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カルミナオンライン  作者: 森
第1章 ou + topos + ia
9/20

1-08




 明は西に傾き始めた太陽を見て、深くため息をついた。


 サツカ村のあるイワミ東部には、小さな村が転々としている。


 明が覚えているサツカ村は、南に山があり、海に面しておらず、近くに大きな川がないという地形だった。しかし、該当村は意外に多い。その度に地上へ降りて、NPCに村名とサツカ村を知らないかと尋ねる。


 セルフマッピングデータは、5万分の1程度の縮尺の航空写真のようなものである。運営によってあらかじめ集落の名称と位置が記載されているのは『都市』までで、『町』や『村』はプレイヤーが手作業でマーカーを打つ必要がある。縮尺の関係で小規模集落を表示しきれないのと、『町』や『村』は飢饉や疫病、山崩れや洪水等の自然災害が原因で消滅してしまうケースがあるためなのだろう。


 全体マップが閲覧可能なら、プレイヤーが公開しているマーキング情報を検索してサツカ村を探すことができた。実際に追記事件以前はそうやってサツカ村を探したのだ。おそらく涼がマーキングしたものだろう。基本的に、すでにマーキング情報がある場合、二重にマーカーを打ったりしないので、明のデータにはサツカ村の位置情報がなかった。


 明は今後を踏まえて、訪ねた村に片っ端からマーカーを打ちつつ、ふわふわと西へ移動する。


 風妖精族カエリムの種族特性アビリティ『フライト』は、1日に1度しか使えない。効果持続時間も2時間しかないため、とうの昔に切れてしまっている。完全に読みが甘かった。


 現在の明は、徒歩と、風妖精族カエリムの種族特性でアビリティ『浮遊移動』を併用している。『浮遊移動』は『フライト』や『目隠し』等とは異なるパッシブスキルなので、常時使用可能だ。ただし、移動速度は徒歩よりも遅いし、アイテムポーチの制限重量が80%をオーバーしていると浮遊できなくなる。歩き疲れたら浮遊移動、といった具合に使い分けている。


「……喉乾いた」


 用意して来た飲み水は、すでに切れていた。酒も少しあるが、あれは一時の渇きを癒してくれるだけであって、後々余計に喉が渇く。ポーション類はなるべく使いたくない。非力な風妖精族のアイテムポーチに、水という重量物は難敵だった。


 いっそのこと涼がリユニオンクリスタルで飛んで来てくれたら、村確認地獄も喉の渇きも一挙解決なのになと、ぼんやり考える。そして次の瞬間、いや駄目だろうと自分に突っ込みを入れる。


 イズモの英雄殿に涼はいなかった。という事は、おそらく村かどこかにいるのだろう。未だ明の元へ飛んで来ていないのは、3日後に戻れとの指示を、3日以内に戻れと解釈している可能性が大きい。


 幸運にも、イズモで転移クリスタルの上位互換レアアイテム『三柱の勾玉』を入手できたので、涼がリユニオンクリスタルで飛んで来てもすぐにサベレコリスへ戻れる。しかし、どうせここまで来たのだから、涼がレアアイテムであるリユニオンクリスタルを使用してしまう前に合流したい。


 もうひと踏ん張りするかと伸びをしていると、遠くに十数人の人影が見えた。


 農具を持ち、野菜を満載した牛車を引いている。典型的な農民NPCだ。


 なぜかNPC達は、三々五々に家路につくのではなく一塊になって歩いていた。それにまだ日が高く、農作業を終えるには随分と早い。祭りでもあるのかと内心首を傾げながら近づくと、先頭にいた中年男性が明の姿を見つけて駆けて来る。


「こんにちは。キーウェスのお方ですね。何かお困りでしょうか?」


 彼の顔を注視すると、頭上に表示された『サダキチ』という名前の後ろに、黄色の丸があった。何らかの役職持ちのようだ。他の村人達もサダキチを追うようにして駆けつけると、頭巾を外して深々と頭を下げた。


