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聖女様物語  作者: Elle


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30/44

その30

## ルナ


劇場の稽古場で、いつものように次の公演へ向けた練習をしていた時だった。


扉が開き、聖女様が一冊の古そうな本を大事そうに抱えながら入ってこられた。


「ねぇ、ニーナ」


「何でしょう、聖女様」


ニーナが振り返ると、聖女様は待ちきれないとばかりに本を持ち上げる。


「んとね、神殿の禁書庫にあった本を読んだの」


「…………」


その場の空気が、一瞬で固まった。


私も。


ヘレナも。


スージーも。


近くにいた劇団員たちも。


そして元大神官様も。


全員の視線が、聖女様の抱えている本へ集まった。


特に元大神官様だけは、見る見るうちに顔色が悪くなっている。


(……禁書庫?)


(今、禁書庫って言ったよね?)


私が聞き間違いを疑っている間にも、聖女様はまったく気にした様子もなく本を開いた。


「そしたらね、すっごく格好いいお話があったの!」


表紙には、大きな文字でこう書かれている。


『戦乙女の物語』


見るからに古い本だった。


表紙もかなり傷んでいて、普通の図書室に置かれている本とは雰囲気が違う。


ニーナも少し困ったように本を見る。


「……こちらでございますか?」


「そう!」


聖女様は目を輝かせながら、目的の頁を勢いよく開いた。


「この人ね、槍を使うの!」


「槍を?」


「うん。それで、仲間を魔法で呼び出して一緒に戦う場面があるのよ!」


ぱらぱらと頁をめくり、あるところで指を止める。


「ここ! ここやってみて!」


「……私が、でございますか?」


「うん! すっごく格好いいから!」


ニーナが固まった。


「……はぁ」


周囲を見渡す。


ヘレナ。


スージー。


私。


大勢の劇団員。


そして、なぜか一人だけ青ざめている元大神官様。


その視線を浴びながら、ニーナの頬がほんの少しだけ引きつった。


たぶん、今こう思っている。


(……恥ずかしい)


私だったら絶対に恥ずかしい。


しかし、これは劇場での稽古。


それに何より、聖女様が期待に満ちた目で見つめている。


断れる空気ではなかった。


「……承知いたしました」


ニーナは覚悟を決めたように息を吐くと、壁際に置かれていた稽古用の槍を手に取った。


その瞬間。


表情が変わった。


切っ先を静かに天へ向け、足を開く。


腰を落とし、槍を構える。


先ほどまで少し恥ずかしそうにしていた姿が嘘のようだった。


まるで――。


本当に戦場へ立つ騎士のように。


稽古場の空気が、一瞬で張り詰める。


それまで笑っていた劇団員たちも、誰一人として声を出さなくなった。


私は思わず息を呑んだ。


(やっぱり……)


