その03
大神官
昔の私は、地方の小さな村で暮らす、一介の神官にすぎなかった。
村は豊かではない。
だが、穏やかだった。
この国には聖女様がおられる。
聖女様は、その慈悲深き御心でプリン王国全土を守ってくださっている。
その加護は、このような辺境の村にまで届いていた。
だから魔物はほとんど現れない。
収穫は年によって違う。
豊作の年もあれば、不作の年もある。
ある日、私はそのことを聖女様へ尋ねたことがあった。
「聖女様ほどのお力なら、毎年豊作にもできるのではありませんか?」
聖女様は笑って答えられた。
「できるわよ。」
「でも、やらない。」
「どうしてでしょう?」
「人はね。」
「楽を覚えると堕落する生き物だから。」
「この世界に生きる以上、大自然もまた世界の一部。」
「それを私の都合で捻じ曲げるのは、この世界の摂理に反するもの。」
そして少しだけ優しく笑った。
「私はね。」
「必死に生きている人たちが好きなの。」
「不作でも。」
「諦めず。」
「誰かを恨まず。」
「悪いことにも手を染めず。」
「明日を信じて畑を耕す。」
「そんな人たちの魂を見るのが、一番好き。」
その言葉は、今でも忘れられない。
そんな私の元へ。
ある日、大神殿から召喚状が届いた。
私は何か失敗をしただろうか。
そう不安になりながら王都へ向かった。
大神殿へ入ると。
「聖女様との謁見です。」
そう告げられた。
私は緊張しながら謁見室へ入る。
聖女様は、いつものようにお茶を飲んでおられた。
「いらっしゃい。」
「あなたの担当している地域はどう?」
「民は困っていない?」
「教会の設備は大丈夫?」
「ちゃんと皆、礼拝へ来てくれている?」
私は一つひとつ丁寧に報告した。
橋が壊れたこと。
今年は麦の育ちが良いこと。
病人が減ったこと。
村人同士が助け合っていること。
聖女様は終始楽しそうに聞いておられた。
そして。
最後に一言。
「この人でいいわ。」
そう呟いた。
私は意味が分からなかった。
面会が終わると。
枢機卿から一枚の辞令を渡された。
そこには。
『大神官に任ずる』
と書かれていた。
「……?」
「大神官?」
私は思わず聞き返した。
「これは何かの間違いでは?」
枢機卿は苦笑した。
「いいえ。」
「聖女様のご推薦です。」
「ですが……。」
「大神官は枢機卿による投票で選ばれるのでは?」
「本来は、その通りです。」
枢機卿は深くため息をついた。
「ですが。」
「前大神官が……。」
そこで言葉を濁した。
私は後から事情を知った。
前大神官は。
聖女様へ、こんなことを言ったらしい。
「聖女様。」
「そのような行いは、聖女様にふさわしくありません。」
「そのような者とは口を利いてはなりません。」
「身分ある者は、身分に相応しい者とだけ付き合えばよいのです。」
最初は。
少し選民思想が強い人なのだろう。
その程度だった。
だが。
決定打があった。
子爵令嬢エレナ嬢とのお茶会が終わった後。
大神官はエレナ嬢へ言ったという。
「たかが子爵令嬢が。」
「聖女様のお気に入りなど。」
「身分をわきまえなさい。」
「我々と、お前では生きている世界が違うのだ。」
「次は自分からお断りをいれなさい。」
その日の夜。
聖女様は静かに宣言された。
「今日から。」
「私は聖域へ籠もります。」
「いつ出るかは知りません。」
「神殿って、つまらないの。」
「聖域の方が楽しいわ。」
そして。最後に。
「あの大神官はいりません。」
「次を、さっさと決めなさい。」
「あいつがいる限り。」
「私は聖域から出ません。」
そう言って。
本当に引きこもってしまわれた。
聖域は。
聖女様と。
聖女様が許可した者しか入れない。
誰も会えない。
誰も説得できない。
数日が過ぎた。
枢機卿である私たちは。
毎日聖域の前で頭を下げ続けた。
正直に言えば。
前大神官は間違ったことだけを言ったわけではない。
だが。
聖女様とは。
絶望的に相性が悪かった。
もし。
次も同じような人物を選んでしまえば。
聖女様は。
今度こそ他国へ行ってしまうかもしれない。
その想像だけで。
全員の背筋が凍った。
そこで。
私たちは決断した。
「大神官は、聖女様に選んでいただこう。」
その結論を出す前に。
神殿では正式な手続きを行った。
神託の儀。
大神官を解任するには。
正当な理由が必要だった。
「聖女様が嫌いだから。」
それだけでは。
組織は動けない。
三日後。
神託が下った。
その内容は。
記録球へ保存されている。
神の声は。
こう告げた。
『聖女が、この国を嫌いと言うなら滅ぼそう。』
『聖女が、この世界を嫌いと言うなら滅ぼそう。』
『聖女と、その魂を共にする者たちを連れ。』
『新たな世界を創ればよい。』
神殿中が。
パニックになった。
誰一人。
笑えなかった。
私たちは即日。
前大神官を解任した。
そして。
新大神官として。
私が任命された。
だが。
問題は終わっていない。
聖女様は。
まだ聖域から出てこられない。
そこで。
最後の頼みの綱として。
エレナ嬢と。
スージー嬢へお願いした。
「どうか。」
「聖女様を迎えに行っていただけませんか。」
二人は不思議そうな顔をしながら。
聖域の扉へ向かった。
本来。
誰も開けられない扉。
しかし。
二人は。
ごく自然に扉を開いた。
まるで。
自分の家へ帰るように。
そのまま中へ入っていく。
私たちは固唾を飲んで見守った。
数分後。
扉が開く。
エレナ嬢とスージー嬢。
そして。
聖女様が。
三人仲良く笑いながら出てこられた。
「楽しかったね!」
「またお菓子作りしましょう!」
「あ、その前に街へ遊びに行きたいです!」
楽しそうに笑う三人を見た瞬間。
私は膝から崩れ落ちた。
「……よかった。」
「本当によかった。」
世界は。
滅ばなかった。
その日。
私は初めて知った。
この国を支えているのは。
聖女様の奇跡ではない。
聖女様が、この国を好きでいてくださること。
それこそが。
この国、最大の奇跡だった。