「サツカという村を探しています」

「サツカ村でしたら、こちらです」


 明はぱちくりと瞬きした。


 探し求めていた答えだったのだが、どうせ違うだろうなと高を括っていたし、飲み水を分けてもらうことばかり考えていたので、脳が咄嗟に反応しない。


「……えーと、あの、では、リョウというキーウェスをご存じですか?」

「なんと! リョウさんのお知り合いでしたか!」


 サダキチの顔がぱっと輝く。


「さすがリョウさんだ!」

「早速お知り合いを呼び寄せてくださった!」

「これで村も安泰だ!」


 村人達も次々に歓喜の声を上げる。


 リョウの知り合いだからと喜ばれるのは分かるが、『呼び寄せる』や『安泰』とはどういう意味なのか。明は訳が分からず、困惑した。


「あの、失礼ですが、もしやお名前はメイ様とおっしゃるのではないですか? 何十年か前にお見えになったのでは……」


 サダキチが恐る恐る言う。


「はい。一度だけですが、お邪魔しました」

「おお! やはりメイ様でしたか! その七色に輝く美しい羽根、よく覚えております!」


 これは相当鍛えられたAIだなと明は感心した。


 サダキチは、風妖精族カエリムを褒める際はまず羽根という、NPCでは妖精族か交易商人しか持ち合わせていない知識を口にした。風妖精族では、美醜は顔の造作ではなく羽根によって決まる。形状、枚数、色彩など、評価ポイントは様々だ。ちなみに明の羽根は、トンボの翅のような形状だ。完全なシンメトリーの2対4枚で、長さは45cm。翅脈は銀色。膜部分は透明だが、光を受けるとうっすら虹色に輝く。キャラクター作成時にかなり気合を入れてカスタマイズしたおかげで、NPCの風妖精族が見惚れるほどの美しさを誇っている。


 それに、ゲーム内時間で約20年前に一度だけ訪れた『メイ』について記憶しているのも凄い。NPCは生身の人間ではなくデジタルデータの塊なのだから、本来は記憶の劣化など起こらない。しかし、プレイヤーによって常に記憶を強化されているNPC以外は、データ量削減のためかリアリティの追及のためか、古い記録から順次削除されるものなのだ。


 風妖精族カエリムに関する知識の提供も、記憶の強化も、リョウによって成されているに違いない。カルミナオンラインのNPCには、ゲームにしては高度過ぎるAIが組み込まれているため、プレイヤーとの関わりによっては個性に似たものが生じる。


「あの、リョウちゃんは今どこに」

「失礼いたしました。リョウさんでしたら、御屋敷にいらっしゃるはずです。ご案内いたしましょう」


 御屋敷。グレード9のプライベートホームならば、確かに家というよりは御屋敷レベルかもしれない。しかしあの小市民魂全開の涼に、御屋敷という仰々しい言葉は激しく似合わない。


「いえ、結構です。リョウちゃんの家はどちらの方角ですか?」

「御屋敷は、この道をまっすぐ行った森の側にあります。途中で小川がありますが、橋がかかっておりますので、そのままお進みください。橋から先が御屋敷の敷地です」

「ありがとうございます!」


 ようやくサツカ村を見つけた喜びよりも、涼は一体この村で何をやっているんだと呆れながら、明は全速力で駆けだした。







 確かにこれは『御屋敷』だ。


 明はあんぐりと口を開けて、涼のプライベートホームを見上げた。


 見た目は巨大なログハウス群。オリジア皇国の建築様式と異なるのは、建てたのがプレイヤーの涼だからだろう。


 2階建ての母屋はちょっとした小学校の校舎ほどもあり、数件ある離れも一戸建て住宅程度の大きさがある。体育館のような建物は厩舎だろうか。橋から屋敷までの道のりにも、呆気にとられるほどの規模の畑や水田、牧草地が広がっていた。総敷地面積がどれほどになるのか、見当もつかない。


 明はプライベートホームに興味がなかったのでグレードについては詳しくないが、グレード9に到達するには、高度錬金術工房や鍛冶工房、醸造施設等の各種生産スキル用の施設が必須だったはずだ。なるほど、これだけの規模になっても不思議はない。都市部にあるプライベートホームのグレードが低い理由にも納得がいった。土地が馬鹿高い都市では、高層化や地下利用を行っても総敷地面積が足りないのだろう。この『御屋敷』に住む涼が、プライベートホームを離れたくない気持ちが少しだけ分かった。


