1-09
翌日、涼は巨大なバスケットを両手に4つ持って、意気揚々と井戸掘りへ出かけた。その隣には、寝不足であくびを連発する明の姿もある。
明は昨夜、ほとんど徹夜でトランスファークリスタルの作成を行った。明と涼がサベレコリスへ飛び、ギルドメンバーをサツカ村へ案内するには、2つのトランスファークリスタルが必須だからだ。
クリスタルの作成には40レベル以上の錬金術スキルと、高度錬金術工房が必要になる。高度錬金術工房と言えば、通常はサベレコリスのような大都市にしかない上に、レンタル料金が馬鹿高い。しかし涼のプライベートホームには、グレードの関係で立派な工房がある。涼自身は知力と魔力の兼ね合いで錬金術スキルを上げていないので、完全な宝の持ち腐れだった。
クリスタル作成には工房と素材確保の難しさに加えて、時間と手間の問題もあった。作成時間はリアル時間で18時間。序盤の3時間はほんの少し目を放しただけで、アタノールの温度が許容点を超えて失敗してしまう。3時間もただひたすら温度計を見つめ、微調整を繰り返し、神経を擦り減らし続けるのは苦行に近い。
今回のような事情でもなければ、絶対にクリスタルのハンドメイドはしたくない。明だけではなくそう考えるプレイヤーは多い。そこで、通常は錬金術工房で大枚を切って購入するか、Mobのドロップ品を狙う。『CFA』や『円卓』のクリスタル製造班が哀れでならない。いくら使命感があっても、この作業を繰り返していたら心が折れてしまうのではないか。
「メイちゃん、大丈夫? おんぶしようか?」
「平気平気」
言いながらも、明は顎が外れそうなほどの大あくびをする。
クリスタルの作成は順調。後は炉の温度低下と結晶化を待つだけだ。この部分は人の手が必要ないので、寝ていても構わない。しかし、朝から涼が嬉しそうに大量の弁当を作っているので、何となく出来なかった。
それに、寝不足になるまで急いだのは、明個人の事情によるものだ。
カルムイーターの再襲撃には、まだまだ時間がある。よって、準備時間は十二分にあるが、早めに作成を終わらせたかった。明の錬金術スキルは42しかないので、クリスタル作成の成功率は5割そこそこしかない。今現在結晶化を待っているクリスタルも、いざ取り出したら『ゴミ』という身も蓋もない物体になっている恐れがある。
何よりも、涼の作業を手伝いたかった。明はどちらかと言えば『楽をするために頭を使って効率化を図る』というタイプの性格で、それほど生真面目ではないが、一切の労働を行わずに衣食住を提供されると非常に尻の座りが悪い。それに、妹分の世話になりっぱなしなのは兄貴分として業腹である。
「みなさ~ん、おはようございま~す!」
「おはようございます!」
井戸建設予定地には、40人近くの村人が集まっていた。
地面には角材、もっこ、ころ、カゴ等、様々な道具が並んでいる。
「紹介します。私の友達で、キーウェスのメイちゃんです」
「メイです。本日は井戸掘りのお手伝いをさせていただくことになりました。よろしくお願いします」
明がぺこりと頭を下げると、村人達も戸惑いながらお辞儀を返す。
若者達は、初めて見る風妖精に好奇心を隠せないようだ。NPCの妖精族は絶対数が少なく、居住地から出ることもほぼない。オリジア皇国ではクマノ、フジ、アマミ等の、人族ヒューマNPCが聖域と考えている自然深い場所に居住地がある。田舎の農民が妖精族を目撃することなど、まずないだろう。
「そうだ。ねえメイちゃん、この下がどうなってるかってデータ取れる?」
「取れるよ。『サーチ・テラン』」
明の視界にワイヤーフレームが展開される。
『サーチ』は探索の魔法、『テラン』は地形データを参照する魔法だ。『サーチ』単体では何の効果もないが、参照対象を組み合わせることによって、実に様々な情報を取得できる。『テラン』の他は『エネミー』が代表的だ。
