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聖女様物語  作者: Elle


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42/44

その42

## ヘレナ


今日は、聖女様と第五王子ゼアル様を我が子爵家へお招きして、皆さんでお食事会をする日です。


朝から屋敷中がどこか落ち着きませんでした。


使用人たちは何度も食堂や客間を確認し、お母様は料理や花の飾り付けを気にされ、お父様にいたっては朝食の時から何度も時計をご覧になっています。


そして昼前。


とうとう王家の紋章が刻まれた馬車が、屋敷の前へ静かに到着しました。


「き、来たぞ……」


お父様の声が、少し震えています。


隣を見ると、お母様も、お兄様も、弟も、みんな揃って緊張でガチガチになっていました。


それも当然でしょう。


そもそも我が家のような子爵家にとって、王族の方など新年の晩餐会や大きな式典で、遠くからちらりとお姿を拝見するくらいの存在なのです。


普通なら直接お話しする機会など、一生に一度あるかどうか。


ましてや。


その王子殿下を自宅へお招きして、一緒に食事をするなど、少し前の私なら想像すらしなかったでしょう。


……もっとも。


私は聖女様にあちらこちらへ連れ回されているうちに、王様や王妃様、大神官様とも、いつの間にか普通にお話しするようになってしまいました。


皆様には、とてもよくしていただいています。


我ながら、とんでもない環境に慣れてしまったものです。


馬車が止まり、御者が扉を開けました。


最初に姿を見せたのは――聖女様でした。


そして。


私を見つけた瞬間。


ぱぁっと顔を輝かせます。


「ヘレナ~! 久しぶり~!」


「えっ、聖女様!?」


そのまま小走りでこちらへ駆けてきて、勢いよく抱きついてこられました。


「わっ……!」


私は慌てて受け止める。


「お、お久しぶりです、聖女様」


「元気だった?」


「はい。おかげさまで」


「よかった~!」


聖女様は満面の笑みを浮かべると、そのまま私の手を握りました。


「今日はいっぱい遊んで、いっぱい食べようね~!」


「はい」


私は思わず笑ってしまいます。


相変わらずです。


この方と一緒にいると、つい先ほどまで、


『王族の方をお迎えするのだから失礼があってはいけない』


と張り詰めていた空気まで、どこかへ飛んでいってしまいます。


実際。


お父様まで少しだけ肩の力が抜けていました。


その間に、第五王子ゼアル様は馬車から降りると、お父様たちの前へ進まれていました。


「本日は、お招きいただきありがとうございます」


「は、はい!」


お父様が勢いよく頭を下げます。


「こ、こちらこそ、このような屋敷までお越しいただき、きょ、恐縮です!」


……お父様。


緊張しすぎです。


隣のお母様も、普段の落ち着いた姿が嘘のように固まっています。


お兄様と弟にいたっては、背筋を伸ばしたままほとんど動いていません。


けれどゼアル様は、そんな家族を見ても嫌な顔一つなさいませんでした。


「どうか、そう緊張なさらないでください」


穏やかに微笑まれます。


「今日は私も、一緒に食事を楽しませていただくために参りました。どうぞよろしくお願いいたします」


「あ、ありがとうございます……!」


お父様がもう一度深々と頭を下げました。


その様子を見て、私は少し安心します。


やっぱりゼアル様は、お優しい方です。


やがて一通りの挨拶を終えると、ゼアル様はこちらへ視線を向けられました。


「……?」


目が合う。


するとゼアル様は、後ろに控えていた侍従へ小さく合図を送られました。


侍従が差し出したのは、美しく束ねられた薔薇の花束。


ゼアル様はそれを受け取ると、ゆっくりと私の前まで歩いてこられました。


「ヘレナ嬢」


「は、はい」


何でしょう。


そう思った次の瞬間――。


ゼアル様が、私の前で片膝をつかれました。


「えっ……?」


思考が止まりました。


後ろから、お母様が小さく息を呑む音まで聞こえます。


ゼアル様はそんな私を見上げながら、花束を差し出されました。


「今日という日を、あなたとご一緒できることを光栄に思います」


「…………」


そして、ほんの少しだけ照れたように微笑まれます。