「すみませーん!」


 母屋のノッカーで扉を叩く。涼の家だと分かっているのに、なぜか他人行儀になってしまう。


 何気なしにドアを引くと、それはいとも簡単に開いた。


 明はぎょっと目を丸くする。


 通常、プライベートホームの敷地内にはオーナーが許可したプレイヤーとNPCしか入れない。ファームだけ進入許可設定にしているのかと思いきや、建物内まで出入り自由にしているようだ。プライベートホーム内ではまだ加害禁止コードが働いているので身の危険はないだろうが、不用心にもほどがある。これが噂に聞く、『田舎では家に鍵をかけない』という古き良き日本の現象だろうか。


 恐る恐る玄関に入った明は、またしてもぽかんと口を開ける羽目になった。


 玄関、と言うよりエントランス部分は吹き抜け構造になっており、奥には無駄に横幅が広い階段、扉を開けてすぐの6畳ほどのスペースには赤レンガ様のタイルが敷き詰めてあった。


 右手の60畳はありそうな空間には、北欧風のシンプルなソファセットとテーブルがいくつか設えてある。奥の壁には木管楽器、弦楽器、打楽器など、国籍を問わない多種多様な楽器がずらりと並んでいた。公共施設の多目的ホールか何かのようだ。


 左手は玄関脇まで壁が迫っており、奥に繋がる廊下はクロスステッチの暖簾で目隠しされている。配置的に、調理スペースだろう。右手のスペースの巨大さから考えるに、ホテルのキッチンも真っ青な設備が整えられているのかもしれない。


 本当に涼は何をやっているんだと思いながら視線を下に向けると、レンガ床の上に、一足の草鞋が脱ぎ捨ててあった。


 レンガの床に純和風の草鞋というシュールさはさておき、草鞋のサイズが普通ではない。鼻緒が着いていなかったら、作りかけの藁細工かと勘違いするところだ。こんな巨大な草履を履くのは、涼しかいないだろう。


「……メイちゃん?」


 低い声に驚いて左手を見ると、暖簾の間から、NPCと同様の野良着姿の涼が顔を覗かせていた。


 涼の無事をようやく自分の目で確認できた明は、ほっと安堵の息を吐く。


 しかし涼はなぜか怯えた表情になり、暖簾の後ろに隠れた。


「なんで隠れるの?」

「……怒ってる?」


 涼は大柄な体を縮めてぷるぷると震えながら、上目使いで明の様子をうかがっている。心なしか、獅子のたてがみのような金髪もへたって見える。


「何で怒るの?」

「怒ってない?」

「いや、だから何で?」


 訳の分からない態度に若干の鬱陶しさを感じたが、根気よく涼が話すのを待つ。この程度で苛立っていては、涼の保護者は務まらない。


「……だって、戻るの、遅れたから」


 なるほど、と明は思う。


 ベルナドットの、涼は明と別れた10時頃に戻ってくるかもしれないという読みは当たっていた訳だ。しかし、明は今日中に戻る予定かもしれないと考えていたし、多少遅れたとしても怒り狂うほど狭量ではない。


「遅れてないでしょう。わたしは3日後に戻ってねって言ったんだから、今日中で良かったんだよ。単に、もしリョウちゃんがワンダラーにやられてて、イズモの英雄殿で困ってたらやだなって心配になったから迎えに来ただけ。クラープラのみんなも、リョウちゃんを迎えに行けって言ってくれたんだよ」

「え? クラープラのみなさんが? 会えたの?」

「うん。合流できたのはリーダーと、シーダさん、サラさん、フェリーチャさん、ユンカースだけだけど、みんな無事」

「そっかあ。良かった~」


 涼の顔が、ふにゃりと歪む。しかし、すぐに険しい表情になった。


「あれ? でもメイちゃんがここにいるってことは……」

「イズモまでクリスタルで来て、その後は『フライト』で飛んで来た」

「……ごめんなさい」


 また怯え状態に戻ってしまった。


 面倒臭いなと思いはするが、今朝まで殺伐としたサベレコリスにいたので、全く変わらない涼の性格に安心感を覚える。


「そんなことはどうでもいいから、とりあえず上がっていい?」

「うん。……あ、メイちゃん、お腹減ってる?」

「多少」

「うわ、大変! すぐ何か作るね。あ、メイちゃん、おトイレは階段の下と、ホール出て左にもあるから。お風呂も沸かすね。薪のお風呂だから沸くまで時間かかるの。ちょっと待っててね」

