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カルミナオンライン  作者: 森
第1章 ou + topos + ia
4/20

1-03




 死んだプレイヤーはどうなったのか。


 その疑問はプレイヤーの喜びと興奮を、不安と恐怖に塗り替えた。


 プレイヤーは、HPがゼロになり戦闘不能状態になると結晶化する。結晶化後、1時間以内に蘇生してもらえなかった場合は、最後に復活場所であるリーブポイントをセーブした施設で復活する。それがカルミナオンラインの絶対的なルールだ。しかし先ほどの戦闘で死んだプレイヤーは、結晶化すらしなかった。


 最悪の予想がプレイヤーの脳を支配する。


「伝令!」


 陰鬱な空気を吹き飛ばすような大声が、東通りの辺りから発せられる。プレイヤー達は何事かと声の方向に目を向けた。


「死んだプレイヤーはサベレコリスの英雄殿で……」


 涼がはっきり聞き取れたのはここまでだった。伝令の男性プレイヤーの声が、他のプレイヤー達のどよめきと驚愕の声にかき消されてしまったからだ。


「……あ、そうか」


 明がぼそりと言う。


 その手元には、チャットウィンドウが表示されていた。伝令の声が聞えないので、広域チャットで情報を収集しようとしたのだろう。しかし履歴は、昨日の23:59で止まっている。


 分からないことがあった場合は、まずツールを使用して情報を収集するという癖はなかなか抜けないらしい。明と同じアクションを起こしてしまったプレイヤーは大勢いたらしく、舌打ちをしたり、苛立った眼差しで東の方向を睨む。


「静かにしてよ! 聞こえないでしょ!?」


 先ほどまで泣き崩れていた女性プレイヤーが、ヒステリックな金切り声をあげる。


「うるさい! お前が静かにしろよ!」


 女性プレイヤーの近くにいた男性プレイヤーが、間髪置かずに怒鳴り返す。


 ああ、まただと、涼は怯えながらも怪訝に思う。


 アシッドアイが湧く前の喧嘩といい、この2人の諍いといい、みんな本当にどうしてしまったのだろう、と。


 昨日までであれば、あの男性プレイヤーは女性プレイヤーに対して落ち着くように促すか、必要とする情報を取得できるよう協力したに違いない。少なくとも怒鳴り返すという角が立つ態度を取ることはなかっただろう。


 カルミナオンラインは『君よ、英雄たれ』がコンセプトであるためか、プレイヤーにはいついかなる時でも英雄に相応しい模範的な行動が求められる。非英雄的な行動は、デメリットしかもたらさない。


 この半強制的な基本プレイスタイルにストレスを感じるプレイヤーは、早々に他のVRMMORPGへ移ってゆく。VRMMORPGはカルミナオンラインだけではない。我慢する必要はないのだから。


 必然的にカルミナオンラインのプレイヤーには、コンセプトが性に合った根っからのお人好しか、悪人になりきれない皮肉屋が多くなる。非常に穏やかで優しい、涼のような小心者には居心地の良い空間だったのだ。どうして、と思わずにはいられない。


「リョウちゃん、今からわたしが言うこと、伝令の人の方向に大きい声で言ってくれる?」


 明が静かな声色で言う。


 涼は即座に思考を遮断すると、身をかがめて明の口元に耳を寄せた。理由など考えないし、聞きもしない。涼は、明の判断には全幅の信頼を置いている。


 明から内容を聞いた涼は、大きく息を吸い込んだ。


「伝令の人! 新聞を発行してください! お願いします!」


 涼のテノールボイスは、よく通る。


 その声を聞きつけたプレイヤー達は、なるほどと手を打つ。そして彼らによって、明のアイデアは東へ東へと伝えられてゆく。これが伝言ゲームというやつか、と涼が始めて見る光景に感動していると、傍らにいた明がいつの間にか消えていた。


「お姉さん、落ち着いて。戦闘の時に一緒だった男の人が心配なんですよね? でも、今は冷静になって情報収集の方法を考えた方が、あの人の状態も早く分かると思います」

「……ごめんなさい」

「ううん。心配ですよね。気持ち、分かります」


 明は、先ほどの女性プレイヤーの側にいた。女性プレイヤーは明の言葉にくしゃりと顔を歪める。彼女を怒鳴った男性プレイヤーは、バツが悪そうに視線を逸らした。


「お兄さんも、誰かが心配なんでしょう? 色々焦ってると思うけど、もうちょっと頑張ってみませんか?」


 女性プレイヤーは、驚いた様子で男性プレイヤーを見る。そして、謝罪を口にしながら深く頭を下げた。男性プレイヤーは困ったように笑いながら、こちらも怒鳴った事を詫びる。


