その27
## ルナ
私の名前はルナ。
旅芸人一座の団長をしている父とともに、各地を巡りながら暮らしている。
事件は、本当に突然起きた。
「ぐあぁぁぁぁ!」
朝っぱらから、一座中に父の悲鳴が響き渡った。
何事かと思って慌てて駆けつけると、父が地面に倒れ込み、腰を押さえながら悶絶していた。
「親父!? 何があったの!?」
近くにいた団員が、何とも言えない顔である物を指差した。
「あれ……」
視線の先にあったのは、トランポリン。
私は数秒黙り込んだ。
「……親父」
「なんだ……」
「何してたの?」
父は額に冷や汗を浮かべながら、苦しそうに答えた。
「ちょっと……昔を思い出してな……」
「うん」
「久しぶりに飛んでみたら……」
「うん」
「着地した瞬間、腰がグキッと……」
私は思わず額を押さえた。
「年甲斐もなく遊ぶからでしょう!」
「痛い……腰がぁ……」
完全にぎっくり腰だった。
……アホだ。
本当に何をやっているのだろう。
けれど、笑ってばかりもいられなかった。
私たちがプリン王国へやって来て、すでに二週間。
ここでの興行は絶好調だった。
むしろ、ここ最近立ち寄った国や町の中では、売り上げは文句なしの一位だ。
大きなトラブルもなく、毎日のように客が集まる。
この国は、本当に豊かだった。
長い間戦争がなく、大きな疫病もほとんど起こっていない。
人々は安心して働き、暮らしにもある程度の余裕がある。
生活するだけで精一杯ではないからこそ、芸や娯楽にもお金を使ってくれる。
一座の仲間たちも、ここへ来てからは毎日のように笑っていた。
しかも道路までよく整備されているため、近隣の村や町から王都へ遊びに来る人も多い。
「やっぱり、聖女様のおかげなんだろうな」
団員の一人が、ぽつりと呟いた。
「そうなのかな」
「そうだろ。悪い貴族なんかも、昔から随分取り潰されたって話だぞ」
税も他国に比べれば軽いらしい。
私は政治の難しいことなんて分からない。
でも、町を歩く人たちが幸せそうなのは分かる。
子供たちは笑っている。
商人たちは活気がある。
農民たちも、収穫した物を安心して市場へ持ってこられる。
それだけでも、旅を続けてきた私たちには、この国がどれほど恵まれているのか十分伝わってきた。
……しかし。
今、一番の問題は別にある。
団長である父が動けない。
つまり、一座そのものが移動できない。
次の町での興行予定も決まっている。
宿の手配もある。
荷馬車の準備もしなければならない。
そこで一つ、とても嫌な考えが浮かんだ。
(私が団長代理……?)
無理無理。
絶対に無理。
私はまだ若すぎる。
占いならできる。
お客さんの相手もできる。
でも、一座を率いるとなれば話が違う。
興行先との交渉。
宿の手配。
団員たちの管理。
荷馬車の整備。
食料や餌の計算。
町ごとの許可取り。
何一つまともに分からない。
「どうしよう……」
私が頭を抱えると、団員たちも困ったように顔を見合わせた。
結局、その日は予定を変更し、私は父のお見舞いへ向かうことにした。
天幕の中では、父が腰へ湿布を貼られ、何とも情けない顔で寝転がっていた。
「ルナか」
「うん」
「……悪いな」
「ごめんで済むなら苦労しないよ」
私はため息をつきながら、近くの椅子へ腰掛けた。
「それで、これからどうするの?」
父は天井を見上げたまま答える。
「数日は無理だろうな。まともに動けん」
「次の町は?」
「……厳しいな」
「私、団長なんて無理だよ」
父は小さく笑った。
「そうだな。お前にはまだ早い」
「じゃあ、どうするの!」
「それを考えてるんだよ」
「今考えてる顔じゃなかったでしょ!」
「腰が痛くて考えられん」
「もう!」
結局、二人そろって黙り込んでしまった。
その時だった。
天幕の外から、聞き覚えのある明るい声が響いた。
「ルナー!」
「……」
「あそびに来たわよー!」
私は思わず遠い目をした。
嫌な予感しかしない。
やがて幕が勢いよく開き、そこから聖女様が顔を覗かせた。
その後ろにはヘレナ、スージー、ニーナ。
さらに元大神官様まで立っている。
「こんにちはー!」
「せ、聖女様!?」
父が起き上がろうとする。
「ぐあっ!」
「親父、動かないで!」
聖女様は父の様子を見るなり、すぐに事情を察したらしい。
「あら。腰やっちゃったの?」
父は情けなさそうに苦笑した。
「面目ありません……」
「何したの?」
私は即答した。
「トランポリンです」
「おい、ルナ!」
「へぇ」
聖女様は父をじっと見たあと、くすっと笑った。
「楽しそうだった?」
「……途中までは」
「じゃあ仕方ないわね」
「仕方なくありません!」
私が突っ込むと、ヘレナたちまで笑い始めた。
少しだけ空気が和んだところで、聖女様が首を傾げる。
「でも、それならしばらく王都にいればいいじゃない」
「……え?」
私と父が同時に聞き返した。
聖女様は不思議そうな顔をする。
「だって、王都なら毎日お客さん来るでしょう?」
「まあ……そうですが」
「だったら、無理して移動しなくても困らないんじゃない?」
父も団員たちも顔を見合わせた。
確かに。
言われてみれば、その通りだった。
今の売り上げなら、しばらく王都に滞在したとしても十分に一座全員が生活できる。
むしろ、無理に次の町へ移動するより安全かもしれない。
ただ、一つ問題がある。
「でも、広場の使用許可が……」
私がそう言うと、聖女様はあっさり答えた。
「必要なら延長してもらえばいいじゃない」
「そんな簡単に……」
聖女様は後ろを振り返る。
「大神官」
「承知いたしました」
元大神官様は、まるで最初から分かっていたように頷いた。
「王都役所へ話を通しておきましょう。怪我が治るまでの間、現在の場所を継続して使用できるよう手配いたします」
「…………」
父が呆然としている。
私も同じだった。
「そ、そんな簡単に決めてしまってよろしいのでしょうか……」
父が恐る恐る尋ねると、聖女様はにっこり笑った。
「怪我した時くらい、無理しちゃダメよ」
「ですが……」
「身体を壊してまで芸を続けても、お客さんだって喜ばないでしょう?」
父は黙り込む。
「だから、今はちゃんと休んで」
聖女様は優しく続けた。
「元気になってから、またみんなを楽しませてね」
「…………」
父はしばらく聖女様を見つめたあと、照れくさそうに頭を掻いた。
「……はい。ありがとうございます」
「うん」
聖女様は満足そうに笑った。
私はその様子を横で見ながら、ふと思う。
(やっぱり、この人は……)
誰かが困っていると、すぐに気づく。
そして助ける。
しかも本人にとっては、それが特別なことでも何でもない。
当たり前のように手を差し伸べる。
(人を助けることが、本当に好きなんだな)
以前見た、あの眩しい光を思い出す。
未来の代わりに見えた、どこまでも暖かな光。
もしかすると、あれはこういうものなのかもしれない。
そんなことを考えていると、父が布団の中からぽつりと呟いた。
「……もう、トランポリンは卒業する」
一瞬の沈黙。
そして。
「それがいい」
私を含め、一座の団員全員が一斉に頷いた。
聖女様たちまで笑っている。
父は少し不満そうだったけれど――。
少なくとも。
次からは、朝っぱらから一座中に悲鳴が響き渡ることはないだろう。
……たぶん。




