現れた。
よく見ると下着のパンツも白の女性物。
両手を背中に回し、ホックを外す要領で手を伸ばす。
「形悪くならないかな……」
そうしてホックを探す手を、先に脱いで全裸になり、タオルを片手に持ったドロシーが先んじてホックに手をかけた。
「形のこと気にするくらい大きいのは正直羨ましいです」
言うが早いか、金具を取ると、ばるんっと音がなりそうな勢いで、封印されていたクロード、いやさ、本名クローディアの胸が解放された。
後ろから勝手にその大きなメロンの一房をぐにっと揉み上げるドロシー。
「……また大きくなりました?」
「いやーわかんない……」
こめかみをポリポリとかくクローディアは、最後にピアスを外した。
「これで晴れて女に戻れた」
「言っても正しい認知を持ってる私たちにはわかりませんけどね」
「お守りだよ」
そう言いつつ、無くさないようにわかりやすいところに置くクローディア。
クロードが身に着けていたペンダントとピアスはマジックアイテムだった。
ペンダントはオクターブを下げるボイスチェンジャーの能力を宿し、ピアスは本来の性別を知らない人間の認知を男性に書き換えるものだ。
ピアスの効果半径は50m。遠目に見れば女性とわかるが、近づくにつれて認知は男性に書き換えられる。
つまり彼女は男装をしていた女の子だったわけだ。
最後に履いていたパンツを脱ぎ、満足そうに鏡の前で自らの体をしげしげと見る彼女。
「なんですか? 肉体美確認ですか?」
タオルで前を隠したドロシーが、じとーっとした目でクローディアを見つめる。
実際、細身のドロシーが見ても、クローディアは出るところは出て、絞まるところは絞まっている。薄い腹筋、華奢な腕、細い指先。
そして解かれた長い髪は腰下まで伸びている。
「いやほら、気軽に確認できないんだよ僕。できものとかないかなって……」
「気にするんですね」
「するよそりゃ! 美容にどれだけ気を使ってると──」
「はいはい、風邪ひきますよ」
「……それもそうだね。確認終わり! さて、さっぱりしよう!」
そうして、クローディアはタイル張りの巨大浴場に足を踏み入れた。




