前哨戦
王都まであと半日の距離に迫った、ある日の夕暮れ。
街道沿いの森を抜けたところで、俺たちは足を止めた。
「……アレン。前方を見ろ」
シオンが、剣の柄に手をかけながら低い声で言った。
俺は目を細め、街道の先を凝視した。
夕日に照らされた道の真ん中に、黒い塊がいくつも蠢いている。
「魔物か」
「ああ。王都から放たれた索敵部隊だろう。ヴィクトリア殿下は、俺たちがこのルートを通ることを予測していたらしい」
シオンの言う通り、黒い塊は徐々にその姿を明確にしていった。
狼のような四足歩行の獣だが、体格は馬ほどもあり、全身が黒い瘴気を纏っている。その数は、ざっと見て三十体ほど。
「シャドウ・ウルフ」。
動きが素早く、集団で獲物を狩る厄介な魔物だ。
「アレン様、下がっていてください。あのような下等な魔物、私が一瞬で……」
「やめとけ、セレスティア」
俺は、前に出ようとしたセレスティアの肩を掴んで止めた。
「お前が魔力を使えば、またシステムがバグるかもしれねえ。ここは俺とシオンで片付ける」
「しかし……!」
「俺の言うことが聞けねえのか」
「……っ! はい、大人しくしておりますわ!」
俺が少し低い声で睨みつけると、セレスティアは顔を真っ赤にして大人しく引き下がった。
相変わらず、俺の命令に従うことに喜びを見出しているらしい。本当に狂っている。
「クロエ、お前はセレスティアの護衛を頼む。一匹も近づかせるなよ」
「承知した。私の命に代えても、殿下はお守りする」
クロエが、音もなく短剣を抜き放ち、セレスティアの前に立った。
その背中には、一切の隙がない。
「行くぞ、シオン」
「ああ。俺の剣技、見せてやる」
シオンが、腰の長剣を抜き放った。
銀色の刀身が、夕日を反射してギラリと光る。
俺は、肩に担いでいた鍬を下ろし、両手でしっかりと柄を握り直した。
「グルルルルル……!」
シャドウ・ウルフの群れが、俺たちに気づき、低い唸り声を上げた。
そして、一斉に襲いかかってきた。
「はぁっ!」
シオンが、先陣を切って飛び出した。
彼の剣は、流れるような美しい軌道を描き、先頭の狼の首を正確に刎ね飛ばした。
黒い血が噴き出し、狼の体が地面に崩れ落ちる。
だが、群れは止まらない。シオンの死角を突き、左右から三体の狼が同時に襲いかかる。
「シオン、右だ!」
俺は叫びながら、右から迫る狼の頭上に向かって鍬を振り下ろした。
ガァァァァン!!
鍬の刃が、狼の硬い頭蓋骨を粉砕した。
ドノバン爺さんの新しい柄は、俺の馬鹿力にもしっかりと耐えてくれた。
「助かった、アレン!」
「よそ見してんじゃねえ! 次が来るぞ!」
俺たちは、背中合わせに立ち、群れを迎え撃った。
シオンの剣は速く、正確だ。騎士団長という肩書きは伊達ではない。
対する俺の武器は、ただの農具だ。だが、泥を掘り、重い土を返す作業で鍛え上げられた腕力と、特異点としての「理不尽な破壊力」が、魔物の硬い皮膚を容易く打ち砕く。
『マスター。右斜め後方から、熱源反応。対象個体セレスティアの魔力出力が上昇しています』
ナビの警告音が響いた。
振り返ると、セレスティアが両手を胸の前で組み、祈るような姿勢をとっていた。
彼女の周囲に、青白い光の粒子が舞っている。
「おい、セレスティア! 魔力を使うなと言っただろ!」
「で、ですが、アレン様が危険な目に遭われているのに、私だけが安全な場所で見ているなんて、耐えられません! 私の愛の力で、アレン様をお守りしますわ!」
セレスティアが叫んだ瞬間、彼女の放った青白い光が、俺の体を包み込んだ。
「なっ……!?」
俺の体に、凄まじい力が満ち溢れていく。
筋肉が熱を帯び、視界が異常なほどクリアになる。
シャドウ・ウルフの素早い動きが、まるでスローモーションのように見えた。
『警告。対象個体セレスティアの魔力による「強制バフ」が付与されました。マスターの身体能力が、一時的に限界値の500%まで引き上げられています。……肉体への負荷が危険領域です』
ナビの声が、焦ったように響く。
「500%だと……!? ふざけんな、体がぶっ壊れる!」
「アレン様! 私の愛を受け取ってくださいませ!」
セレスティアの叫びと共に、俺の体は勝手に前へと弾き出された。
地面を蹴っただけで、俺の体は砲弾のような速度で狼の群れの中心に突っ込んだ。
「うおおおおおっ!?」
俺は、半ばパニックになりながら、デタラメに鍬を振り回した。
ドゴォォォォン!!