「……お風呂? サウナじゃなくて?」

「うん、お風呂。檜なんだよ~。サウナもあるけど、そっちの方が良い?」


 ブーツを脱ぐためにしゃがもうとしていた明は、その姿勢のまま驚きのあまり固まった。


「ちょっと待って、リョウちゃん。小川って結構遠いよね。お風呂のためにわざわざ汲みに行くの?」

「井戸水使うよ?」

「井戸!?」

「うん。最初は川まで汲みに行ってたけど、今は井戸水」


 川まで水汲み。そして自宅に井戸。


 カルミナオンラインは中世世界がモデルなので、現代的な水道設備はない。水を入手するには、買うか、川や湖で汲むか、共同井戸を利用するかの前時代的な方法に頼る。


 しかしよく考えてみれば、グレード9のプライベートホームなら井戸があっても、全くおかしくない。むしろグレードアップの条件に含まれているだろう。


「わたしとリョウちゃんで、違うゲームをやってる気がしてきた……」

「え? 井戸掘りのシナリオもあるんだよ。生産系の『命の源、我が手で満ちる』っていうやつ。鉱業スキルと石工スキルがレベル10になるとスタートクエが出るの。1個目は家井戸を1つ、2個目は家井戸3つ、3個目は家井戸5つ、4個目は街井戸1つ、5個目は村井戸3つ。最終的には城井戸を作るみたいだね」

「そういうシナリオや派生アビリティがあるのは知ってる。攻城戦の時、守備側に城井戸アビリティ持ちがいると、士気にすごいボーナスがつくらしいね。でも、プレイヤーの城井戸アビリティ持ちって聞いたことないよ。井戸作成って、めちゃめちゃ時間がかかるんでしょ?」

「私が最初にこの家の井戸を一人で掘ったときは、80時間くらいかかっちゃったかなあ。スキルレベルも器用度も低かったから」

「……『最初』ってことは、他にも掘ったの?」

「うん。母屋に2つ、厩舎に1つ、離れに3つ、イネさんたちの家に1つ掘ったよ。イネさんたちが母屋の井戸からお水運ぶの大変そうだったから」


 明は本格的な頭痛を覚えた。


 合計で井戸7つ。単純計算で560時間。約23日だ。


 掘り進めるうちにスキルレベルが上がっているだろうから、実際はもう少々短縮できたのかもしれない。ファーム内なら従業員NPCの手も借りられるので、ログインしていない時間でも工数を稼げるだろう。しかし馬鹿にならないほどの手当が必要だっただろうし、普通は直接的なペイバックがない作業に費やす時間数ではない。しかも、理由が『従業員NPCが大変そうだから』。明の想像を超えている。


「家の井戸は簡単だから作りやすいよ。あのね、その、明日、村に井戸を掘る予定なんだけど……すぐサベレコリスに帰らなきゃダメかな?」

「二、三日はリョウちゃんとこに泊めてもらおうと思ってたから問題ないよ。でも村のってことは村井戸でしょ? 何日かかるの?」

「みんなが総出で手伝ってくれるって言うから、うまくいけば1日でできるよ。無料で手伝ってくれるんだよ! すごいよね!」

「それ手伝うっていうか、NPCも井戸が必要だからでしょう……」


 明はがっくりとうなだれた。


 涼お得意の善意の解釈だ。いや、相手はNPCなので、言葉通りの意味の可能性もある。


「前にね、広場と牧草地と礼拝所に掘った井戸があるんだけど、ちょっと水量が足りないの」


 すでに村井戸を3つも掘っているのか。


 明は心の中で突っ込んだ。


「だからね、飲み水以外は川まで汲みに来てる人も多いんだよ。みんなが住んでるところから川まではちょっと遠いし、水って重いからすごく大変そうなんだもん」

「だからって、何もそこまでしなくても……」

「なんで? きれいな水がたくさんあれば、みんな安心して暮らせるでしょ?」


 涼が、不思議そうな表情で明を見る。


「設備が充実すればみんな楽ができるし、その分働けるし、病気も減るし、いい事ばっかりだよ。働く時間が増えたら収穫も増えて、商人がたくさん来るじゃない? 村の現金収入が増えるんだよ。そしたら賦役の金納も楽になるし、色んな農機具だって買えるし。明るい農村計画! 最高でしょ!」


