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カルミナオンライン  作者: 森
第1章 ou + topos + ia
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1-05




 明は『バー・クラープラ』のギルドメンバーを探して、サベレコリスを彷徨っていた。


 時折、『メイ』のロールプレイに相応しくない野卑た舌打ちがその口から漏れる。


 時刻は午後6時。空には夕闇が迫っていた。涼と別れてから、8時間以上も歩き回っている計算になる。


 以前、半日近く密林の中を移動し、戦闘すらこなしたこともあったが、そんな過酷な状況下でさえ肉体的疲労を感じたことなどなかった。種族としては最も貧弱な部類に入る風妖精族カエリムとはいえ、プレイヤーは各種アブソーバに守られていたからだ。


 しかし今は違う。


 喉が渇く。腹が減る。体がだるい。眠い。


 これまで一切感じられることのなかった強烈な睡眠欲、食欲、倦怠感が明を襲った。カルミナオンラインは運営の追記にあったように、まさに『よりリアルになった』のだ。


 最初に強く顕在化したのは『食欲』だった。


 カルミナオンラインおいて『料理』は、一時的なステータスアップ用アイテムだ。特殊素材を使用したプレイヤーメイドの料理はともかく、NPCの店売り料理の上昇効果は微々たるもの。初心者レベル時代は店売り料理の恩恵に預かる事が多いものの、中レベル帯になると単なる娯楽でしかなくなる。


 食べなくても問題はないし、食べたところで現実の体の腹が膨れるわけでもない。それに料理は、水分を多く含むためか意外なほど重い。アイテムポーチの制限重量を圧迫するのだ。そのため、所持アイテムの優先度は最下位だった。粗雑に扱っていた、と言ってもいい。


 だが今は、耐え難い空腹感がある。飽食の国に生まれ、本当の意味での飢えを味わったことのない明は、たった一日の空腹にすら勝てなかった。


 アブソーバのレベル変化によって、これらの欲求が表面化したのだろうと頭は分かっている。しかし、寝不足の上に、アシッドアイとの戦闘と彷徨による疲労、喉の渇き、空腹、訳の分からない状況に放り出された苛立ち、ギルドメンバーが見つからない焦り。この合わせ技は明を激しく苛立たせ、冷静さを失わせた。


 町にも、昨日の賑わいが嘘のような陰気な雰囲気が漂っている。


 それもこれも、全て食料不足のせいだった。


 ほとんどの食堂や居酒屋は営業しておらず、開いている店を見つけて飛び込んでも、そこにあるのは酒と、チーズや干し肉やナッツ類などの保存食だけだ。肉類や炭水化物は品切れになっている。低レベル時代にお世話になった、ひどく不味い雑穀のオートミールさえない。


 食堂のNPCから得た情報によると、『昨日までは晩鐘が鳴り終わるまでに発注して料金を置いておいたら、朝には業者が届けてくれたのに、今朝は来なかった』とのことだった。発注や業者などのやけに現実的な言葉に隠されているが、それはおそらく店舗におけるシステム上の設定なのだろう。そして、必ず明日には届くという設定のせいなのか、彼らには市場での仕入れという概念がなかった。


 困り果てた彼らは、しかし揃って『待つ』という選択をした。


 何をのん気なことをやっている。材料がないなら買いに行けばいい。客商売を舐めているのか。


 明は憤慨したが、冷静に考えたら当然の話だ。


 たとえばシステムに不具合があったとする。明自身も、他の多くのプレイヤーも、『そのうち運営が解決するだろう』と待つ姿勢を取る。運営に不具合を報告をするのはごく一部のプレイヤーだけだ。


 そもそもNPCには、不具合発生時には待機というルーチンが組まれている可能性もある。システムの忠実な僕でしかないNPCを責めるのは筋違いだ。


 涼はちゃんとメシを食えているだろうか、と明はぼんやり考える。


 大都市とは食料の流通事情が違うし、巨大なファームを所有しているのだから素材の在庫も十分にあるだろう。調理スキルも高い。いざとなれば自給自足できるに違いない。


 しかし涼には、他人が困っていると自分の事を限界まで後回しにしてしまう悪癖がある。自分が飢えているにも関わらず、他人に施してしまう可能性を捨てきれない。


 涼のこの性格は、叔母である明の母に似ている。


 幼少期のほとんどを明の母と密着して過ごしたのだから当然かもしれないが、おっとりのんびりしていて、自分に厳しく他人に優しい。いや、優しいと言うより甘い。他者の悪意に果てしなく鈍感でもあるため、訪問販売や胡散臭い募金活動に騙されてしまうタイプである。


