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聖女様物語  作者: Elle


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29/44

その29

## ルナ


私の名前はルナ。


元旅芸人――だった。


今は、王宮と大神殿が共同で運営する常設劇場に所属する劇団員である。


……どうしてこうなった。


今でも時々そう思う。


少し前まで、父が率いる一座と一緒に国から国へ、町から町へと渡り歩いていたはずなのに、気がつけば王都に立派な住居まで用意され、毎日のように同じ劇場へ通っている。


最初の頃こそ戸惑ったけれど、最近ではもう諦めた。


というより――。


正直、今の生活はかなり気に入っている。


劇場は連日の大盛況。


旅芸人だった頃とは比べものにならないほど収入が安定し、雨の日に興行場所を探し回る必要もなければ、次の町で泊まる宿を心配する必要もない。


父も腰を治しながら演出係として働くようになり、一座の仲間たちもそれぞれ劇場内で仕事を見つけ、毎日楽しそうに過ごしている。


そして私はというと――。


「ルナー! 今日、お茶しましょう!」


頻繁に聖女様から呼び出されるようになった。


もっとも、呼ばれたからといって何か特別な仕事を頼まれるわけではない。


聖女様、ヘレナ、スージー、ニーナ、そして私。


五人でお茶を飲み、王都をぶらぶら歩き、新しくできたケーキ屋へ行ったり、服を見たり、雑貨屋を覗いたりする。


本当に、それだけ。


それだけなのに――。


不思議なくらい楽しい。


占いで見た、あの未来の光景を時々思い出す。


五人で笑って、お茶を飲んで、町を歩いていた未来。


もしかすると、もう始まっているのかもしれない。


そんなことを考えるようになっていた。


劇場の運営も順調だった。


中でも現在、一番人気を集めているのが――。


聖女様が脚本を書かれた演劇である。


これが、信じられないくらい面白い。


恋愛があり。


冒険があり。


思いきり笑える場面があれば、最後には思わず涙を流してしまう場面まである。


全部が一つの物語に詰め込まれている。


最初に台本を読んだ時、父が真顔で、


「聖女様は昔、劇作家でもやっておられたのか?」


と尋ねたほどだった。


もちろん、誰も答えられなかった。


そして何より画期的だったのが――男役まで女性が演じることだった。


最初に聖女様からその話を聞いた時、一座の誰もが同じ反応をした。


「女性が男性役を?」


「さすがに無理なのでは……」


けれど聖女様は、


「絶対格好いいから!」


と言って譲らなかった。


そして実際にやってみると――。


「きゃあああっ!」


「格好いい!」


「あの騎士役の人、誰!?」


「もう一回観たい!」


「次の公演はいつなの!?」


女性客から大絶賛された。


結果、連日の満員。


公演日のチケットは発売すればすぐに完売し、劇場前には次の公演日を確認する客まで集まるようになった。


男役を演じる女性劇団員には贈り物まで届き始めている。


正直。


聖女様の感覚は、時々よく分からない。


でも結果だけを見れば、だいたい当たるからもっと分からない。


そんなある日のこと。


いつものように五人でお茶を飲んでいると、聖女様が突然言い出した。


「格好いい人がいるの」


嫌な予感がした。


この人がこういう顔をして何かを言い出した時は、大抵ろくでもないこと――いや、新しいことが始まる。


「格好いい人?」


「うん!」


聖女様は大きく頷いた。


「ニーナと同じくらい格好いいわ」


ニーナがぴくりと眉を動かす。


「……私が基準なのですか?」


「うん!」


即答だった。


「その人にも劇に出てもらいたいの!」


「……本人の許可は?」


私が恐る恐る尋ねる。


「これから聞くわ!」


まだ聞いていなかった。


やっぱり嫌な予感しかしない。


そして聖女様に連れられ、私たちが向かった先は――王城だった。


その中でも、女性王族や高位貴族の令嬢たちを警護する女性騎士団の詰所。


私は建物を見上げた。


「……まさか」


その、まさかだった。


聖女様が嬉しそうに一人の女性を指差す。


「ほら、あの人!」


そこに立っていたのは、背の高い女性騎士だった。


すらりと伸びた背筋。


無駄のない身のこなし。


切れ長の瞳が印象的な、凛々しい顔立ち。


ただ立っているだけなのに、周囲の空気まで引き締まって見える。


近くの騎士へ指示を出す声も低く落ち着いていて――。


(……確かに)


私は素直に思った。


(格好いい)