バキィィィィン!!
鍬が触れただけで、狼たちの体が破裂したように吹き飛んでいく。
俺の振るう鍬の風圧だけで、周囲の木々がなぎ倒され、地面が深く抉れる。
それはもはや、戦闘ではなく、ただの「破壊の嵐」だった。
「な、なんだあれは……!?」
シオンが、唖然とした顔で俺の暴走を見つめている。
俺自身も、自分の体の動きに全くついていけていない。
ただ、圧倒的な暴力が、俺の意志とは無関係に周囲を破壊し尽くしていく。
「や、やめろ……! 体が、熱い……!」
筋肉が悲鳴を上げ、骨が軋む。
セレスティアの「重すぎる愛」が、俺の肉体を内側から焼き尽くそうとしていた。
『マスター。このままでは肉体が崩壊します。対象個体セレスティアの魔力供給を強制的に遮断します』
ナビの声と共に、俺の体を包んでいた青白い光がフッと消えた。
同時に、全身から力が抜け、俺は地面に崩れ落ちた。
「はぁっ……はぁっ……」
激しい息切れと、全身の筋肉痛。
見渡すと、三十体いたシャドウ・ウルフは、一匹残らず肉片に変わっていた。
周囲の森は半壊し、地面には巨大なクレーターができている。
「アレン様!」
セレスティアが、嬉しそうに駆け寄ってきた。
「凄いですわ、アレン様! 私の愛の力が、アレン様の力になったのですね! 私たち、二人で一つになれたのですね!」
「……ふざけんな、馬鹿野郎……」
俺は、地面に這いつくばったまま、セレスティアを睨みつけた。
「俺を殺す気か……! あんなデタラメな力、人間の体が耐えられるわけねえだろ!」
「えっ……? で、でも、アレン様は無事ではありませんか」
「ナビが止めてくれなきゃ、今頃俺は肉塊になってたぞ……!」
俺の言葉に、セレスティアの顔がサッと青ざめた。
「そ、そんな……。私はただ、アレン様のお役に立ちたくて……」
「お前の愛は、重すぎるんだよ。物理的にも、精神的にもな」
俺は、ふらつく足で立ち上がった。
シオンが、慌てて俺の肩を貸してくれる。
「アレン、大丈夫か」
「……なんとか。だが、しばらくは鍬も振れそうにねえ」
俺は、セレスティアを見下ろした。
彼女は、自分の手が俺を殺しかけたという事実に、震えていた。
「いいか、セレスティア。二度と俺に魔力を送るな。お前の愛は、俺には劇毒だ。俺のことは、俺自身で守る」
冷たい言葉だった。
だが、そう言わなければ、彼女は本当に俺を殺してしまう。
彼女の愛は、優しさの形をした呪いだ。
「……はい。申し訳ありません、アレン様」
セレスティアは、深く頭を下げた。
その顔は、見えなかった。
だが、彼女の周囲の空気が、さらに重く、暗く沈んでいくのを、俺は確かに感じていた。
王都は、もう目の前だ。
だが、本当の敵はヴィクトリアの魔物軍団ではなく、俺たちの内側にある「狂った感情」なのかもしれない。
夕闇が、俺たちの影を長く、黒く引き伸ばしていた。