 そして、どうだ、と言いたげに胸を張った。


「明るい農村……」


 なんとも長閑な響きの計画だ。


 同じ名前の芋焼酎もあるな、と半ば現実逃避気味に思う。スーパーで販売しているようなメジャーな焼酎ではないので、下戸の涼は知らないだろう。芳醇な芋の香り、口当たりはあっさりでやや辛口、喉越しはすっきり素朴、お値段がリーズナブルなこともあって、晩酌用に購入することもある。ちなみに同じ会社から『農家の嫁』という芋焼酎も販売されている。こちらも美味で、明の好みだ。


 両方とも、こういった自然に囲まれた農村で夕食時にわいわい言いながらやるための酒かもしれない、とふと思った。


「そうだ! 村をもっと豊かにして、他のプレイヤーにも広めるのはどうかな? プライベートホームやギルドホームは村で作るからってことで誘致して、畑や厩舎もギルドの人がいない間は村の人に協力してもらって管理して、その代りワンダラーが湧いたら守ってもらったり……。溜め池や温泉とかの癒しのスポットも作ったらいいかも! 観光名所にもなるし、ホームにいる時はゆっくりして欲しいよね。あとさ……」


 涼は明るい農村計画について、一心不乱に語り続ける。


 いいアイデアではあるが、欠点が多すぎる。


 まず、サツカ村には英雄殿がない。


 サツカ村から他所への移動はクリスタルを使用すれば問題ないが、戻りが大変すぎる。イズモからサツカ村までは約30キロメートル。徒歩なら大人の足でも8時間ほどかかる。間に休憩を挟めば、丸一日を移動に費やすだろう。


 ギルドホームやプライベートホームを建設するのも、涼の負担が大き過ぎる。


 グレード1の掘っ立て小屋に毛が生えたような代物ならばともかく、涼はNPCが大変そうだからという理由で井戸まで掘ってしまう性格である。トイレもキッチンもないグレード1のホームで済ませるはずがない。プレイヤーが不便を訴えたら、無理を押して働きかねない。


 それに涼は、今のプレイヤー達の状況を知らない。


 例えばサベレコリスで飢えに苦しみ、NPCに暴行まで加える精神状態のプレイヤーが、平和で食料豊富なサツカ村にやって来たらどうなるか。村人に感謝し、気持ちを入れ替えて真面目に農作業をしようとするだろうか。いや、おそらく上げ膳据え膳を求めるただ飯食らいか、あるいは暴力に訴えるならず者が増えるだけだろう。そういったプレイヤーが運悪く高レベルだった場合、涼でも実力行使で排除されてしまう。


 信頼できるギルドを探して移住計画を話したとしても、情報はどこからか漏れるものだ。下手を打つと『CFA』か『円卓騎士団』に存在を知られて、強制的に穀倉庫として囲われてしまうかもしれない。両組織は、プレイヤーの救済を掲げている。大義名分のある輩は厄介だ。世の中には、『人が最も残酷になれるのは、自分が正義だと確信している時だ』という言葉もある。彼らは正義の御旗を掲げて、罪悪感も遠慮も躊躇もなく、涼の功績を横取りしようとするだろう。その中には正義の衣に身を隠した悪魔もいるに違いない。


 涼の計画は、性善説に基づいている。


 基本的に人を疑うことを知らない涼は、人の心の裏側まで思考が及ばないのだろう。


 ――まあ、その分は俺が埋めればいいか。


 明は小さくため息をつく。


 そして、頭を抱えた。


 涼の尻拭いは子供の頃からの習いとはいえ、こうも簡単かつ自然にフォローの意志を固める自分に呆れたのだ。


 しかし、今の涼はなかなか良い状態だ。いずれ確実に終わってしまう世界だとしても、涼が自分に出来ることは全力でやったと胸を張れるように、『兄貴分』としてはせいぜい応援してやらねばなるまい。


「……あの、メイちゃん。私、変なこと言った?」

「ううん。リョウちゃん、わたし、お腹減った」

「あ、そうだった! ごめんね! すぐ作るから!」


 明はくつくつと笑いながら、台所へ駆けこんでゆく『妹分』の大きな背中を眺めた。







 明は赤ワインを杯の半ばまで一気に仰ぐと、満足そうに一息ついた。


 山葡萄で作ったと言われた時はライトボディのフルーティで軽やかな味かと思ったが、いざ口に含んでみるとコクがあるミディアムボディだった。山葡萄の野趣溢れる香りも良い。ボローニャソースのスパゲティにも合っている。


