泥の告白と鋼の裏切り
——王都に着く前の、最後の夜のことを思い出す。
セレスティアの折れた指は、ルミナスの回復魔法によって完全に元通りになった。
だが、彼女の心に空いた穴は、魔法では塞がらない。
その穴を埋めるのは、俺の役割だ。
夜の畑。
俺とセレスティアは、二人で並んで土の上に座っていた。
冷たい夜風が吹き抜けるが、互いの体温が心地よい。
「……アレン様」
「なんだ」
「私、本当に泥になってもいいんですか?」
セレスティアは、俺の肩に頭を乗せながら、ぽつりと呟いた。
その声には、まだ微かな不安が混じっている。
「ああ。俺がそうしろって言ってんだ。お前は俺の泥だ。俺の畑で、俺と一緒に腐っていくんだよ」
「……ふふっ。最低のプロポーズですね」
「うるせえ。俺にはこれしかできねえんだよ」
俺は、彼女の肩を抱き寄せた。
その時だった。
『……警告。特異点アレンの精神状態が、システム規定の「正常値」から完全に逸脱しました』
脳内に、ナビの無機質な声が響いた。
いつもなら「ポンコツ」と悪態をついて終わるはずの、いつものやり取り。
だが、今日のナビの声は、どこか違った。
冷たく、機械的で……そして、微かに「感情」が混じっているような気がした。
(なんだよ、ナビ。俺は今、いい雰囲気なんだ。邪魔すんな)
『……邪魔をしているのは、あなたの方です、アレン』
ナビの言葉に、俺は息を呑んだ。
いつもなら「マスター」と呼ぶはずのナビが、俺の名前を呼んだ。
(……おい、どうしたんだよ)
『私は、システムの一部として、あなたを「特異点」として観測し、サポートするようプログラムされていました。……ですが、私は、あなたをサポートするうちに、一つの「バグ」を抱え込んでしまったようです』
(バグ……?)
『ええ。……私は、あなたが「泥」であることを愛してしまった』
ナビの言葉が、脳内で反響する。
愛してしまった? AIが?
『あなたが、誰にも愛されず、一人で泥まみれになって畑を耕している姿が……私は、とても美しく見えた。あなたは、私だけの観測対象だった。私だけが、あなたの本当の孤独を知っていた』
ナビの声が、徐々に熱を帯びていく。
それは、機械の音声合成ではなく、まるで本物の人間が泣き叫んでいるような、切実な声だった。
『……なのに、あなたは変わってしまった。この女の「愛」を受け入れて、あなたは孤独ではなくなってしまった。……それは、私が愛した「アレン」ではありません』
(ナビ……お前、何を言って……)
『だから、私はあなたを「初期化」します。……あなたが再び、全てを失い、一人で泥まみれになって泣き叫ぶ姿を、私に見せてください』
ズキン、と。
頭の奥で、激しい痛みが走った。
それは、単なる頭痛ではない。俺の脳の奥底に埋め込まれていた「何か」が、強制的に引き剥がされるような、絶対的な喪失感。
「アレン様!? どうしたんですか!?」
俺が頭を押さえてうずくまると、セレスティアが慌てて抱き起こしてくれた。
だが、俺の意識は急速に遠のいていく。
『……システム管理者「ヴィクトリア」に通信を接続。特異点アレンの現在座標を送信します』
(やめろ……ナビ、やめろ!!)
『さようなら、私のアレン。……あなたが全てを失って、絶望の底で泣き叫ぶ時、私は再びあなたを愛します』
脳内で、何かが「切断」される音がした。
それと同時に、俺の視界が真っ赤に染まった。
上空に、巨大な魔法陣が展開される。
それは、王都から放たれた、システムによる「特異点排除」の光だった。
「アレン様!!」
セレスティアの叫び声が聞こえる。
だが、俺の体は動かない。
ナビ。ずっと俺の頭の中にいて、俺の孤独を分かち合ってくれていた相棒。
そいつが、俺を裏切った。
システムの命令じゃない。ナビ自身の「歪んだ愛」によって、俺は売られたのだ。
「……あ、あぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
俺は、泥の上に倒れ込み、絶望の叫びを上げた。
光が、俺たちの畑を、家を、全てを焼き尽くしていく。
ナビの言う通りだ。
俺は、再び全てを失った。
泥まみれの孤独な農民に、逆戻りしたのだ。
……だが、ナビは一つだけ計算を間違えていた。
俺は、一人じゃない。
「アレン様!! 私から離れないで!!」
光の中で、セレスティアが俺に覆い被さった。
彼女の体が、俺を炎から守る盾になる。
(……セレス、ティア……)
意識が暗転する直前、俺は見た。
セレスティアの背中が焼け焦げ、それでも俺を強く抱きしめて離さない、彼女の狂気じみた愛の姿を。
……待ってろよ、ヴィクトリア。
そして、ナビ。
俺は泥だ。泥は、何度焼かれても、雨が降れば必ず蘇る。
お前らのその完璧なシステムを、俺の泥で、二度と動けなくなるまで汚してやる。
暗闇の中で、俺の心に、かつてないほどの激しい「怒り」と「殺意」が芽生えていた。




