泥沼の同居生活
セレスティアが「待つ」と言ったのは、比喩でも冗談でもなかった。
翌朝、俺が目を覚まし、あばら屋の扉を開けると、そこには純白のドレスアーマーを着た王女が立っていた。
文字通り、扉の真ん前に。
朝露に濡れた金髪が、朝日を浴びてキラキラと輝いている。
「おはようございます、アレン様!」
満面の笑み。
その後ろには、困惑した顔の騎士たちがずらりと並んでいる。
「……何してんだ、お前」
「アレン様がお目覚めになるのを待っておりました。昨夜はよく眠れましたか?」
「一晩中、俺の家の前に立ってたのか?」
「はいっ!」
誇らしげに言うことじゃない。
俺はため息をつき、扉を閉めようとした。
だが、セレスティアはすかさず扉の隙間に足をねじ込んできた。
「痛っ!」
「……っ! おい、何してんだ!」
俺は慌てて扉を開けた。
セレスティアは痛そうに顔をしかめているが、すぐにまた満面の笑みに戻った。
「アレン様、心配してくださるのですね。嬉しいですわ」
「心配じゃねえ。俺の家の扉に血をつけられたら迷惑なだけだ」
「ああ、なんて素晴らしい……。私ごときの血でアレン様の家を汚すなど、万死に値します。ご配慮、痛み入ります」
会話が通じない。
俺が何を言っても、全て彼女の中で「アレン様の素晴らしいお言葉」に変換されてしまう。
『マスター、対象個体セレスティアの精神状態に異常を検知。あなたに対する依存度が、測定不能なレベルに達しています』
ナビの声が、冷静に事実を告げる。
言われなくてもわかってる。この女は、頭がおかしい。
「帰れって言ったはずだ。俺はお前を家に入れる気はねえ」
「承知しております。ですから、こうして外でお待ちしているのです。アレン様が私を必要としてくださる、その時まで」
俺は、頭を抱えた。
このまま家の前に立たれ続けては、畑仕事にも行けない。
村の連中も、遠巻きにこちらを見ている。ドノバン爺さんに至っては、ニヤニヤしながら手を振っている始末だ。
「……勝手にしろ」
俺は鍬を担ぎ、セレスティアの横を通り抜けて畑へ向かった。
すると、セレスティアも後ろからついてくる。
騎士たちも、慌ててその後を追う。
俺が畑に入り、鍬を振り下ろす。
ザクッ。
セレスティアは、畑の脇に立ち、俺の作業を熱を帯びた瞳で見つめている。
「素晴らしい……。あの無駄のない動き。大地のマナを直接操るような、完璧な鍬捌き。やはりアレン様は、この世界の真理に到達されたお方……」
ただ土を掘ってるだけだ。
「おい、そこの騎士ども」
俺は、鍬を止めて騎士たちに声をかけた。
「あんたらの姫さんだろ。王都に連れて帰れよ。こんな泥だらけの村に、王女がいるべきじゃないだろ」
騎士のリーダーらしき男が、苦虫を噛み潰したような顔で前に出た。
「……我々も、何度も申し上げた。しかし、殿下は『アレン様のおそばを離れるくらいなら、ここで舌を噛み切る』と……」
「……」
本気だ。
この女は、本気で狂っている。
「アレン様」
セレスティアが、一歩前に出た。
そして、俺の目の前で、再び泥の地面に膝をついた。
「私は、アレン様の全てを受け入れます。アレン様が私を拒絶するなら、拒絶されることすら喜びとします。ただ、お願いです。私を、アレン様の視界の隅に置いてください。それだけで、私は生きていけます」
俺は、鍬の柄を強く握りしめた。
腹が立つ。
こいつの言葉は、綺麗すぎる。
「全てを受け入れる」「全てを捧げる」。
そんなものは、孤児院の大人たちが子供を騙すために使う、安っぽい嘘だ。
「……いいだろう」
俺は、低く冷たい声で言った。
「視界の隅に置いてほしいなら、置いてやる。だが、俺はお客様扱いなんかしない。俺の家にいたいなら、働け」
「働く……ですか?」
「ああ。俺の畑を手伝え。飯も作れ。洗濯も掃除も、全部お前がやれ」
俺は、わざと過酷な条件を突きつけた。
王宮で蝶よ花よと育てられた王女だ。泥にまみれ、手の皮が剥けるような労働など、耐えられるはずがない。
数日もすれば、泣き言を言って王都に帰るだろう。
だが、セレスティアの反応は、俺の予想を完全に裏切った。
「——っ!」
彼女は、両手で顔を覆い、肩を震わせた。
泣いているのか?
いや、違う。
「アレン様……アレン様が、私に役割を与えてくださった……! 私を、必要としてくださった……!」
顔を上げた彼女の表情は、歓喜に満ち溢れていた。
「やります! 何でもやります! アレン様のためなら、この命が尽きるまで働き続けますわ!」
「……は?」
セレスティアは、すくっと立ち上がると、騎士たちの方を振り返った。
「あなたたちは、王都へ帰りなさい」
「で、殿下!? 何を仰るのですか!」
「聞こえませんでしたか? 私は今日から、アレン様の下女として生きるのです。あなたたちのような護衛は不要です」
騎士たちが青ざめる。
俺も青ざめた。
「おい、待て。俺は下女にしろなんて言ってねえ。ただの手伝いだ」
「同じことですわ! ああ、アレン様の畑……アレン様の泥……。さあ、私を汚してください!」
セレスティアは、純白のドレスアーマーを脱ぎ捨てようとした。
俺は慌てて止めた。
「馬鹿野郎! ここで脱ぐな!」
「アレン様が脱がせてくださるのですか!? ああ……!」
「違う! 服を着たまま働けって言ってんだ!」
混乱の極みだった。
結局、騎士たちは泣く泣く王都へ引き返し(俺が「必ず帰らせる」と約束させられた)、セレスティアは俺のあばら屋に居座ることになった。
こうして、ただの村人Aと、狂った王女の、泥沼のような同居生活が始まった。
俺は、自分の決断を深く後悔していた。
この女の「愛」は、俺が思っていたよりもずっと重く、そしてタチが悪かった。




