その20
## ニーナ
私の名前はニーナ。
王都近郊に小さな領地を持つ、騎士爵家の娘だ。
騎士爵というのは、寄親である上位貴族が戦へ赴く際、真っ先に馳せ参じることを求められる騎士の家柄である。
一応、領地もある。
だから身分としては貴族だ。
……とはいえ、実態は少し裕福な農家と大して変わらない。
父は毎日のように畑を耕し、母は掃除や洗濯をしながら料理を作る。使用人などほとんどおらず、私も幼い頃から畑仕事を手伝ってきた。
そんな、ごく普通の家だった。
幸いなことに、プリン王国では長い間、大きな戦争が起きていない。
理由は単純。
この国には、聖女様がおられるからだ。
聖女様が守護する国へ戦争を仕掛けるなど、
『どうぞ我が国を滅ぼしてください』
と言っているようなものらしい。
そんな馬鹿なことをする国はない。
そして、それは国内でも同じだった。
昔は領地を巡って、貴族同士が争うこともあったという。
だが、今ではほとんど起こらない。
その理由になった、有名な事件がある。
ある時、領地の境界を巡って二つの貴族家が争い始めた。
小競り合いは次第に大きくなり、とうとう武力衝突寸前まで発展した。
ところが、その直後。
その二つの家の領地だけ、突然結界が消えた。
何の前触れもなく。
綺麗さっぱり。
すると、それまで結界によって防がれていた魔物が領内へ雪崩れ込んだ。
両家は領地争いどころではなくなった。
魔物への対応に追われ、領地は疲弊し、領民は次々と他領へ逃げていった。
最終的には当主まで逃げ出し、当然ながら爵位は取り潰し。
領地も王家へ没収された。
その一件を見た誰もが思った。
――聖女様が何かした。
ところが、当の聖女様は尋ねられても、
「知らなーい」
と笑っておられたらしい。
そして最後に、ぽつりと一言。
「私、戦争と馬鹿は嫌いなのよね」
……絶対にわざとである。
少なくとも、国中の貴族はそう思った。
それ以来、この国で領地争いから戦争へ発展することはなくなった。
理由は極めて分かりやすい。
争いを始めた方が滅ぶからだ。
その結果、プリン王国では武力が必要になる場面そのものが少ない。
平和なのは良いことだ。
とても良いことなのだが――。
そんな国に生まれた私は、悲しいほど槍の才能に恵まれていた。
自慢ではない。
本当に、妙に強かったのだ。
数領合同で開催された武闘大会では優勝した。
その実績が評価され、今度は王都で開かれる武道大会への出場まで決まった。
ここでも良い結果を残せれば、上位貴族の護衛として雇われる可能性がある。
さらに運が良ければ、王族の女性を守る近衛騎士団へ入れるかもしれない。
それは騎士爵家の娘である私にとって、十分すぎるほど立派な出世だった。
だから私は、気合十分で王都へやって来た。
受付を済ませ、槍を確認し、いざ控室へ向かおうとした――その時だった。
「ニーナ様ですね」
神官様が一人、こちらへ近づいてきた。
「はい」
「聖女様がお呼びです」
「……え?」
一瞬、言われた意味が分からなかった。
「せ……聖女様?」
「はい。お待ちでございます」
頭の中が真っ白になる。
なぜ?
どうして?
私は今から武道大会に出るだけの、田舎騎士爵家の娘なのだが?
しかし、聖女様から呼ばれていると言われて断れるはずもない。
私は訳も分からないまま、神官様についていった。
案内されたのは、武道大会を見渡せる特別観覧席だった。
そして、その中央には――。
「あ、来た来た!」
聖女様がおられた。
しかも、にこにこと笑いながら私へ手を振っている。
「こっち、こっち。ここ座って」
「……はい?」
「一緒に観戦しましょう」
「えっ?」
私は思わず大会会場の方を見る。
「い、いえ! 私、参加者なのですが! このあと控室へ行かなければいけないのですけど!」
ところが聖女様は、笑顔のまま首を横に振った。
「大丈夫よ」
「何がでしょうか?」
「貴女、私の護衛になるから」
「…………え?」
頭が止まった。
今、何と言われた?
「さっき決まったの。これからよろしくね」
「えぇぇぇぇぇ!?」
思わず大声を出してしまった。
私はまだ大会に出ていない。
一試合もしていない。
そもそも聖女様付き護衛の試験など受けた覚えもない。
何も始まってすらいないのに、なぜか就職先だけ決まっていた。
私が混乱している間にも、聖女様は楽しそうに話しかけてくる。
「お名前は?」
「……ニーナです」
「ニーナ。素敵なお名前ね」
「あ、ありがとうございます」
「武器は?」
「槍です」
「わぁ、槍なんだ。格好いいわね」
「は、はぁ……」
「お菓子食べる?」
「……はい?」
聖女様はテーブルの上の皿をこちらへ差し出した。
「このクッキー、美味しいのよ」
「はぁ……いただきます」
私は完全に流されていた。
気がつけば聖女様の隣へ座り、クッキーを食べながら、自分が出場する予定だった武道大会を観戦している。
……何が起きているのだろう。
本当に分からない。
その時、ふと誰かの視線を感じた。
少し離れたところには、二人のご令嬢と元大神官様が座っている。
ヘレナ嬢。
スージー嬢。
そして元大神官様。
三人とも、何とも言えない表情でこちらを見ていた。
いや。
違う。
これは――。
可哀想なものを見る目だ。
(な、何……?)
(私、何かしました?)
ヘレナ嬢が小さくため息をついた。
スージー嬢も困ったように苦笑している。
そして元大神官様に至っては静かに目を閉じ、
「……また始まったか」
と呟いていた。
(また?)
(またって何!?)
何が始まったの?
誰か説明して!
しかし、私の心の叫びなど知るはずもなく、聖女様は上機嫌でクッキーを食べている。
そして今度は、当然のように話しかけてきた。
「ねえ、ニーナ」
「は、はい」
「今度、一緒にお買い物へ行きましょう」
「……お買い物?」
「王都には美味しいケーキ屋さんがいっぱいあるのよ」
護衛の話はどこへ行ったのだろう。
「それから服も見たいわ。ニーナに似合いそうなの探しましょう」
「私の服までですか?」
「もちろん」
聖女様は楽しそうに笑う。
「あと、槍の練習も見せてね」
「……はい」
私はもう、それしか言えなかった。
結局その日、私は武道大会へ出場することなく、聖女様の隣で最後まで大会を観戦することになった。
そして大会が終わる頃には、なぜか聖女様付き護衛になる話が正式に決まっていた。
試験なし。
面接なし。
大会実績なし。
本人への事前確認すらなし。
あるのは、聖女様の一言だけ。
『この子がいい』
それだけで、私の人生はあっさりと決まったのである。
後になって分かったことだが。
ヘレナ嬢も。
スージー嬢も。
似たような形で聖女様に気に入られ、そのまま引っ張り込まれたらしい。
だから、あの時の三人はあんな顔をしていたのだ。
――ああ。
新しい犠牲者が増えた、と。
もっとも。
今になって思えば。
あの日、聖女様に声を掛けられたことを、私は一度だって後悔したことはない。
ただ一つだけ言わせてもらうなら――。
せめて最初に。
本人の返事くらい聞いてほしかった。
本当に。