「あー、美味しかったあー……」


 久しぶりに美味いもので腹を一杯にした明は、ソファにごろんと寝転がって、しばし幸せに酔う。


 そう、ボローニャソース。なんと、明の母が作るものと同じ味がした。みじん切りのセロリが大量に入っているのも明好みだ。調理スキルで作る『ミートソーススパゲティ』は市販のレトルトソースのようなべったりとしたくどい味がして苦手なのだが、涼が作ったものはさっぱりとしていて、かつコクがある。調理スキルレベルが上がると味の微調整が可能らしいので、涼がうまく補正しているのかもしれない。バジルとレタスのサラダも美味かった。


 昨日までの貧相な食生活が嘘のようだ。


 明は、かっと目を開けると、勢い良く上体を起こした。


「リョウちゃん!」

「はい? そろそろデザートも出そうか?」

「……デザートあるの? 何?」

「オレンジソースのクレープだよ~。メイちゃん好きでしょ?」

「好き! ……ってだからデザートじゃなくて!」

「え? 先にコーヒーにするの?」

「いや、だからコーヒーも関係なくて……」


 明はがっくりと肩を落とした。


 自分でも嫌になるが、食に関してだけは涼ののほほんとしたペースに巻き込まれてしまう。涼の料理は幼い頃から明の母に叩き込まれたベースの上に、独自に研究を重ねたテクニックが乗っかっている。そして味は明の舌に照準を合わせているのだから、はっきり言ってその辺の店では物足りなくなる。頭と舌鋒では逆らえても、舌と胃袋は無条件降伏状態だ。


「リョウちゃん、ここにはワンダラーが湧かなかったの?」


 びしり、と音を立てそうな勢いで涼の表情が強張った。


「湧いたんだね?」


 涼の表情が真実を物語っているが、言葉を促すために、あえて明は確認した。


「……私が村に戻った時は、もうカルムイーターの襲撃の後で、5人、殺されてた」

「お風呂とかご飯の前に、まずそういう大切なことを言ってってば」

「でも、村のことだし、メイちゃんに迷惑かけるのもどうかな、と思って……」

「迷惑なわけないじゃん。だいたい、話を聞かなきゃ迷惑かどうか判断もできないよ」

「ごめんなさい……」


 ふう、と明はため息をつく。

 

「それにしても、よりによってカルムイーターかあ。よく死者5人で済んだね」

「死んだ人達が」


 言って、涼は顔を伏せた。


 睫毛は微かに震え、口元がわなないている。見ているこちらが辛くなるような痛々しい表情だ。悲しみの奔流と戦っているのだろう。


「……死んだ人達が、礼拝所に逃げろって、みんなを誘導してくれたんだって。加害禁止コードが生きてることは知らないと思うけど、あそこが一番防御が硬いから。マタジロウさんたちが、命がけで誘導してくれなかったら、もっと殺されてたと思う」

「そっか」

「……うん」


 明は居住まいを正すと、あえて厳しい笑顔を作った。


「リョウちゃんがいたとしても、5匹くらい倒したところで囲まれて終わりだったと思う。それよりも、もし討伐継続状態になってるんだったら、また来るよ」

「うん。村長さんにも説明した。領主さんに被害状況の伝令も出してる。でも、再襲撃までに間に合わないかもしれないから、村の名前でイズモのキーウェスに討伐を頼むことにしたんだよ」

「イズモに依頼……」

「どうしたの?」

「わたしはサベレコリスからイズモへ、クリスタルで移動したって言ったよね? クリスタルで」


 明は、『クリスタルで』と強調し、そして涼の目を見つめた。


 涼はわなわなと震える唇を隠すために、手で口元を覆う。


「わたしが見た限りだけど、イズモにはプレイヤーが一人もいなかった。もともとイズモはクエスト以外じゃまず行かないところだよ。仮にプレイヤーがいたとしても、イズモ近辺のMob状況を考えると、レベル帯は20から30。アップデートでサベレコリスに行ってるなら、クリスタルを持ってたとしても戻って来れない」


