EPI.014 2026年9月27日 第60回-スプリンターズステークス- 日常パート
放課後、部室へ向かおうと帰り支度を整えていたところで、瑞希は思いもよらない人物から声をかけられた。
「宇佐美さん、ちょっといい?」
自分から声をかけておきながら、その人物はどこか居心地が悪そうに髪の先を指でくるくると弄んでいる。
「……なんです?」
警戒心をにじませながら、瑞希は言う。
クラスメイトではあるが、たぶん面と向かって話をしたのはこれが初めてだろう。
ただ、彼女のその目立つ顔立ちと、立ち位置はよく知っていた。
高校生でありながら、なんぞの雑誌でモデルの仕事をしており、どこぞの芸能事務所に所属しているとかいう女子生徒。抜群の美貌とステータスを持つスクールカーストの最上位。このクラスの女王様だ。
「宇佐美さんって、動物大好き同好会で一年の竜ヶ崎さんと同じだったよね?」
「……まあ、そうだけど、まりあちゃんがどうかした?」
「いきなりで悪いんだけれど、これを彼女に渡してもらえないかな?」
言って、小さな封書を手渡してきた。上等な和紙で作られており、デザインも女子高生らしさを全く感じさせない硬い質感を持ったものだった。
「……なにこれ?」
「招待状」
「招待状? なんの?」
「……うちの事務所の、創立周年パーティーの」
「…………」
さすがに、渋い顔になってしまう。
竜ヶ崎まりあという少女が特別な存在であることは重々承知している。だが、この子はいったいどういった理屈で、縁もゆかりもないタレント事務所の周年パーティーに彼女を招待しようと思ったのだろう。
「……そういうのは、自分で直接渡した方がいいんじゃない?」
おそらく、内心少し腹が立ったのだろう。瑞希は不満をそのまま口に言い返す。
「そりゃあ、それができればそうしてるよ。でも、あの子、私たちがどれだけ話しかけても絶対に反応してくれないんだもん」
すねるように口をとがらせて彼女は言う。
「でも、宇佐美さんが相手だったら、竜ヶ崎さんも受け取ってくれると思うんだ。あの子、なぜかあなたにだけは極端に警戒心が低いでしょ?」
そして、一方的に言いたいことだけ言い残し、まるで押し付けるように封書を渡して去っていった。
正直、このままゴミ箱にダンクシュートしてやろうかとも思ったが、この封書がゴミかどうかを判断するのはまりあの役目だろう。
大企業のお嬢様でもなく、スクールカーストの上位層でもなく、ただ平凡な学生でしかない瑞希は、しがないメッセンジャーとしての役目を全うしようと、その封書を鞄へとしまった。
「ってことがあったんだけど、まりあちゃんどうする?」
瑞希から手渡された封書に目を通しながら、まりあはふぅんとつぶやく。
「ねえ、瑞希パイセン。ひとつ聞いていい?」
「なに?」
「このパーティーに私が参加したら、パイセンになにかメリットはある?」
「私のメリット? 特にないんじゃない? クラスメイトからちょっと感謝されるくらいかな」
「感謝はされるのね」
「まあ、たぶん、それくらいは」
「じゃあ、顔くらい出してあげようかしら」
まりあの言葉に瑞希は驚く。
「本気?」
学校での振る舞いを見るに、彼女はこういった権力やコネを目当てに取り入ろうと群がってくる有象無象を嫌っていると思っていた。
「そりゃあ、面倒には違いないけれど、無難に人づきあいをすることも竜ヶ崎の娘の役目だから」
「芸能事務所の人との付き合いとかも大事ってこと?」
「芸能事務所からの招待ではあるけれど、その後ろで糸引いてるのはたぶんどこかのメディアでプロデューサーとかいう類の肩書を持つ連中よ。つまり、人脈がものをいう仕事をしている連中ね」
「お仕事って、人脈でどうこうなるものなの?」
「もちろん。保護猫の引き取り先だって、相談できる相手は多ければ多いほどいいでしょう?」
なるほど確かに、と瑞希は思う。
「これの差出人は、かなり広域にアンテナを張ってる。なんたって、『懇意にしている社長の芸能事務所の所属タレントの同級生の活動しているサークルの後輩会員のひとり』であるところの私にたどり着いているんだから。よくもまあ、こんな細い縁を手繰り寄せたものだわ。こういう貪欲なタイプには、恩を売っておくとたまに役に立つものなのよ」
「でも、本当にいいの? 私に気を使ってるんだったら、気にしなくていいんだよ?」
「構わないわ。さっきも言ったけれど、竜ケ崎にとっても悪い話ばかりではないから。持ちつ持たれつの人脈はどれだけあっても困るものじゃないからね」
「そう言った政治みたいな話はよくわからないけれど、なんか、私がきっかけで巻きこんじゃってたみたいだったら、ごめんね」
なんだか自分のせいでまりあがやり込められてしまったような気分になり、やはりゴミ箱にダンクシュートしておくべきだっただろうかと瑞希は少し後悔した。
まりあは、本当に気にしないんだけどなあとつぶやきながら、封書を鞄へとしまい込む。
そして、そこで何かを目にして、はたと思いついたように言う。
「そうね。じゃあせっかくだから、パイセンにはすこし報酬をおねだりしてみてもいいかしら」
その含みのある言い方に、瑞希はなにかを思い出しかける。少し、懐かしさすら覚えるなにか。
そして、まりあの瞳に、しばらく忘れていた熱が宿っていることに気が付いた。
「ねえ、まりあちゃん。もしかしてだけど、もうすぐ大きなレースがあったりする?」
「さすがパイセン。いい勘しているわ。今週末から秋のG1シーズンが開幕よ」
そう言って、彼女は満面の笑顔を浮かべながら競馬新聞を取り出した。




