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泥の反逆

ガァァァァァァン!!


 俺の振り下ろした鍬が、緑色の文字列の槍を物理的に叩き割った。

 光の破片が飛び散り、データ空間の白い虚空に亀裂が走る。


『……エラー。物理的破壊によるデータ欠損を確認。修復プロセス……失敗』


 ナビの無機質な声に、明らかな動揺が混じっていた。


「修復なんてさせねえよ。俺の鍬は、一度耕した土を絶対に元の硬さには戻さねえ」


 俺は、亀裂の入った空間の床を力強く蹴った。

 セレスティアの光を纏った鍬が、空気を切り裂きながらナビの姿をした端末へと迫る。


『対象の接近を拒絶。防壁を展開します』


 ナビの前に、幾重にも重なる半透明のシールドが出現した。

 それは、ヴィクトリアが使っていた「深淵の茨」の原型となる、純粋なエネルギーの壁だ。


「そんな薄っぺらい壁で、俺の泥を防げると思うな!」


 俺は鍬を横に薙ぎ払い、第一のシールドを粉砕した。

 続けて、第二、第三のシールドを、まるで薄いガラスを割るように次々と破壊していく。


『……理解不能。なぜ、ただの農民の力が、メインサーバーの絶対防壁を凌駕するのですか』

「農民を舐めんな」


 俺は、鞘の中の泥を思い出した。

 日照りの後の、石のように固くなった土。それを殎すために、何度も何度も鋤を振り下ろしたあの永遠のような朝。

 こいつらの壁は、あの土より柔らかい。


 俺は、最後のシールドを鍬の柄で突き破り、ナビの眼前に肉薄した。


『……排除プロセス、最終段階。対象と刺し違えます』


 ナビの瞳が、危険な赤色に発光した。

 彼女の体が膨張し、自爆のプロセスに入ろうとしているのがわかる。

 だが、俺は止まらない。


「一緒に土に還れ!!」


 俺は、渾身の力を込めて、ナビの胸の中心——コアと思われる光の球体に向かって鍬を突き立てた。


 ズドォォォォォン!!


 コアが砕け散り、ナビの体が光の粒子となって爆散した。

 同時に、周囲の白い空間がガラガラと音を立てて崩壊していく。

 緑色の文字列が悲鳴のように乱れ飛び、データ空間そのものが消滅しようとしていた。


「……アレン様」


 崩壊する空間の中で、セレスティアの幻影が俺の背中にそっと抱きついた。


「ありがとう、ございます。これで……お姉様も、システムの呪縛から解放されるはずです」

「ああ。……だが、お前はどうなる?」

「私は……」


 セレスティアの幻影が、徐々に薄れていく。

 俺の背中に回された彼女の腕が、春の雪のように重さを失っていく。


「待て。ふざけんな。俺はまだ、お前の草むしりの給料を払ってねえぞ」

「ふふ……。じゃあ、来世で……払ってくださいね。……大好きです、アレン様」


 セレスティアの幻影が、完全に光の粒子となって溶けていく。

 俺は、手を伸ばしたが、何も掴むことはできなかった。


「……セレスティア!!」


 俺の叫び声は、空間の崩壊音にかき消された。

 視界が真っ白に染まり、俺の意識は深い泥の底へと沈んでいった。


     * * *


「……アレン! おい、アレン! しっかりしろ!」


 顔をバシバシと叩かれ、俺はゆっくりと目を開けた。

 視界に飛び込んできたのは、煤と血で汚れたシオンの顔だった。


「……シオンか。ここは……」

「玉座の間だ。お前がヴィクトリア殿下の玉座を叩き割った直後、突然気を失って倒れたんだ。……何があった?」


 俺は、ゆっくりと体を起こした。

 周囲を見渡すと、玉座の間は半壊状態だったが、魔物の姿は消え去り、ヴィクトリアを覆っていた黒い茨も全て枯れ果てていた。


「……システムを、ぶっ壊してきた」


 俺は、泥だらけの鍬を杖代わりにして立ち上がった。

 体中が鉛のように重い。

 だが、俺のポケットの中には、確かにセレスティアの「青いリボン」が残っていた。


「システムを……? じゃあ、ヴィクトリア殿下は……」


 シオンの視線の先には、玉座の残骸に寄りかかって倒れているヴィクトリアの姿があった。

 彼女の銀色の髪は煤け、氷のように冷たかった青い瞳は、今は虚ろに虚空を見つめている。


「……メインサーバーとの接続が、切れました」


 ヴィクトリアが、掠れた声で呟いた。


「私の頭の中にあった、完璧な秩序の計算式が……全て、消え去った。……私は、何を……」

「お前は、ただの人間になったんだよ」


 俺は、ヴィクトリアの前に立ち、見下ろした。


「システムに操られた人形じゃねえ。自分の足で泥の上を歩き、自分の頭で考える、ただの不完全な人間に戻ったんだ」

「不完全な……人間……」


 ヴィクトリアの目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。

 それは、システムの一部だった彼女が、初めて見せた「人間の感情」だった。


「……セレスティアは、どこですか」


 ヴィクトリアが、震える声で尋ねた。


「私が……私が消去してしまった、私の可愛い妹は……」

「……あいつは」


 俺は、ポケットの中のリボンを強く握りしめた。

 真実を告げるべきか、迷った。

 だが、泥にまみれた俺の口から、綺麗な嘘は吐けなかった。


「あいつは、お前を止めるために、自分の存在をシステムごと消し飛ばした。……もう、どこにもいねえよ」

「…………ああぁぁぁぁぁっ!!」


 ヴィクトリアの悲痛な絶叫が、半壊した玉座の間に響き渡った。

 彼女は、床に崩れ落ち、泥と煤にまみれながら、子供のように泣きじゃくった。

 完璧な秩序を求めた女王の、あまりにも惨めな末路だった。


「……これで、全て終わったのか」


 シオンが、疲れ切った声で呟いた。


「ああ。終わった」


 俺は、崩れた天井から見える青空を見上げた。

 終わった。

 だが、胸の内側に、収穫を終えた後の畑のような、からっぽの感触だけが残った。


「……帰るか。俺の畑に」


 俺は、シオンに背を向け、歩き出した。

 泥だらけの長靴が、大理石の床に重い足音を響かせる。


 だが、その時だった。


『……ピピッ。システム再起動。……エラー。深刻なデータ欠損を確認。……バックアップ領域からの復元を試みます』


 俺の頭の中で、聞き覚えのある「ノイズ」が鳴った。

 俺は、足を止めた。


「……おい、今のは」

『……復元プロセス、開始。……対象:セレスティア・フォン・ルシフェル。……データ残骸からの再構築を試みます』


 ポケットの中の青いリボンが、微かに、本当に微かにだが、温かさを帯びたような気がした。


「……ふざけんなよ」


 俺は、思わず笑みをこぼした。


「お前らシステムってのは、本当に往生際が悪いな。……だが、今回だけは許してやる」


 俺は、リボンを握りしめたまま、青空に向かって呟いた。


「待ってるぞ、セレスティア。俺の畑の草むしり、まだ半分も終わってねえんだからな」


 ——こうして、ただの村人Aだった俺の、世界を書き換える戦いは終わった。

 泥と血にまみれた、最低で最高の、俺の物語が。

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