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カルミナオンライン  作者: 森
第2章 Falsus in uno,falsus in omunibus.
19/20

2-07




 シモと別れてから約30分後、明達は涼のプライベートホームに集合していた。


 幸いベルナドットも帰還しており、彼らはヤエ達と共に笑顔で迎えてくれた。しかし、明の重く沈んだ表情と、おろおろと狼狽えるばかりの涼、憮然としているシーダを見た彼らの顔からは、笑顔が消えた。


 明が脱力したようにソファに腰掛けると、涼はヤエを下がらせて、自ら冷えた麦茶を入れた。そして、明の正面に陣取った。その横にシーダも座り、明の顔を凝視する。二人の行動を受けて、他のメンバーも訝しがりながら椅子に腰を下ろす。


 明は膝の上で組んだ両手を見つめながら、彼らの突き刺さるような視線を感じていた。


 今は話せないとだけ繰り返し、強引に転移クリスタルでスサを離れた明に、涼もシーダも不信を抱いていることだろう。明の顔に向けられた二人の視線が、どうしてスサの村人を見殺しにしたのか、と責めているようで痛かった。


 いや、おそらく涼は、明を責める意図などないに違いない。明の判断に全幅の信頼を置き、明の判断には筋道正しい理由があるのだと考える。それが涼だ。視線を向けているのは、明の説明を待っているからだ。涼の無邪気な信頼が明を苛立たせ、心をえぐる。


 何を話すべきか。何を隠すべきか。明は慎重に言葉を紡ぐ。


「……みんなに、話があります。これは、急を要します」


 明は涼から視線を逸らしながら言い、語り始めた。


 『CFA』内部の現状。『おわりのはじまりのジレンマ』と『贖罪』。『贖罪』のクエスト内容。『乾いた顎のゴシップ』を利用したピギーバック。サツカ村に迫り来る不死系Mobと、彼らが喧伝するであろうキーウェスの真実。


 聞き終えたメンバーは、血相を変えた。彼らが、嘘に嘘を重ねてでも回避したかかった最悪の事態。安住の地であるサツカ村の崩壊が現実になろうとしているのだ。


 明は彼らの混乱を利用して、情報源は『バー・クラープラ』に所属する前に知り合っていたプレイヤーであると、おまけのように小さく付け加えた。


 これは、嘘ではない。ただし真実でもない。情報源のシモは『明』の知り合いではあるが、『メイ』ではなく『グリフレット』のものだ。真実を語らないのはシモの難しい立場を慮ったためだが、シモについて話せば『グリフレット』に触れる危険性があったからだ。


 『ブッチャーズブルーム』には、『メイ』に相当する小柄な女性プレイヤーがいない。『ブッチャーブルーム』は、今や全員が新聞に名前が載る有名人なのだから、調べればすぐに分かることだ。そして『ブッチャーズブルーム』所属で、今現在カルミナオンラインにログインしていないメンバーは、全員が体格の良い男性だ。


 ならば『メイ』のプレイヤーは誰なのか、といった疑問が沸くだろう。男性プレイヤーが作成したサブキャラクターではないかと推測されてしまうかもしれない。


 『メイ』のプレイヤーが28歳の男性、指宿明(いぶすきあきら)だと知れるのが怖いのではない。『ネカマ野郎』の存在に多少はぎくしゃくするだろうが、『バー・クラープラ』のメンバーなら最終的に笑って受け入れてくれるはずだ。彼らにはその度量がある。


 しかし万が一、彼らが脳のタイムリミットについて気付いてしまったら、明は不利な状況に陥る。


 メンバーはおそらく『現実の肉体≒キャラクター』なので、脳のタイムリミットに気づく可能性は恐ろしく低い。しかし、予想できる危険は避けるべきだ。


 明が何らかのアクションを起こす度に、メンバーにリスクがあったとしても自分が一刻も早く現実に帰りたいからというエゴで動いているのではないかという疑惑を抱かれるかもしれない。一挙手一投足を疑われるかもしれない。一度抱いた疑惑は、そう簡単に消えないものだ。実際に、農村ライフの予定を変更してベルナドットをサベレコリスへ行かせたり、イズモやスサで魔法を覚えようとしたのは、明個人の焦りから生まれた行動だ。これを悟られてしまったら、明は行動の自由とメンバーの信頼を失う。