 それに涼は、性善説に基づくプラス思考の世界に生きている。


 現実での明の容貌は、『何か企んでそう』『血の色が青って感じ』などと酷評される代物だが、涼は『理知的』『繊細』と本気で言う。明が薬学部へ進学したとき、口の悪い友人達は『誰を毒殺するんだ?』と囃し立てたものだが、涼は『明ちゃんの賢さをみんなのために生かす最高の仕事だと思う』などと手放しで褒め称えた。実際は祖父が経営している薬局チェーンを継ぐためだったので、いたたまれなかったが。


 涼のそういった考え方や態度に呆れることも多いし、学習能力がないと苛立つこともあるし、一緒にいると全ての判断を任せられて鬱陶しいと感じることもある。しかし、全面的に信頼されてると分かっているので、邪険に出来ない。


 それに涼は、抑止力になっている。


 涼の世話をしなければと思うと、おちおちパニックにも陥っていられない。涼本人には口が裂けても言わないし、考えることすら屈辱だが、涼がいると冷静沈着で頼りがいのある『明ちゃん』を演じてしまう。もしもひとりでこの状況に放り出されていたら、あの怒鳴り散らした男性プレイヤーのようになっていたかもしれない。


 明は理性を取り戻すために、大きく深呼吸した。


 それにしても、チャット等の連絡ツールを使えない状況が、こんなにも不便なものだと思わなかった。


 検索すれば情報を得られる。リアルタイムで連絡が取れる。現代社会に生きる人間にとっては、まさに呼吸と同じような感覚だ。


 ネットどころか電話もない時代の生活については、資料で知っている。しかし大変だなと思うだけで、全くの他人事だった。


 まさか自分自身がこんな状況に陥るとは夢にも思わなかった。頼るのは目と耳、そして勘だけという原始的な状況である。一度味わった生活レベルを下げるのは難しいと言われるが、文化レベルで下がると何をしたら良いのか分からなくなる。


 明は冷静に、冷静にと何度も心の中で繰り返し、いささか反応が鈍くなっている脳を働かせる。


 勘で動くのが苦手なのだから、状況と捜索対象の傾向を組み立てて推測するしかない。


 これまでは、ウィアトール広場を中心として同心円状にパーチハウスを探してきた。


 アシッドアイのようなワンダラーMobがいつ出没するか分からないし、ヤケになったプレイヤーが加害行動に走るかもしれない。それらから守ってくれる加害禁止コードが働いていて、快適な住環境が保障されているのはパーチハウスだけだからだ。何より、ギルドマスターのベルナドットから届いたメールに『ウィアトール広場近くのパーチにいる』と記されていた。


 しかし、少なくとも『ウィアトール広場から近い』と表現するだろう徒歩10分圏内のパーチハウスに、彼らはいなかった。いや、いないように見えた。ギルドマスターのベルナドットのいい加減さは今に始まった話ではないが、あの時点でどのパーチハウスにいるのか具体的な名前を聞いておかなかった自分に腹が立つ。


 パーチハウスの1階は、たいてい酒場のような作りをしている。宿泊料金には1食分の食事代が含まれており、そこで取ることができるのだ。客室のある2階以上には宿泊客以外入れないし、宿の従業員は宿泊客の情報を漏らさないのでメンバーを確認できない。


 しかしあのギルドメンバーならば、客室に閉じこもったりせずに1階の酒場で飲んだくれているだろうから問題ないと判断していた。こんな状況に陥っても自暴自棄になったりせずに、いやむしろそれを言い訳に酒を飲むのが、『バー・クラープラ』の愛べき飲んだくれたちなのだから。


 ――その飲んだくれたちが、丸一日もの間、パーチハウスのメニューにある酒だけで満足するだろうか?


 明はぴたりと足を止めた。


 それはない。絶対飽きる。せっかくサベレコリスにいるのだからと、町中の醸造所を転々として美酒を探そうとする。『バー・クラープラ』――『居酒屋・二日酔い』のギルドネームは伊達ではない。たとえ食料が不足していても、混乱のただなかにあっても、酒さえあれば耐えられる連中なのだから。


 プレイヤーとしての常識的な行動ばかり考えて、ギルドメンバーの性格を失念していた。


 明は前髪をかき上げながら、喉を鳴らして笑う。


 そして、この数時間で見かけた醸造所を巡る効率的なルートを構築しながら歩き始めた。







 果たして、5件目の醸造所に彼らはいた。


 そして全員がへべれけだった。


 予想が当たって嬉しいやら、彼らののん気な笑顔がむかつくやらで、明は思いきり脱力する。


「おお~? メイか~?」


 ギルドマスターのベルナドットが、酔っ払い独特のだらしない声で言う。


 ギルド内随一のタンクでもあるこのパラディンは、長剣と大盾と装備していないどころか、存在証明とも言える全身鎧まで脱いでしまっている。ダブレットのみの身軽な恰好だ。酒を飲むのに邪魔だったのだろう。


