崩壊の序曲
光の奔流が収まった後、玉座の間は凄惨な静寂に包まれていた。
空中に浮かんでいた十体の機械兵器は、全て原型を留めないほどに破壊され、黒焦げの残骸となって床に散乱している。
ヴィクトリアの周囲を覆っていた「深淵の茨」も、その大半が炭化して崩れ落ちていた。
「……信じられない」
ヴィクトリアが、初めて感情を露わにして驚愕の声を上げた。
「メインサーバーの直属防衛部隊を、一瞬で……。これほどの魔力、やはりあなたは、システムにとって最大の脅威……」
だが、その脅威を行使した代償は、あまりにも大きかった。
「……セレスティア」
俺は、目の前で崩れ落ちそうになる彼女の体を、慌てて抱きとめた。
彼女の体は、氷のように冷たく、羽のように軽かった。
そして、その美しい銀色の髪は、毛先から徐々に「透明」になり始めている。
「アレン、様……」
セレスティアが、虚ろな目で俺を見上げた。
彼女の頬に触れると、そこもまた、わずかに透き通っているように感じられた。
「おい、どうしたんだよ。体が……透けてるぞ」
「……魔力を、使いすぎました。私の体は、元々……この世界のシステムから『エラー』として処理されかけていたものですから……」
セレスティアは、力なく微笑んだ。
「無理に力を引き出したせいで、システムの『消去プログラム』が、加速してしまったみたいです」
「消去……? ふざけんな。俺がそんなこと許すわけねえだろ」
俺は、彼女の体を強く抱きしめた。
だが、腕の中に伝わる実体感は、恐ろしいほどのスピードで失われていく。
「……ごめんなさい、アレン様。私、やっぱり……お姉様の言う通り、バグだったみたいです」
「黙れ。お前はバグなんかじゃない。ただの、ちょっと頭のおかしい、面倒くさい女だ」
「ふふ……。アレン様は、いつも……優しいですね」
セレスティアの瞳から、一粒の涙がこぼれ落ちた。
その涙も、床に落ちる前に光の粒子となって消えてしまう。
「私……アレン様に出会えて、本当に幸せでした。泥だらけの畑で、一緒に草むしりをしたこと……一生、忘れません」
「馬鹿野郎、過去形にするな。これからも手伝わせるって言っただろ」
「……はい。手伝いたかった、です。……ずっと、アレン様の傍に……」
セレスティアの体が、眩い光に包まれた。
俺は、必死に彼女を抱きしめようとした。
だが、俺の腕は、光の粒子をすり抜けて空を切るだけだった。
「セレスティア!!」
俺の叫び声が、玉座の間に空しく響き渡る。
光が収まった後、俺の腕の中には、何も残されていなかった。
ただ、彼女が身につけていた青いリボンだけが、床に力なく落ちていた。
「…………」
俺は、そのリボンを拾い上げ、泥だらけの手で強く握りしめた。
胸の奥が、冷たく、空っぽになったような感覚。
クロエが死んだ時とは違う。
俺の日常を、俺の畑を、勝手に荒らし回っていた「面倒くさい女」が、本当にいなくなってしまった。
「……これで、最大のバグは消去されました」
ヴィクトリアの冷酷な声が、俺の鼓膜を叩いた。
「システムは正常化プロセスに移行します。あとは、あなたという『特異点』を排除するだけです」
ヴィクトリアの周囲で、炭化していた茨が再び再生し始める。
彼女の瞳には、一切の迷いも、妹を失った悲しみもない。
ただ、システムを維持するという「役割」だけが、彼女を動かしている。
「……アレン」
シオンが、血だらけの体を引きずりながら、俺の傍にやってきた。
「セレスティア殿下は……」
「……消えたよ」
俺は、リボンをポケットにしまい、ゆっくりと立ち上がった。
鍬を握る手に、力がこもる。
悲しみはない。絶望もない。
ただ、純粋で、底知れない「怒り」だけが、俺の体を支配していた。
「……おい、ヴィクトリア」
俺は、玉座に立つ冷酷な女王を睨みつけた。
「お前は、自分が何をしたかわかってんのか」
「ええ。世界の秩序を守るための、正当な処理を行いました」
「……違うな」
俺は、鍬を肩に担ぎ、一歩前へ出た。
「お前は、俺の畑の『一番面倒くさい雑草』を、勝手に引っこ抜いたんだ。俺の許可もなくな」
「……何を言っているのですか」
「俺はな、あの面倒くさい女を、俺の手で真っ当な人間に育て直してやるつもりだったんだよ。泥まみれにして、汗水流して働くことの尊さを、骨の髄まで叩き込んでやるつもりだったんだ」
俺の足元から、ドス黒いオーラのようなものが立ち上り始める。
魔力ではない。
それは、純粋な「殺意」だった。
「それを、お前みたいな綺麗事ばかり並べるガラクタが、勝手に消しやがった。……絶対に、許さねえ」
「……無駄な感情です。システムにおいて、個人の感情などノイズに過ぎない」
ヴィクトリアが右手を振り下ろす。
再生した無数の茨が、一斉に俺に向かって襲いかかってきた。
「土に還れぇぇぇぇぇっ!!」
俺は、咆哮と共に鍬を振り下ろした。
先ほどとは違う。
俺の全身の筋肉が、限界を超えて軋みを上げる。
——『特異点』としての力が、完全に覚醒した瞬間だった。
ガァァァァァァン!!
鍬が床に激突した瞬間、玉座の間全体が激しく揺れた。
床の石畳が波打つように隆起し、迫り来る茨を次々と飲み込んでいく。
「泥」が、王宮の美しい床を食い破り、ヴィクトリアの玉座へと迫る。
「なっ……!? これは、魔術ではない……純粋な物理法則の書き換え……!?」
ヴィクトリアの顔に、初めて「恐怖」の色が浮かんだ。
「俺の畑に、お前らのルールは通用しねえって言っただろ」
俺は、隆起する泥の波に乗って、ヴィクトリアの目の前へと跳躍した。
「この狂った世界ごと、俺が耕し直してやる!!」
渾身の力を込めた鍬が、ヴィクトリアの玉座に向かって振り下ろされる。
システムの崩壊が、今、始まろうとしていた。