明はそれほど付与魔法レベルが高くないので、『サーチ・テラン』の参照範囲は半径50メートル程度。それにおおまかな標高データくらいしか取得できない。とはいえ、狭い範囲に集中すれば精度が上がる。カメラのズームを絞るようにして、参照範囲を狭める。
明は井戸建設予定地の地形データを固定すると、内容を表示したゲームウィンドウを可視化した。
涼が後ろからひょいと覗き込む。
「やったあ! 6メートル下に砂礫層がある! たぶん帯水層だよ! あ、でも5メートル付近で岩盤に突き当たるのかな?」
「場所ずらしても岩盤が続いてるね。岩盤を避けると、かなり深く掘らなきゃいけなくなるのかな?」
「岩盤は『崩拳』で割るから、ここで大丈夫~」
「力技なんだ……」
ウィンドウを前にやりとりする涼と明を、村人達はぽかんと口を開けながら眺めている。
涼は魔法スキルを取得していないので、村人達が魔法を見るのが初めてなのだろう。魔法はカルミナオンラインにおいて『神代の御業』だ。キーウェスであるプレイヤーしか使用できない。酒を探して僻地に分け入った時、現地の住民も彼らと似た反応を示していた。
「みなさん、メイちゃんの魔法のおかげで、この場所の三間とちょっとくらい下には水があることが分かりました。うまくいけば一日で掘れそうですから、頑張りましょう!」
涼が右手の拳を突き上げた。
三間、と言われて、明が言葉の理解するまでに少し時間がかかった。
カルミナオンラインでは、オリジア皇国の尺貫法を初めとした地域色溢れるマイナー単位が使用されている。商人は国際単位系のメートル法で示すが、それ以外のNPCはマイナー単位だ。カルミナオンラインのヘルプには尺貫法やヤード・ポンド法の詳細も計算機もあるが、口頭で言われると直感的に理解できない。
「メイちゃん、『ストレングス』お願いしていい?」
「そっか。掘削ってSTR依存だよね。効果時間も伸ばした方がいい?」
「うん。ありがと~」
言いながら、涼はアイテムポーチからシャベルを取り出した。
シャベルの剣先が、太陽の光をぎらりと跳ね返す。波状の刃紋が妙に艶めかしく、風格すら感じられるそれは、玉鋼製の武器に似ていた。
明が、いやまさかシャベルに玉鋼はないだろうと苦笑した次の瞬間、涼は無造作に地面にシャベルを突き立てた。シャベル――剣スコップは、まるでバターにナイフを入れるような滑らかさで大地に突き刺さる。
玉鋼は、カルミナオンラインに百種類近く存在するインゴットの一つで、イズモ地方の山奥にあるニタ村でしか入手できない。玉鋼製の武器を装備できるのはサムライやニンジャ等、『和物ジョブ』だけなので、鍛冶や錬金術スキルを上げていないプレイヤーは、玉鋼の存在自体を知らないことも多い。
玉鋼を入手するには、ニタ村のタタラ場での購入権を得る専用シナリオをクリアし、さらに製造時にはいちいち砂鉄を集めてこなければならない。村長やタタラ踏みの男衆への付け届けも重要だ。入手難易度はそれほど高くないが、面倒臭さレベルでは上位にランキングされる。
玉鋼製の武器は、切れ味に特化していることでも有名だ。
地面に対して切れ味を発揮すると、目の前で繰り広げられている光景に繋がるのかもしれない。
鉱業スキルの『掘削』は、アビリティの熟練度と工作具の性能、プレイヤーの筋力に依存する。涼は井戸を掘っているくらいなのだから、鉱業スキルレベルはかなりのものだろう。そして涼はカルミナオンラインにおけるキングオブパワー、ヴァンダだ。だからと言って、特に力を入れた様子もないのにさくさくと地面を掘る様は相当現実離れしていた。カルミナオンラインおける涼のプレイスタイルがおかしいことは理解していたつもりだったが、シャベルに玉鋼は完全に意表を突かれた。
呆然とする明をよそに、涼と村人達は実に手際よく作業を進めた。
