第303話 決戦・ユキ②
(──早く! 早くっ!)
焦燥のままに階段を駆け上がると、百合原咲の身に纏った甲冑がガチャガチャと音を立てる。
『どうしてあの時、私ははるちゃんについて行かなかったんだ』……そんな後悔が口をついて飛び出しそうになる。
「──咲さん、落ち着いて……! 相手が悪魔とはいえ、あのアトさんがそう簡単に負ける筈はない! 冷静さを欠けば、却って彼女の足を引っ張ってしまう!」
そう言って百合原咲を宥めるのは、彼女と同じく春葉アト隊に配属されたダイバーの一人だ。
この場に居る誰一人として、春葉アトの実力を知らない者はいない。百合原咲もその一人──いや、寧ろ他の誰より付き合いが長い分、春葉アトの強さを誰よりも理解しているのは、他でもない彼女だった。
しかし今、その百合原咲が誰よりも焦っていた。その理由は──
〔ユキかなりパワーアップしてないか!?〕
〔なんで感電もしないんだ!?〕
別れ際の春葉アトの雰囲気に違和感を覚えた百合原咲は、手元のスマホで彼女の配信を見ていたのだ。
そして一人でユキと戦う彼女の姿を確認し、仲間に状況を共有。想定以上の力を纏って現れたユキに苦戦する春葉アトの助けとなる為、一度は一階まで降りた階段を再び駆け上がっているところだった。
「咲さん! 貴女が焦る気持ちも分かるが、先ずはどう助けるかの方針を決めるべきだ!」
「そうですよ! 感電も効かないなんて、普通じゃありません! どうやって──」
「私の水魔法なら、ユキの魔法を利用して彼女を逆に凍らせられます! 前にもそうやって私はユキと戦いました!」
事実、以前のユキになら彼女の魔法は多大な影響を与えられただろう。しかし、そんな彼女の思い込みを正したのは、とあるリスナーのコメントだった。
〔待って!多分今のユキは水魔法がそもそも届かない!〕
「ど、どういうことですか……!? 届かない!?」
コメントが高速で流れる中、百合原咲の目にそのコメントが届いたのはある種の奇跡と言えた。
彼女は思わず足を止め、リスナーのコメントを待つ。
〔今のユキは多分、全身を前よりも強力な極低温でガードしてる!感電しないのもそれが理由!水魔法をいくらぶつけようとしても、本体に届く前に空中で氷になってしまって、ユキを凍結させる結果にはならない可能性が高い!〕
「……続けてください」
それは一般的な大学講義ではあまり触れられる事の無いニッチな学術分野であり、百合原咲も春葉アトも持っていない知識だった。
百合原咲はこの知識がユキとの戦いにおけるカギになると直感的に判断し、リスナーに続きを促す。
〔詳しい説明は長くなるから省くけど、極低温の環境下では生物の身体に電気は流れにくい!ユキが感電しなかったと言う事は、今のユキはそれだけ完璧に全身をガードしてるってこと!〕
「今のユキに弱点は無いと言う事でしょうか……」
〔いや、ユキの動きが滑らかって事は多分、極低温なのは体表まで。槍とかハルバートみたいな金属が身体に突き刺さった状態なら、そこから内部に直接電気を流せると思うけど…〕
「金属をユキの身体に突き刺せれば、って言っても……」
リスナーが伝えた突破口。しかし春葉アトの攻撃がユキに通らなかった事は、百合原咲も配信で見て知っている。
つまり、最低でも春葉アトの一撃よりも強い力を叩きつける必要があるのだが……元・最強のダイバーである春葉アト以上の攻撃を放てる者は、この場に居ない。
「はるちゃん……」
ここまで来ても、やっぱり自分では力不足なのか……そんな無念を込めた瞳で、彼女が戦う配信を見る百合原咲。
このまま見ている事しか出来ないのか。諦めかけた、その時──
「あ……──ああっ!!」
彼女の脳裏に、電流のような天啓が舞い降りた。
「もしかしたら……もしかしたら行けるかも! 皆、聞いて! 賭けになるけど、多分ユキは──!」
その頃、四階の大広間では──
「ふふっ、息が上がって来たわね? 人間にはこの冷気は厳しかったかしら?」
「はぁ……はぁ……!」
(寒さの所為で、体力の消耗が激しい……! これは、流石にちょっとマズいかも……?)
