再起動の足音
翌朝、俺は旅支度を整えていた。
使い慣れた鍬を丁寧に布で包み、背中に背負う。腰には、シオンが置いていった王都への通行証と、少しばかりの路銀。
そして、胸のポケットには「青いリボン」。
「アレン様……」
家の入り口で、セレスティアが不安そうな顔をして立っていた。
昨夜、俺は彼女に「少し王都に用ができた」とだけ伝えた。ヴィクトリアが脱走し、システムが再起動しようとしていることは伏せてある。
せっかく人間としての穏やかな日常を手に入れた彼女を、再びあの狂ったシステムとの戦いに巻き込みたくなかったからだ。
「すぐ戻る。俺がいない間、畑の水やりと、鶏の世話を頼んだぞ。サボったら、帰ってきてから大根の刑だからな」
「大根の刑……!? あ、あの、大根を千切りにして食べさせられるアレですか……!?」
「そうだ。だから真面目にやれよ」
俺は、努めていつも通りのぶっきらぼうな口調で言った。
だが、セレスティアは俺の服の裾をぎゅっと握りしめた。
「……嘘です」
「あ?」
「アレン様、嘘をついています。……私には、わかります」
セレスティアの青い瞳が、俺を真っ直ぐに見据えていた。
その瞳の奥には、かつての「狂気」の片鱗ではなく、もっと静かで、深く、揺るぎない「覚悟」のようなものが宿っていた。
「……お姉様のこと、ですよね」
「……」
俺は、小さく息を吐いた。
ごまかしは効かないらしい。システムから切り離され、ただの人間になっても、この女の「重さ」と「勘の鋭さ」は健在だった。
「……ああ。ヴィクトリアが牢から消えた。システムが、あいつを再接続した可能性がある」
「やっぱり……」
セレスティアは、握りしめていた俺の服の裾から手を離した。
そして、俺の目をじっと見つめて言った。
「私も、行きます」
「馬鹿野郎。お前はもう魔法も使えないただの村娘だ。足手まといになるだけだ」
「足手まといでもいいです。……だって、私はアレン様の『所有物』ですから」
セレスティアは、ふわりと微笑んだ。
その言葉の選び方に、思わず頭痛がしてくる。
「あのな、俺はお前を所有した覚えは……」
「アレン様が、私のデータをシステムの残骸から拾い上げてくれたんです。だから、私の命も、心も、全部アレン様のものです。……アレン様が危険な場所に行くなら、私も一緒に行きます。それが、私の『愛』ですから」
相変わらずの、重すぎる愛。
だが、その重さが、今の俺には不思議と心地よかった。
この狂った世界で、これほどまでに純粋で、真っ直ぐで、ブレない感情を持っているのは、こいつくらいなものだ。
「……勝手にしろ。ただし、危なくなったら俺の背中に隠れろ。一歩でも前に出たら、マジで大根の刑だからな」
「はいっ! 背中にぴったりくっついて離れません!」
セレスティアは、嬉しそうに俺の背中に抱きついてきた。
その重みと温もりに、俺は小さく笑みをこぼした。
「よし、行くぞ。……俺たちの畑を守るための、最後の草むしりだ」
* * *
王都へ向かう道中、俺たちは奇妙な光景を何度も目にした。
枯れたはずの森の木々が、不自然なほど規則正しく並んで生え直していたり、川の水が、まるで定規で引いたように真っ直ぐな直線を描いて流れていたりしたのだ。
「……まるで、世界の『テクスチャ』が張り替えられているみたいですね」
セレスティアが、真っ直ぐに流れる川を見つめながら呟いた。
「テクスチャ?」
「はい。システムが、世界の風景を再計算して、より『効率的』で『規則的』な形に書き換えているんです。……お姉様が、システムの管理者権限を取り戻しつつある証拠です」
俺は、舌打ちをした。
自然の不規則さや、泥臭さを排除し、全てを計算通りの無機質な形に書き換える。
それが、ヴィクトリア——いや、システムの望む「完璧な秩序」だ。
「急ぐぞ。このままじゃ、世界中がただの『データ空間』になっちまう」
俺たちは歩みを速めた。
王都の門が見えてきたのは、その日の夕方だった。
だが、王都の様子は、以前とは全く異なっていた。
復興作業で活気に満ちていたはずの王都は、死んだように静まり返っていた。
門を警備しているはずの騎士たちの姿もない。
いや、人っ子一人、見当たらないのだ。
「……どうなってんだ、こりゃ」
俺は、鍬を構えながら慎重に門をくぐった。
石畳の通りには、荷車や商品がそのまま放置されている。だが、人間の姿だけが、神隠しに遭ったように消え去っていた。
「アレン様……あれを」
セレスティアが、震える指で王宮の方角を指差した。
王宮の上空に、巨大な「緑色の文字列」の渦が渦巻いていた。
それは、俺がシステムの最深部で見た、あの無機質なデータ空間の文字列と同じものだった。
『……ピピッ。不確定要素の侵入を検知。……特異点アレン、および未登録データ・セレスティア』
王都の至る所から、あの無機質なノイズ音が響き渡った。
音源は一つではない。放置された荷車、石畳、建物の壁……あらゆる物質から、ナビの声が再生されていた。
『……対象の排除プロセスを再開します』
ノイズと共に、放置されていた荷車や、建物の壁の一部が「変形」を始めた。
物質がデータに分解され、再構築されていく。
現れたのは、全身が緑色の文字列で構成された、無数の「機械兵器」だった。
以前、玉座の間で戦った直属防衛部隊に似ているが、その数は比ではない。数百、いや、数千の機械兵器が、通りを埋め尽くしていた。
「……歓迎のパレードにしては、少しばかり物騒だな」
俺は、鍬の柄を強く握りしめた。
セレスティアが、俺の背中にぴったりと身を寄せる。
「アレン様……これ、全部システムが物質を書き換えて作った『防衛プログラム』です。物理的な破壊は可能ですが、数が多すぎます……!」
「数が多いなら、まとめて耕すだけだ。俺の畑に、雑草の数は関係ねえ」
俺は、鍬を高く振り上げた。
『特異点』としての力が、俺の全身を駆け巡る。
泥臭い人間の意地と、システムへの怒りが、鍬の刃に青白い光を宿らせた。
「土に還れぇぇぇぇぇっ!!」
俺は、迫り来る機械兵器の群れに向かって、渾身の力で鍬を振り下ろした。
大地が鳴動し、石畳が泥の波となって隆起する。
最後の戦いが、今、幕を開けた。




