第284話 魔王
「──ヴオオオォァアアアッ!!」
「く……ぐぅ……ッ!?」
空気を唸らせる剛腕を躱したその影から、更にもう一つの腕が迫る。
咄嗟に構えた軍刀で身を守るも、人知を超えた一撃はその衝撃だけで私の身体を後方へと吹き飛ばす。
……背後は岩壁。私もまた足元に転がる無数の屍の一つとなるのかと、覚悟した一瞬。
「──千代っ!」
お雪の放った札が私の背に張り付くと、私の身体をふわりと受け止めた。
「ありがとう、お雪!」
「バカ千代! 諦めてるんじゃないわよ! こいつを倒して、せめて三人で、生きて帰るんでしょ!?」
お雪。口調は厳しいけど、優しい私の相棒。
古くからの陰陽術を継承する名家の末裔で、私達の幼馴染。
彼女に叱咤されながら、私は攻撃を受け止めた事で痺れる腕を持ち上げ、足元に広がる血の海をドチャリと踏みしめた。
そうだ。絶対に帰るんだ。
私と、お雪と、もう一人……既に数百以上と言う多くの犠牲を払ったこの戦いで、幼馴染の私達だけが残ったのはきっと偶然じゃない。
きっと私達には軍神の加護がついている……そう自分自身に言い聞かせ、立ちはだかる巨躯を鋭く睨む。
鉄臭い血の臭いが立ち込める魔窟の奥にて、私達は六腕を持つ人型の魔物──『魔窟の主』と死闘を繰り広げていた。
「千代、無事か?」
「はい……中佐殿」
私が吹き飛ばされた後もたった一人で『魔窟の主』の攻撃を防いでくれた、中佐殿──篁義真の確認に力強く頷く。
彼もまた陰陽術を継承しており、鎧に張り付けられた無数の札が神々しく輝いていた。
「『中佐殿』か……もう形式ばった呼称は無しで良いだろう? もうここには咎める者も居ないのだ。昔のように呼んでくれないか……これが最後かも知れんのだからな」
──今にして思えば。
あの時から彼には嫌な予感があったのかもしれない。
それなのに私は……
「いえ……軍規ですから」
「相変わらず固いな、千代は」
少し残念そうに呟いた彼の表情が、今も頭から離れない。
「千代、義真さん、私が援護します! そのまま真っすぐ、駆けてください!」
背後から聞こえたお雪の声が、その頼もしさが、その自由さが羨ましかった。
もしかしたら私は、貴女に憧れていたのかもしれない。だからこそ、今が辛い。
本当の貴女に会えない今が、貴女でない貴女がいる今が……──私には受け入れられない。その元凶が許せない。
「──うおおおぉぉぉッ!」
駆ける。駆ける。
仲間達の血を踏みしめ、濃い鉄の臭いを拒みそうな肺を膨らませ、懸命に駆けた。
『魔窟の主』の六腕が迫る。しかし、お雪が得意とする氷の呪術が仲間の血を触媒に壁となる。動きを鈍らせる、足枷となる。
「ヴアアァァッ!!」
「──っ! はあぁっ!!」
中佐を狙って放たれる拳を決死の飛び蹴りで逸らした直後、私の身体は『魔窟の主』の巨大な腕に掴まれた。
ミシミシと骨が軋む。内臓を痛めたのか、血の味が広がる。しかし──
「千代ォォォッ!!」
私の命が尽きるよりも速く、中佐の振り抜いた軍刀が魔窟の主の心臓を貫いた。
都の陰陽師が総出で力を付与した軍刀は、神話に謳われる天叢雲剣の如き輝きを放ち、『魔窟の主』を塵へと還した。
「千代っ! 無事か!!」
「は、い……中佐、殿……!」
何度も咽ながら、呼吸を整える。
『魔窟の主』の死によって、私達の戦いは終わった。その安堵と達成感、そして犠牲となった仲間達への追悼……それらへと意識を向けるだけの時間は──私達には無かった。
「──っ!? ぐ、うぅ……ゥッ!!」
「!? 中佐殿、どこか怪我を!?」
突如として、中佐が刀を取り落とし、頭を抱えて苦しみ始めたのだ。
「千代! どうしたの!? 義真さんに何が……」
「わからない! 急に苦しみ出して──」
「──変質が始まったのよ」
「「っ!?」」
私達の混乱に割り込んだ第三者の声。
視線を向ければ、魔窟の暗がりにいつの間にか一人の女性が立っていた。
「魔王は死せど、不滅なのよ。次はそこの坊やの番と言う訳ね」
「……まさか!?」
女性の言葉に、お雪が絶望の表情を浮かべる。
『次は』……その言葉に、私も最悪の可能性に思い至った。
「ぐうゥゥ……ッ! き、キサ、マが……この、魔窟ノ……真の主、か……ッ!!」
女性を睨む中佐の気配が、雰囲気が見る見るうちに禍々しく変わって行く。
このままではあの碑文の通りになってしまう。
「義真さんっ! 私に合わせてください!」
「オユキ……っ! ゥグッ……──あ、あぁ……!」
動揺に立ち尽くす事しか出来なかった私の目の前で、お雪と中佐は札を取り出し──
「──ようやく、だよ。中佐……──義真くん。きっともうすぐ、私達の使命は果たされる」