壁を背に立たされた春葉アトの肩が上下する度、彼女の口からは白い息が漏れる。
最初はダンジョン特有のややひんやりしていただけの気温が、ユキとの戦闘が長引くほどに下がって行っているのだ。
今となっては雪山の山頂にも近い極寒となった環境が、戦闘の疲労以上に春葉アトの体力を奪っていた。
「そんな状態でよくここまで戦った物だと感心するわ。……まさか、連れて来た部下が残り二人にまで減らされるなんてね」
ユキの攻撃を躱しながら僅かな隙を突いて取り巻きの悪魔を倒し、ここまで状況を好転させてきた春葉アト。
しかし、一瞬でも気を抜けば即死させられる相手との戦いは、体力以上に精神を削る。このままでは近い内、大きなミスをしてしまう……そんな予感が春葉アトにはあった。
(これは、限界かな……? 【ノブレス・オブリージュ】も【聖痕/スティグマ】も、城に突入するまでは温存しておきたかったんだけど……)
彼女の持つ二つの切り札はいずれも強力だが、再使用の条件を満たすのが難しい事で有名だ。
『レベルの倍の数の魔物を倒す』事も、『八時間以上の睡眠をとる』事も、今回の配信中に達成する事はいずれも困難極まりない。
それ故にここまで、それらのスキルだけは使用せずに戦っていたが……そもそも死んでしまっては意味が無い。
「──使わないと、どうしようもないかなぁ……やっぱり」
「ん……?」
春葉アトの纏う雰囲気の僅かな変化。それにユキが表情を変えた瞬間──
「──アトちゃんッ!」
「ッ!? 咲ちゃん!? 何でここに……っ!」
(私が接近に気付かなかった!?)
危険だからと遠ざけた筈の親友が、ふすまをバンと開いてこの戦場にやってきてしまった事に、少なからず動揺する春葉アト。
それを見たユキの表情が、ニヤリと嫌らしく歪む。
「どうやら貴女のお友達は……──先に死にたいみたいよ?」
「っ! やめ──」
一瞬で百合原咲の背後に転送魔法で回り込んだユキが、百合原咲の頭部に触れようとその手を伸ばす。が……
「──むっ!?」
百合原咲はそれを読んでいたように姿勢を低くし、即死の手を躱す。それと同時に、ユキの背後──ふすまの影から無数の武器が彼女へと伸びた。
両手剣や槍など、ユキに近付く事を警戒したのだろう。比較的射程が長い近接武器の集中攻撃。
「ふん、小癪な。こんな武器が今の私に通用すると思うのかしら?」
しかし、ユキはそれらの武器を躱す事もせず、身体に浴びてなお微動だにしなかった。
今のユキの体表は、春葉アトの攻撃でも傷がつかない程に硬い。ダイバー達の武器はその表面を滑るばかりで、彼女の肌に傷の一つも付けられる気配が無かった。
だが……
「──通用すると思ったからここに来たのよッ!!」
「!」
姿勢を低くしていた百合原咲が、振り返りざまに雷を纏う槍を突き出す。
既に春葉アトの攻撃でその電気が通用しないことを確認していたユキは、バチバチと迸るスパークを煩わしそうに手で払った。
「無駄だったわね。この通り、何の影響もないわ」
(! 今の電気の動き、やっぱり……!)
くすくすと挑発するような笑みを浮かべるユキ。
彼女は明らかに手にした力に酔っており、慢心していた。だからこそ気付かなかった。
今の百合原咲の一撃は本命ではなく、ただの確認でしかなかった事に。
「皆さん、確認できました! 作戦、行けます!」
百合原咲は口元に自身の笑みを浮かべ、余裕たっぷりに佇むユキから距離を取る。
そして春葉アトの隣に立つと、先ずは一言謝った。
「ゴメンね、アトちゃん。来ちゃった!」
「ば、馬鹿! アイツは前のユキじゃないんだよ!?」
「知ってる。でも、大丈夫……私も、前の私じゃないんだから。──【サテライト・ウォーター】」
「咲ちゃん……」
百合原咲の表情に浮かぶ自信に、自らの考えを恥じる春葉アト。
成長したのは敵だけじゃない……ユキの気配と嫌な予感に、そんな当たり前の事すら忘れていた。親友の努力を直ぐ傍で見ていたというのに。
「──作戦があるって言ってたよね。付き合わせてよ、あたしだってまだ全然余裕なんだから……!」
「アトちゃん……! うん、勿論!」
再び親友と肩を並べ、本当に対等なパートナーとして戦う……それが百合原咲の目標だった。
過去の事故によって一度ダイバーの活動から離れてしまい、二度と埋まらないと考えた事さえあった距離が、再びゼロになったと感じた百合原咲の表情が華やぐ。
「私はアトちゃんを信じてる。強さも、優しさも……だから、アトちゃんも信じてくれる? 私がこれからする事を……」
「……? 咲ちゃん、何を──」
そして、百合原咲は……
──自身の槍で、自身の左手を突き刺した。




