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プライベートホームへの帰還アビリティ『リターンホーム』は、一瞬で涼をサツカ村へと運んだ。
リターンホームでの帰還位置は、ホームの敷地内ならば何処にすることも可能だ。涼の場合は、寝室に設定している。
室内は、涼がひそかにあこがれている赤毛のアンの世界だ。壁紙は白。鏡台、衣装ダンス、ベッドなどの家具も全て白で、手作りのベッドカバーはピンクと赤の小花柄パッチワーク。枕の端にはフリルも着いている。アイテムボックスももちろん白だ。
現実の寝室をこんな風に飾ったら、両親は困惑し、兄達には大笑いされるだろう。やはり、涼には似合っていないからだ。ただし明は気に留めないだろうし、少女趣味の叔母は手放しで喜ぶに違いない。
建設当初はスキルレベルが足りなかったため、建物の外観と寝室以外の内装がログハウス風になってしまっているが、いつか母屋だけでも立て直して、切妻屋根に白いラップサイディングの本格的なアンの家にしようと考えていた。
農村ライフと、アンの家。理想が全て叶う場所。
涼は部屋を見渡した後、ベッドに身を投げた。
自分の家に帰って来た、という例えようもない安心感に包まれる。
システムの変更や、サベレコリスでの戦闘が夢だったと思いたい。しかし、未だ右半身に残る火傷の痛みの痕が、涼の逃避を許さない。アイテムポーチに入っているリユニオンクリスタルの存在も重い。
涼は気合を入れて立ち上がると、鎧戸を開け放って外を見る。そこに広がるのは、作物がたわわに実る畑と雑木林だ。
サツカ村は東方オリエーンスに属する島国、オリジア皇国の農村だ。オリジア皇国は、単純に極東とも呼ばれることもある。
モデルは室町時代中期の日本であるらしい。国名と、神代守護種族・龍人が築いたという設定の首都メークムの名称はラテン語ベースであるものの、それ以外のほとんどは大昔の日本をモデルに統一されている。NPCの外見、人名、地名、植生もブナや松や竹が生えていてアジア寄りだ。
欧米のプレイヤーにはニンジャとサムライの世界だと好評のようだが、日本人プレイヤーには妙に現実的すぎるためか、あまり評判が良くない。多くの日本人プレイヤーが、中世ヨーロッパをモデルにした西方オクシデント、明やオスマン帝国時代をモデルにした他の東方諸国に入り浸る遠因にもなっている。
涼は、朝も早くから働いているだろうNPC従業員、ダイゴロウ、トクベエ、イネ、フジの姿を探す。しかし、畑には人影がない。
慌てて1階へ降りると、玄関の扉を開ける。すぐ脇の装飾品のフックには、何もなかった。イネ達が病気や突発事態で休む場合は、このフックにリボンを結ぶよう取り決めている。ダイゴロウが藍、トクベエが緑、イネが黄、フジが紫だ。全員が来られない場合は、親族が代わって結ぶ。しかし、それすらなされていない。
やはり村で何かがあったのではないか。
涼は村の中心部の方角へ目をやる。しかし涼のプライベートホームは村から離れた森の側にあるので、キーウェスの優れた視力をもってしても詳細は分からない。
心臓が凍りつきそうな恐怖を感じながら、涼は村の広場へと走り出した。
礼拝所の中は、極限の悲しみと嘆きに包まれていた。
女たちのすすり泣く声。男たちの憤懣やるかたない言葉。子供たちは大人の異様な雰囲気に当てられてか、尋常ではない声で泣き叫ぶか、ひどく怯えて母親にしがみ付いている。
貴重品である油を灯した祭壇の上には、握りこぶし大の水晶玉のような5つの球体がある。
NPCの死の姿だ。
彼らは、死体という形では残らない。プレイヤーが涙滴型に結晶化し、Mobが黒色の球体へ変化するように、NPCは死を迎えると無色透明な球体状になる。
