第304話 決戦・ユキ③
「く……ッ!」
「咲ちゃん!? 何を──」
自らの左手を槍の穂先で貫いた百合原咲が、その痛みに顔を顰める。
そして血の滴る左手を、そのまま【サテライト・ウォーター】で生み出していた水球に突っ込んだ。
彼女の不可解な行動に視線を向けた春葉アトに、百合原咲は伝える。
「ここに来る前、アトちゃんの配信を見ながらリスナーと考えたんだよ。今のユキを倒す方法をね……!」
彼女が生み出したバスケットボール大の水球が、その左手から溢れる血によって紅く染まっていく。
環境次第では人間が二、三人丸々収まるサイズの水球も作り出せる【サテライト・ウォーター】だが、現在周囲はユキが放つ極低温の影響で冬山の如き極寒の環境。
空気中の水分の殆どが氷になっており、この程度のサイズしか作れなかったのだ。しかし、百合原咲は自信たっぷりに春葉アトに目配せする。
『信じてくれるよね?』。春葉アトはそんな彼女の声を聞いた気がした。
「──今の私を倒す? 笑えない冗談ね。何をする気かは知らないけど……そんなちっぽけな水、直ぐに貴女ごと凍らせてあげるわよ!」
百合原咲の言葉を不愉快に思ったのだろう。ユキが彼女を狙って飛び掛かる。
させまいと割り込んだ春葉アトに、百合原咲が一つだけ要求した。
「アトちゃん、数秒で良いから持ち堪えて!」
「!? 了解……ッ!」
『持ち堪えて』──つまり『【ウェポン・ガード】等で弾かず、ユキをその場に食い止めてくれ』というメッセージ。
触れただけで人間を殺せるユキ相手に、それはあまりにも厳しい注文だ。
しかし春葉アトは親友を信じ、それを実行するべくハルバードを構える。
「──【騎士の宣誓】!」
自信の存在感を高め、敵のヘイトを一身に受ける為のスキル。
知性の高い生物程その影響を自力で払いやすくなるが、それでも一瞬は意識を誘導される。それはユキも同じだった。
「っちぃ、鬱陶しいわね! 良いわ、弱ってるアンタから殺してやるわよ!」
「あは……ッ! 騎士ってのはねぇ……誰かを守る時には、誰よりも強くないといけないんだよ!」
そこからの数秒間、春葉アトは驚異的な粘りを見せた。
【スピンスラッシュ】でユキの腕を弾き、【マジック・ステップ】で絶妙な間合いを維持し、時には【グリッターオーブ】を目晦ましに使い、【レイ】で動きを牽制する。
ユキを吹っ飛ばしてしまう【ウェポン・ガード】や、温存する事を決めた切り札を除いてあらゆる手段を講じた。
そして──
「──ありがとう、アトちゃん……! ここからは任せて!」
春葉アトの作り出した数秒間で準備を整えた百合原咲が、春葉アトと入れ替わるようにユキの前に躍り出る。
彼女が構える槍の穂先は、多量の魔力が注がれているのだろう。バチバチと激しくスパークしていた。
「はっ……何が狙いかと思えば! そんな電気、今の私に聞く訳が──」
百合原咲の槍をそう嘲笑するユキだったが、同時に視界に入り込んだもう一つの異物に言葉が止まる。
(──あの紅い水は、さっきコイツが血を含ませた……何で、この距離で凍っていないの……?)
ユキの前に飛び込んだ百合原咲の傍らに浮かぶ紅い水球は、全身から極低温の冷気を放つユキと目と鼻の先にあってなお凍て付く事なく、液体の形を維持していた。
冷静に観察すれば気付けたのかもしれない。その水球を構成する水が高速で対流、回転していた事に。
しかし、力に酔い知れるユキは、『それがなんだ』とスルーしてしまった。
(所詮血を加えようと、水は水! 大した脅威にはならない!)