 装備の着脱は一瞬で出来るとはいえ、アシッドアイが湧いたことは知っているだろうに武装を解除するなど、豪胆と言うか無謀と言うか、明は表現に困る。


「あ~! メイちゃ~ん!」


 今度はフェリーチャが、ケタケタと笑いながら言う。


 その長く美しい金髪は、なぜか4本の箸によってぐちゃぐちゃにまとめられていた。おそらく、ベルナドットがやったのだろう。フェリーチャの知性的で涼しげな雰囲気も、エルヴン女性特有の硬質な美貌も台無しだ。


 ベルナドットとフェリーチャは夫婦だ。リアルでもそうであるらしい。明はVRの中では現実を忘れたいし、新しい交友関係を築くのが好きなタイプなので、リアルの知り合いとはほとんど絡みがない。涼は例外中の例外だ。


 この夫婦はリアルでもVRでも一緒にいるのだから、仲良きことは美しき哉、と思う。ただ、こういう時は破れ鍋に綴蓋、と思わなくもない。


「メ~イちゃ~ん、やほ~」


 サライアは、完全に呂律が回っていない。


 遅かったのは貴方たちがパーチハウスにいなかったからだろうと突っ込みたいが、酔っ払いを相手に何を言っても無駄だ。


 それよりもまず、小豆色の和服が着崩れているところを指摘したい。襟が広がって豊満な胸の谷間が見えてしまっているし、裾も乱れて土妖精族トゥレエの特徴である日に焼けた足がにょっきりのぞいている。カルミナオンラインのこの辺りの再現率は無駄にすごい。男性としては大変美味しい光景なのだが、目のやり場に困ってしまう。普段は学級委員長タイプのサライアがこんなにだらしなくなってしまうとは、酔いとは恐ろしいものだ。


「メイさーん、これ、おいしーですよー」


 最後にシーダが、ご機嫌な様子で木のカップを差し出す。現実の夜道で遭遇したなら絶対に避けて通るほどの強面が、酒の力で緩んでいる。


 男性ヴァンダのシーダは、涼よりも背が高い。190cm以上あるだろう。そして男性キャラクターなので筋肉の盛り上がりも一回り大きい。145cmしかないメイにカップを差し出すには、腰を曲げるどころかしゃがまなくてはならないし、カップがおちょこに見える。


 この恐ろしげな容貌と威圧感を漂わせる体格に反して、温和としか言いようがない性格をしているのだから、見た目のイメージは当てにならないというお手本のような人物だ。


 明は差し出されたカップをじっくりと眺めた。


 まるで牛乳のような乳白色の液体。リベルタ共和国は中近東の文化色が濃厚なので乳酒かと思ったが、アルコール臭を打ち消すほど薬草臭く、妙に甘い香りは乳酒のものではない。これはアニスの香りだ。現実のトルコ料理屋でよく飲む『ラク』という蒸留酒に似ている。


 明は右手にカップを持ち、左手を腰に当てると、大きく息を吐いた。


 そして、一気に杯を煽る。


「あー……おいしい……」


 強いアルコールが喉を焼き、胃に火を灯し、心地よい痺れとなって体中に広がる。五臓六腑に染みわたるとはこのことだ。


 やはり、味はラクに似ている。ラクのアニス臭はあまり日本人に好まれないようだが、明はこの酒が好きだ。ビョレクとケバブとを食べたくなる。キョフテもいい。


 そう言えば昨日は夕方からログインしっぱなしで酒を飲んでいないな、と思う。酒を飲んでいなかったことも手伝って、神経がささくれ立っていたのだろう。


「さすがメイ~! いい飲みっぷり~!」

「これおいし~でしょ~。ラクに似てるよね~」


 言いながら、夫婦は杯を合わせると一気飲みする。


 この酒がラクかどうかは分からないが、アルコール度数はかなり高い。40%から50%はあるだろう。ウォッカ並みだ。そんなものを割りもせずこの調子で飲んでいたのなら、全員がへべれけになるわけだ。


 カルミナオンラインには『酔い』や『泥酔』というバッドステータスがある。酒を飲むことはもちろん、酒気を発するMobと長時間戦っている場合も酔い状態になる。現実と同じような酩酊感があり、あらゆる行動にマイナス補正がつくだけでなく、過ぎると二日酔いにもなる。もっとも、解毒魔法が酔いの毒性値を上回れば瞬時に治るのだが。