この球体を礼拝所の祭壇へ供えておくと、3日ほどで消滅する。老衰などの自然死であった場合、消滅するまでの3日間は、村を上げてのお祭り騒ぎになる。死者の魂は今生での役目を無事に勤めあげて転生の輪の中へ帰ろうとしているのだから、再会を願って賑やかに送り出す風習なのだ。
しかし不慮の死であった場合、人々は悲しみの淵に沈む。
村人の様子で5名の不慮死を理解した涼は、礼拝所の入口で力なく膝をついた。
「リョウさん……?」
入口近くにいた農奴監督官のサダキチが涼に気付き、憔悴しきった顔を上げる。
サダキチは何度も瞬きして涼の姿を確認すると、すっと立ち上がった。
「みんな! リョウさんだ! リョウさんが帰って来てくださったぞ!」
サダキチが声を張り上げる。
礼拝所最奥の祭壇に向かってうつむいていた村人たちは、一斉に入口を振り返る。涼に集まった目は、縋りつくような悲哀を帯びていた。
「リョウちゃん!」
祭壇の側から、人を押しのけるようにして中年女性が駆けてくる。涼がこの村にやって来た時から、何かと頼りにしている肝っ玉母さんのシカだ。
「息子が、私の息子があああ!」
シカは涼の前に跪くと、袖で顔を隠して泣き伏した。
シカの子供は8人。そのうち4人が男性だ。『息子』だけでは、誰か分からない。詳しく聞こうにも、シカは泣くだけで要領を得ない。
涼が助けを求めるように村人へ目をやると、祭壇の脇にいたシカの長男ヤタロウが唇を噛みしめながら涙をこぼした。そしてヤタロウの側にいる妻のテイは、泣きはらした顔のヤエを慰めるように背中に手をやっている。
死者はシカの息子。そしてヤエの夫。
マタジロウだ。
「……一体、どうして」
「狼に、やられたんです。普通の狼ではありませんでした。体が一回りくらい大きく、目が、金色でした」
サダキチの血を吐くような言葉に、涼はごくりと生唾を飲み込む。
金の目の狼。そんな特徴を持つ狼系Mobは1つしかない。カルムイーターだ。
レベルは40。極圏を除く大陸全域で出没する、中レベルの壁とも呼ばれるMobである。
涼も何度か戦ったことがあるが、非常に厄介な相手だった。何しろカルムイーターは非常に素早く、15匹から30匹の群れで連携攻撃を仕掛けてくる。また、狼系Mobの中でも名称に『イーター』と付くMobの噛み付き攻撃には『スクリューバイト』という特性があり、噛み付いたら文字通りスクリューのように回転して肉を食いちぎろうとする。噛み付かれている間は継続ダメージもある。
カルムイーター討伐の成功条件は、エンカウントから30分以内に群れの個体数を半分以下に減らすことだ。30分以上経過するとカルムイーターは逃亡し、討伐継続という特殊状態になる。継続状態になると、カルムイーターはリアル時間で2週間から1か月以内に再度同じ場所を襲う。同じクエストを二重に受注することはできないので、プレイヤーはクエストに拘束される羽目になる。
そしてカルムイーターの中には、襲撃を複数回成功させることによって、ヴィレッジイーターへと突然変異を遂げる個体が出現する。物理攻撃しか行わないカルムイーターとは違って、ヴィレッジイーターは暗黒術も使う。そしてヴィレッジイーターに率いられたカルムイーターには物理攻撃力や回避力にボーナスがつくので、討伐の難易度が一気に跳ね上がる。この手強さから、カルムイーターの実際のレベルは40だが、討伐推奨レベルは50とされている。
できることなら避けたい相手だが、カルムイーターの討伐クエスト『薄暗がりの金の目』をクリアしないとクリスタルの使用制限が解除されない。クリスタルは中盤以降、必須に近いアイテムなので、誰もが一度は戦わなければならないMobなのである。
しかしサツカ村を含むイワミ東部は、カルムイーターのような中レベル層のMobが湧くエリアではない。イワミ東部は5レベル未満の超初心者向けエリアのひとつだ。ファンタジーの定番であるゴブリンさえ出没しない。湧くのは動物mobだけで、しかも兎や鹿等の比較的おとなしく弱いものだけだ。狼系、熊系、猪系等の攻撃的な動物mobに至っては、クエストでしか登場しない。
