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第8話 将来の楽しみに

 学校が終わり、特に誰にも話しかけられることなどないはずなのに、俺は通学鞄を強く脇に抱え込み逃げるように教室を後にする。


 教室から出ていくときに、桐野さんの満足気な表情が視界に映った。

 誰のせいでこんな要らない悩みを抱えさせられていると思っているんだ、とイラッとしたが、心の内に留めておいた。


 いつもならコンビニに寄って、夜食用のカップラーメンなどを買ったりするのだが、今日は真っ直ぐ家に帰ることに。


 早くこのエロゲーを自室に隠さないと、ずっと外に持ち歩きたくない。


 家に着き、リビングから漏れ聞こえてくるテレビの音で沙希がいることを察する。

 俺は抜き足差し足忍び足、沙希に帰ったことがバレないように自室に戻ろうと、ゆっくりと階段を上がっていく。


「あ、お兄おかえりー」


 階段の中ほどで背後から声をかけられ、ぎくり、と身体が強張った。

 肩越しに振り返ると、沙希がいつのまにかリビングから出てきて、硬直させる俺を見上げていた。


 脇に抱えた鞄を強く握る。

 飯田家には決して見つかってはいけないエロゲーが、重い塊となって鞄の底に沈んでいる。


 少しでもおかしな反応を見せると、沙希にわかってしまう。なので、俺は努めて冷静に沙希に応えた。


「たたたたただいまー」


 全然冷静じゃなかった。

 脂汗がダラダラと溢れ出て、前髪が額に張り付き、挙動不審になってしまう。


 そんな俺の反応を見て、沙希は眉根を寄せ首を傾げて不審そうに見つめてくる。


「なに、その反応? キモいんだけど。まあ、いいや。ママが今日は仕事で遅くなるって、だからウチがご飯を作ることになったから」


「あ、そうなんだ」


 夜食用のご飯を買ってなかったからよかった。


 たまにあることなのだが、恵子おばさんが仕事で忙しいときは沙希が代わりに作ったりする。

 そのときは二人だけでご飯を済ませている。


 自室にエロゲーを隠してしばらくすると、階下から沙希の呼ぶ声が聞こえてきた。


 リビングに入ると、食卓にハンバーグが乗った皿が置かれていた。


 俺が定位置に座ると、隣に沙希が座ってきた。

 今日は恵子おばさんがいないんだからわざわざ隣に座ることないのにな、と思いつつ、そこが沙希の定位置だし、違う場所は座りが悪いのかも、とあまり気にしない。


 俺がハンバーグを食べていると、隣から視線が注がれる。

 自分の食事には手を付けず、沙希が頬杖をつきながら俺の食事するのをジッと眺めてくる。


「あんまり見られていると食べにくいんだけど……」


「ねーねー、お兄って、ウチがご飯を作ってあげると美味しそうに食べるよねー」


 沙希が悪戯っぽくニヤニヤとしながら、なぜか頬を染めている。


「ママよりもウチのご飯のほうが美味しいー?」


「いや、それはない。恵子おばさんのご飯のほうが百倍美味しいから」


 月とスッポン。比べるのもおこがましいほどに恵子おばさんが作ったほうが美味しい。


 俺はハッキリとキッパリとそう告げるも、沙希は嫌らしい笑みを崩さない。


「ウチが作ったときのほうが一杯食べるじゃん。ママが作ったときは少食なのに」


「それは……」


 思わず言いよどんでしまう。


 恵子おばさんが作るご飯は本当に美味しいのに、本人がいるとどうしてもまともに食事ができない。


 そんな本音が喉まで出かかったが、口には出さずご飯と一緒にその言葉を飲み込んだ。


「ウチ、いい奥さんになると思うっしょ? 美人で料理上手で明るくて、最高だと思わない?」


「料理上手は置いておいて、いい奥さんにはなるとは思うよ」


 掛け値なしにそう思う。


 料理の腕は極めて普通。だけど、美人で明るいというのは、身内贔屓なしに俺もそう沙希を評価する。


「もー、お兄褒めすぎー!」


 よほど嬉しかったのか、沙希が照れ隠しに俺の肩を強めに何度も叩いてくる。

 結構痛いのでやめてくれ。


「お兄、ウチが食べさせてあげよっか?」


 沙希がハンバーグを小さく切り分けて、フォークの先を俺の唇へと寄せた。


「いいって、自分で食べるから」


「遠慮すんなしー。ほら、ほら、あーんってしてみ?」


「遠慮とかじゃないって。自分で食べたいんだよ」


「将来のための予行練習じゃん。ほら、ほらー」


 予行練習ってなんだよ……。


 突きつけられたフォークを無視して、俺は椅子から立ち上がりその場から離れた。

 唐突な俺の行動に、沙希が少し慌てたようすに。


「え、なに? お兄、怒ったの?」


「おかわりしようかなって」


 俺が答えると、沙希が向日葵のような満面の笑顔を浮かべて、俺の茶碗を奪っていく。


「もう、素直じゃないなー。お兄は座ってて、ウチがよそってあげるから!」


 沙希が俺の肩を押して無理矢理座らせてくる。


「ママのときは一回もおかわりしないのに、ウチが作ったらおかわりとか可愛すぎるっしょ」


 沙希は上機嫌になり、鼻歌まじりでキッチンに向かう。その足取りはまるでステップを刻むかのように軽やかだった。


 勘違いさせて申し訳ないのだが、本当に特別美味しいわけではない。沙希のご飯は至って普通。


 だけど、幼少のころから一緒に過ごしたからか、沙希と食べるご飯はまったく緊張しない。


 そういった意味では、彼女と囲む食卓は誰よりも美味しく感じた。


「もっとご飯作ってあげられたらいいんだけど、ウチも忙しいしママに申し訳ないから……」


 沙希はそう言って、チラリ、と頬を染めながら俺のことを一瞥して。


「将来の楽しみにしておいてね!」


 なんてよくわからないことを言っていた。

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