その43
## 侍従
子爵家にはすでに、スージー嬢とルナ嬢もお越しになっていた。
我が主、第五王子ゼアル様は、ヘレナ嬢だけでなくお二人にも花束を用意されている。
スージー嬢には、八本のオレンジ色の薔薇。
ルナ嬢には、八本の紫色の薔薇。
ゼアル様はそれぞれの前へ進まれると、少し照れたように微笑みながら花束を差し出された。
「いつも聖女様と仲良くしてくださって、ありがとうございます。どうか受け取ってください」
「えっ……」
「わ、私たちに、ですか?」
お二人は目を丸くしたまま、完全に固まってしまった。
無理もない。
お二人はもともと市井に暮らしていた娘たちである。
王族、それも王子本人から薔薇の花束を贈られるなど、これまで想像したことすらなかっただろう。
スージー嬢はオレンジ色の薔薇を見つめ、戸惑ったように自分を指差した。
「本当に……私がいただいてよろしいのですか?」
ルナ嬢も紫色の薔薇とゼアル様を交互に見ている。
「王子様から……私に?」
二人とも嬉しくないわけではない。
むしろ、その逆なのだろう。
ただ、どう反応すればいいのか分からず困っているようだった。
すると、そんな二人の背中を押すように聖女様が明るい声を上げられた。
「大丈夫だよ~」
「聖女様……」
「ゼアルが二人のために一生懸命選んだんだから、受け取ってあげて」
「一生懸命って……」
ゼアル様のお顔が少し赤くなる。
聖女様は気にすることなく、にこにこ笑っておられた。
「ほらほら~」
その言葉でようやく緊張が解けたのか、スージー嬢とルナ嬢は顔を見合わせ、やがて嬉しそうに両手を伸ばした。
「ありがとうございます、ゼアル様」
「すごく綺麗です。大切にします」
「喜んでもらえてよかった」
ゼアル様も、心からほっとしたように微笑まれた。
どうやら花を渡す側も、かなり緊張しておられたらしい。
私は少し離れた場所からその様子を眺め、そっと口元を緩めた。
一通りの挨拶を終えたあと、皆様は子爵家の庭に設けられたガゼボへ移動された。
よく手入れされた庭園の中央にあるガゼボには、すでに紅茶や焼き菓子、色とりどりのケーキが並べられている。
聖女様。
ヘレナ嬢。
スージー嬢。
ルナ嬢。
そしてゼアル様。
五人は一つのテーブルを囲み、早くも楽しそうに話し始めていた。
少し離れた場所には、聖女様付きの侍女であるニーナ殿が静かに控えている。
いつものように一歩後ろから聖女様を見守りながらも、その楽しそうなお姿を見て、柔らかな微笑みを浮かべておられた。
「このケーキ、おいし~!」
聖女様が嬉しそうに頬張る。
一口食べた直後には、もう隣の皿へ手を伸ばしていた。
「ヘレナも食べてみて!」
「はい。いただきます」
「スージーも!」
「ありがとうございます」
「ルナも!」
「は、はい!」
次から次へと菓子を勧めていく。
自分が美味しいと思ったものは、周囲の者にも食べてもらいたいらしい。
実に聖女様らしい。
やがて、その視線が少し離れたところに立っているイーナ殿へ向いた。
「ニーナ~」
「はい、聖女様」
「こっち来て」
「ですが、私はお側に控えておりますので……」
「いいから、いいから~」
聖女様はまったく聞いておられない。
手元のケーキを一口大に切り分けると、それをフォークへ刺し、イーナ殿へ向かって差し出された。
「はい、あ~ん」
「…………」
ニーナ殿の穏やかな微笑みが、一瞬だけ固まった。
「聖女様?」
「あ~ん」
「いえ、私は侍女でございますので……」
「あ~ん」
「……聖女様」
「あ~~~ん」
どうやら。
聖女様には、引くという選択肢がないらしい。
ニーナ殿は困ったように眉を下げたあと、小さくため息をついた。
しかしその表情には、嫌がっている様子など少しもない。
「……では、失礼いたします」
「あ~ん♪」
ぱくり。
ニーナ殿がケーキを口にする。
その瞬間。
聖女様のお顔が、ぱっと輝いた。
「おいしい?」
ニーナ殿は急かされることなくゆっくり味わい、やがていつもの穏やかな微笑みを浮かべた。
「はい。とても美味しゅうございます」
「でしょ~!」
聖女様は我がことのように満足そうである。
「ニーナ、いつも私のお世話してくれてるから、ご褒美!」
「それでしたら」
ニーナ殿は優しく笑う。
「聖女様が毎日お元気でいてくださることが、私にとって一番のご褒美でございます」
「もう~、ニーナはそういうこと言う~!」
「ふふっ」
イーナ殿も楽しそうに笑った。
そのやり取りを見ていたヘレナ嬢たちも、つられるように笑い出す。
「聖女様、本当にニーナさんのことがお好きなのですね」
ヘレナ嬢が微笑む。
すると聖女様は迷うことなく即答された。
「うん! 大好き!」
「…………」
今度はニーナ殿が少しだけ目を伏せた。
さすがに照れたらしい。
聖女様はそんなことには気づかず、嬉しそうに続けられる。
「ニーナはね、ずーっと一緒にいてくれるの!」
「聖女様……」
「だから大好き!」
あまりにも真っ直ぐな言葉だった。
ニーナ殿は困ったように微笑みながら、それでもどこか嬉しそうに聖女様を見つめていた。
すると聖女様は、早くも次の焼き菓子を手に取る。
「じゃあ次はこれ!」
「まだいただくのですか?」
「あ~ん!」
「……仕方ありませんね」