そんなイワミ東部にカルムイーターが湧いた。ワンダラーMobに違いない。
「マタジロウの他に、ヤスケとシンパチ、トクとトミもやられました」
「そんな……」
涼はマタジロウだけでなく、ヤスケもシンパチもトクもトミも、生まれる前から知っている。みんな働き者で、明るく素直な良い子達だった。子供の時分には、森での薬草摘みや、食用キノコの取り方を教えたこともあった。成人した時は、祝いも贈った。
「若い連中ばかり5人も。どうして儂らみたいな年寄から先に連れて行ってくれないんだ」
「マタジの奴は子供が生まれたばかりなのになのによ」
「自分の子供とたいして違わない年で生まれ変わるのか。笑えねえな、ちくしょう」
「マタジたちは、みんなを守ろうとして死んだんだ。俺は礼拝所に逃げろって言ったマタジやシンパチの声を覚えてるよ。善行だよ。もしかしたら、次はキーウェスかもしれない」
「そうだよ。きっとリョウさんみたいな強いキーウェスに生まれ変わるさ」
村人が口々に言う。
シカは嗚咽を上げながら、彼らの慰めの言葉に何度もうなずいた。あまりの痛々しさに耐え切れず、涼はシカに覆い被さるようにして抱きしめる。
カルミナオンラインには、現実と同じ一神教や多神教は存在しない。カルミナ全土に広がるのは、架空の楽園信仰および英雄崇拝だ。集落には必ず礼拝所と呼ばれる施設があるが、そこには職業組合ごとに個別の祭壇があり、自らの生業において功績を遺した古の英雄を祭るという形態を取っている。農民は『農具の英雄』『牧草の英雄』、粉屋は『水車の英雄』、鍛冶屋は『炉の英雄』などだ。
そしてNPCの死生観は、『輪廻転生』を基準に定義されている。
ただしその意味は、仏教における輪廻転生とは異なる。
カルミナオンラインにおける『生命』とは、楽園へ至る石段を持つ『魂』を宿す存在である。そして『肉体』は、楽園へ続く遥か長い石段を登るために、輪廻転生を繰り返しながら『善行』を積み重ねる試練の姿だ。
善行を積んで石段を登れば、いつか英雄達が住む楽園へ辿り着ける。楽園には死も病もなく、実り豊かな土地で永遠の安楽を約束される。人々は石段を登るため、楽園へ入るために、英雄に範を仰ぐ。
逆に魂を汚す行いをした場合は、個々人から楽園へ繋がっていた石段が徐々に崩れて、やがて死と同時に『今現在の自我と肉体を持ったまま』、永遠の飢餓と病魔が支配する暗闇の世界に堕ちるとされる。ゆえに、魂を汚す行いを『途絶行為』と呼び、途絶行為を働いた者を『途絶者』という。途絶行為の代表的な例としては、傷害、盗み、姦淫が挙げられる。
ちなみにプレイヤー、すなわちキーウェスは、魂の最終段階こと『楽園への扉の前の踊り場』にいるとされている。いずれ本当の死を迎えた時、楽園入りが約束された存在だ。プレイヤーが死ぬとシステムに従って蘇生するが、それは『自我と肉体を保ちながら復活する』という現象で、途絶者と真逆の意味を持つ。
不老の肉体と神代の御業である魔法の使用も、キーウェスの神聖さの表れとして解釈されている。NPCがキーウェスに敬意を払うのは、気が遠くなるほどの善行を積み重ねた『魂のお手本』だと考えているからであり、プレイヤーが模範的行動を推奨されているのは、彼らに敬われるキーウェスだからなのだ。
「シカさん、リョウさんにちょっと話があるんだが、いいかな?」
サダキチがシカの肩に手をかける。シカは無言でこくりとうなずくと、涼から体を放した。
涼はゆっくり立ち上がると、サダキチの後について礼拝所脇の路地に入る。
サダキチは目を泳がせ、言いよどんでいたが、やがて意を決したように顔を上げた。
「リョウさん、申し訳ないのですが、あとでヤエさんを訪問していただきたいのです。……耕作地の話を、しておかないと」