涼はひたすら玉鋼シャベルを振るい、村人達は逆バケツリレーの要領で土を運ぶ。40人もいたらむしろ邪魔になるのではないかと思っていたが、邪魔になるどころか非常にスムーズに作業が進む。非力な風妖精族カエリムである明に力作業は向いていないので、ひたすら涼に『フィジカルエンハンスト・ストレングス』をかけ続けると言う妙な具合になった。
「みなさ~ん! 大きな石が多くなってきました! 重いので、気を付けて運んでくださ~い!」
すでに身長と同じ深さまで掘り進んだ涼が、直径50cmはありそうな石を掲げた。二人の若者が受け取り、がに股でよたよたと運ぶ。現実では腰痛持ちの明は、見ているだけで腰の辺りが気持ち悪くなった。
「シンパチがいたらなあ……」
明の隣にいた村人が、ぽつりと言う。
「その方は、今日は他で作業されてるんですか?」
「いえ……。シンパチは、この間の狼に殺されてしまいました」
明はしまった、と息を飲んだ。
しかし村人達は、朗らかな笑顔を崩すこともない。
「シンパチは村一番の大男で力自慢でしてな、あの程度の岩なら一人で運んでしまいました。よくリョウさんとも張り合っとりましたなあ」
「勝てた試しがなかったんですがね。シンパチもそれを分かっていて、腕相撲を挑んでは負けて、滑稽に転げて、みんなを楽しませてくれました。本当に、気のいい男でした」
二人は目を合わせて、微笑みながら頷く。
「そうだったんですか……。辛いことを聞いてしまってすみません」
「いえいえ、シンパチの話を出したのは儂です。それに、シンパチはみなを守ろうとして逝きました。紛うことなき善行です。今頃は石段を登って、またこの村に生まれ変わる日を待っておることでしょう。どうか褒めてやってください。キーウェスであられるメイ様にお褒めいただければ、シンパチも報われます」
これまで明は、あまりカルミナオンラインにおける楽園信仰を意識したことがなかった。
メインキャラクターではどちらかと言えばMobとの戦闘に明け暮れる攻略組だったし、『バー・クラープラ』は酒を探して転々とするので、NPCと深く付き合うことがなかったからだ。NPCの人間関係に絡むクエストをクリアしたこともあるが、どこか他人事だった。
ただこうして、懐かしむように、愛おしむように死者の話をされると、胸が痛くなる。彼らは涼によって様々な学習を経たAIであるためか、仕草も会話もあまりに人間臭い。NPCだからと割り切って考えることが難しくなる。楽園信仰はただの設定としか捉えていなかったが、NPCにとっては宗教であり、慰めなのだと強く思う。
「みなさ~ん。大きな石の数が思ってたより多いです。もっこやころを使って移動させて下さい。腰を痛めますよ~!」
なんとなくじっとしていられなかった明は、井戸の淵から顔をのぞかせる。
約3メートル下では、泥まみれの涼が崩落防止兼梯子の板を組んでいた。
「リョウちゃん、石ってどこに移動させるの?」
「大きいのは私の家。手のひらよりちょっと大きいくらいのは井戸の石積みに使う~」
「了解。家に運べばいいんだね」
この場所から涼の家まで運ぶとなると、もっこやころを使っても村人達はさぞ大変だろう。現代と違ってトラックでの運搬が出来ないのだから、全て人力だ。石の運搬に人出を割いてしまっては、土の運び出し作業も滞ってしまう。
明は顎に手をやってしばし考えた後、ぽんと手を打った。
「みなさん、大きな石はわたしが運びます。ちょっと離れていてくださいね」
村人たちは驚きながらも手を止めると、石の山から距離を取る。
明はすう、と息を吸い込み、精神を集中する。
「……『クリエイト・ストーンゴーレム・スモール』」
石が浮かび上がり、あっという間に2メートルほどの人型を取る。
付与魔法の『クリエイト』。『サーチ』と同じく黒魔法や精霊魔法等との組み合わせによって様々な物を創造できる。
