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聖女様物語  作者: Elle


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40/44

その40

## 大神官


今日は朝から、聖女様のご様子がおかしかった。


何がおかしいのかと言えば――とにかく落ち着きがないのである。


朝の身支度を終えられてから、まだそれほど時間も経っていないというのに、聖女様は鏡の前へ立ったり、椅子へ座ったり、また立ち上がったりを繰り返しておられた。


「ねぇ」


聖女様が不安そうに鏡を覗き込む。


「髪の毛、おかしくない?」


すぐ傍に控えていた侍女が、優しく微笑んだ。


「大丈夫でございます、聖女様。今日はいつも以上にお綺麗ですよ」


「ほんと?」


「はい。とてもよく整っております」


「ならいいんだけど……」


聖女様は少し安心したように頷き、ようやく椅子へ腰掛けられた。


これで落ち着かれるかと思った。


――一分後。


すっと立ち上がる。


「ねぇ」


「はい?」


「この服、変じゃない?」


別の侍女が、思わずくすりと笑った。


「とてもお似合いでございますよ」


「本当に?」


「はい。今日の聖女様は特別お美しいです」


「そっかぁ」


聖女様は満足そうに頷かれる。


そして、もう一度椅子へ。


――三十秒後。


また立ち上がった。


「リボン曲がってない?」


「大丈夫でございます」


「靴は?」


「問題ございません」


「顔に何かついてない?」


「何もついておりませんよ」


「寝癖は?」


「先ほど整えたばかりでございます」


「ほんと?」


「本当でございます」


侍女たちは誰一人として嫌な顔をしない。


むしろ皆、微笑ましいものを見るような表情で聖女様のお世話をしていた。


「とても素敵ですよ、聖女様」


「可愛らしゅうございます」


「今日のお召し物も、よくお似合いです」


そこまで言われて、聖女様はようやく安心したように笑われた。


「それならいいんだけどー」


そして再び椅子へ腰掛ける。


私は小さく息を吐いた。


今度こそ落ち着かれるだろう。


――そう思ったのだが。


数秒後。


聖女様はまた立ち上がった。


「…………」


さすがに私は、ため息を隠せなかった。


「聖女様」


「はい?」


「淑女たるもの、身だしなみだけでなく落ち着きも大切でございますぞ」


「うっ」


聖女様は少し困ったように頬をかかれた。


「でもー」


「でも?」


「だって……」


もじもじと指を合わせる。


そして、小さな声で続けられた。


「緊張するんだもん」


その言葉に、侍女たちは一斉に顔を見合わせた。


やがて、くすくすと小さな笑い声が広がる。


聖女様が頬を膨らませた。


「笑わないでよー」


「申し訳ございません」


「ですが、聖女様がこのように緊張されるお姿は珍しいものですから」


「だって初めてなんだもの」


「初めて?」


「王子様と一緒に町へ行くの」


なるほど。


そういうことであったか。


今日は、第五王子殿下――ゼアル様と、聖女様たちがお出掛けになる日である。


先日の茶会で意気投合され、


『今度みんなで王都へ遊びに行きましょう』


という話になった。


その時はあれほど嬉しそうにしておられたというのに、いざ当日となれば、この有様である。


私は少しだけ微笑んだ。


「聖女様」


「なぁに?」


「ゼアル殿下は、誠実なお方でございます」


「……うん」


「先日も、食べ物のお話をされる時のお顔を拝見すれば、そのお人柄は十分に伝わってまいりました」


聖女様が少しだけこちらを見る。


「そうかな?」


「はい」


私は頷いた。


「人の話をきちんと聞き、料理人にも礼を忘れず、誰に対しても穏やかに接しておられました。ご一緒に町を歩かれたからといって、何か心配なさる必要はございません」


「……そっか」


聖女様は少しだけ肩の力を抜かれた。


だが。


まだ完全には安心していないらしい。


鏡へちらりと視線を向ける。


私は続けた。


「それに」


「なに?」


「ゼアル殿下も、今頃は聖女様と同じように緊張しておられるかもしれませんぞ」


「え?」


聖女様が目を丸くする。


「王子様も?」


「もちろんでございます」


「でも王子様よ?」


「王子殿下であっても、一人の男性でございますからな」


私は穏やかに笑った。


「好きな方とのお出掛けとなれば、男性でも緊張するものです」


「…………」


聖女様はしばらく黙った。


どうやら、その発想がなかったらしい。


「王子様も……緊張するの?」


「おそらくは」


「髪の毛とか気にしてる?」


「そこまでは存じませんが」


侍女たちがまた笑いを堪え始めた。


聖女様は少し考え込んでいたが、やがて。


ふわりと笑われた。


「そっか」


その笑顔は、先ほどまでよりずっと自然だった。


「私だけじゃないんだ」


「左様でございます」


私は頷く。


「ですから、いつもの聖女様でよろしいのです」


「いつもの私?」


「はい。美味しいものを食べて、楽しくお話をして、皆様と笑っておられれば、それで十分でございましょう」


「……うん」


聖女様は素直に頷かれた。


その様子を見ていた侍女たちも、ほっとしたように顔を見合わせる。


私もようやく胸を撫で下ろした。


これで少しは落ち着かれるだろう。


そう思った。


――五分後。


「ねぇ!」


神殿中に、聖女様の声が響き渡った。


「本当に髪の毛大丈夫!?」


「…………」


私は静かに天を仰いだ。


どうやら。


何も解決していなかったらしい。


侍女たちはとうとう笑いを堪えきれず、口元へ手を当てている。


「大丈夫でございますよ、聖女様」


「ですが、念のためもう一度整えましょうか?」


「お願い!」


聖女様はすぐに鏡の前へ座られた。


侍女たちが優しく髪を梳き、ほんの少しだけリボンの位置を直していく。


私はその光景を眺めながら、小さく息を吐いた。


これまで。


神々を前にしても怯まず。


王族を前にしても平然とし。


国の命運すら背負って笑っておられた聖女様が。


今日はたった一人の王子殿下とのお出掛けを前に、朝から髪型一つで大騒ぎしている。


何とも不思議なものである。


だが。


私はそんな聖女様の姿を見て、少し嬉しくもあった。


聖女という立場でも。


神々に愛された特別な存在でも。


こうして好きな殿方を前にすれば緊張し、少しでも可愛らしく見られたいと願う。


聖女様も。


やはり、一人の年頃の少女なのだ。


私は再び天井を見上げ、心の中で静かに呟いた。


(……ゼアル殿下)


どうか本日は。


この、可愛らしくも少々落ち着きのない聖女様を。


(よろしくお願いいたしますぞ)


そんな私の思いなど知らず。


聖女様は鏡へ顔を近づけながら、もう一度だけ侍女へ尋ねていた。


「ねぇ」


「はい?」


「本当に、可愛い?」


侍女はにっこりと笑う。


「はい。とても」


その答えを聞いた聖女様は。


ようやく。


ほんの少しだけ、安心したように笑われた。


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