その19
元聖女様
ようやく、普段の日常が戻ってきた。
朝の礼拝を終えた私は、ヘレナとスージーと一緒に王都をぶらぶら歩いていた。
パン屋のおばちゃんが店先から手を振ってくれて、八百屋のおじさんは果物を一つおまけしてくれる。道を歩けば子供たちが笑顔で駆け寄ってきて、いつもの王都の景色が戻ってきたことを実感する。
「あぁ……やっぱり、この生活が一番ね」
思わずそんな言葉がこぼれた。
神殿で偉い人たちに囲まれているより、こうして町を歩いている方がずっと落ち着く。
そんな中、ふと一つ気になった。
「そういえば、新聖女ってどのくらい散財したの?」
少し後ろを歩いていた元大神官が、ぴたりと足を止めた。
私は気にせず続ける。
「というか、そもそも神殿って赤字なの? 黒字なの? 私、そういうこと全然知らないわ」
「聖女様……」
元大神官は困ったように苦笑した。
「そのようなことはお気になさらずともよろしいのですが……せっかくですので、簡単にご説明いたしましょう」
「お願い」
元大神官は頷き、歩きながら説明を始めた。
「まず、神殿の主な収入は民からの喜捨でございます」
「お布施ね」
「はい。それ以外にも貴族家からの寄進がございますし、王家からも毎年相応のご寄進をいただいております」
私は首を傾げた。
「王家からも? どうして?」
「王家の結婚式、戴冠式、王族の洗礼など、多くの重要な儀式を神殿で執り行うからでございます。また王家として『神殿を大切にしている』という姿勢を民へ示す意味もございます」
「なるほどねぇ」
言われてみれば、王家と神殿は切っても切れない関係なのだろう。
元大神官はさらに続ける。
「加えて、神殿領ではワインや薬草、聖水などを生産しております。その他にも各地の特産品がございますので、それらの販売利益も神殿の大きな収入源となっております」
「へぇ~。神殿って、意外といろいろやってるのね」
「巨大な組織でございますから」
そこで私は、さらに別のことを思い出した。
「あっ。そういえば、私のお給料っていくらなの?」
元大神官は何でもないことのように答えた。
「年間、金貨百枚でございます」
「……え?」
思わず足が止まる。
「百枚?」
「はい」
「それって、どのくらいなの?」
「一般的な家庭でございますと、一年間の生活費がおよそ金貨三枚から五枚ほどでしょうか」
「…………」
頭の中で計算する。
そして――。
「えぇっ!?」
思わず大声を出してしまった。
通りを歩いていた人たちが何事かとこちらを見る。
「ちょ、ちょっと待って! 私、もらいすぎじゃない!?」
ヘレナとスージーが顔を見合わせ、くすくす笑っている。
しかし元大神官は真面目な顔で首を横に振った。
「そんなことはございません。聖女様は国全体を覆う結界を維持してくださっております。その功績を考えれば、むしろ安すぎるくらいでございます」
「でも私、何もしてないわよ?」
「……はい?」
「神器に触ったら勝手に結界が張られるだけだし、別に疲れないし」
元大神官の表情が何とも言えないものになった。
「それを『何もしていない』とおっしゃるのは、聖女様くらいでございます」
「そうなの?」
「そうでございます」
元大神官は苦笑したあと、少しだけ優しい表情になった。
「それに、聖女様の価値は結界だけではございません」
「?」
「聖女様がおられる。それだけで民は安心できるのです」
元大神官は、周囲へ目を向けた。
パン屋のおばちゃんが笑っている。
八百屋のおじさんが客と楽しそうに話している。
子供たちが通りを走り回っている。
「今回の一件で、それが嫌というほど分かりました。聖女様がおられることで街道は守られ、村は安心して作物を育て、商人は荷馬車を走らせることができます。そして民は、明日も今日と同じように暮らせると思えるのです」
「……」
「聖女様がおられるだけで、民は安心し、笑顔になれる。それだけでも、十分すぎるほどの価値がございます」
そこまで真面目に言われると、なんだか照れくさい。
「そ、そうなの?」
「はい」
「ふーん……」
私は誤魔化すように前を向いた。
すると隣で、ヘレナとスージーがまた笑っている。
「何よ?」
「いえ、何でもありません」
「聖女様、ちょっと嬉しそうだなって」
「もう、スージー!」
笑い声が広がる。
しかし、まだ一番大事なことを聞いていなかった。
「それで結局、神殿は赤字なの? 黒字なの?」
すると元大神官は、今度は胸を張って答えた。
「ご安心ください。毎年、大幅な黒字でございます」
「本当!?」
「はい」
「よかったぁ……」
私は心から安堵した。
「もし赤字だったら、私のお給料を返そうかと思ってたのよ」
その瞬間、元大神官が吹き出した。
「ふっ……その必要はございません」
「だって金貨百枚でしょう? そんなにもらってるなんて知らなかったもの」
「むしろ聖女様がおられることで、神殿の収入は大きく増えております」
「私がいると?」
「はい。聖女様を慕う方々からの寄進はもちろん、各地から巡礼者が訪れます。その方々が神殿領の宿を利用し、食事をし、特産品を購入してくださる。ワインや聖水なども、聖女様がおられることで信用が高まり、よく売れるのでございます」
「……私、知らないところで結構働いてる?」
「大変働いておられます」
「何もしてないのに?」
「そこが聖女様の恐ろしいところでございますな」
「何よ、それ」
皆が笑った。
元大神官も笑いながら、少しだけ声を落とす。
「ですが、本当にそうなのです。神殿最大の財産は建物でも、土地でも、宝物庫でもございません」
そして、私を見た。
「聖女様。あなた様でございます」
「…………」
私は思わず顔を逸らした。
「そういうこと言うから、ヘレナとスージーに笑われるのよ」
案の定、二人を見ると肩を寄せ合ってくすくす笑っている。
「笑ってませんよ」
「笑ってるじゃない!」
「少しだけです」
「もう!」
それでも、不思議と嫌な気分ではなかった。
神殿が黒字なら、それでいい。
民から無理にお金を集めているわけでもなく、私のお給料が神殿の負担になっているわけでもない。
それが分かっただけで十分だ。
「でも、黒字なら安心ね」
私は気持ちを切り替え、二人の腕を取った。
「じゃあ今日は、ケーキを食べて帰りましょう!」
「賛成です!」
「私も食べたいです!」
「元大神官も来る?」
「私は……」
元大神官が少し考える。
私はにっこり笑った。
「神殿は大幅な黒字なんでしょう?」
「……嫌な予感がいたしますな」
「今日は元大神官のおごりね!」
「なぜそうなるのです!?」
ヘレナとスージーが吹き出した。
「決まり~!」
「お待ちください、聖女様!」
こうして今日も、私たちは笑いながら王都のケーキ屋へ向かうのだった。
ようやく戻ってきた、何でもない日常。
やっぱり私は――。
こんな毎日が、一番好きだった。