 涼は、ほっと胸を撫で下ろす。と同時に、感動のあまりぶるぶると震えた。


 明は2人に小さく手を振ると、涼の元まで駆けてくる。


「メイちゃん! メイちゃん! すごいね!」

「何が?」

「新聞屋さんのアイデアもなんだけど、あの女の人と男の人! あっという間に仲直りさせちゃった! すごいよ!」

「えーと、とりあえず落ち着いて。ね?」


 明は困ったような表情で小首を傾げた。涼は両拳を胸の前で握って興奮を抑えるが、鼻息が荒いな、と自分でも分かる。


「新聞屋は二番煎じだし、ケンカの仲裁くらい誰でもするでしょ」

「ううん。私は新聞屋さんのことなんて全然思いつかなかったし、ケンカも、どうしようって思ってるだけで、何にもできなかった。でもメイちゃんはやったもん。誰でもできることじゃないよ。そっかあ。二人とも知り合いが死んで、心配だっただけなんだね。すごい戦闘だったのに、メイちゃんはちゃんと周りも見てたんだね。すごいなあ」

「へ? 本当にあの男の人の知り合いも死んだのかは知らないよ? でも、あの場面ではそう言った方が、女の人も男の人も謝りやすくなるだろうと思っただけ」

「えええ!? 嘘だったの!?」


 涼が驚きに目を剥くと、明は小さく苦笑した。


「嘘も方便、ってね。今は、とにかく早く丸く治めたかったの。アシッドアイが湧く前と状況が違うからね」

「うん。確かにみんないつもと違うよね。なんだか全体的に言葉がきついし、ケンカ腰って言うか」

「んー……わたしが言いたいのはそれじゃないんだけどなー。色々突っ込みたいけど、リョウちゃんらしいし、まあいいや」


 明はため息をつきながら前髪をかき上げる。


「死んだプレイヤーがどうなったのか、わたしも、一秒でも早く正確な情報が欲しいんだよね」


 言いながら、明はちらりと盗み見るようにして空に目をやった。


 その緑色の瞳には、朝焼けの空が映っていた。






 明のアイデアは、うまく伝わったらしい。


 約10分後には、伝令プレイヤーが書いたと思しき新聞が発行された。価格は設定上の最低値1部1バル。採算も情報の価値も度外視した激安価格だ。


 伝令のプレイヤーは何て良い人なんだろうと、涼は感激した。


 新聞の発行にはリアルマネーなら100円、ゲーム内通貨なら最低5,000バルの費用が必要になる。5,000バルもあれば、20レベル前後のプレイヤーの装備品が買える。意味のない新聞を乱発しないように、費用が設定されているらしい。確かに5,000バルは中レベル帯プレイヤーの涼でも馬鹿にならない出費だ。だから同人新聞を発行するプレイヤーは、元を取るために1部50バルから100バルの値段をつける。中には、新聞の売り上げでゲーム内通貨を稼ぐ文筆家プレイヤーもいる。


 伝令プレイヤーの新聞には、全プレイヤーが喉から手が出るほど欲する貴重な情報が記載されているのだし、少し欲張れば大きな利益になっただろう。この広場だけでなく、他の大都市にいるプレイヤー達も新聞を購入できるのだから、記録的な売り上げを示したかもしれない。仮にこの情報が広まって新聞に価値がなくなっても、一次資料として確保しておきたおプレイヤーも多いだろう。


 しかし伝令プレイヤーは1バルで発行した。私心より他プレイヤーを優先したのだ。


 やっぱりカルミナのプレイヤーはいい人ばかりだ。さっきの喧嘩も、知人の身が心配すぎて心に余裕がなくなっていたのだろう。涼はそう思い、伝令プレイヤーに感謝しながら新聞を眺める。