彼女は理解していなかった。百合原咲がどうしてその紅い水を作ったのか、どうして槍を帯電させているのか。そして、どうして自分が感電しないのか……そのメカニズムも、彼女自身理解していなかったのだ。
「──『それ』が貴女の弱点よ!」
咄嗟に放たれたユキの抜き手を躱し、尻尾の突きは春葉アトがハルバートで弾いた。
そうして生まれた隙を突き、紅い水球は回転したままユキの身体に──胸ポケットに直撃する。その直後、帯電する槍の穂先が紅い水球に突き刺さった。
「な……っ、そこは……!」
ユキの表情が蒼褪める。彼女の胸ポケットに収まっている物を思い出したが故に。
彼女の見つめる先で、紅い水球は帯電する槍を突っ込まれた事により電気を内包する。
百合原咲の血に含まれる鉄分や塩分を始めとした不純物は、電気をより通しやすくする為のものだった。
紅い水球に電気が流れ始めたその直後、回転を止めた紅い水球は立ちどころに凍り付く。帯電する槍を取り込んだまま……
「お願い、貫いて……!」
そして、百合原咲の祈る様な声が響いたその瞬間。
──『バァンッ!!』
百畳敷きの大広間全体に響く、鋭い破裂音と共にユキの胸ポケットが爆発した。
「──ッ、グアアアァァァッ!!」
ゼロ距離での凄まじい熱と爆発……いくら頑丈な身体を持つユキと言えど、その威力は無視できない。
激痛に悶えるユキの、ボロボロになった胸ポケット付近から『ガシャリ』とその残骸が零れ落ちた。
「っ!? 咲ちゃん、それってまさか……」
「そう……私のスマホ。ずっと前にユキに持っていかれた、ね……」
先程起こった爆発は、スマホのリチウムイオン電池が流し込まれた電気によって爆発した結果だった。
春葉アトとユキの戦いを配信で見ていた時、百合原咲は気付いたのだ。ユキが今もスマホを持っている可能性に。
勿論、その時点ではユキが本当にスマホを持っているのか、そしてどこに持っているのかは分からなかった。
だから、この部屋に突入して真っ先にそれを確認したのだ。ユキの身体に帯電する槍を叩きつけ、その電流が一瞬でも集中する位置がある事を。
「く……っそがぁ……! よくも……よくも私のコレクションを……!」
「私のスマホだよ。勝手に持って行ったのはアンタでしょ? アンタを苛むその痛みは、自分のスマホを使って好き放題された私の怒りと思いなさい!」
「黙れ! この程度の傷、直ぐに癒える! こんな物は大したダメージにはならない!」
「そうよね。悪魔はすさまじい治癒力を持ってる。だから傷口は直ぐに治ってしまう……その体内に、多少の金属片が入り込んだとしても……」
「──ッ!」
「リスナーが教えてくれたのよ。アンタが感電しないのは、電気が極低温で絶縁体になった身体の中まで流れないからだって。でもね……アンタの体内に金属片があれば別。一定以上の電圧は絶縁体だろうと通り抜けて、アンタの体内に直接流れ込む!」
「な……!?」
百合原咲の言葉で咄嗟に胸元を押さえるユキ。
その体内に確かに感じる無機質な感覚に、彼女の表情は凍り付く。
ユキの体内には今、間違いなく金属片が──爆発したスマホの部品が取り込まれていた。
しかし……
「は、ハッタリでしょ? そんな小細工で、あの方に授かった力が破られる訳が無いわ……!」
ユキは百合原咲の言葉そのものが虚構だと、自分に言い聞かせるように言い張った。
それは彼女が崇拝する『あの方』が与えてくれた力に対する、全幅の信頼でもあったのだろう。
「なら試してみる? 今のアンタなら……──私でもやれるわ」
「──ッ! な……舐めるんじゃないわよ! 人間が!!」
だからこそ、それを下に見る百合原咲の挑発に逆らう事が出来なかった。
ここで逃げてしまえば、『あの方』の力が人間の知恵に負けたのだと認めてしまうが故に。
屈辱と怒りに表情を歪ませ、凄まじい殺気と冷気を纏い飛び掛かるユキを、春葉アトと百合原咲のコンビが迎え撃つべく並び立つ。
「やるよ、アトちゃん!」
「うん、咲ちゃん!」
春葉アトの直感が告げていた。
──『もう、負ける訳がない』と。




