その14
##新大神官
神殿には、代々受け継がれてきた国土結界用の神器が存在する。
本来は聖女の力を補助するための魔道具であり、聖女が魔力を流し込むことで、その力を増幅し、国全土を覆うほどの巨大な結界を張ることができると伝えられていた。
「大神官様!」
神官の一人が、血相を変えて駆け込んでくる。
「このままでは民が暴動を起こします! 新聖女様に神器をお使いいただきましょう!」
それは、神殿に残された最後の望みだった。
大神官も重々しく頷く。
「……そうだな。もはや、試すしかあるまい」
しばらくして、新聖女は大神殿の最奥にある祭壇へ案内された。
巨大な祭壇の中央には、純白の宝玉が埋め込まれた古代の神器が静かに鎮座している。
「新聖女様。こちらでございます」
「これが?」
「はい。歴代の聖女様方が、国土結界を張る際に使用されてきた神器でございます。中央の宝玉へ魔力をお流しください」
説明を聞いた新聖女は、神器を見上げて鼻で笑った。
「こんなもの、私なら簡単に使えるわ」
そして、自信満々に祭壇へ上がる。
「私は聖女なのよ。見ていなさい」
新聖女は宝玉へ手を置いた。
「これが本当の聖女の力――」
その瞬間だった。
ゴォォォォォォォッ!
神器全体が眩い光を放った。
「きゃああああっ!?」
新聖女の身体が大きく震え、その場で体勢を崩す。
「な、何これ!?」
触れている手から、凄まじい勢いで魔力が吸い上げられていく。
一秒。
二秒。
三秒。
たったそれだけで、新聖女の顔から血の気が失われた。
「む、無理……! 止めて……!」
次の瞬間。
バタン。
新聖女は、その場に倒れ込んだ。
完全に意識を失っている。
それと同時に神器の光も急速に弱まり、何事もなかったかのように消えていった。
祭壇の間に、重苦しい沈黙が落ちる。
大神官がおそるおそる神器へ近づいた。
「……結界は?」
神官たちが慌てて観測用の魔道具を確認する。
やがて、一人が青ざめた顔で振り返った。
「変化ありません!」
「国土結界は一切展開されておりません!」
別の神官も続ける。
「結界側への魔力供給反応も……ゼロです」
「…………」
誰も何も言えなかった。
あれほどの光を放ったというのに、神器は新聖女の魔力を吸い上げただけで、肝心の結界を一寸たりとも広げることができなかったのだ。
そんな中、長年この神器の管理を任されてきた老司祭が、信じられないものを見るように呟いた。
「……おかしい」
大神官が振り返る。
「何がだ?」
「元聖女様がお使いになられた時とは……まるで違います」
老司祭は神器を見つめたまま続けた。
「元聖女様は、この宝玉へ手を触れておられただけでした。魔力を流し込んでおられるようにも見えなかった」
「……何だと?」
「それどころか、元聖女様がお触れになった瞬間、神器の方から勝手に起動したのです」
老司祭の声が震える。
「そして、こちらが何もする間もなく結界が広がり……わずかな時間で国境まで到達しました」
その言葉を聞き、大神官の脳裏に昔の光景が蘇った。
国土結界を張り終えた元聖女様へ、心配した神官が尋ねたことがある。
『聖女様、お身体は大丈夫なのですか?』
すると彼女は、不思議そうな顔をして笑った。
『私? 何もしてないわよ?』
『……何も?』
『うん。なんか触ったら、勝手に結界が張られるの』
そして最後には、呑気にこう付け加えていた。
『しかも全然疲れないし。便利よね、これ』
当時は、聖女様なりの冗談なのだと思っていた。
あるいは、周囲に心配をかけないために強がっているのだろうと。
だが――。
違った。
あの言葉は、そのままの意味だったのだ。
大神官はゆっくりと神器へ目を向ける。
新聖女は、わずか数秒触れただけで魔力を吸い尽くされ、意識を失った。
それでも結界は張られなかった。
一方、元聖女様は疲れるどころか、魔力を流している様子すらないまま、国全土を覆う結界を展開していた。
そこで初めて、大神官は理解した。
神器が特別だったのではない。
元聖女様が、あまりにも特別だったのだ。
むしろ神器の方が、元聖女様の桁外れの力を受け取り、それを国全体へ広げるための器にすぎなかったのかもしれない。
大神官は床に倒れた新聖女を見下ろし、やがて深いため息をついた。
「……比較してはいけない相手だったのだな」
誰も答えない。
大神官は静かに目を閉じた。
「我々は最初から……神話の中にいるような存在と、普通の人間を比べていたのかもしれん」
祭壇の中央では、純白の神器だけが何事もなかったかのように静かに沈黙していた。




