母の記録日記
「当時の政府は、さらなる欧化を進めようとする欧進派と、政の中心が宮中に戻ったのを機に帝の権力を一層堅固なものに固めようとする懐京派と、大きくふたつの勢力に分かれていました。欧化政策もあって乗りに乗っていたのが欧進派で、兄さんを担ぎ上げたのがこちらの派閥ですね。お母上の日記にはそのようなことは?」
「いや……、そういったことはまったく」
冬斗は、唐突に告げられた小関の話を咀嚼できないまま、以前読み終えた母・惠麻の日記の内容を懐古する。
宮中に女官のひとりとして入った頃は無邪気なものだったが、ある日を境にそれが淡々とした記録調のものとなった。
心情の変化が読み取れないまま半年ほどが過ぎると、唐突に懐妊した旨が記された。
一介の女官から、帝の寵愛を受ける立場に変わった後は、日々の出来事も心の機微も、赤裸々に記すことをはばかったのだろう。
春斗が生まれ、女官をやめて宮中を去ることになった大激動の時代についても、その日自分が行ったことと冬斗にあったことが、淡々と記載されているだけだった。
春斗は、惠麻のそんな賢さと自制心を察したのだろう。
黙祷するように目を伏せると、冷やし珈琲をストローですすった。
「青い瞳を持つ惠麻さまは、洋装で着飾れば異人さえも圧倒するほど美しく、英吉利語、仏蘭西語、獨逸語を自在に使いこなしたとか。兄さんもその血を受け継いで幼い頃から利発で物覚えもよく、同じ頃の年頃の子どもよりも発育良く、健康であられた。皇子は生まれてすぐ華族の家へ里子に出されるものですが、兄さんはその外見からか宮中に留め置かれ、担ぎ上げた欧進派は勝ったも同然の振る舞いだったとか。いよいよ、初の異国の血を引く皇太子の誕生かというところまで盛り上がった欧進派に水をさしたのが、誰もがあきらめていた皇后さまの、唐突な懐妊、すなわち僕の誕生です」
「水をさした、というのは語弊がありすぎるだろう。むしろ、正しい天の采配だ。いくら欧化が歓迎されたとはいえ、お雇い外国人の医者の孫が国を統べる立場に就くなど、許されるはずがない」
冬斗はため息をつきながら、ブラッシングに手間のかかる、毛先の跳ねる髪を軽くかきむしる。
大人になってから改めて聞けば、なんと荒唐無稽な騒動に、自分も母も巻き込まれたのだろう。
「それくらい、なんでもありだったのでしょうね。御一新後の新政府というのは。なにせ、足軽の子が内閣総理大臣、かつての宮中においては太政大臣あたりまでのしあがったのですから。僕の存在と当時の小関男爵、つまりあのご隠居ですが、彼の手段を選ばぬ切り崩しに、欧進派はひとり、ふたりと次々に懐京派に組みしていき、いつしか兄さんとお母上は孤立された。一説によると、御一新前の帝の突然の崩御は毒殺だと言われますが、若かりし頃の小関のご隠居が実行犯とも囁かれています。今の様子からはとても信じられませんが、かつてはそれくらいのことは平気でやった男なのです。しかし残念ですね。異国の血を引く皇太子、そして帝というのは非常に浪漫を感じます」
「いや、勘弁してくれ。まったく筋違いだ」
その荒唐無稽な騒動に巻き込まれたうえ、冬斗の未来を切り拓くために外遊という無茶を実現させ、身体を壊した母の人生とはなんだったのか。
めずらしく湧き上がってきた怒りと絶望に、冬斗がストローを介さずグラスにそのまま口をつけて、冷やし珈琲をあおれば。
「筋は通っていますよ、兄さん。今上帝の長男はあなたです」
そう言う春斗は、清涼感のただよう蓮の香の檜扇をパシリと閉じ、組んでいた足を外して姿勢を整えた。
「改めておうかがいします、冬斗兄さん。あなたと母上を引き離し、まだ幼かったあなたを十年も欧州へと追いやった張本人である僕のことを、恨んではいらっしゃいませんか?」
それはいつもの調子の軽口ではなかった。
この国の次の帝を継ぐにふさわしい、公家の血を引く細い狐目の奥の瞳が、再会して以来、はじめて揺らいでいるように見えた。