 主な情報は、4点だった。




1:死んだプレイヤーはユースフ英雄殿で復活した(なぜか同じフロアだった)。リーブポイントは無関係。死亡場所の最寄りの英雄殿で復活するのではないか。


2:復活した後は、約2時間ほど激痛に襲われる。痛みの度合いは人によって異なるが、尿管結石や陣痛並みという意見があった。痛みはすっと消えるのではなく、徐々に楽になる。行動できるまで、実質3時間程度かかる。


3:伝令以外のプレイヤーは、まだ英雄殿でのたうちまわってる。ひどい死に方したプレイヤーは精神的ダメージが深刻なのか、起き上がろうとしない。


4:デスペナルティの変更。おそらく、6/26 0:00時点のデータにロールバックしている。経験点は減っておらず、0:00以降に買ったアイテムがなくなり、0:00以降に使用したアイテムが復活していた。




「デスペナが、ロールバック……?」


 涼はぽかんと口を開けた。


 デスペナルティとは、キャラクターが死亡した際に受ける制裁のことだ。カルミナオンラインでは、レベルアップに必要な経験値を5%ほど損失するシステムになっている。


 そしてロールバックとは『巻き戻し』のことだ。VRMMORPGでは主にデータベースに深刻な障害が発生した際に行われる。数時間前、あるいは数日前までキャラクターデータが完全に巻き戻ってしまうため、余程の障害がなければ行われない。


「死んだ人が無事なのは良かったけど、でもこれって……」

「この情報が確かなら、死んだら6月26日0時以降の行動が全て無駄になるってことだね」


 明が憮然とした表情でウィンドウを閉じる。


 そして、空を見上げた。


 空はいつの間にか朝焼けを通り過ぎ、薄青い光と白い雲に覆われていた。


「6時になったよ」


 明の言葉に驚いた涼は、システムウィンドウを呼び出して時刻を確認した。


 時計は、6時01分を示していた。


 涼がログインしたのは、昨日の18時00分だ。『メット』の連続接続可能時間である12時間を超えている。


 それに、日の出を過ぎているのに鐘が音が聞えない。


 カルミナオンラインの集落では、リアル時間の日の出と日没から約20分間、鐘が鳴らされる。


 日の出の鐘は商店や市場の開始を示し、日没の鐘は仕事の終わりを告げる。サベレコリスのような大都市では組み鐘(カリヨン)が使用されるため、荘厳なメロディーが奏でられる。


 NPCだけでなく、プレイヤーも鐘で時間を計る。徹夜中のプレイヤーは日の出の鐘でリアル時間の夜明けを知り、日没の鐘で夕焼けを知る。プレイヤーによっては日の出の鐘を聞いて会社に行く準備をしなくてはと渋々ログアウトするし、日没の鐘を聞いて晩御飯は何かなと考えたりもする。鐘の音は、プレイヤーにとっても生活に密着していたのだ。


「本当にログアウトできないの? 鐘も聞こえないし、どうなってるの? メットは?」

「落ち着いて、リョウちゃん」

「でも……」

「擬似コードを発信して、メットを騙すっていうあるの」


 明は涼の気持ちをほぐすように、優しく微笑みながら言う。


「何年か前にVR過労死のニュースがあったじゃない? あれって、疑似コードをメットに送信して、連続でログインしてたらしいんだよね」


 VR過労死は数年前に世間を騒がせた事件である。


 VR技術の浸透に伴い、企業はVR空間を積極的に利用し始めた。職種によってはVR空間さえあれば物質的な設備投資が大幅に削減可能で、社員が世界中のどこに居住していても出勤についての問題がないというメリットがあるからだ。旧時代以上の、便利で、そして劣悪な労働環境が整ったといえよう。


 そして悪質な企業は、メットの強制切断セイフティを掻い潜り、かつ現実の肉体からのSOSを遮断する違法コードを編み出した。


 どこまでも生真面目すぎる日本人達は、違法行為と知りながらも、与えられた膨大な量の仕事をこなすために、現実の肉体を犠牲にしてVR空間にダイブし続けた。すでに少子高齢化に伴い、大人用紙おむつと褥瘡治療薬、高カロリーペースト食品の売り上げは右肩上がりだったが、投資家や経済研究所の予想を超える伸びを示したのもこの頃だ。