『ストーンゴーレム』はゴーレム作成の中でも初歩的な魔法だ。他にはマッドゴーレムやウッドゴーレム、カッパーゴーレムも作れる。さらにレベルが上がればミスリルやアダマンタイトのゴーレムも作成可能になる。フレッシュゴーレムという生肉素材にしたゴーレムもあるが、こちらはかなり見た目がグロテスクなので使いたくない。
「ゴーレム、指示座標まで歩き、待機」
ストーンゴーレムは、ま、と答えると、地響きを立てながら歩き出す。なぜかゴーレム類は『ま行』の音しか発しない。
ゴーレムは自力歩行可能な上に、効果時間が切れると素材の状態に戻る。創造者である明の指示にしか従わないので、御屋敷の庭先で待機させておけば自動的に石の山が出来上がるはずだ。
「地震かと思ったら、ゴーレムだったんだ~。そっかあ、ゴーレムにすればみんなが運ばなくてもいいんだね」
井戸の淵から明がひょっこり顔を出した。
「そういうこと。……あ、泥が出たらマッドゴーレムにすればいいんだ」
「でも『クリエイト』って結構MP使うんでしょ? 人の手で運べるものは運んじゃって、しんどそうだったらゴーレムにした方がいいと思うな」
「じゃあそうする。疲労状態になるのはちょっと嫌だし」
「ありがとう、メイちゃん。もうちょっと掘ったら休憩にするからね」
涼はひらひらと手を振ると、穴の底へ戻る。
まさか『クリエイト』を土木作業に使用する事になるとは思わなかった。しかし、我ながらいいアイデアだ。他にも使いようによっては生活に役立つ魔法もある。
付与魔法は、涼にかけている『フィジカルエンハンスト・ストレングス』のように特定ステータスを一時的に上昇させたり、Mobに掛けられた防御力ダウン効果等を打ち消す支援魔法が主だ。パーティではバッファーを務める。黒魔法や白魔法に比べると地味な魔法だが、実際の所、応用範囲はかなり広いのではないだろうか。
明は縁の下の力持ちをするのが好きな方だし、バッファーは効果を切らさないために頭を使う。恙なく勤めている自分に、ささやかなプライドもあった。ただ、自分の魔法が目に見える形で役立っていると、妙に嬉しくなってしまう。
「じゃあ、もう1つ行ってみようかな。『クリエイト・ストーンゴーレム・スモール』」
むー、と声を出しながらストーンゴーレムが立ち上がる。
作業の手を止めて唖然とする村人達をよそに、明はにこにこしながらゴーレムを見送った。
涼が携えたバスケットには、これでもかと言わんばかりの数の握り飯が詰め込まれていた。
具は梅干し、おかか、昆布、沢庵、鮭、シイタケの佃煮、焼きたらこ、アナゴ。海苔は巻かれていない。明から見ると純和風のオーソドックスなおにぎりなのだが、どうやら村人達にとっては違ったらしい。お握りといえば具なしの塩結びで、さらに白米ではなく麦飯か雑穀が混じったものなのだそうだ。村人達は狂喜乱舞しながら頬張り、付け合せの野沢菜、柴漬け、奈良漬も飛ぶように売れている。
「メイちゃん、ほんと助かったよ~」
言いながら、涼が麦茶を差し出す。この麦茶も涼が作成した代物だ。
「あんまり大したことしてないけどね。っていうか、岩盤を素手で割った時はマジでびっくりしたよ……」
岩盤に突き当たった涼は、宣言通りモンクのアビリティ『崩拳』で割った。『崩拳』は体内で練った気を拳に乗せて突き出す技で、モンクの主力大砲である。が、普通は地面に対して使うアビリティではない。ちなみに、砕いた岩盤はストーンゴーレムにして運んだ。
強固な岩盤の下には、『サーチ・テラン』で確かめた通り、帯水層が広がっていた。そこからは水と泥との戦いになったが、大変そうだったので黒魔法の『アイシクルランス』を打ち込み、水を氷に変化させて無理やり抑え込み、その隙に一気に井戸の石組みを仕上げた。
「私のは力技だもん。魔法ってすごいね。メイちゃんが魔法使ってくれなかったら、夕方までかかってたかも。私も魔法スキル取ってみようかなあ」
「でもリョウちゃんはヴァンダだからなあ。わたしみたいに使おうと思ったら、すんごくレベル上げなきゃいけないかも」
