その32
## ルナ
子豚のポークちゃんは、すっかり劇団の人気者になっていた。
「ぶー♪」
今日も劇団員たちから野菜をもらい、稽古場の中を嬉しそうに走り回っている。
「ポークちゃん、こっちよ」
「ぶー!」
呼ばれるたびに尻尾を振りながら駆け寄っていく姿は、どう見ても神話級の聖獣には見えない。
けれど、その愛嬌のおかげで劇団員たちはすっかり夢中だった。
そして聖女様も、そんなポークちゃんを眺めながら満足そうに頷いている。
「うん。かわいい」
しばらくポークちゃんを眺めていた聖女様だったが、突然何かを思い出したように顔を上げた。
「次!」
嫌な予感がした。
聖女様が勢いよく振り返る。
「アリア! やってみて!」
「……私でございますか?」
少し離れたところにいたアリアさんが苦笑した。
「聖女様。私はニーナ殿とは違い、槍ではなく剣を使いますが」
「うん!」
聖女様は何の問題もないという顔で頷く。
「剣でも格好いいから大丈夫!」
「…………」
その理屈はよく分からない。
私にも分からない。
たぶん、この場にいる誰にも分からない。
けれど、もう誰も止めようとはしなかった。
どうせ止まらないことを、みんな学び始めている。
アリアさんも諦めたように小さく息を吐くと、腰に佩いていた剣へ手を掛けた。
「それでは……」
シャリン――。
静かな音とともに剣が鞘から抜かれる。
それだけで、周囲の空気が変わった。
劇団員たちが自然と口を閉じる。
アリアさんは背が高く、普段から姿勢も美しい。
そんな人が本物の剣を構えると、やっぱり迫力が違う。
(……格好いい)
私は思わず見惚れてしまった。
聖女様も目を輝かせている。
「わぁ……」
アリアさんは剣を胸の前へ構え、静かに目を閉じた。
そして先ほどのニーナとは少し違う、落ち着いた声で言葉を紡ぎ始める。
「――我と共に歩む、勇気ある者よ」
剣先がわずかに持ち上がる。
「剣の誓いを受けし者よ。契約に応え、今ここへ――」
アリアさんが目を開いた。
「――来たれ」
剣先が、ゆっくりと床へ向けられる。
その瞬間。
コォォォォ……。
「……え?」
再び、稽古場の床へ光が走った。
巨大な魔法陣が浮かび上がる。
「また!?」
私は思わず声を上げた。
「またですか」
元大神官様だけは、ほとんど驚いていなかった。
むしろ、最初から起きることを予想していたような顔をしている。
「大神官様、驚かないんですか?」
私が尋ねると、元大神官様は遠い目をした。
「……禁書庫の書物でございますからな」
「もうそれで全部納得することにしたんですか?」
「そうしなければ、私の胃がもちません」
妙に説得力があった。
そんな会話をしている間にも、魔力は魔法陣の中央へ集まっていく。
光が強くなる。
ニーナが慌てて聖女様の前へ立った。
「今度こそ何が出てくるか分かりません!」
「大丈夫よ」
「なぜそう言い切れるのですか!?」
「ポークちゃん可愛かったし」
「一回目が安全だったからといって、二回目も安全とは限りません!」
正論だった。
けれど聖女様はまったく心配していない。
そして――。
パァァァァッ!!
