その28
## 大神官
聖女様は、腰を痛めた旅芸人一座の団長を見舞われたあと、ふと私へ視線を向けられた。
「ねぇ、大神官」
「はい。何でしょう?」
聖女様は少し寂しそうにルナ嬢の方を見る。
「ルナが、いなくならないためにはどうすればいいかな?」
「……と申されますと?」
「せっかくお友達になったのに、一座が次の町へ行ったらルナもいなくなっちゃうでしょう?」
頬を少し膨らませる。
「離れるの、寂しいわ」
「なるほど」
私は少し考えた。
旅芸人は各地を巡ることで生計を立てている。
ルナ嬢だけを王都へ残すわけにもいかないし、一座に旅をやめろと命じるのも筋が違う。
それならば、彼ら自身に「王都へ留まりたい」と思ってもらえる場所を作る方がいい。
「そうですな。少し大掛かりにはなりますが、王都に常設の演芸場を造られてはいかがでしょう?」
「演芸場?」
聖女様の目がぱっと輝いた。
「はい。演劇、占い、音楽、大道芸、動物を使った見世物など、様々な催しに対応できる施設です」
「それいい!」
予想通り、すぐに食いつかれた。
だが、私は手を軽く上げる。
「ただし、聖女様。造れば終わりというものではございません」
「そうなの?」
「建設費も必要ですし、完成後には維持費もかかります。清掃、警備、修繕、職員の給与。動物を扱うのであれば飼育費も必要になります」
「……結構かかるのね」
「ええ。ですから、すべて神殿や王家の持ち出しにしてしまうのは好ましくありません」
聖女様は素直に頷いた。
「じゃあ、どうするの?」
「まず建設費については、王家と神殿が共同で負担します。王都の新たな公共施設として整備するのであれば、十分理由が立ちます」
「うん」
「さらに王都の商人組合にも出資を募りましょう」
「商人さんにも?」
「演芸場に人が集まれば、周囲の宿屋、飲食店、菓子屋、衣服店などにも客が流れます。商人たちにも利益がありますからな」
聖女様が「ああ」と声を上げる。
「お客さんが増えるものね」
「その通りです。出資した商会には、場内での出店権などを優先的に与えることもできます」
「なるほど!」
ようやく話が面白くなってきたのか、聖女様が身を乗り出した。
私は続ける。
「完成後の運営費は、入場料や演芸場の使用料、飲食店などからの賃料で賄います」
「旅芸人からもお金を取るの?」
「最低限は必要でしょう。ただし、王都へ来たばかりの一座や小規模な芸人でも利用できるよう、料金は抑えます」
「うん。それがいいわ」
「売り上げに応じて一定割合を納めてもらう方式にすれば、客が少ない日に大きな負担を抱えることもありません」
それなら納得できる、と聖女様は何度も頷いた。
「ルナたちも、そこでずっと芸を続けられる?」
「もちろん、一座の方々が望まれるのであれば」
私はルナ嬢と団長の方を見る。
「ただし、王都に留まるかどうかを決めるのは、あくまで皆様です。聖女様がお望みだからと、旅をやめていただくわけにはまいりません」
「もちろんよ!」
聖女様はすぐに答えた。
「ルナたちが嫌なら無理に残ってなんて言わないわ」
「それならば問題ございません」
団長も、少し驚いた様子で話を聞いている。
私はさらに構想を広げた。
「演芸場だけでは不便ですので、隣接地に長期滞在用の住居を設けるのもよいでしょう」
「住むところも?」
「はい。ただし無料ではなく、一般の宿より少し安い程度の家賃をいただきます」
「その方がいいの?」
「ええ。完全に無料にしてしまえば、入居希望者が殺到いたしますからな」
「……あ」
そこまでは考えていなかったらしい。
「芸人だけずるい、ってなる?」
「なるでしょうな」
「それは困るわね」
「ですので、演芸場へ出演する者が一定期間利用できる専用宿舎とすればよろしいでしょう」
聖女様は納得したように頷いた。
「その他にも、動物の飼育施設、大道具や衣装の保管庫、稽古場などが必要になります」
「全部一か所にあったら便利ね」
「はい。さらに、各地から来た芸人が技術を教え合える場所にもなります」
「それ、すごく楽しそう!」
聖女様はすっかり気に入られた様子だった。
しかし、今度は少し現実的な疑問を口にする。
「でも、そんな大きな場所を造れる土地ってあったかしら?」
私はすぐに答えた。
「候補地ならございます」
「どこ?」
「先日、お取り潰しとなりました伯爵家が王都近郊に所有していた土地です」
「あー。何かあったみたいね」
「……はい」
何かあった。
……では、とても済まない案件なのだが。
そこは今、重要ではない。
「爵位剥奪に伴い、土地はすでに王家へ返還されております。私有地を無理に買い上げる必要もありませんので、用地取得の問題は比較的小さいでしょう」
「じゃあ、そこに決まり?」
「まだでございます」
私は苦笑した。
「地盤や水路、街道からの距離、周辺住民への影響などを調べなければなりません。動物を飼うのであれば、住宅地から少し離した方がよい場合もございます」
「……建物を造るのって大変なのね」
「大変でございます」
「大神官に『ここに建てて』って言えば終わると思ってたわ」
「私にもできることとできないことがございます」