そう言いながらも。
ニーナ殿の表情は、どこまでも優しかった。
ガゼボには楽しそうな笑い声が響いていた。
私は少し離れた場所から、その光景を静かに見守っていた。
……不思議なものだ。
我が主、第五王子ゼアル様は、王家の中では少し変わった立場におられる。
まず、そのお姿からして、いわゆる王族らしいものとは少し違う。
王家には代々、特徴的な髪色や瞳の色が受け継がれてきた。
しかしゼアル様は、黒髪に黒い瞳。
王家の色をほとんど受け継いでおられない。
さらに、体格も少々ふっくらとしておられる。
それだけならば、何の問題もなかっただろう。
だが。
ゼアル様には双子の兄がおられる。
第四王子エドワード様。
同じ日に生まれた兄弟でありながら、お二人の印象は大きく異なっていた。
エドワード様は、まさに誰もが思い描く王子そのもの。
華やかな髪色と整った容姿を持ち、人前へ出れば何もしなくても自然と視線を集められる。
一方。
ゼアル様は黒髪に黒い瞳。
穏やかな顔立ちをしておられるが、どうしても兄君の隣では地味に見られてしまう。
同じ双子であるがゆえに。
幼い頃から何かにつけて比較されてきた。
もちろん。
国王陛下も王妃陛下も、ゼアル様を疎んじておられたわけではない。
むしろ、大切な我が子として心から愛しておられる。
ただ。
どのように接すれば、この子の良さを伸ばしてやれるのか。
王族として、どのような役目を与えれば、この子は幸せになれるのか。
お二人とも、少なからず悩んでおられたように思う。
少なくとも。
長年王宮に仕えてきた私には、そう見えていた。
それが大きく変わったのは、先日の第四王子、第五王子両殿下の顔見世であった。
聖女様が。
ゼアル様を大層お気に召されたのである。
他の王子方には礼儀正しく接しておられた聖女様が、ゼアル様に対してだけは最初から随分と楽しそうに話しかけておられた。
特に食べ物の話が始まってからは、それまでの距離など嘘のようだった。
ケーキ。
焼き菓子。
ローストビーフ。
王都の美味しい店。
そんな話題を次々に交わしながら、聖女様は楽しそうに笑い、ゼアル様もまた、王宮ではなかなか見せられない年相応の笑顔を浮かべておられた。
その様子をご覧になっていた国王陛下が。
ふと、小さな声で呟かれた。
「……なるほど」
私は陛下へ視線を向けた。
陛下は、穏やかな顔でお二人を見つめておられた。
そして。
「ゼアルは」
ほんの少しだけ笑う。
「王家と聖女様を繋ぐために生まれてきたのだな」
その言葉を聞いた時。
私は少し驚いた。
これまで。
王宮の誰も見つけられなかったゼアル様の居場所。
誰もが、
『第四王子と比べて、第五王子には何が向いているのだろう』
と考え続けていた。
それなのに。
聖女様は。
そんなことを何一つ考えず。
ただ、
『一緒にいると楽しい』
というだけで。
いとも簡単に、ゼアル様の居場所を作ってしまわれたように見えた。
そして今。
ガゼボからは、相変わらず楽しそうな声が聞こえてくる。
「ゼアル~! これ美味しいよ! 食べてみて!」
「ありがとうございます、聖女様」
「ヘレナもこれ食べよ~!」
「はい、聖女様」
「スージー! ルナ! まだいっぱいあるよ~!」
「聖女様」
少し離れたところから、ニーナ殿がやんわりと声を掛けた。
「その調子で召し上がっておりますと、夕食が入らなくなりますよ」
聖女様が振り返る。
「じゃあニーナも食べれば減るよ?」
「そういう問題ではございません」
「あ、そうだ。はい、あ~ん」
「またですか……?」
「ほら、あ~ん!」
「……まったく」
ヘレナ嬢たちが、くすくす笑う。
ゼアル様も肩を揺らしておられた。
市井で育った娘。
子爵令嬢。
聖女。
王子。
そして、その聖女を長く支えてきた侍女。
本来ならば。
同じ場所へ集まり、これほど気安く笑い合うことなど、まずない者たちである。
身分も。
生まれも。
育ってきた環境も。
まるで違う。
それなのに今は。
そんな隔たりなど、最初から存在しなかったかのように。
一つのテーブルを囲んで笑っている。
私はその光景を眺めながら、ほんの少しだけ口元を緩めた。
もしかすると。
陛下のお言葉は、本当だったのかもしれない。
ゼアル様は。
王家の中で兄君と比較されるために生まれてこられたのではない。
華やかな王子を演じる必要もない。
この方にしかできない形で。
誰かの話を聞き。
一緒に笑い。
美味しいものを分け合い。
そして――人と人とを繋ぐ。
そのための方なのかもしれない。
少なくとも。
聖女様たちに囲まれ。
あれほど自然に。
あれほど楽しそうに笑っておられる我が主を見るのは。
私がゼアル様にお仕えするようになってから、初めてのことだった。
私は少しだけ目を細める。
聖女様が笑えば。
ゼアル様も笑う。
ヘレナ嬢も。
スージー嬢も。
ルナ嬢も。
そして。
その輪から少し離れながら、ずっと聖女様を支えてきたニーナ殿も。
誰より穏やかで。
幸せそうに微笑んでおられた。
それを見ていると。
我が主がようやく見つけられたものは、王宮における『役割』などという堅苦しいものではなく。
もっと単純な。
――一緒に笑っていられる場所なのではないか。
そんな気がしたのである。