 万が一『グリフレット』のことが知れてしまったら。万が一『脳のタイムリミット』について知れてしまったら。どちらも極々僅かな可能性で、脳については推測に過ぎない状態であるにも関わらず、全力で保身を図ろうとしている。


 だが、『バー・クラープラ』のメンバーは聡い。いずれ疑問を抱くだろう。いや、すでに気づいているかもしれない。昔の知り合いとはいえ、現在は特に親しくもないプレイヤーが明に『CFA』の極秘情報を漏らすのが、そもそもおかしな話だからだ。


 そこまで考えた明は、勢いよく顔を上げて正面に座る涼を見た。


 涼は『グリフレット』のことを知っている。『グリフレット』の容姿や、『ブッチャーズブルーム』のギルドメンバーであることだけでなく、シモに会ったこともある。涼が話してしまえば、全てご破産だ。Mobや『バー・クラープラ』メンバーへの対応ばかり考えて、口止めを忘れていた。


 明は、何もしゃべるなという意思を込めて、険しい眼差しで涼を見つめた。明に睨みつけられれば、涼は自分が何か失敗したのかと考えて萎縮し、沈黙する。それが常だ。


 しかし涼は、明の予想に反して薄く微笑んだ。


 かっと明の頭に血が上る。思考を支配したのは、羞恥と怒りだ。涼に考えを見透かされて同情されたと感じた羞恥、涼が自分に逆らったと感じた怒り。


「サベレコリスに『CFA』のメンバーが少なくなったのは、そのせいか……」


 ベルナドットは額に手をやって天を仰ぐ。


 明は開きかけた口をかろうじて閉じた。


「リーチャ達にはちょっと話したけど、『CFA』と『円卓』はかなりやばい状況だぞ」


 ベルナドットの到着時、サベレコリスにいた多くのプレイヤーは『CFA』に加入し、あちこちへと旅立っていたらしい。


 以前から『CFA』はインプレッションが地を這ったサベレコリスを放棄して、他の都市に移住するつもりなのではないかという噂はあった。そこへ、『CFA』メンバーがサベレコリスから大量に姿を消すという事態が起こった。メンバーが少なくなったのは『贖罪』をクリアするためなのだが、事情を知らないプレイヤーは移住開始としか受け取れなかっただろう。


 未所属で動静を見守っていたプレイヤーは、バスに乗り遅れるなとばかりに雪崩を打って『CFA』へ加入した。加入したプレイヤーの中には、これまで『CFA』にも『円卓騎士団』にも所属していなかった探検派ギルドやソロプレイヤーも含まれていた。


 あるいは彼らは、バスではなく片道切符の最終電車だと解釈したのかもしれない。『CFA』は新天地へ行く。これまで『CFA』に背中を向けていた者達にとっては、最後の機会だ。今ならまだ許されるに違いない。まだ便乗できるに違いない。なぜなら彼らは、『Carmina friendship association』――『カルミナ友好協会』なのだから。


 『おわりのはじまりのジレンマ』をクリアするためとはいえ、『CFA』が行っていた地道なプレイヤー救済策がここで生きたと言えよう。


 『CFA』のこの動きに対して、『円卓騎士団』は猛然と抗議を行なった。


 『円卓騎士団』はクエストクリアで現実への帰還を目指すギルドで、プレイヤー救済には消極的だった。しかし、各地のワンダラー討伐については『CFA』と協力態勢を取っている。フォーテス王国に湧いた4体のアンルリーホーンを倒すために、両ギルドがトップレベルプレイヤーを派遣した事件は記憶に新しい。


 ギルドの運営方針等で相容れなかったとは言え、少なくともワンダラーに関しては協力態勢にあった『円卓騎士団』に、何の説明もなくサベレコリスを放棄するとは何事だ。クエストクリアのため最前線で戦い苦しむ『円卓騎士団』の成果を、新天地で寝て待つつもりか、というのが彼らの言い分だ。


 おそらく『贖罪』のためにケンシン達首脳陣がオリジア皇国で散らばっている『CFA』は、ギルドとしての回答を速やかに明示できなかったのだろう。回答を得られず、業を煮やした『円卓騎士団』は、『CFA』に要求を投げつけた。