「でも、マタジロウさんが亡くなったばかりでそんな話は」
「私も気がとがめます。しかし、こういった事はきちんとしなくてはならないのです」
「そうですか……。いえ、そうですね」
サダキチは、村人の中から選ばれた農奴監督官だ。村の中で領主の荘園に当たる土地の管理全般と、賦役を行う村人の監督が仕事である。そしてサツカ村の場合は、地代の徴収も農奴監督官であるサダキチに一任されている。
サダキチは、他の村人の例に漏れず、生真面目で仕事熱心だ。亡くなったトミはサダキチの姪に当たるのだが、職務を優先しなければならず、悲しみを押し殺さなければならないことを哀れに思う。
実際の所、マタジロウの耕作地は涼にとっても重要な問題だ。
サツカ村の耕作地のうち、約4分の1は涼の保有地だ。マタジロウの耕作地の保有者も涼なのである。
涼がプライベートホームを構えた約2年前から、サツカ村の耕作地と人口は激増した。森を切り開き、荒野を耕すという作業自体に面白みを感じてしまった涼は、勢い余って自分の手には負えないほどの土地を耕作地に変えてしまった。このまま放置して荒地にするのはもったいないと考えた涼は、その土地を売地または借地という形で村に提供したのである。プレイヤーが個人で管理するファームは皇族ですら立ち入れない不輸不入権があり無税だが、村人に貸した土地には税金がかかる。
農村の人口は、耕作地面積と相関関係にある。人口は耕作地面積を基準に算出されるからだ。そして、農村の耕作地はプレイヤーの開墾によってのみ増加する。
涼が提供した土地のおかげで、サツカ村の人口上限値は一気に上昇した。さらに副産物として、村の人口を増加させる開拓クエストのクリアが付いてきた。調子に乗った涼は、どうせならもっと村を繁栄させて、シナリオもクリアしてみようと、脇目も振らずに働いた。
耕作地面積に比例して最大人口が増加すると、システムとリアリティの帳尻を合わせるためなのか、サツカ村ではたくさんの子供が生まれた。
マタジロウの両親は、ちょうどその時期に出産適齢期だったのだ。夫妻は、実に8人もの子供に恵まれた。このうち4人が男の子で、しかも全員が無事に成人した。
非常におめでたい話なのだが、残念ながら夫妻はあまり裕福ではなく、所有地も広くなかった。子供達が大きくなると、さらに問題は深刻化した。
カルミナオンラインの相続における慣習法では、親の保有財産は長子のみが相続すると決められている。財産家であれば、生前に次男以降にも土地や財産を買い与えることができるが、もちろんマタジロウの両親にそんな余裕はない。マタジロウは、町や都市へ出るか、聖職者の道を選ぶか、小作や日雇いとして村に留まり続けるかしか選択肢がなかった。
マタジロウの成人時、涼が開墾した土地はすでに他の村人の物となっている。土地は開墾後すぐに使用できるが、人間が成人するには時間がかかる。どうしても耕作地と人のミスマッチが発生するのだ。
しばらくは兄の厄介になっていたマタジロウだったが、やがて兄にも子供が生まれ、弟を養うだけの余裕がなくなってきた。善人である村の人々は出来る限りマタジロウを助けたが、それ故にマタジロウは苦しんだ。困り果てたマタジロウは、涼を頼った。町にいる知り合いを紹介してもらえないか、と言うのだ。
涼は、マタジロウと村娘のヤエがひそかに将来を誓い合っていたことを知っていたし、マタジロウの苦労の一端は、無計画に開墾を進めた自分にもあると感じていた。そこで涼は、突貫工事で開拓を進めた。そして開墾した土地をマタジロウに貸した。本当は成人のお祝いにプレゼントしたかったのだが、システムの都合上それはできない。
涼は、賃借人に耕作地買取の優先権を与える契約をしている。あの土地も、いずれはマタジロウのものとなるはずだった。