 が、しかし。それらの高機能商材を用いても、過酷な労働を強いられた人間の生命維持は賄いきれなかった。


 過剰なストレス。慢性的な寝不足。運動不足による筋力の異常低下。現実の肉体で通常の生活を過ごしていれば異常を察知できたであろう初期症状も、肉体からのSOSを遮断されたVR空間では気づきようがなかった。その結果が脳血管疾患や心疾患による過労死だ。通常の過労死と区別するために、VR過労死という不名誉な言葉まで生まれてしまった。


 ちなみに、同時期にネットゲームプレイヤーの衰弱死も問題になっている。旧時代のMMOのように、食べながらプレイという『ながら作業』が出来なくなってしまった彼らは、違法プログラムを入手してログインを続けた。違法プログラムを入手できなかった者は、強制切断後の接続不能1時間のみ現実に滞在した。1時間が経過すれば再びログイン。その生活を繰り返した結果、衰弱死に至ったのだ。


「擬似コードの件が正解かどうかは分からないけど、強制切断セイフティを誤魔化すのは、技術的に可能だったってこと。今のセイフティはもっとガチガチに固くなってるはずなんだけど……」

「じゃあ後は、リアル側で目を覚ますしかないってことなのかな?」


 涼は腕組みをしながら、首をかしげる。


 明は少し考えた後、小さくうなずいた。


「あ、でもうちのママ、昨日は飲み会だったから爆睡してる。8時に起こしてって頼まれてるし、パパが帰って来るのお昼前だし。メイちゃんは叔母さんが起こしてくれるよね。後で私を起こしに来てくれる?」

「……うん」

「じゃあ、それまでお茶でもしてようか」

「うん。……そうだね。そうしよう」


 明は涼の手を取ると、足早に広場を後にした。


 広場でざわめくプレイヤーの様々な推測の言葉を遮断するかのように、心の中に渦巻く不安を押し隠すかのように。







 しかし、10時を過ぎても涼と明は現実に戻れなかった。


 メット使用者以外がシステムを終了させる方法は3つある。


 一つは肉体に物理的な衝撃を与えること、一つは専門業者による外部セイフティでの緊急終了、もう一つは物理的にメットを外すことである。


 物理的にメットを外した場合は切断シークエンス・終了シークエンスを経由しないため、データやプログラムの破損につながる恐れがあり、脳にも悪影響があるので普通はまずやらない。専門業者による緊急終了は、馬鹿にならない費用がかかる。よって、最もお手軽な方法は、肉体に物理的な衝撃を与えること、となる。


 明の母はいつもは首筋に氷を入れたり、鼻をつまんだりと、子供のいたずらのような真似をする。ちなみに涼の母は、主に面倒くさいからという理由で太ももをぴしゃりと叩く。母達は姉妹なのだが、性格もアクションもかなり異なる。


 母達は、すでにそれらを実行していることだろう。


 今日は母方の祖父の七回忌だからだ。


 結婚して家を出た兄達もその家族も、親戚も、全員が集まる。実家居住組の涼と明は、彼らの受け入れ準備をしなくてはならない。父達は仕事の都合で早くても昼前にしか帰宅できないため、家にいる涼と明が貴重な労働力なのだ。


 しかし、未だに強制切断されていない。


 おっとりとした明の母はともかく、気が強い涼の母は鉄拳制裁も辞さない。叩いても目覚めないならもっと過激にとばかり、強制切断には十分すぎるほどの肉体的ダメージを与えているだろう。


 涼は、隣で木の幹にもたれ掛かっている明の姿をちらりと窺った。


 木々の隙間からこぼれた鮮やかな光が、ダークグリーンのスカートの上でゆらめいていた。思索にふけっているためか、唇は淡く開かれており、栗色のけぶるような長いまつ毛は心持ち伏せられている。女の涼でも思わず息を飲むほどの幻想的な美しさだ。しかし涼には、それをゆっくり眺める時間はなかった。


「ママがまだ起きてないって可能性もあるけど、でもメイちゃんが起きなかったら叔母さんはママか私を起こして相談するよね? なんでだろ?」

「やっぱり……」

「メイちゃん?」

「さっきはリョウちゃんに言わなかったけど、強制切断セイフティを騙してるなら、体からの信号も遮断されてるんじゃないかって思ってたの。運営がわざわざ『ログアウト停止』って書いてるってことは、メットのセイフティを無力化してる可能性が高いからね。信じたくなかったけど」