「姫君の美しさには到底かないませんが、どうかこの薔薇をお受け取りください」


「…………」


何も言えませんでした。


差し出された花束に束ねられていたのは――八本の青い薔薇。


鮮やかで、それでいてどこか神秘的な色。


私はその花を見つめたまま、完全に固まってしまいました。


八本の薔薇には、


『あなたの思いやり、励ましに感謝します』


という意味があると聞いたことがあります。


そして青い薔薇には、


『夢かなう』


『奇跡』


『神の祝福』


そんな意味が込められているのだとか。


もしかして。


ゼアル様は、そこまで考えてこの花を選んでくださったのでしょうか。


「…………」


どうしましょう。


こういう時。


淑女は何と答えるのが正しいのでしょう。


頭の中で必死に考えるのですが、何一つ浮かんできません。


助けを求めるように隣を見ると――。


聖女様が、ものすごく楽しそうな顔で私を見ていました。


「ヘレナ」


「は、はい?」


「受け取ってあげて」


にこにこ。


満面の笑顔です。


……絶対に楽しんでいらっしゃいます。


これ。


絶対に私の反応を見て楽しんでいます。


「で、では……」


私はまだ少し戸惑いながら、両手を伸ばしました。


ゼアル様から花束を受け取る。


「ありがとうございます、ゼアル様」


「喜んでいただけたなら、何よりです」


青い薔薇から、ふわりと優しい香りが漂いました。


私は腕の中の花束を見つめます。


不思議でした。


胸の奥が、じんわりと温かくなっていく。


でも。


たぶん。


これは高価な薔薇をいただいたからではありません。


王子様から贈り物をいただいたからでもない。


ゼアル様は覚えていてくださったのです。


私が聖女様と一緒に過ごし。


お話を聞き。


時には励まし。


一緒に笑ってきたことを。


私にとっては当たり前のことでした。


聖女様は大切なお友達です。


だから傍にいただけ。


それなのに。


ゼアル様は、それを当たり前だとは思わず、


『ありがとう』


と伝えてくださった。


その感謝を、こうして形にしてくださった。


そのことが。


何より嬉しかったのです。


私は花束をそっと胸元へ抱きました。


「……大切にします」


そう伝えると、ゼアル様の表情がぱっと明るくなりました。


「ありがとうございます」


本当に嬉しそうに笑ってくださる。


その顔を見ていると、私まで少し照れくさくなってしまいます。


その横では――。


「ふふふ~」


楽しそうな笑い声。


私はゆっくり聖女様を見る。


「……聖女様?」


「な~んでもないよ~?」


にこにこ。


「…………」


絶対に何かあります。


絶対に。


むしろ。


この薔薇の意味まで、最初から全部ご存じだったのではないでしょうか。


疑いの目を向けても、聖女様は知らん顔で笑っているだけ。


問いただしても、きっと答えてくださらないでしょう。


私は小さく息を吐いてから、もう一度腕の中の青い薔薇へ視線を落としました。


『夢かなう』


『奇跡』


『神の祝福』


そして。


『あなたの思いやり、励ましに感謝します』


ひとつひとつの意味を思い返すたびに、胸の奥がまた少し温かくなります。


ふと顔を上げると。


お父様も。


お母様も。


お兄様も。


弟も。


全員がこちらを見ていました。


「…………」


「…………」


特にお父様。


ものすごい顔をしています。


どうやら。


王子様が娘の前で片膝をつき、薔薇を贈る。


という光景は。


父親にとって、私とはまた別の意味で衝撃的だったらしいです。


「お、お父様?」


「……いや」


お父様は何とも言えない表情で首を横に振りました。


「何でもない」


全然、何でもない顔ではありません。


けれど。


その隣では聖女様が楽しそうに笑い。


ゼアル様も穏やかに微笑み。


家族たちの緊張も、少しずつ解け始めています。


私は腕の中の青い薔薇を大事に抱きながら、自然と笑みを浮かべました。


今日はきっと。


とても賑やかで。


とても楽しい。


そして――。


少しだけ特別な一日になりそうです。

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