 明はシーダが手渡してくれた2杯目をきゅっとあおると、杯を静かに置いた。


「……メンバーは、これだけですか? それと、今日の0時にカルミナのシステムが変わったことや、アシッドアイの群れがウィアトール広場に沸いたことって、知ってますか?」


 全員の表情が引き締まる。


「サラさん、解毒ぷりーず」

「さー、いえす、さー」


 ベルナドットの指示を受けて、サライアが詠唱を始める。


 土妖精族トゥレエであるサライアは、状態回復魔法に種族特性ボーナスがつく。酔い状態の魔法達成値マイナス補正があっても、問題なく毒性値を突破したようだ。まずは自分にかけてから、メンバーたちを回復させてゆく。


「なんか、損した気分になるな」

「でも、真面目な話をするんだからお酒を抜いたのは正解だよ。飲み物もらってくるね。みんな、お水でいいかな?」


 不満そうに口をとがらせたベルナドットを、フェリーチャが髪に刺さった箸を抜きながら宥めるように言う。柔らかい金髪が背中にふんわりと垂れた。


 酔っ払ってさえいなければ、フェリーチャは豪放磊落なベルナドットを立てつつ、個性的すぎるギルドメンバーをうまくまとめる調整役である。控えめで、細かな所まで気を配り、微笑みを忘れない。少し意味が違うが、良妻賢母という言葉がよく似合う。


 酒が抜けたサライアも本来の生真面目さを取戻し、服の乱れを直して背筋をぴんと伸ばしていた。


「えーと、何だったっけ。まずはメンバーのことか」

「ええ。他のギルメンのログイン状況って分かりますか?」

「昨日の11時時点でログインしてたのはシュトウさんとハマさんだな。チバちゃんは10時頃に明日は朝釣りで早いからって落ちた。ハマさんはいつも12時前には寝る人だし、シュトウさんは『明日は娘と遊園地』とか言ってたから、落ちてる可能性大だな。イアさんとゲンバーとタロウクンは今日はログインしてない。確かイアさんは出張で、ゲンバーは夜勤、タロウクンは時差の関係だろ」

「……あれ? ユンカースは?」

「へ? 会わなかった? 連絡要員でパーチに置いといたんだけど」

「いえ、会ってません」


 明はぱちくりと瞬きした。


「……ユンカース」

「相変わらず間が悪い子だよね……」


 シーダとサライアがため息をつく。


 『バー・クラープラ』のトラブルメーカーことユンカース。本人はやる気に満ち溢れ、至って真面目に行動しているのだが、なぜかトラブルに巻き込まれることが多く、そして間が悪い。


 ユンカースは、良く言えば秋田犬のように主人に忠実な性格、悪く言えば舎弟体質なので、なついているベルナドットの指示に背いたりはしない。むしろ重大な役目を任されたと考えて、パーチハウス1階で出入り口を睨むようにして待ち構えていただろう。明がパーチハウスを訪ねた時にいなかったのは、トイレ等の已むに已まれぬ事情で席を外していたからに違いない。


 ギルドメンバーはユンカースの性格を知り尽くしているので、彼がさぼったとは考えない。


「え? じゃあ何でメイちゃんはここが分かったの?」

「リーダーからのメッセにはウィアトール広場近くのパーチとしか書いてなかったんで、虱潰しに探したんです。でもいなかったんで、たぶんお酒を飲んでるだろうなあと思って醸造所を覗いて回りました」

「マスター……」


 シーダがじろりとベルナドットを睨む。本人は抗議の気持ちを込めて視線を向けた程度なのだろうが、いかんせん顔の作りが怖い。


「いや、だって、まさかメッセとかが使えなくなるなんて思わなかったし! メイが合流するつもりなら連絡くれると思ったし! あ、そうだ! メイ! リョウちゃんと一緒だったんだろ? リョウちゃんはどうした?」

「リョウちゃんのことを心配してくれるのは嬉しいんですけど、逃げ口上に使って欲しくないです」


 明がぷいっと顔を背けながら言うと、サライアもぎろりとベルナドットを睨んだ。その騒ぎは、フェリーチャが水を抱えて戻るまで続いた。


 連絡が取れなくなると思わなかったという言葉といい、ユンカースを連絡役としてパーチハウスに残していたことといい、ベルナドットたちはシステムの変更を知っていたのだろう。


 それでも飲んだくれていたことと、アシッドアイとの戦闘で見かけなかったのは何故だろうかと思いながらも、いつもと変わらないギルドメンバーの様子に、明は安堵を覚えていた。




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