「そうなんだよね~……」
涼はため息をつきながら肩を落とした。
ヴァンダは完全な肉体派だ。キャラクターメイキング時の魔力・知力は絶望的な状態で、レベルアップによる上昇も微々たるもの。魔法に関してはお手上げである。レベルアップボーナスを魔力や知力に振ったところで、結局は何もできないヴァンダに成り下がってしまうだけだ。カルミナオンラインにおいて、種族特性というものは馬鹿に出来ない。
逆に言えば、風妖精族であるカエリムは魔力・知力が全種族中最高値であるものの、筋力と体力が全種族中最低値である。カエリムには『浮遊移動』という種族特性があるため、同じ妖精族でも土妖精族トゥレエや炎妖精族フリム、水妖精族アクエと違って、重量制限に繋がる筋力の最大値がなかなか上がらない。どれほど足掻こうと、前衛職は不可能だ。ヴァンダとカエリムは、ある意味で双極の存在なのである。
「まあ、新しい井戸を掘れたからいいかあ。水量も多そうだから、きれいな水をたくさん飲めるようになるね」
「そうだろうね」
掘ったばかりの井戸の水は、まだ濁っている。涼によると、飲み水として使用できるまでにゲーム内時間で丸三日はかかるのだそうだ。
ふと見ると、涼は左手でお握りを食べながら、右手でウィンドウを操作していた。可視化していないので明には内容が見えないが、どことなく涼の表情が暗い。
「駄目なのかな……」
涼は、微かな声で呟いた。
「魔法を覚えてみるのも悪くないと思うけど、でも」
「狼だ! 狼が出たー!」
平穏な空気を破るような絶叫が響いた。
先ほどまでお握りを手に幸せそうにしていた村人達が、恐怖で凍る。
東の方向から、一人の村人がこけつまろびつしながら駆けて来る。
「リョウさん! 村はずれで柵を直してたら、あいつらが!」
「カルムイーターですか!?」
「この間と同じ、金の目の狼です!」
涼と明は顔を見合わせた。
金の目の狼。間違いなくカルムイーターだ。
しかし今は昼過ぎだ。狼系Mobカルムイーターは薄明薄暮性。本来の活動時間ではない。それに、同箇所を襲撃する時は間隔を空ける習性があるのではなかったのか。
あり得ない。
そう、あり得ないはずだった。
しかし北方セプテントリオのボスMobアシッドイーターが、東方オリエーンスの町中に群れと化して現れるのも、またあり得ない現象だった。
それに、カルムイーターが再襲撃まで間隔を置くのは、標的を油断させるためだと考えるとどうだろうか。前回の襲撃から数日しか経過していない。しかも今は昼。ある意味で、人が最も油断している時間帯だ。
明は、ぎりっと奥歯を噛みしめる。涼に二手三手先まで読めと説教した癖に、自分も追記事件以前のカルムイーターの習性を完全に信用していた。
「みなさん! 至急、礼拝所に避難してください!」
涼がすっくと立ち上がる。
「足の速い男性は、畑作業をしている人たちに伝令! 礼拝所から遠い場合は、私の家の敷地に避難するように伝えてください! 保有地ではなく、敷地です! 敷地内ならカルムイーターは入って来れません!」
明は自責の念を振り切って、脳を回転させる。
『リョウ』と『メイ』の二人でカルムイーターと戦うのは無謀だ。
リョウのジョブはモンク。徒手空拳による格闘のスペシャリストで、近接専門のダメージディーラーだ。モンクの補助アビリティは、効果範囲が自分のみ。リョウはシナリオ『白竜山の長い黄昏』をクリアしているので、モンクの戦闘中限定回復系パッシブアビリティ『練気』が発動されるが、回復量は多くない。それに、回復の副作用でヘイトを集めてしまう。
メイのジョブはソーサラー。黒魔法のスペシャリストで、こちらは遠距離専門のダメージディーラーだ。将来的に複合ジョブのネクロマンサーを目指しているので付与魔術も使えるが、こちらはバッファーだ。魔法による回復手段を持っていない。