まるで牢獄のような広い一室に、ポツンと置かれた巨大な水晶。
薄紫色のその中には、一人の人間がまるで琥珀に閉じ込められた虫のように、時を止めて封じられていた。
『──封印……ッ!? やってくれたわね……!』
あの日……自らを封じた彼の決断は、魔族の計画を狂わせた。
何度も身体を変えて復活し続ける魔王は、こうして眠りに就いたのだ。
だけどあの魔族は諦めなかった。内と外、両方から施した封印の外側は既に破壊され、残すは彼自身が内側から張った結界を残すのみ。
その前に、きっと私が……
決意を新たにその場を後にした私は、魔窟の奥に作られた街並みを歩き、部屋に向かう。
私達の故郷を思わせる街並みは、彼が帰りたかった故郷の姿。魔王となってしまった彼の願いが、魔窟の形そのものを変質させている。
そこにまるで土足で踏み入るかのような、場違いな西洋風の城を見上げ、そこにいるだろう宿敵への怒りをまた一つ心に刻んだ。
「──チヨぉー!」
「っ! ──なに? どうしたのさ、ユキ」
背後から聞こえた声に、能天気な仮面を被り直す。
今の私は浅慮で戦闘狂な悪魔『チヨ』。そうやってずっと追及をやり過ごしてきたのだ。
ここでそれを台無しにする訳にはいかない。
「チヨ、聞いてよ! 人間達ったら酷いのよ!? 私を絶対に殺すんだって、息まいてるの!」
「どうどう。……それで、何が言いたいの?」
「私が殺される前に、チヨがあの人間殺してよ! 私達、ずっと前からの親友でしょ?」
怒りも悲しみも、ぐっと飲み込んで、今日も私は笑顔を被る。
私の親友を、その親友の顔と声で侮辱され続けたこの二百年。……それがもうすぐ終わると信じて。
◇
『それで、ヴィオレットさん。貴女の知見を伺いたい。この碑文のような現象は、本当に起こり得るのだろうか?』
実力検査の初日を終えた私は、自宅のパソコンを借りてKatsu-首領-とテレビ通話を繋いでいた。
今日彼から貰った資料の中に『この資料を読み終えたら連絡して欲しい』と、連絡先が記されたメモが挟まっていた為だ。
そして、彼の本題はその資料の内容……以前に私とクリムが発見した、『裏・渋谷ダンジョン』の碑文についてだった。
学者達が実際に現地に赴き、可能な限りの修復を行った結果浮かび上がった内容はこう言った物だった。
『これは我が跡を継ぐ者どもへの戒めなり
我 天皇の勅を奉じ この×(魔?)窟の×の奥にてその主を討ち果てたり
されど××はなほ滅びず かへりて我を×(次?)の×(主?)と定めたるごとし
いま我が×(身?)のうちに流れ入りくるものありて しだいに我が×(意?心?)のままならずなりぬ
ほどなく我は人ならざるものと化すべし
ゆゑに我が×に続く者よ よくよく慎め
もし我を討たば ×(次?)は汝こそ我と成らむ』
「魔窟の主を倒した者は、次の魔窟の主になってしまう……それを警告する内容ですね。これが実際に起きうるかと聞かれれば、『あり得ないとは言い切れない』としか言えません」
肉体が怪物になってしまうという意味ならば、既に異世界で前例は多く知っている。
そしてこの警告文を読み解く限り、これを書いた人物は精神的にも影響を受け始めているようだ。
それに似たような事例を、私は一つだけ知っている。
『今にして思えば、我は力に「使われていた」……そう言う事なのかもしれぬな』
『……大釜の祭器に注意せよ。決して甘言に乗るな。気を許すな。身を任せるな。──奴に一度でも身を任せた時、貴様も我と同じ末路を辿るだろう』
「……前に私が一対一で倒したゴブリンキング──アセンダーロードも、同じような事を言っていました。彼は『祭器』によって大きな力を手にし、その代償に意思を狂わされ、地上への侵攻を開始した……似たような事が起こらないとは言い切れません」
『……解決策はあるのだろうか。この碑文が正しければ、我々が例え勝利したとしても──』
Katsu-首領-はそこで言葉を詰まらせた。
彼も分かっているのだ。きっとこの戦い、魔窟の主を倒す事になるのは『私』なのだと言う事を。
「何かカラクリがあったのかも知れません。この碑文を書いた方が気付けなかった、何かしらのカラクリが……それを見抜く事が出来れば、或いは」
もちろん当てはない。
当時を記したのがこの碑文だけなのだ。情報が圧倒的に足りていない。
しかし、一つ言える事がある。それは……
「いずれにせよ、勝ってからの話です。先ずは勝つ……今はそれだけを目指しましょう」
『……わかった。確かに、先ずはそこからだ。勝たねばそもそも、未来はないんだからな』




