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世界のバグ

 雨が上がった翌日。

 畑の土は水分をたっぷり含み、重く、そして柔らかくなっていた。

 絶好の農作業日和だ。


 俺は朝から鍬を振るい、セレスティアは隣で雑草を抜いている。

 クロエは裏山へ木を切りに行った。

 奇妙だが、これが俺たちの「日常」として定着しつつあった。


 だが、世界はそれを許さないらしい。


「アレン様、見てください! ミミズですわ!」


 セレスティアが、泥だらけの手で巨大なミミズを摘み上げ、歓喜の声を上げた。

 彼女は、畑の生き物を全て「アレン様の眷属」と呼んで可愛がっている。


「捨てろ。作物の根を食われる」

「そんな! この子も一生懸命生きているのに……」


 セレスティアが悲しそうな顔をした、その瞬間だった。


『警告。対象個体セレスティアの感情の揺らぎを検知。魔力出力が急上昇しています』


 ナビの声が、脳内で鋭く響いた。


「おい、またか」

『マスターの特異点能力との共鳴が発生。……空間の物理法則が、局所的に書き換えられます』


 セレスティアの手の中で、巨大なミミズが青白い光を放ち始めた。

 光は瞬く間に膨張し、ミミズの体を包み込む。

 そして。


「キュイイイイイイイン!!」


 ミミズが、咆哮した。

 体長三十センチほどだったミミズが、一気に三メートル以上の巨大なワームへと変貌を遂げたのだ。

 土色の皮膚は鋼鉄のように硬質化し、先端には鋭い牙がびっしりと並んだ口が開いている。


「な、なんですかこれは!?」


 セレスティアが驚いて手を離す。

 巨大化したワームは、地面に落ちると同時に、凄まじい勢いで土の中へ潜り込んだ。


「馬鹿野郎! 俺の畑が!」


 俺は鍬を構え、ワームが潜った地面を睨みつけた。

 土が盛り上がり、地中を高速で移動しているのがわかる。

 このまま放置すれば、畑の作物は全滅だ。


『マスター。対象は「マッド・イーター」と呼ばれるAランク魔物に酷似しています。物理攻撃に対する高い耐性を持ちます』

「知るか! 俺の畑を荒らす奴は、魔物だろうが王様だろうが許さねえ!」


 俺は、土の盛り上がりが近づいてくるタイミングを見計らい、鍬を高く振り上げた。


「そこだっ!」


 腰の回転を最大限に使い、渾身の力で鍬を振り下ろす。

 狙うのは、ワームの頭部。


 ガァァァァン!!


 鍬の刃が、地中のワームに激突した。

 硬い鋼鉄を殴ったような衝撃が両腕を襲う。

 だが、俺の鍬は止まらない。


『特異点能力、発動。鍬の破壊力を一時的に限界突破させます』


 ナビの声と共に、鍬の刃が青白い光を帯びた。

 ワームの硬質な皮膚を、紙のように引き裂く。


「ギェエエエエエエッ!?」


 ワームが断末魔の叫びを上げ、地中から半分体を突き出した状態で動きを止めた。

 緑色の体液が、畑の土を濡らす。


「……ふぅ」


 俺は鍬を引き抜き、肩で息をした。

 畑の被害は最小限で済んだ。数本の畝が崩れた程度だ。


「アレン様……!」


 セレスティアが、青ざめた顔で駆け寄ってきた。


「申し訳ありません! 私のせいで、アレン様の大切な畑が……!」

「気にするな。お前のせいじゃない。この狂った世界のせいだ」


 俺は、ワームの死骸を見下ろした。


「おい、ナビ。これもバグの一種か?」

『はい。対象個体セレスティアの魔力が、地中の生物の進化プロセスを強制的に加速させました。極めて危険な現象です』

「……どうすりゃいいんだ。このままじゃ、俺の畑が魔物の養殖場になっちまう」

『解決策は一つです。対象個体セレスティアを、マスターから引き離すこと。彼女がマスターの特異点の影響範囲外に出れば、バグは発生しません』


 引き離す。

 つまり、彼女を王都へ追い返すということだ。


 俺は、セレスティアを見た。

 彼女は、泥だらけのワームの死骸の横で、泣きそうな顔をして立っている。


「アレン様……私、やはりここにいてはいけないのでしょうか。私がいると、アレン様に迷惑ばかりかけてしまって……」


 彼女自身も、自分の異常な力が引き起こす事態に、恐怖を感じ始めているようだった。

 ここで「そうだ、帰れ」と言えば、彼女は泣きながら王都へ帰るだろう。

 そうすれば、俺の平穏な日常が戻ってくる。

 バグに悩まされることもない。


 だが。


「……馬鹿なこと言ってんじゃねえ」


 俺は、鍬を肩に担ぎ直し、セレスティアに背を向けた。


「お前が帰ったところで、このバグが直る保証はねえ。それに、お前が帰ったら、誰がこのワームの死骸を片付けるんだ」

「え……?」

「今日の夕飯は、こいつの肉だ。お前が責任持って捌け。硬くて食えなかったら、承知しねえぞ」


 セレスティアは、目を丸くした。

 そして、数秒後。

 彼女の顔に、太陽のような満面の笑みが広がった。


「はいっ! アレン様! 私、一生懸命捌きますわ! アレン様の血肉となるために、この魔物も喜んで身を捧げるでしょう!」


 また狂ったことを言っている。

 だが、泣き顔よりはマシだ。


『マスター。合理的な判断ではありません。対象個体セレスティアを傍に置くことは、システム崩壊のリスクを高めます』

「うるせえ。俺の畑のことは、俺が決める。お前は黙って見てろ」


 俺は、崩れた畝を直すために、再び鍬を振るい始めた。

 泥の重さが、心地よい。


 特異点。

 バグ。

 システム。


 世界がどう狂っていようと、俺のやることは変わらない。

 ただ、目の前の土を耕すだけだ。

 そして、この狂った王女を、俺の視界の隅に置いておく。

 それが、俺がこの世界に対して下した、最初の「能動的な選択」だった。



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