 涼はしばらく明の言葉の意味を考えて、やがてぞくりと身をすくませた。


 VR空間に入り込んだまま、メットのセイフティが無力化される。実家住まいの自分たちはまだいい。家族が現実の肉体をフォローし、専門業者に異常を通報してくれるだろう。しかし、一人暮らしのプレイヤーはどうだろうか。


 もしもこの状態が1週間も続けば、現実の肉体が衰弱死するに違いない。無断欠勤や欠席を不審に思って尋ねて来る人も稀だろうし、昨今の住宅は密閉率が高いので汚物の臭気による近隣住民の通報も期待薄だ。


 彼らがカルミナオンラインの中にいる事を知っているのは、他ならぬイームしかいない。イームが業者に委託して速やかに肉体の安全を確保してくれていればいいが、その場合も問題は山積みだ。


 キャラクターメイキング時に登録したクレジットカード情報から、プレイヤーの現住所の特定は可能。しかし今は大型アップデート後。最低5万人がログインしているだろう。専門業者の数はそれほど多くない。外部セイフティは文字通りメット本体に付属しており、インターネット経由ではなく現地での解除が必要になる。5万人以上ものプレイヤーを脱出させるために、いったいどれほどの時間が必要なのか。


 それに、カルミナオンラインのユーザは日本人が90%を占めるが、海外に居住している者もいる。台湾サーバ、北米サーバ、欧州サーバ、中東サーバのユーザもいる。


 考えれば考えるほど、思考が悪い方向へと転がってゆく。


「ま、カルミナの中にいるわたし達にはどうしようもないんだから、リアルがどうなってるのかは考えても無駄だよね」


 明はひょいとおどける様に肩をすくませる。


「……やっぱりメイちゃんはすごいね」

「褒めても何も出ないよ?」


 明はにやりと唇の端を釣り上げた。完璧な美少女である『メイ』の顔に現れたそれは、リアルの『明』もよくする表情だ。美少女然とした『メイ』の向こう側に、理知的な容貌の『明』が見えるような気がした。


 ――うん。明ちゃんがいるんだから、大丈夫。


 涼の肩の力がすとんと抜けた。


 自分が余計なことを考えても意味はない。明は自分以上に頭を働かせてあらゆる可能性を模索し、推測を重ねている。明の足を引っ張ってはならない。明に従っていれば、間違いはないのだから。


「ねえリョウちゃん、まだホームに帰りたい?」

「うん」


 反射的にうなずいてしまったものの、YESとNO、どちらが明にとっての正解なのか。涼はこれ以上ないほど考える。


「あのね、その……、メイちゃんも来たことがあるから分かると思うけど、うちの村ってすごく田舎だから、ここみたいに他のプレイヤーがいる可能性はゼロなんだよ。早く帰らないと、もしアシッドアイみたいなのが湧いてたら全滅しちゃう」

「うん」

「村に帰るってことは、メイちゃんとの連絡手段がなくなって、情報が途絶えるってことも分かってる。それでも」

「うん」

「……みんなが、心配なの」

「うん、分かった」


 責められるかと思いきや、明は満足そうにうなずいてる。


 YESと答えたのは間違いではなかったと分かって、涼は安堵の息を漏らした。


「さっきまでは反対してたんだけど、状況が変わったの。むしろ、リョウちゃんには一度村に戻ってもらって、わたしに村の様子を伝えて欲しい」

「情報? メイちゃんも知ってるだろうけど、うちの村、ほんとにびっくりするほど田舎だよ? メイちゃんの参考になるような情報なんて……」

「備えあれば憂いなし、だからね。もしこの状況が続いたらっていう曖昧な前提でわたしが考えられる範囲なんだけど、案外、田舎の情報って貴重かもしれない」


 涼が首を傾げていると、明は仕方がないなあと言いたげに笑いながら語る。


 カルミナオンラインの舞台であるカルミナ大陸は広い。東の端のアエスタ帝国から西の端のウベルト王国までは、軽く1万キロ以上もある。北の端から南の端は、それ以上にある。


 この広大な大陸を通常の手段で移動すれば、とてつもない時間が必要だろう。しかしプレイヤーには大幅に短縮する手段がある。それが英雄殿だ。


 英雄殿は、クリスタルやストーンでの転移目標ポイントになる。大都市と都市には最初から設定されており、プレイヤーが『英雄認定』を受けた集落にも新たに建設される。ただし後者の英雄殿の場合、転移目標ポイントにするには、アイテム使用者が一度は実際に訪問する必要がある。


