報酬はグラニータ
「邯鄲荘だったかな、小関のご隠居を再訪して同じことを伝えたいと思う」
(先ほどは誰かさんに邪魔されはしたが)
先ほどは事情も知らないまま、つい気の毒になって「許す」と言いかけた。
だが、春斗はその時はさりげなく、だが確実に遮った。
そして、場所を移してこの喫茶店「緑鳩」で、冬斗と小関のご隠居を対面させた理由を説明した。
自分を恨んでいないかなどという、愚問を添えて。
冬斗が欧州へと旅立ったのは十年も前。
政争に敗れ、宮中を追われたのはさらに数年前の幼少の頃である。
母の死が風化することはないけれど、冬斗にとってはすべてが過去のこと。
この国で腕時計を広めるという未来しか見ていない。
小関のご隠居は、冬斗の顔を見るなり、母の旧姓を口にした。
もし十年以上もの長きにわたって、悔い、気に病み続けていたのなら気の毒なことである。
年老いて時間ができ、過去を悔いているのなら、それはそれで早く解放してやりたかった。
春斗は、冬斗が奪ったジンジャークッキーの行方を興味深げに眺めていたが、ふむと軽く声を漏らして、檜扇で口元を覆った。
どうやら今度こそ、いつもの調子を取り戻したようである。
「実は、小関のご隠居にはこれまで何度か会ったことがありますが、老いたとはいえあそこまで気弱ではなかった。政界こそ引退したものの、達筆だと名高い書道の腕を活かして書道塾を開くなどして、闊達に暮らしていました。それが昨年の夏に、この大磯を訪れてからというもの、別人のように気弱になってしまったというのです。まさに、今のように」
「昨年の夏……」
冬斗はむしろ闊達だった頃を思い描こうとするが、うまくはいかなかった。
「兄さんが外遊から戻られたら、ご隠居には引き合わせようとの構想はもっていました。僕からも兄さんにはきちんとお詫びしたいと思っていたし、許されなくとも、わだかまりはできるだけ減らして、存分に花夢女学校の理事長を務めていただきたかったものですから」
「その話は、もう」
冬斗がやや苛立って言えば、春斗が手のひらを見せて遮った。
「兄さんがいかに納得されていても、同情から『許す』などと容易く口にしてほしくないのです。外遊により、語学や最新の知識を身につけ、人脈も得て、かつ時計というご自身の道を見つけられたにせよ、です。小関のご隠居と腹を割って話をしてほしかった。まあ、あのご隠居の様子ではもはや難しいですけどねぇ……」
心底困ったというように眉を八の字にした春斗の視線が壁を伝い、つつつと横へ動いていった後に、ある場所で止まり、眉の形が元へと戻った。
「兄さん、あれ。大江のご令嬢が喜ぶのではないでしょうかね」
「うん?」
冬斗は春斗が閉じた檜扇の先で示したところへ、視線を動かす。
そこには貼り紙が貼られ「焼き氷」の文字と、器に山のように盛られたかき氷が添えられていた。
(焼く?のはともかくとして、器の中身は砕いた氷だろうか。エスプレッソをかけたグラニータ、だったか。たしか伊太利亜まで足を伸ばした際に、食べたことがあるような……)
外遊時代に口にした冷たい味を思い起こしながら春斗に視線を戻すと、にんまり、意味ありげな笑みを浮かべていた。
「もはや会話が成り立たない場合には、手蹟から本心を導き出す“著しの儀”の出番ですね」
春斗はそう言うと、自分の皿の最後のジンジャークッキーを縦に真っ二つに割り、片方を冬斗へと差し出した。