ヘレナ嬢とスージー嬢がくすくす笑っている。
「まずは王家、神殿、王都役所、商人組合から数名ずつ出して、計画をまとめる委員会を作りましょう」
「いいんかい?」
「はい」
「何するところ?」
「土地を決め、予算を組み、設計を確認し、完成後に誰が管理するかを決めるところです」
「すごく大事そう」
「とても大事でございます」
「じゃあ、それお願い!」
「承知いたしました」
たぶん、数日以内に国王陛下へ話を通すことになるだろう。
聖女様から、
『みんなが楽しめる場所を作りたいの』
と言われれば、陛下も前向きに検討されるはずだ。
とはいえ、国庫の金を使う以上、正式な予算審議は必要になる。
聖女様の希望だからといって、そこを曖昧にするわけにはいかない。
私はさらに一つ思いついた。
「それと、神殿側にも利点がございます」
「神殿にも?」
「はい。通常の礼拝や大きな儀式は大神殿で執り行いますが、演芸場の一角に小さな講堂を設けるのです」
「講堂?」
「そこで神々のお言葉や教会の教えを伝えるほか、読み書きや計算を教えることもできます」
「勉強?」
「はい。特に子供たちでございますな」
私は続けた。
「王都にも、家庭の事情で十分な教育を受けられない子供たちはおります。昼間の一部時間だけ講堂を開放し、神官や読み書きのできる者が教えれば、地域の学びの場になります」
「いいわね!」
「講堂は演芸がない時間に集会所として貸し出すこともできます。そうすれば、施設を一日中有効に使えます」
「無駄にならないのね」
「その通りです」
さらに、もう一つ大事なことを付け加える。
「ただし、神殿が芸人たちの内容へ細かく口を出すことは避けた方がよろしいでしょう」
聖女様が首を傾げる。
「どうして?」
「演芸場は神殿ではありません。神殿が管理しすぎれば、芸人たちが自由に芸を披露できなくなります」
「ああ、それは嫌ね」
「ですので、施設の所有は王家と神殿の共同。実際の運営は、芸人側と商人側も参加する独立した管理組織へ任せるのがよろしいかと」
「ルナたちも意見を言える?」
「もちろんです」
それを聞いた聖女様は、ぱぁっと笑顔になった。
「わーーー! 大神官、凄いわ!」
「恐れ入ります」
「そんなことまで考えてたのね!」
「聖女様の『ルナ嬢と離れたくない』というお話から、随分大きくなってしまいましたがな」
「でも、みんなが楽しくなるならいいでしょう?」
私は思わず笑った。
「ええ。それならば、十分やる価値はございます」
「そうだ!」
聖女様が突然、何かを思いついたように声を上げる。
嫌な予感がした。
「今度ヘル様に会ったら――」
「…………」
やはり。
「『大神官は凄かったよ』って、褒めてもらえるようにお願いしておくね!」
私の笑顔が固まった。
「いえ」
「?」
「この程度、大したことではございませんので」
「でも凄いじゃない」
「いえいえ。計画を思いついただけでございます。実際に土地を調べ、予算を作り、王家や商人たちを説得するのはこれからですので」
「じゃあ完成したら褒めてもらおう!」
「そういう意味ではございません!」
私は珍しく食い気味に答えた。
「ご報告だけは、何卒お控えください」
「え? どうして?」
「どうしてと言われましても……」
冥界の女王から名指しで褒められる。
普通の人間なら、一生誇れるほどの名誉なのかもしれない。
だが私には、それが名誉で終わる未来がまったく想像できない。
『ほぉ。あの大神官か。面白そうじゃな』
などと言われて、また突然神殿へ降臨される光景しか浮かばなかった。
そして、その度に私が接待役になる。
胃が確実に死ぬ。
「とにかく」
私は深々と頭を下げた。
「ご報告だけは、どうかご容赦ください」
「そうなの?」
「はい」
「本当に?」
「本当にございます」
聖女様は不思議そうな顔をしている。
少し離れた場所では、ヘレナ嬢がくすくす笑い、スージー嬢も口元を押さえていた。
セリーナ殿は事情がよく分からないらしく、きょとんとしている。
一方、ルナ嬢は何となく察したような苦笑を浮かべていた。
聖女様はしばらく考えたあと、ようやく頷く。
「分かった。じゃあ褒めるのはやめておく」
「ありがとうございます」
私は心の底から安堵した。
助かった。
これで余計な火種は――。
「でも」
「…………はい?」
聖女様がにっこり笑う。
「『大神官、いつも胃が痛そうだったよ』くらいは言っておくね」
「…………」
私は静かに天を仰いだ。
「それも立派なご報告に含まれるのでは……?」
「大丈夫よ。褒めてないもの」
「そういう問題ではございません……」
ヘレナ嬢とスージー嬢が、とうとう耐えきれずに笑い出した。
ルナ嬢まで肩を震わせている。
聖女様だけが、
「変なの」
と首を傾げていた。
私は小さく息を吐く。
どうやら、冥界の女王ヘル様から逃れようとすること自体、最初から無駄なのかもしれない。
そして何より恐ろしいのは――。
聖女様には、その自覚がまったくないことである。
私はそっと胃の辺りを押さえた。
……演芸場の建設計画をまとめる際には。
大神官用の胃薬の予算も、こっそり必要経費に入れておきたいところだった。