しかしマタジロウに土地を貸してから、まだリアル時間で3か月。NPCはリアル時間の1か月につき1歳年を取るため、ゲーム内時間では3年が経過していたが、耕作地を買い取るほどの大金は貯まっていないはずだ。彼は妻のヤエと共に非常に慎ましく暮らしていたが、地代や賦役の金納、礼拝所への税など、出費は山ほどある。子供が生まれたこともあって、新頭税などの各種税金も支払わなければならなかったはずだ。
「僕の記憶では、マタジロウの土地の名義人に、ヤエさんは入っていなかったはずですが」
「はい。契約は結婚前だったので、マタジロウさんの単独名義です」
「共同借地人ではないのですね。ならば、なおさら早く話をしなければなりません。今植わってる作物の問題もありますし、ヤエさん一人ではあの広さを耕せないでしょうから、名義を移し替えることもできないと思います。人を雇うような余裕もないでしょうし、跡継ぎのチョウスケはまだ赤ん坊です」
「という事は、あの土地は私に戻るんですね」
サダキチはこくりと頷いた。
契約者であるマタジロウが死んだ以上、土地は所有者である涼に帰る。ついでに言えば、耕作地内の建物の所有権も涼にある。ヤエはすでに両親を亡くし、血がつながった親族もいない。赤ん坊のチョウスケを抱えた状態で路頭に迷うことになる。
「サダキチさん。あの、ヤエさんは、どうなるんでしょうか」
「言いにくいのですが、日雇いになるしかないかと……」
カルミナオンラインの基本社会構造は、15世紀頃の中世をモデルにしている。オリジア皇国は日本がモデルだが、宗教観が異なるせいか女性の相続権もきちんと整備されており、その中でも寡夫・寡婦の権利については特にしつこいほど細かく定められている。
カルミナオンラインでは、死亡したNPCは必ず出身集落で生まれ変わる。都市や町はともかく、サツカ村のように人の出入りがほとんどない集落の場合は、知人、あるいは親族の子として生まれ変わるのだ。寡夫・寡婦は生まれた子の代理親として、経済的にも援助しながら成長を見守る。子供がいない場合は再婚することもあるが、それでも極稀だ。子供がいる寡夫・寡婦に至っては、再婚が認められていない。それは途絶行為であり、禁忌なのだ。
だからと言って、現代のような社会保障があるわけでもない。善人である村人は、かつてマタジロウに対してそうであったように、寡婦となったヤエを出来る限り助けはするだろう。しかし乳飲み子を抱えたヤエに、小作など継続的な働き口は皆無だ。サダキチが言うように、日雇いがせいぜいだろう。おそらく、義理の従兄弟の家畜小屋の一角に住まわせてもらい、空腹に耐え、子供の成長だけを楽しみに泥を舐めながら生きることになる。
もしもヤエが村での生活に耐え切れず町や都市へ出たところで、その末路は悲惨だろう。
カルミナオンラインの運営がこの社会構造を導入したのは、身分社会制度の弊害や、男女平等の精神を改めて見つめなおそうという試みと、ある程度リアルな中世を再現する目的があったようだ。その思惑通り、女性であり、現代日本の価値観を持つ涼はやりきれない気持ちになる。
「あの、ヤエさんに私の畑で働いてもらうのはどうでしょうか。うちならイネさんたちが住んでる建物もありますし、必要なら新しく建てますし。フジさんの子供たちに子守をしてもらえば、ヤエさんも畑に出られますよね」
「そう言っていただけると、本当に助かります。ヤエさんは、その、申し上げにくいのですが……」
「いえ、分かりますので」
「すみません。お恥ずかしい限りです」
サダキチは目を伏せて、良心の痛みを堪えている。
ヤエは、この村の出身ではない。養女なのだ。
涼が入植した当時、ヤエの両親はすでにシステム的に子供を授かる年齢を過ぎていた。しかしそれでも子供が欲しかったふたりは、町の孤児院に頼んで養子をもらった。村にヤエの血縁者がいないのは、そのためだ。
