第11話 早瀬さん再び
小柄な早瀬さんがどうやって俺の背中に乗ったのかはわからないが、いつのまにか俺は彼女をおんぶするような体勢になっていた。
「い、いま、早瀬さんなにしたの……?」
「うん、なにが?」
すぐ耳元で囁かれる早瀬さんの声がくすぐったい。
正直、なにをされたか聞くのが怖かったが、それでもなにをされたか確認したかったので、俺はもう一度恐る恐る訊ねてみる。
「……さっき、俺の耳になにかしたでしょ?」
「うん、舐めた」
な、舐めた……? なんで急にそんなことするんだ……?
頭の中を疑問で埋め尽くされている俺に、またもや早瀬さんの舌が耳を襲う。
「ひゃぁぁ……」
早瀬さんの舌が耳の輪郭をなぞるように這いまわる。今まで味わったことのない感覚に、俺の口から力が抜けたような声が漏れ、ぞわりと背筋が粟立つ。
「ち、ちょっと……やめっ!」
俺は抗議の声を上げるも、早瀬さんは聞こえていないのか無視しているのか、さらに耳を凌辱してくる。
緩急をつけた責め。ゆっくりと舌先で虐めてきたと思いきや、耳たぶを唇で挟んで甘噛みされ、徐々に俺の思考が溶けていく。
「耳、弱いの?」
もはや早瀬さんが言葉を発するだけで、その吐息が耳にかかるたびに俺は痙攣するように身体を震わせた。
桐野さんに助けを乞うために視線を送ると、彼女は顔を真っ赤にさせて興奮していた。
小鼻を膨らませて瞳を爛々と輝かせるようすに、ああ、この人はエロゲーもこんな感じでやってるんだな、と容易に想像できた。
そしてまったく助ける気がないこともわかり、桐野さんに救い求めることを諦める。
「もっと、気持ちよくしてあげる」
その言葉通り、早瀬さんは俺の耳を舐めながら、首に回していた腕が徐々に下りていく。
俺の身体をまさぐりながら下りてく腕は、ちょうど胸の辺りでピタリと止まった。
まさか……!?
嫌な予感がし、俺は慌てて早瀬さんの腕を掴んでゆっくりと背中から降ろした。
力尽くで無理矢理降ろしてしまうと、小柄な早瀬さんが怪我してしまう可能性があるので、ゆっくり屈んであくまで紳士らしく。
「さて……」
荒い呼吸を整えながら、俺はなんでもなかったかのように早瀬さんに向き直る。
「早瀬さんはどうしてこんなことをしたんだ?」
「どうしてって……気持ちよくなかった?」
早瀬さんの無感情な表情からでは何を考えているか読み取れない。
気持ちよかったかどうかはあえて口にはしない。なぜなら恥ずかしいから。
男たるもの、あんな喘いでいる姿を晒して、ほんとは気持ちよかったです、なんて口にしようものなら恥辱の限りだ。
誤魔化すように咳払いした俺は、とりあえず話を元に戻した。
「なんで俺を気持ちよくさせたかったかの理由を聞いてるの」
「褒めようと思ったから。ユキは偉い」
やばい。早瀬さんの言葉は短かったが、ツッコミどころが色々とある。
とりあえず、なぜ褒めようと思ったかを聞いてみる。
「俺、特別褒められるようなことをした記憶がないんだけど」
「ちゃんと真理愛が貸したエロゲーをやってきた。それは偉いことだよ」
早瀬さんは相変わらずのやる気が全く感じられない瞳で、抑揚のない声で言いながら俺を見つめてくる。ちなみに真理愛とは、桐野さんの名前である。
「厚意で貸してくれたんだから、そりゃやるでしょ」
確かに多少強引ではあったけど、桐野さんは自分の好きなものを共有したいと厚意で貸してくれた。
それならその厚意に応えてあげるためにも、遊ぶのは当然。
俺がそう反論するも、しかし早瀬さんはふるふると首を横に振った。
「ううん、そんなことない。いくら厚意だとしても、みんなは面倒くさがったりしてやらない。もしやったとしても、それは下心ありき」
「そう、なのかな……?」
「うん。だからちゃんと遊んできたユキは、優しいし偉い」
自覚のないことを褒められても、どこかくすぐったくて居心地が悪い。
それまで鼻息を荒くして黙っていた桐野さんが、ようやく興奮が収まったのか、会話に割り込んできた。
「さっきから気になってたんだけど、麻衣が呼んでるユキってのはなに?」
「なにって、ユキだよ」
早瀬さんが俺を指差して、ユキの正体を突きつける。
「内野行孝って名前だから、ユキって呼んでる」
「え、なに? あんたたちって、そんな仲良かったの?」
もちろんあだ名で呼ばれるなんて今初めてされたので、俺はゆっくりと首を横に振って否定しておいた。
「このあいだ、ちょっと話したくらいの関係です」
「……相変わらず、麻衣はなに考えてるかよくわかんないわね」
早瀬さんの奇行には慣れているのか、桐野さんが呆れたように肩を竦める。ちなみに麻衣とは、早瀬さんの名前である。
「ユキユキも、麻衣の相手をするのは疲れたでしょ」
「……ん?」
しれっと、桐野さんも俺のことをあだ名で呼ばなかったか?