しかも、ものすごく舞台映えしそうだ。


男役の衣装を着せたら、女性客から黄色い悲鳴が上がる姿が簡単に想像できる。


……でも。


この人は王城に勤める正式な騎士である。


そんな人が、


『劇に出てください』


と言われて、本当に出てくれるものなのだろうか。


私たちに気づいた女性騎士は、すぐにこちらへ歩いてきた。


「聖女様。お越しになられていたのですか」


胸へ手を当て、綺麗に一礼する。


「お声を掛けていただければ、こちらから伺いましたのに」


「んとね」


聖女様はそんな彼女へ、いつもの調子で話しかけた。


「劇をやるの」


「……はぁ」


女性騎士がわずかに首を傾げる。


「それでね、アリアがいるの」


「…………」


女性騎士――アリアさんは、一瞬だけ目を丸くした。


「……私が、でございますか?」


「うん!」


「舞台に?」


「そう!」


アリアさんは明らかに困惑している。


当然だと思う。


ところが聖女様は、なぜか真剣な顔で彼女を見つめた。


「アリアならできると思うの」


「何故でしょうか?」


「だって」


聖女様は自信満々に言った。


「アリアも腹筋がカチカチだから!」


「…………」


私は黙った。


ヘレナも黙った。


スージーは口元を押さえた。


そしてニーナが、深々とため息をついた。


「聖女様……」


また腹筋基準だ。


この人、本当に人を見る時に腹筋を重要視しているのではないだろうか。


アリアさんは何とも言えない表情を浮かべたあと、助けを求めるように元大神官様へ視線を向けた。


「大神官様」


「はい」


「少々、お話をよろしいでしょうか」


「もちろんです」


二人は私たちから少し離れた場所へ移動した。


私は聞いてはいけないと思いつつ――。


少しだけ聞き耳を立てた。


アリアさんが小声で尋ねる。


「大神官様。一つ確認したいのですが」


「何でしょう?」


「聖女様は以前も……腹筋を理由に護衛をお選びになったのでしょうか」


元大神官様は、しばらく黙った。


そして静かに目を閉じる。


「……はい」


「やはり、そうでしたか」


アリアさんまで遠い目をした。


「実は私、昨日……訓練場で腹筋をしておりまして」


「なるほど」


今度は元大神官様も遠い目になる。


「聖女様は、たまたまそれをご覧になられたのでしょうな」


「…………」


「…………」


二人の間に、何とも言えない沈黙が流れた。


なぜか、とても分かり合っているように見える。


やがてアリアさんが、小さな声で尋ねた。


「ですが、大神官様」


「はい」


「私は演技など一度もしたことがございません」


「ご安心ください」


元大神官様は、妙に穏やかな笑顔を浮かべた。


「演技の経験は、今のところ問題ではございません」


「……問題ではない?」


「はい」


そして、どこか悟ったような口調で続ける。


「必要なのは、聖女様が――」


一拍置いた。


「『格好いい』と思われたことだけでございます」


「…………」


アリアさんは静かに天井を見上げた。


私にも、その気持ちはなんとなく分かる。


しばらくして、アリアさんがもう一つ尋ねる。


「それは……断れるのでしょうか」


元大神官様はにこやかに微笑んだ。


「私も昔、それを考えたことがございます」


「大神官様も?」


「ええ」


「それで、答えは?」


元大神官様は少しだけ遠くを見つめた。


「ございませんでした」


「…………」


何の答えにもなっていない。


でも、ものすごく説得力があった。


その瞬間だった。


遠くから、聖女様の元気な声が響く。


「アリアー!」


全員がそちらを見る。


聖女様が紙の束を抱え、嬉しそうに手を振っていた。


「台本できたわよー!」


「…………」


早い。


まだ本人は引き受けると一言も言っていない。


いつ書いたのだろう。


というより――。


(もう出ること前提なの!?)


アリアさんはしばらく聖女様を見つめていた。


やがて小さく息を吐くと、騎士らしく背筋を伸ばす。


どうやら覚悟を決めたらしい。


「……承知いたしました」


聖女様の顔がぱっと輝く。


「本当!?」


「はい」


アリアさんは胸へ手を当て、一礼した。


「国のため――」


そこで一度言葉を止める。


元大神官様を見る。


元大神官様は、何とも言えない笑顔を返した。


アリアさんは少し考え直し、


「……いえ。聖女様のために、舞台へ立たせていただきます」


「やったー!」


聖女様が大喜びする。


ヘレナとスージーも笑い、ニーナはまた小さくため息をついた。


私はそんな光景を見ながら、思わず苦笑する。


元大神官様も、アリアさんを見てから聖女様へ視線を戻し、すべてを諦めたような顔で静かに息を吐いていた。


その表情を見れば、何を考えているのかくらい私にも分かる。


――また一人、巻き込まれましたな。


たぶん、そんなところだろう。


そして今日も。


聖女様の何気ない一言から、新しい物語が始まる。


この時の私はまだ知らなかった。


アリアさんが初めて舞台へ立ったその日――。


劇場が、開場以来最大の歓声に包まれることになるなんて。


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