身寄りのない孤児を養子にするのは、大変な善行だ。村人達も彼らの善行を讃えたが、ヤエに対する態度とそれは関係ない。孤児の問題点は、出身地がサツカ村ではないことにある。すなわち、ヤエは死んでもこの村では生まれ変わらない。村の絶え間ない生命の循環から外れている存在なのだ。
村人たちも、差別は悪だと分かっている。しかし、村人達を規定する信仰から外れたようにも見えるヤエに対しては、本能的な嫌悪感があるらしい。サツカ村生まれではないという一点だけで、ヤエは未だによそ者なのだ。
シカがマタジロウとヤエの結婚を許したのも、シカの万事さっぱりした気性のおかげもあるが、マタジロウが次男だからだ。それに、裕福ではないシカの家に嫁いでくれる年頃の娘がヤエしかいなかったという事情もある。しかしもし跡取り長男のヤタロウが相手であったら、さすがのシカも許さなかっただろう。これはどうしようもなく覆らない、仕方のないことなのだ。彼らは、彼らの常識に基づいて生きている。
涼はヤエが養子としてこの村に来たことについて、システムが増加した人口を賄うために、ヤエの両親に養子という方法を選択させたのだと考えている。
無計画な開墾のしわ寄せは、こんなにもマタジロウ達の世代を苦しめている。
プレイヤーの中には、所詮NPCなのだからとクエストクリアだけを目指す者もいるが、涼にはできない。
リアル時間で2年以上、ゲーム内時間では24年以上も住んでいる村だ。お世話になった老人が死にゆくのも見たし、当時は少年だったサダキチ達が成人して家庭を持ったところ見ている。マタジロウ達に至っては、お腹の中にいた頃から知っている。本当の家族のような情が湧いている分だけ、罪悪感も深い。
「リョウさんのところならヤエさんも安心です。ですが、今もトクベエたちが厄介になっていますよね。失礼ですが、もう一人増やしても問題ありませんか? もしもリョウさんが無理をしていらっしゃるのなら……」
「大丈夫です。むしろ、4人だけでは作業が大変じゃないかって心配していましたから」
「そうですか。お気遣い感謝いたします。本当に、申し訳ありません。重ねてお詫びを」
「いえいえ、本当に4人じゃ大変だと思ってたんです。あ、でもヤエさんに無断でこんなこと決めちゃっていいんでしょうか。失礼ですよね。後でヤエさんと相談してみます」
「失礼なんてとんでもない! こんなに良い申し出を断る者はおりませんよ! このことを知ったら、きっとヤエさんの不安も和らぐと思います。本当に、キーウェスであるリョウさんがこんな辺鄙な村に居を構えて下さったおかげで、私達がいったいどれだけ救われていることか……」
サダキチは手の甲で涙をぬぐった。
そう言えばサダキチは子供の頃からひどく涙もろくて、父親に男が簡単に泣くなと叱られていたなと思い出す。ヤエの今後についても、彼なりに心配していたのだろう。
「いいんです。私に出来ることがあれば、何でも言ってください」
「……あの、では、お言葉に甘えて申し訳ありませんが、鎮魂の句をお願いできますか。司祭様も、リョウさんに紡いでいただいた方が、死者にも遺族にも慰めになるだろうとおっしゃっていましたので」
鎮魂の句は、葬儀の際に死者の生前の善行や良き人となりを語るもので、輪廻に戻ってゆく死者への贐として贈られる。通常は、司祭が述べる。
サツカ村では司祭よりキーウェスの涼の方が『楽園への階段』での位置が高いため、これまでも何度か務めたことがある。
基本的に、キーウェスに頼みごとをするのは非常に畏れ多いこととされている。しかしサツカ村の人々は、子供の頃から涼に遊んでもらったりしていたせいもあってか、気安いところがある。
プレイヤーが農村のような狭い共同体への所属を嫌うのは、NPCを支配する複雑な身分構造と土地所有・相続・税金等の各種法律を把握するのが面倒だからだと言われている。しかし本音は、彼らの前時代的な近すぎる距離感とわずらわしい人間関係、ある種の図々しさを嫌ってのことだろう。涼のように、彼らのとの関係を全面的に好ましく捉えているプレイヤーは稀である。