突然の呼称変更に戸惑う俺に、桐野さんは何でもなかったかのように続ける。
「麻衣がユキって呼ぶんだったら、あたしはユキユキって呼ぶわ。あー、ユキユキの名前わかんなかったから助かった」
さりげなく桐野さんが酷いことを呟かなかったか……?
たしかにずっと「あんた」呼ぶしかされなかったけど、あれはただ単純に名前がわからなかったからなのか。……一応、同じクラスなのにな。
落ち込む俺に、早瀬さんが裾を軽く引っ張ってきた。
「ユキも、わたしのことを麻衣って呼んでいいよ」
「……いや、大丈夫かな」
俺が断ると、早瀬さんは少し肩を落として「そっか」としょんぼりさせる。
こうして普通に会話をしているから二人は気付いていないが、俺はどうしても人が苦手なんだ。
距離感を間違うと、裏切られたときの痛みは倍になって返ってくる。
呼称一つでも気を付けないと。
心の中で密かに気を引き締めていると、早瀬さんがまたもや俺の裾を引っ張ってきた。
「ユキは、貸してもらったエロゲーで、どのキャラクターが気に入った?」
「どのキャラクター、か……。主人公以外でって意味だよな?」
早瀬さんが当然、とばかりにゆっくりと頷く。
なんでそんなことを聞いてきたのかわからないけど、聞かれたので一応考えてみる。
どのキャラクターも魅力的で、甲乙つけがたいが、一人だけ気に入ったヒロインがいた。
「ホシノ、かな……」
俺の答えに、桐野さんがピクッと反応した。
なぜか少し不機嫌になった彼女は、そっぽを向いて投げやりな声を出した。
「へー、ホシノね……。あんなキャラが好きだなんて、ユキユキも見る目ないわね」
「そうかな。ホシノって本当はポンコツなのに、その容姿のせいで周りに優等生って思われてたじゃん。そんな偏見に対してもホシノは負けずに、それに応えようと努力していたのが好感持てたんだよな」
「へ、へー……」
ぶっきらぼうに短く答えた桐野さん。
興味が無いようで、そっぽを向くどころか、もはや背中を向けてこちらを見ようともしない。
うーん、桐野さんはホシノが嫌いなのかな?
不安に思っていると、早瀬さんが俺の裾を引っ張り、屈んで欲しいのか肩を抑えてくる。
俺が中腰になって屈むと、早瀬さんの顔がゆっくりと耳元まで近付いてくる。
最初はまた舐められる、と警戒したがどうやら違うようで、内緒話をしたいようだ。
「ホシノって真理愛に似てると思わない? ユキに自分の努力を認められた気がして、本当は真理愛は内心喜んでるんだよ」
あー、なるほど。要するにあれは照れ隠しというやつだったのか。
なぜか早瀬さんの手には桐野さんから借りたエロゲーが握られていて、とあるキャラクターを指差した。
「ユキは、このキャラは好き?」
指差されたのは、他の登場人物よりも言動や行動が変わっていたキャラだ。
どこか早瀬さんに似ているキャラ。
「……うん。良かったよ」
あんまりにも突拍子もない行動をするので、俺には理解できないキャラだったが、とりあえずそう答えて茶を濁しておいた。
「ふふ、ユキは見る目があるね」
誤魔化されているのに気付ていないのか、早瀬さんは嬉しそうに微笑んだ。