格好いい。


ニーナは本物の騎士なのだ。


ただ槍を構えただけなのに、立ち姿そのものが私たち劇団員とはまったく違う。


視線。


姿勢。


呼吸。


どれを取っても、演技では出せない迫力があった。


ニーナはゆっくりと目を閉じる。


そして、低く澄んだ声で詠唱を始めた。


「――我と共に敵へ挑むは、冷厳なる勇者」


静かな声なのに、不思議なほど稽古場の隅まで響いた。


「死の先を歩む者達よ。我と共に戦うため――」


ニーナが目を開く。


鋭い視線が正面を射抜いた。


「――出でよ」


その瞬間。


槍の石突きが地面へ打ち付けられる。


カンッ――。


乾いた音が、静まり返った稽古場へ響いた。


そして。


静寂。


誰も声を出さなかった。


一秒。


二秒。


三秒。


最初に動いたのは、もちろん聖女様だった。


「すごーーーい!」


両手をぱちぱちと叩きながら、満面の笑みを浮かべる。


「格好いいーーー! やっぱりニーナ最高!」


「せ、聖女様!?」


そのまま勢いよく駆け寄り、ニーナへぎゅっと抱きついた。


「わっ!」


ニーナは慌てて槍を横へ逸らす。


「聖女様! 危のうございます!」


「えへへ」


聖女様はまったく反省していない。


「だって、思ってたよりずっと格好よかったんだもの!」


「それと突然抱きつくことは関係ございません!」


珍しくニーナが少し慌てている。


その光景に、張り詰めていた稽古場の空気が一気に和らいだ。


ヘレナも嬉しそうに微笑む。


「本当に騎士そのものだったわね」


スージーも何度も頷いた。


「舞台で照明を当てたら、絶対に映えると思う」


私も思わず拍手した。


「鳥肌立っちゃいました。これ、本番でやったら絶対お客さん喜びますよ」


「そ、そうでしょうか……」


本人だけが、いまいち実感がないらしい。


しかし、周囲の劇団員たちからも次々と拍手が起こった。


「凄い!」


「今の場面、絶対入れましょう!」


「衣装ももっと本格的にしたいな!」


「照明を暗くして、登場するところだけ光を当てたらどうだ?」


演出係まで乗り気になり、稽古場は一気に騒がしくなった。


聖女様も嬉しそうに本を抱えている。


「でしょ? この本、すっごく面白いのよ!」


「聖女様」


その時だった。


それまで黙っていた元大神官様が、恐る恐る口を開いた。


声が妙に硬い。


「はい?」


「先ほど、その本を……禁書庫でお読みになったと仰せになりましたな?」


「うん!」


聖女様は元気よく頷いた。


「禁書庫!」


「…………」


元大神官様の顔が引きつった。


「一番奥の棚にあったよ!」


「……聖女様」


「何?」


「禁書庫へは、どのようにしてお入りになられたのでしょうか」


「普通に?」


「普通に……」


「うん」


聖女様は何を聞かれているのか分からないらしく、首を傾げている。


元大神官様は慎重に尋ねた。


「入口には、封印と鍵があったはずなのですが……」


「鍵?」


聖女様が少し考える。


「開いてたわよ?」


「…………」


元大神官様は静かに目を閉じ、そのまま天井を仰いだ。


私たちは誰も何も言わなかった。


でも、なんとなく分かる。


たぶん――。


開いていたのではない。


聖女様が来たから、扉の方が勝手に開いたのだ。


そんな気がする。


そしておそらく、元大神官様も同じことを考えている。


「……もう驚くまいと思っていたのですがな」


ぽつりと呟く声が聞こえた。


聖女様はそんな元大神官様を気にも留めず、楽しそうに本をぱらぱらとめくっている。


「ねぇ、これ続きないの?」


「……その前に一つよろしいでしょうか」


「なに?」


元大神官様は本を見ながら、小さく息を吐いた。


「その書物は、神話時代より伝わる英雄譚でございます」


「え?」


聖女様が目を丸くする。


「そんなに古い本なの?」


「はい。現存する写本も極めて少なく、神話時代の信仰や魔術体系に関する記述を含むため、禁書庫に保管されております」


「へぇー」


反応が軽い。


「面白かったわよ?」


「……左様でございますか」


「続きは?」


「ございません」


「えー!」


聖女様は心底残念そうに頬を膨らませた。


「いいところで終わってたのに!」


「その一冊が最後でございます」


「じゃあ私が続きを考えようかしら」


「…………」


元大神官様が再び黙った。


私はその表情を見ながら思う。


たぶん今、


『神話時代の禁書まで舞台劇にされる日が来るとは』


くらいのことを考えているのだろう。


でも。


稽古場では聖女様を中心に、もう次々と意見が飛び交っている。


「ニーナの衣装、鎧っぽくしよう!」


「でも動きやすくしないと」


「呼び出される仲間役は何人にする?」


「照明も変えたいわね」


みんな楽しそうだった。


元大神官様も、しばらくそんな私たちを眺めていたが、やがて諦めたように肩の力を抜いた。


「……まあ」


小さく苦笑する。


「皆が楽しそうなら、それで良しといたしましょう」


「大神官も観に来てね!」


「もちろんでございます」


聖女様は満足そうに笑った。


そして、その手には相変わらず――。


神殿の禁書庫から持ち出された、神話時代の貴重な書物が握られている。


元大神官様はそれをちらりと見て、もう一度だけ深いため息をついた。


たぶん。


返却のことを考えるのは、公演が終わってからにしたらしい。


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