 そしてもう一つの転移目標ポイントであるプライベートホームは、英雄殿がある集落に構えられているケースが多い。


 プライベートホームはリソースを食うためなのか、1アカウントにつき1つしか建設できない。また、移築が出来ないため、一度放棄してしまうとそれまで育てたグレードが無駄になる。グレード1の掘っ立て小屋を建てるだけでも、基礎工事の時間や建築資材を大量に消費する。プライベートホームの立地には、慎重にならざるを得ない。


 英雄殿の有無。パーチハウスの有無。周辺のMob事情。採取ポイント事情。気候、水運、水利、地味、栽培食物のボーナス値、住民との人間関係。その辺りは現実の住宅事情と変わりない。涼のように、英雄殿も港もない不便極まりない村にプライベートホームを構えているプレイヤーはほぼいない。


 外部ネットワークやメール・チャット等でやり取り可能だった昨日までは意味がなかった過疎地の情報も、現在は大勢のプレイヤーが収集可能な都市部のものよりも希少価値になる可能性がある。


「村規模の集落にもワンダラーが湧いてるか、ってこともそうなんだけど、NPCの様子とか、前と変わってるところがあれば全部。ってことで、これ渡しとくね」


 明はゲームウィンドウを表示すると、手早く操作を完了する。


 涼の視界に、アイテムトレードのアイコンが現れる。疑問に思いながらウィンドウを開くと、そこには『リユニオンクリスタルの譲渡』と表示されていた。


「え……ええ!? リユニオンって……こんなのもらえないよ!」

「必要経費」

「使ったらなくなっちゃうよ! もったいないよ!」

「カルミナがサービス停止になったら、こんなの持ってても意味ないでしょう?」


 涼はぐっと喉を詰まらせる。


 確かにカルミナオンラインがサービス停止になってしまえば、ケンシンの廃神装備でさえ意味がない。悲しいかな、所詮はデータなのだ。


 しかし、リユニオンクリスタルは、数ある移動系アイテムの中でもボスMobのドロップでしか取得できない一品だ。移動アイテム無効エリアであっても、フレンド関係にあるプレイヤーの元へ転移できる。最終脱出手段として、トップレベルプレイヤーの間でもかなりの高値で取引される。


「今まで色々考えてたんだけど、イームが……スタジオ9がかな? 会社が吹っ飛ぶようなことをやらかしてる以上、簡単に片付くと思えないんだよ。周到に準備してるだろうし、追記だって、考えようによってはプレイヤーに対する宣戦布告みたいじゃない? だから、今の時点でカルミナの中にいるわたし達にできるのは、とにかく早期に情報を収集して、状況を把握して、精神と生活の安定を図ることだと思う」


 なるほど、と涼は心の中で相槌を打つ。


 そして、伝令プレイヤーの善意を思い出した。


「そっか! 情報を集めて、たくさんのプレイヤーに共有してもらうって大切なことだよね!」

「あ? え? うん、そうだね」

「分かった。私、村に行く。情報を集める」


 涼が拳を握り鼻息も荒く宣言すると、明は気圧されたように半歩後ずさった。


「ちょっと違うんだけど……まあいいか。えーと、とにかく、無理をしないように。状況が変わりすぎてるんだから、これまでの常識で考えちゃダメ。危険だと思ったら自分の身を最優先してクリスタルを使うこと。今までみたいに、呼べばすぐにわたしが駆けつけられるって訳じゃないんだから」

「うん。頑張る!」

「うーん、頑張りすぎなくていいから。特に目新しい情報がなかった場合は長居せずに、すぐに……じゃなくて、んーと……今晩……じゃなくて、3日後には一旦戻ってね。何回も言うようだけど、無理をしないように、冷静に、慎重に行動すること。分かった?」

「了解!」

「ほんとに分かってるのかな……」


 明は左手でこめかみを押さえながら、大きなため息をつく。


「わたしもギルメンと合流して、こっちの情報を集めておくからね。それじゃあ3日後か、現実で会おう」

「うん!」


 涼は木の幹にもたれる明の正面に立つと、小さく手を振ってから、自然体を取る。


「行ってくるね、メイちゃん! リターンホーム!」




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