「鎮魂の句ですね。では一度家に戻って、衣装を整えます。あとは狼についてですが、あれが私の知る魔物なら、半年から1年は再び現れることはないはずです。しばらくは大丈夫だと思いますけど、何が起こるか分からない状況ですので、警戒は怠らないようにと伝えて下さい。村長さんにも相談して、魔物を退ける方法を考えます」
「分かりました。確かに伝えます」
サダキチは右手を左胸に当てて、そのまま腰を折る。立礼では最も深い敬意を表すものだ。
涼は、プレイヤー側の都合を村人に伝えられないのも、罪悪感の原因かもしれないと思う。しかし仮に告げたとしても、彼らは理解できない。彼らは彼らの尺度でしか考えられないのだ。彼らは、AIで規定されたNPCなのだから。
涼は火傷の痕とは違う、きりりとした胸の痛みを感じた。
礼拝所を離れて一人になった涼は、家への小道を歩きながらウィンドウ開いてメモ帳機能を選択する。
鎮魂の句で、語りたいことが沢山ある。みんな良い子たちだった。
マタジロウは優柔不断なところもあったが穏やかな人柄で、みんなが嫌がる仕事も率先して引き受ける心優しい男だった。ヤスケは気は短いが正義感が強く、若い世代のリーダー的存在だった。シンパチは大酒飲みなところが玉に瑕だったが、村一番の巨漢で、力仕事を頼まれるとどんなに忙しくても快く引き受けていた。トクとトミは悪戯好きで、いつも二人でつるんでいるお転婆娘達だったが、面倒見が良く、よく子供たちを集めては裁縫を教えていた。
一昨日まで、彼らは元気にしていたのだ。
狼に襲われて死ぬような、酷い死に方をする人たちではなかった。
リョウさん、と呼ぶ彼らの笑顔を思い出すと、自然に涙がこぼれてくる。
今年の収穫祭に撮ったスクリーンショットに5人が写っていたはずだと、村関連のデータを参照する。
最初に表示された村のステータスを見て、涼は驚愕のあまり足を止めた。
人口欄には、95/95と表示されている。
一昨日までのサツカ村の人口は100人。
5人死んだのだとしたら、95/100と表示されるはずだ。死んだNPCは、必ず所属集落で誰かの子供として生まれ変わる。それがカルミナオンラインの絶対的なルールであり、NPCの信仰だ。『必ずここで生まれ変わる』という事実が、深い郷土愛と、時には排他的とも言える絆を産むのだから。
しかし、どれだけ目を凝らしても、ステータスは95/95だ。
サツカ村は涼が開墾を進めた結果、総人口は初期値の30人から100人に増えていた。つい3日前に村の人口を70人以上増加させる『繁栄への第一歩』というシナリオをクリアしたばかりだなのだ。こんな切りのいい数字を覚え間違えるはずがない。
人口の最大値が減るとしたら、農地の荒地化しか原因がない。しかし涼が村を留守にしたのはわずか1日。荒れ地になるほどの時間は経過していない。
「どうして……?」
からからに乾いた唇から、擦れた声が漏れる。
これもシステム変更の一環なのだろうか。
だとしたら、何のために。
人口が減ったままになっている。それは、親しい人が生まれ変わらないという事実に繋がる。マタジロウたちは生まれ変わらない。最愛の夫を亡くしたヤエにとって、最後のつっかえ棒とも言える希望がなくなってしまう。村人たちの根幹が崩れてしまう。
村人たちには、絶対に言えない。
涼は今にも明から手渡されたクリスタルを使ってしまいそうになったが、ぐっと堪えた。
まだ情報を収集しきれていない。死んだ村人の数が減ったままになっているという情報には大きな価値があるかもしれないが、カルムイーターについては伝聞情報しかない。他にも、これまでとは違う何かがあるかもしれない。
光あふれる小道に佇みながらも、涼の心は真っ黒に塗りつぶされていた。