 レベル20から30では、まだ初心者に毛が生えた程度だ。運良くクリスタルを持っていたとしても、クリスタルの使用解禁条件であるカルムイーター討伐クエスト『薄暗がりの金の目』をクリアしていないだろう。カルムイーターのレベルは40、クエストの討伐成功レベルとなると50近くなる。


「イズモに討伐申請したなら近隣都市にも依頼が浸透するだろうけど、でも、この村への移動手段はどうするの? 仮にクリスタルでイズモまで来たとしても、全体マップが使えないんだからこの村のマーキング情報が分からない。イズモに来たことがないプレイヤーなら、ハギかメークムから移動しなきゃいけない。そんな手間隙かけて、しかも七面倒臭いカルムイーターの討伐にわざわざ来るかな?」


 NPCが討伐依頼を行うと、時間と共に周辺の都市に依頼内容が伝播する。イズモへの依頼も、リアル時間で1か月も経てばサベレコリスに届くだろう。


 しかし、サベレコリスが属するリベルタ共和国は、大陸中央部のアルム海にある。極東のオリジア皇国まで船ならば、航路や寄港地にもよるが、リアル時間で約2日、ゲーム内時間なら約3週間は必要だ。リアル時間とゲーム内時間が比例している徒歩移動と違って、船での移動には若干の補正がかかっているとはいえ、近いと言える距離ではない。


「それに、ペインアブソーバのレベルが変わってる。今までの戦闘の常識が通用しなくなってると思った方がいいよ。単純にレベルが高いから強いってわけじゃない。アシッドアイの時だって、レベル60以上のタンクがちょっと酸で火傷した程度で戦線復帰しなかったり、逆にレベル低い人がダメージもらったのに戦ってたりしたのをリョウちゃんも見たでしょ? レベルじゃなくて、プレイヤーの精神的な強さの方が重要なんだよ」


 明は、怯え戸惑う涼の目を真っ直ぐに見つめた。


 涼の考えを潰すようなことばかり言っているが、しかし今遠慮しては、後に涼がもっと辛くなるだけだ。


「リョウちゃん、今は二手三手……ううん、もっとかな。先とか裏とか、人の汚い部分や弱い部分まで考えないと、正しいだろうと思える判断ができないんだよ。リョウちゃんはそういうの嫌いだと思うけど、でも、村を助けたいなら、今までよりもっともっと沢山のことを考えなきゃいけない」


 涼は、涙ぐみながらこくこくと頷いた。


 他にも言いたいことは山ほどあるが、これ以上追いつめると涼が号泣してしまいそうだ。泣き伏してしまうと宥めるのに時間がかかるし、マッシブな外見でぼろぼろと泣かれるのは見ていて気持ち良いものではない。それに、妙な罪悪感に駆られるので、後味がよろしくない。


「……カルムイーターについてはね、うちのギルドに声かけてみるよ」


 頃合いを見計らって、助け船を出す。


「でも……だってメイちゃんさっき言ったよ? 移動が大変だって」

「よし。ちゃんと考えたね。移動については大丈夫。クリスタルはわたしが作る。リョウちゃんちに泊めてもらおうと思ったのは、錬金術工房を貸して欲しいからだよ。あと、リーダーはガチのタンクだし、レベルも十分。他のメンバーは装甲薄いけど、わたしがヘイトコントロールをミスらなきゃ何とかなるよ」

「それじゃあメイちゃんがすごく大変だよ。ベルナドットさんたちが痛いのも嫌だ……」


 涼の表情はどんどん暗くなっていく。


「あのねえリョウちゃん。さっきも言ったけど、わたし相手に迷惑とか考えなくていいから。リーダー達だって同じだよ。リョウちゃんはわたしが困った時に助けるの、迷惑なの?」

「そんなことあるはずないよ!」


 涼は、テーブルに大きな両手を叩きつけながら立ち上がった。


 ビリビリと痺れるような振動が広がり、皿と杯が弾む。


「わたしがリョウちゃんを助けるのは、それと同じこと。だから今はわたしに任せて、素直に期待してなさい」


 明は身を乗り出すと、涼の額を軽く叩いた。


「あと、これ」


 涼の自家製赤ワインが入った杯を軽く持ち上げた


「かなり美味しい。みんなどうしようもない酒好きだから、これが飲めるなら喜んで来ると思うよ」


 明はにやりと笑うと、杯の中身を一気に飲み干した。




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