再び眩い光が稽古場いっぱいに広がった。
全員が反射的に目を閉じる。
やがて光が収まった。
私は恐る恐る目を開く。
今度は何が出たのだろう。
魔獣か。
聖獣か。
それとも、本当に神話の怪物か。
魔法陣の中央にいたのは――。
ふわふわの毛に包まれた、真っ白な子ヤギだった。
「めぇ」
「…………」
「めぇぇ」
また平和だった。
あまりにも平和だった。
子ヤギはきょろきょろと周囲を見渡すと、アリアさんを見つけた。
そして。
てくてく。
てくてく。
迷うことなく真っ直ぐ歩いていき、アリアさんの足元へぴたりと寄り添う。
「めぇ」
「……私、なのか?」
アリアさんが戸惑ったように自分を指差す。
「めぇ♪」
返事をするように鳴いた子ヤギが、アリアさんの脚へ頭を擦りつけた。
その瞬間。
普段は凛々しく、滅多に表情を崩さないアリアさんの顔が――ふわりと緩んだ。
「……かわいい」
私は聞き逃さなかった。
たぶん、全員聞いていた。
聖女様が飛び跳ねる。
「ヤギさんだーー!」
そして嬉しそうにアリアさんへ駆け寄った。
「アリアにぴったり!」
「どの辺りが私にぴったりなのでしょうか……」
そう言いながらも、アリアさんはすでに子ヤギの頭を優しく撫でている。
かなり気に入っているらしい。
すると、稽古場の反対側にいたポークちゃんも新しい仲間へ気づいた。
「ぶー!」
ててて、と走ってくる。
「めぇ!」
子ヤギも嬉しそうに鳴いた。
二匹は互いの鼻先をくっつけるようにして挨拶をすると、そのまま仲良く並んで歩き始めた。
「ぶー♪」
「めぇ♪」
「…………」
私は思わず笑ってしまう。
「なんだか、この召喚魔法……平和すぎません?」
ヘレナもくすくす笑った。
「戦うための召喚には見えないわね」
スージーも頷く。
「癒やししかないわ」
「本には勇者とか戦いとか書いてあるのにね」
私たちが首を傾げていると、元大神官様が禁書を開いた。
「少々お待ちください。何か理由が書かれているかもしれません」
ぱらり。
ぱらり。
古い頁をめくっていく。
やがて。
「ほう……」
元大神官様が声を漏らした。
ニーナが覗き込む。
「何かございましたか?」
「ええ。どうやら、この召喚術そのものについて説明があるようです」
みんなが自然と集まった。
元大神官様は古い文章を確認しながら、ゆっくり読み上げる。
「『召喚される使い魔は、武器にあらず』」
「武器じゃないの?」
聖女様が首を傾げる。
「続きがございます」
元大神官様は読み進める。
「『契約者の魂を映し、その魂が勇敢であれば寄り添い、慈愛に満ちていれば癒やす。そして、その者が最も必要とする姿をもって現れる』」
「……なるほど」
私は改めて子ヤギを見る。
アリアさんはすでに抱き上げていた。
「めぇ♪」
「よしよし」
声まで優しくなっている。
いつも凛々しい女性騎士とは思えない。
聖女様がにっこり笑った。
「ね?」
「何でしょう?」
「アリア、やっぱりかわいい子が来たでしょう?」
アリアさんは子ヤギを抱いたまま苦笑する。
「……ええ」
そして、小さく頭を撫でる。
「聖女様のおっしゃる通りでした」
「めぇ♪」
聖女様は満足そうに頷いた。
「ところで大神官、この子も何か凄い子なの?」
「ああ、そうでしたな」
元大神官様は再び本をめくった。
「山羊型の聖獣……こちらでしょうか」
「何ていうの?」
「ヘイズルーン、と記されております」
私は首を傾げる。
「ヘイズルーン?」
「神話に登場する聖なる雌山羊でございます。伝承では、世界樹の葉を食み、ヴァルハラの戦士たちへ尽きることのない飲み物を与えたとされています」
「飲み物?」
聖女様が興味津々で尋ねる。
「ええ。蜜酒と記されておりますな」
「この子がお酒を出すの!?」
全員が子ヤギを見る。
「めぇ?」
子ヤギは何も知らない顔で首を傾げた。
アリアさんが少しだけ抱く腕に力を込めた。
「まだ子供ですので、そのようなことはさせません」
「アリア、もうお母さんみたいね」
「せ、聖女様!」
アリアさんの頬がわずかに赤くなった。
聖女様は楽しそうに笑う。
「じゃあ、お名前決めないと!」
「…………」
元大神官様の表情が変わった。
前回。
神話級の聖猪に『ポークちゃん』と名付けた実績がある。
誰もが少し身構えた。
「聖女様」
アリアさんが先に口を開いた。
「はい?」
「この子の名前は、私が決めてもよろしいでしょうか」
「もちろん!」
即答だった。
アリアさんは腕の中の子ヤギを見つめる。
「そうだな……」
子ヤギもアリアさんを見上げた。
「めぇ」
アリアさんはふっと微笑む。
どうやら、とても大切な名前を考えているらしい。
そんな二人の姿を見ながら、私は思った。
ポークちゃんに続いて。
また一匹。
この劇場に、新しい人気者が増えたらしい。
そして。
これだけは断言できる。
今日も稽古は――。
たぶん、もう進まない。