ヒーラーとタンクがいない。中衛もいない。
ましてや、今は明も涼も武装していない。涼は井戸掘り作業をしやすいようにと野良着を着ているし、明は木綿の上下だ。装甲は紙に等しい。アイテムポーチにも、最低限のアイテムしか入れていない。
勝率は10%を切る。
今は、安全圏に籠ってやり過ごすしかない。
「リョウさん、柵の側に、まだサダキチたちが……」
駆けて来た男性が、かたかたと歯の根を震わせながら言う。
「分かりました。私は取り残されている人達を助けます」
「やめなよ! いくらリョウちゃんでも殺されちまうよ!」
突然、中年女性が悲鳴のような声を上げた。
「男衆はもう駄目だよ! 一緒に逃げようよ、リョウちゃん!」
中年女性、シカという名前らしいが、彼女は涼の袖を掴んで礼拝所がある方向へ引きずろうとする。
シカに続くようにして、女性や子供たちは口々に逃げようと言い、涼の服を引く。彼女らの表情は真剣そのものだ。しかし彼女らの力では、束になったところでヴァンダである涼をその場から動かすことはできない。
「私は大丈夫。残されているみんなも助けます。シカさんたちは早く逃げて。ね?」
涼は優しく微笑みながら、彼女らを押し返した。
明は、衝撃を受けていた。
Mobと戦いに行くと宣言したプレイヤーをNPCが引き留めるのもまた、あり得ない現象だった。キーウェスは英雄候補であり、人々の平穏な生活を脅かすMobと戦うのが使命だからだ。通常は、非常に申し訳なさそうな表情をされるか、盛大な声援に送られる。こんな非常識な光景は、カルミナオンラインのベテランプレイヤーである明も初めて見た。
「メイちゃん、ごめんけど、私が盾になるからその間にサダキチさんたちを連れて逃げて欲しいの。避難が終了したら、私が戻るまで絶対に礼拝所から出ないでね」
「あのねえ、リョウちゃん。わたしもキーウェスだよ。盾になるなら、わたしも一緒」
「でも」
「でもは禁止。さっき、魔法はすごいって言ってなかったっけ?」
明はにやりと笑いながら、とんとんとブーツを鳴らす。
「とりあえずありったけバフるけど、遅滞戦闘がどれくらい長引くか分からないから効果が切れることがあるかもしれない。なるべく切らさないようにするつもりだけど、わたしもヘイトコントロールのためにダメージ稼がなきゃいけないからね」
でも、が封じられた涼は、困り果てたように眉毛を下げる。
「だからリョウちゃんは、常時『硬気功』で自バフ。カルムイーターとエンカウントしたら『練気』と攻撃でヘイト集めて、村人からタゲを逸らす。それと、わたしは回復魔法を使えないから、回復はリョウちゃんの『練気』とアイテムだけだよ。『練気』の回復が追いつかないようだったら、わたしがタゲ取ってアイテム使う時間を作るけど、突っ込みすぎるのは禁止ね。逃がすこと、逃げることが最優先。返事は?」
「……はい」
「よろしい」
本当は、真っ先に逃げ出したいほど怖い。
アシッドアイとの戦闘時も、明は被弾しなかった。涼が守ってくれたからだ。痛覚が現実に近いレベルでMobの攻撃を食らったらどうなるか、経験がない。現実でも、大怪我をしたことがない。ほんの少し酸に焼かれただけで戦線復帰しなかったプレイヤーのように、みっともない姿を晒してしまうかもしれない。
それでも妹分の前では、見栄を張る必要がある。ちっぽけなプライドのためでもあるし、自分が怯えれば涼も取り乱すだろう。
だからあえて、いつもの余裕たっぷりの『明』の表情を作った。
「よし。行こうか、リョウちゃん」
「うん、分かった。……分かった」
涼の声のトーンが一段下がった。
驚いて涼を見ると、その表情は険しく、目はぎらついている。
どこまでもお人好しで温厚でのほほんとしている涼に似合わない表情だ。しかし、どこか見覚えがあった。
ああ、これは、バレーボールの試合に挑む前の涼の顔だ。
明は、ごくりと生唾を飲んだ。




