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泥の底の拒絶

夜の闇が、王都近郊の野営地を静かに包み込んでいた。

 シオンとの対話から戻った俺は、一人で焚き火の前に座り、使い古した鍬の手入れをしていた。

 刃の欠けを砥石で削り、柄の汚れを布で拭き取る。その単調な作業だけが、今の俺の心を落ち着かせてくれる。


「アレン様……」


 背後から、セレスティアの声がした。

 彼女は、俺がシオンと話している間、ずっと天幕の中で待っていたらしい。

 その顔には、不安と、そして何かを「確かめよう」とする切実な色が浮かんでいた。


「……なんだ。まだ起きてたのか」

「アレン様、あの騎士の方と、何を話していたんですか?」

「お前には関係ねえ」


 俺は振り返らずに、砥石を動かし続けた。

 シオンが言っていた言葉が、頭の中でリフレインしている。

 『あの女は、あなたの重荷になるだけだ』

 ……わかっている。そんなことは、最初からわかっている。

 セレスティアの愛は、ただの「依存」だ。システムから切り離され、行き場を失った彼女が、偶然拾ってくれた俺という「空っぽの器」に、自分の寂しさを注ぎ込んでいるだけだ。


「関係なくありません……! 私は、アレン様の所有物です。アレン様が王都に戻るように言われたなら、私も……」

「だから、関係ねえって言ってんだろ」


 俺は、砥石を置いた。

 そして、ゆっくりと立ち上がり、セレスティアに向き直った。


「いい加減にしろ。お前のその『重い愛』ごっこには、もううんざりなんだよ」


 俺の言葉に、セレスティアは息を呑んだ。

 青い瞳が、信じられないものを見るように揺れる。


「アレン、様……?」

「お前は俺を愛してるんじゃない。俺という人間に、自分の寂しさを押し付けてるだけだ。俺が泥まみれだろうが、ただの農民だろうが、お前にはどうでもいいんだ。ただ『自分を必要としてくれる誰か』が欲しかっただけだろ」


 俺は、彼女の心の最も脆い部分を、泥だらけの足で踏みにじるように言葉を紡いだ。


「お前の愛は、愛じゃない。ただの暴力だ。他人の心に土足で踏み入って、勝手に花を植えようとする、醜い自己満足だ」

「ちが……違います……私は、本当にアレン様を……!」

「嘘をつくな!!」


 俺は、怒鳴りつけた。

 自分でも驚くほど、冷たく、残酷な声だった。


「お前は、ヴィクトリアから逃げたかっただけだ。完璧な姉と比べられるのが怖くて、システムの『エラー』である自分を肯定してほしかっただけだ。だから、俺みたいな底辺の泥にすがった。俺を見下すことで、自分を保とうとしてるんだろ!」


 それは、孤児院で俺を売ろうとした大人たちが、俺に向けていた視線と同じだ。

 表面上は優しく微笑みながら、心の底では「お前は俺たちより下だ」と見下している。

 俺は、そんな視線には二度と耐えられない。


「帰れ。王都でも、どこへでも行け。俺の畑には、お前みたいな『偽物の花』は必要ねえんだよ」


 俺は、セレスティアを冷たく突き放した。

 彼女の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。

 その涙が、乾いた地面に落ちて泥を作る。


「……アレン様は、私が……邪魔、ですか……?」

「ああ。邪魔だ。お前がいると、俺の畑が汚れる」


 決定的な拒絶。

 俺は、彼女が泣き叫んで、俺を罵倒して出て行くことを期待していた。

 そうすれば、俺は再び「孤独で安全な泥」に戻ることができる。

 だが、セレスティアは泣き叫ばなかった。

 彼女は、涙を流したまま、ゆっくりと、異様なほど静かに微笑んだ。


「……そうですか。私が、邪魔なんですね」


 その笑顔は、かつて彼女が「狂信的な王女」として見せていた、あの狂気を帯びた笑顔に似ていた。

 いや、それよりももっと深く、暗く、壊れた笑顔だった。


「なら……私が、本当にアレン様のものになる方法を、お見せします」


 セレスティアは、そう言って、自分の左手を顔の前に掲げた。

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