その23
## ルナ
私の名前はルナ。
旅芸人一座の団長をしている父とともに、大陸各地を旅して暮らしている。
私たち旅芸人は、一つの場所に留まらない。
国から国へ、町から町へ、時には小さな村まで足を運び、その土地の人々へ芸を披露して、その日の糧を得る。
今回やって来たのは、プリン王国。
大陸でも珍しいほど平和な国だ。
その理由は、この国へ来たことのない旅人ですら知っている。
――聖女様。
プリン王国では、聖女様が張る巨大な結界によって国土そのものが守られている。
魔物は容易に入り込めず、外敵も迂闊に攻め込むことができない。
聖女様のおられる国へ戦争を仕掛けるなど、
『どうぞ我が国を滅ぼしてください』
と言っているようなものだと、父は笑っていた。
実際、そんな馬鹿なことをする国はほとんどない。
そのおかげで、人々は安心して畑を耕し、家畜を育て、子を産み育てながら、穏やかに次の世代へ命を繋いでいる。
もちろん王様もいるし、貴族もいる。
政治的な問題がまったくないわけではないのだろう。
それでも、私たちがこれまで旅してきた国々と比べれば、ここは驚くほど穏やかだった。
旅芸人という仕事をしていると、嫌でも色々な国の裏側を見ることになる。
賄賂を要求する役人。
「この町で商売をしたければ金を払え」
などと言ってくる兵士。
さらには、
「今夜、うちの屋敷で芸をしろ。料金など払わん」
と当然のように命じてくる貴族もいた。
もっと酷いところでは、若い踊り子を指差して、
「あの娘を今夜、屋敷へ寄越せ」
などと平然と言う領主までいた。
そんな時、父は決まって言う。
「そういう国には長居するな」
そして、公演を早めに切り上げ、次の国へ向かう。
だからこそ、プリン王国へ入ると一座のみんながほっとするのだ。
噂では、この国にも昔は横暴な貴族がいたらしい。
けれど、民を苦しめるような貴族は、聖女様が次々と取り潰してしまったのだとか。
その話を最初に聞いた時、私は思わず笑ってしまった。
「そんな聖女様、本当にいるの?」
普通、聖女と聞いて思い浮かべるのは、誰にでも優しく、どんな相手でも許してしまうような人だ。
少なくとも私はそう思っていた。
悪い貴族を容赦なく潰して回る聖女なんて、聞いたことがない。
だから、少しだけ興味を持っていた。
いったい、どんな人なのだろう。
そんなことを考えながら、私たちはいつものように王都で公演の準備を始めた。
私たちの一座が披露する芸は多い。
空中ブランコ。
猛獣を使った見世物。
大道芸。
歌や踊り。
小さな芝居。
そして占い。
一つの町で数日間公演し、十分な客が集まらなくなれば次の町へ移る。
そんな暮らしを続けている。
その中でも、意外なほど人気なのが私の占いだった。
私は昔から、少しだけ変わった力を持っている。
人の瞳をじっと見ると、時々その人の未来が見えるのだ。
一日後のこともあれば、数年先のこともある。
いつの未来が見えるのかは、自分でも分からない。
しかも、その人の人生すべてが見えるわけではない。
ほんの一場面。
まるで絵や短い芝居を見ているように、ぼんやりと映像が浮かぶだけだ。
だから私は、その映像をそのまま伝える。
「今は旅に出ない方がいいと思います」
「その商売は、上手くいきそうです」
「その人との結婚は、少し考えた方がいいかもしれません」
そんな助言をして、これまで何人もの人を助けてきた。
もちろん、見えた未来がそのまま現実になるとは限らない。
未来は変わる。
私の言葉を聞いたことで、本人の行動が変わることもある。
だから私は、決して、
『絶対こうなります』
とは言わない。
ただ、
『こんな未来が見えました』
そう伝えるだけにしている。
王都へ到着して二日目。
広場の一角で占いの準備をしていると、父が辺りを見渡して笑った。
「今日は随分と人が多いな」
「そうね。何かお祭りでもあるのかな?」
いつも以上に通りには人が多く、商店の主人たちまで落ち着かない様子で外を気にしている。
不思議に思っていると、近くを歩いていたおばさんが教えてくれた。
「今日はね、聖女様がお買い物に来られる日なのよ」
私は思わず振り返った。
「え? 聖女様?」
「そうよ」
おばさんは嬉しそうに頷く。
「ヘレナ様とスージー様もご一緒でね。最近は新しく護衛になったお嬢さんも一緒に歩いているの」
「そんなに皆さん楽しみにしているんですか?」
「もちろんよ」
おばさんは笑った。
「聖女様が町へ来られると、子供たちも喜ぶし、店の人たちもみんな嬉しそうになるのよ」
そこまで人気があるのか。
私はますます興味を持った。
(どんな人なんだろう)
(本当に、悪い貴族を潰して回るような人なのかな)
そんなことを考えながら、何気なく人混みの向こうへ目を向けた。
その瞬間だった。
遠くから、一人の少女が歩いてくるのが見えた。
友人らしい少女たちと何かを話しながら、とても楽しそうに笑っている。
特別豪華な格好をしているわけではない。
周囲には普通に町の人たちがいて、子供たちが手を振れば、その少女も笑顔で手を振り返していた。
そして偶然。
その少女と、目が合った。
私は反射的に、その瞳を見つめてしまった。
いつものように。
未来が見えると思った。
誰であろうと同じだ。
王族でも。
貴族でも。
商人でも。
農民でも。
瞳を見れば、何かしらの未来が映る。
そう思っていた。
だが――。
「……え?」
何も見えない。
私は瞬きをした。
もう一度、その少女の瞳を見る。
それでも未来は映らない。
(何……?)
生まれて初めてだった。
未来が見えない。
いや。
違う。
私は息を呑んだ。
見えている。
確かに、何かが見えている。
けれど、それは未来ではなかった。
映像でもない。
誰かと笑っている姿でも。
泣いている姿でも。
何かを成し遂げる光景でもない。
ただ――。
光。
あまりにも眩しい光だけが、その人の向こう側いっぱいに広がっていた。
未来も。
運命も。
何もかも塗りつぶしてしまうような、眩しい光。
私は知らず知らずのうちに、一歩後ずさっていた。
「ルナ?」
父が不思議そうに声を掛けてくる。
けれど返事ができない。
私はただ、その少女を見つめていた。
少女は私の様子など知らず、隣にいる友人と楽しそうに笑っている。
その周囲を、王都の人々が嬉しそうに見守っていた。
そして、ようやく気づく。
(まさか……)
あの人が。
(聖女様……?)
胸が早鐘のように鳴る。
これまで何千人という人間の未来を見てきた。
それなのに。
あの人だけ。
何一つ未来が見えない。
見えるのは、ただ眩しい光だけ。
私は生まれて初めて、自分の力そのものが通じない相手を前にしていた。
(……何、この人)
そして。
次に浮かんだ疑問は、もっと単純なものだった。
(いったい……誰なの?)




