紋付の出迎え
冬斗と春斗が革靴の踵を鳴らして飛び石道を歩いていくと、玄関先のところで、紋付袴と留袖の中年夫婦が待ちかまえているのが見えた。
紋付袴姿の中年の男性は、ピンと尖った立派な口ひげとは裏腹に、ガタガタと震えながら深々と頭を下げた。
細君はそこまでではないが、表情は固く、青ざめている。
春斗は夫婦の緊張をほぐすかのようににっこりと微笑み、カンカン帽をとって歩み寄った。
「よ、よ、よ、ようこそお越しくださいました。わ、わ、鷲見さま」
「出迎えありがとうございます。小関男爵に男爵夫人。いち外務省職員を前にそんなにかしこまられては困りますよ」
春斗は小関男爵に自分から手を差し出して握手をかわし、婦人には左脇に抱えていた帽子を預けた。
冬斗が来た道を振り返れば、門構えの内側のあたりに背広姿の護衛の姿が複数確認できた。
今回、冬斗は衛藤を帝都に置いてきている。
まだ母が生きていた頃から仕え、外遊中も身の回りの世話をしてくれた従者と離れて生活するのは、実ははじめてかもしれない。
春斗の誘いとはいえ、他人の別荘にご厄介になる身であるから、人数を増やすべきではないというのが冬斗の考えだった。
衛藤は納得しかねる表情を浮かべていたが、時計製造会社の案件について指示を出すと、誰かわかる者が残らなくてはならないと理解したらしく、承知してくれた。
春斗は「鷲見碓氷」などという偽名を使っているとはいえ、次期帝になることが約束された春の宮である。
今回はお忍びのため大磯の町民が国旗を振ってお出迎えするといった大掛かりなことにはならなかったが、一等車をまるごと貸し切りにし、私服の護衛や従者が乗客として同乗して、滞在する妻楢荘に控え、外出先にもつねに随行していた。
(自分はどう説明されているのだろう)
玄関先で帽子を帽子掛にかけ、革靴を脱ぎながら、冬斗は考える。
紋付袴と恐縮ぶりを見るに、小関男爵夫妻には春斗の正体は伝わっているのだろう。冬斗は春斗に圧をかけられ、外遊時代の友人として同等に振る舞ってはいるが──。
(相変わらず、読めない)
十年の外遊を終え、かつての祖国で時計の製造と販売を行う会社を設立し、この国でも腕時計を当たり前のものにするのだ。
そんな決意を胸に、横浜の港に降り立った冬斗を待ち受けていたのは、花夢女学校の理事長就任の打診、というか命令だった。
何の前触れもなく、唐突に、それくらいの重さのことを押し付けてくる。
それが春斗という男なのだ。
そんな厄介な弟に続き、庭の景色を眺めながら冬斗にとっては天井の低い廊下を歩いていく。
ここ大磯は、この国初の海水浴場ができた土地であり、そうそうたるお大尽方が避暑地として夏は足を運び、海水浴を推奨した軍医の一族の別荘もある。
この国の名門の令嬢はとかく日焼けを好まないというが、春斗の妃となる女性は、一夫一婦制度のもとで跡継ぎを産むという重責を背負っており、家柄や学業はもちろんのこと、心身ともに健康であることが期待されているのだ。
日焼けを恐れる高柳教頭の反対を押し切って楠校長が海浜学校を断行したとの裏話を、ふたりきりで貸し切った一等列車で、春斗から耳打ちされていた。
春斗は入学式の後の来訪以来、理事長室のある冬斗の邸宅を訪れることはなく、もっぱら電話で連絡してきた。
定期的な会議と報告に楠校長が車で(わざわざ律儀に迂回してから)訪問してくれるから、冬斗でさえ花夢女学校の敷地内には入っていない。
避暑地での休暇を口実に、女学生たちの様子を盗み見るつもりでもあるのかと思っていたのだが。
案内された客間に、春斗とふたり並んでソファに腰掛け、待っていると。
「失礼致します」
開いたドアから、こちらもまた紋付袴に身を包んだ、小関男爵によく似た顔の老人が、左右から支えられるようにして顔を見せた。




