王都の異変
シオンを俺のあばら屋に連れ帰り、井戸水を一杯飲ませた。
彼は一気に水を飲み干すと、泥だらけのテーブルに手をつき、深刻な顔で口を開いた。
「王都が、魔物の群れに包囲されている」
「は?」
俺は、思わず間抜けな声を出した。
王都は、この国で最も強固な城壁と結界で守られているはずだ。魔物の群れが近づくことすら不可能なはずだろう。
「包囲されているって、どういうことだ。結界はどうした」
「結界が、内側から破壊されたんだ」
シオンは、ギリッと歯を食いしばった。
「ヴィクトリア第一王女殿下が……クーデターを起こした」
「……なんだと?」
「ヴィクトリア殿下は、禁忌とされる『深淵の魔術』に手を染めていた。王都の地下に封印されていた古代の魔物を蘇らせ、結界の動力炉を破壊した。そして、魔物の群れを操り、王宮を制圧したんだ」
ヴィクトリア第一王女。
セレスティアの姉であり、次期女王の最有力候補。
常に冷静沈着で、完璧な知性を誇る「氷の女王」。
そんな彼女が、なぜ魔物を使ってクーデターなど起こす必要があるのか。
「意味がわからねえ。あいつは黙ってても次の女王になれただろ。なんでそんな真似を」
「……セレスティア殿下を、排除するためだ」
シオンの言葉に、部屋の空気が凍りついた。
部屋の隅で草むしりの泥を落としていたセレスティアが、ピクリと肩を揺らす。
クロエは、無言で腰の短剣の柄に手をかけた。
「ヴィクトリア殿下は、セレスティア殿下の持つ『異常な魔力』を危険視していた。いずれ国を滅ぼす災厄になると。だから、自分が王位に就く前に、確実にセレスティア殿下を抹殺しようとした。だが、セレスティア殿下は王宮を脱出し、この村へ逃げてきた」
「……」
「ヴィクトリア殿下は、セレスティア殿下を追撃するために、禁忌の力を使った。王都を制圧し、全軍を動員してこの村を焼き払うつもりだ」
シオンは、深く頭を下げた。
「俺は、ヴィクトリア殿下のやり方に賛同できなかった。だから、近衛騎士団を抜け出し、お前たちに危機を知らせに来た。アレン、頼む。セレスティア殿下を連れて、この国から逃げてくれ。ヴィクトリア殿下の魔物軍団は、数日以内にこの村に到達する」
シオンの言葉は、絶望的な響きを持っていた。
俺は、ため息をつき、頭を掻いた。
「……面倒くせえことになってきたな」
『マスター。対象個体ヴィクトリアの行動は、システムの計算範囲内です。彼女は「バグ」であるセレスティアを排除するための、システムの自浄作用として機能しています』
ナビの声が、冷たく事実を告げる。その声の底に、微かな「嘲り」の色が混じっているように聞こえたのは、気のせいだろうか。
「システムの自浄作用? じゃあ、ヴィクトリアが狂ったのも、お前らシステムのせいか」
『否定します。システムは環境を整えただけです。ヴィクトリアの行動は、彼女自身の論理的帰結です。……マスター。これを機に、あの不快な女を見捨てることを推奨します。彼女さえ消えれば、あなたの平穏は守られるのですよ?』
「ふざけんな。どっちにしろ、俺の村を焼き払うってなら、黙って見てるわけにはいかねえ」
俺は立ち上がり、壁に立てかけてあった新しい柄の鍬を手に取った。
「アレン様……」
セレスティアが、震える声で俺を呼んだ。
彼女の顔は蒼白で、青い瞳には深い絶望の色が浮かんでいた。
「私の、せいです……。私が王宮を逃げ出したから、お姉様は……。王都の人々が危険に晒されているのも、この村が狙われているのも、全て私の……」
「馬鹿野郎」
俺は、セレスティアの言葉を遮った。
「お前が悪いんじゃねえ。狂ってんのは、お前を殺すために国を滅ぼそうとしてるお前の姉貴と、それを裏で操ってるクソったれなシステムだ」
「アレン、様……?」
「俺は逃げねえよ。ここは俺の村だ。俺の畑がある。誰にも荒らさせねえ」
俺は、鍬を肩に担ぎ、シオンを見た。
「シオン。お前、近衛騎士団長なんだろ。王都の地理や、ヴィクトリアの戦力は把握してるな」
「あ、ああ。把握しているが……まさか、アレン。お前、王都に乗り込むつもりか!?」
「当たり前だ。村で待ってて畑を荒らされるくらいなら、こっちから出向いてぶっ飛ばす。それが農家のやり方だ」
無茶苦茶な論理だということはわかっている。
だが、俺の中の何かが、そうしろと叫んでいた。
逃げてばかりの人生は、もう終わりにしたい。
俺の居場所は、俺自身の手で守る。
「……正気か。相手は数万の魔物軍団と、禁忌の魔術を操るヴィクトリア殿下だぞ。お前一人でどうにかなる相手じゃない!」
「一人じゃねえだろ」
俺は、セレスティアとクロエを見た。
「厄介な王女と、凄腕の暗殺者がいる。それに、お前も手伝うんだろ、シオン」
「……っ!」
シオンは、息を呑み、そして、力強く頷いた。
「ああ……! 俺も、俺の信じる正義のために戦う!」
「決まりだな」
俺は、あばら屋の扉を開け放った。
夏の強い日差しが、泥だらけの床を照らす。
「行くぞ、王都へ。ヴィクトリアの目を覚まさせて、俺の平穏な日常を取り戻す」
それは、俺が初めて自分の意志で選んだ、戦いの始まりだった。
愛も、運命も、システムも、全てを泥まみれにしてぶっ壊すための。