 新天地でワンダラーに襲撃されて危機に陥ったとしても、協力しかねる。あくまでも『CFA』がプレイヤーの救済に重きを置くなら、セルフマッピングデータを統合したマップを渡してもらいたい。『円卓騎士団』が有効活用する。そして、『円卓騎士団』はこれからもサベレコリスを拠点にし、健全化を目指す。サベレコリスを放棄する以上、マイナスのインプレッション値を持つ『CFA』メンバーは、今後サベレコリスに入らないでもらいたい、という物だ。


 この要求に対する『CFA』の回答はまだない。ベルナドットは、情報を得るために接触した『円卓騎士団』のメンバーに、『円卓』に加入しないのなら今後サベレコリスには立ち入るなと厳重に注意されたそうだ。


「……なんだって『CFA』は、『円卓』との協力関係をぶち壊すような真似をやらかしたのかと思ってたんだが、『CFA』も『おわりのはじまりのジレンマ』のクリアを目指してたんだなあ。なあメイ、『CFA』と『円卓』、どうなると思う?」


 ふいにベルナドットに話を振られた明は、必死に冷静さをかき集めて脳を回転させる。


「対立の激化はないと思います。『CFA』にも『円卓』にもスパイが出入りしていますから、首脳陣はお互いの内情をある程度把握していると考えるべきです。あるいは、事前にコモンセンサスを図っているかもしれませんね。『円卓』の要求は、裏事情を知らない下部メンバーや未所属プレイヤーへのパフォーマンスに過ぎないでしょう。『CFA』の方も、ギルドメンバーが『円卓』の糾弾で動揺しないようにあらかじめ通達しておくくらいはやってそうです。結局は、適当なところで手打ちになるんじゃないでしょうか」

「なんかリアルの政治家と一般市民の関係みたいでちょっと嫌になるな……」

「人と人、利益と不利益のぶつかり合いですから、現実に似るのは仕方がないのかもしれませんね」

「あー……まあ、そうだよな。仕方がない、か。よし、みんな。状況は把握したな? 質問は?」


 ベルナドットは明るい声で言いながら、ぱんと両手を合わせた。


 何てことのない、実にベルナドットらしい司会ぶりだ。『バー・クラープラ』は、リーダーのベルナドットと参謀役の明のやり取りで、ほとんどの事案が片付く。それはベルナドットが全員の表情を細かに見て、納得していない様子のメンバーがいれば水を向けるからだ。そして、明の分析が信頼されているからでもある。


 ここでメンバーが了解の旨を表明すれば、具体的な作戦内容の提示に入る。これも、いつもの流れだ。


 だが今の明には、ベルナドットが『メイ』への糾弾の場を設けたようにも感じられた。


 シモもこんな思いをしているのだろうかと、明の胃がきりきり痛む。エゴと罪悪感の狭間。仲間に対する邪推と疑心暗鬼。ベルナドットは、明が隠し事をしていることに気づいているのではないか。誰かが、おかしな点に気づいているのではないか。涼が口を開くのではないか。


「ないみたいだな。『CFA』に村の存在が知られるのは避けたいが……俺らの選択肢は、村での迎撃しかない。最優先事項をMobの殲滅および村人の防衛に絞る。メイ、作戦は?」


 明はこくりと頷くと、セルフマッピングデータを展開して可視化した。その僅かな動作の中で、誰にも気取られないように細く長い息を吐き、極限まで高まっていた緊張を逃す。


「Mobは街道ではなく、山間部を通っていました。黄泉比良坂とスサの位置関係を考えると、おそらく標的に向かって直線で移動しているものと考えられます。不死系Mobによく見られる猪突猛進行動ですね。目算ですが、移動速度は時速1kmほどでした。彼らは死体系を連れているので極端に足が遅い。でも不死系は疲れを知りませんから、24時間休むことなく移動するでしょう。となると一日の移動距離は約24km。アップダウンが激しい山間部を通るので、さらに足が鈍るとして約20km。黄泉比良坂からこの村までの直線距離は約60kmで、今現在、約40km地点のスサに到達しているということは、この村に到着するのはおよそ20時間後。明日の夕方から夜半です」

「時間がないな。とりあえず村人は礼拝所に集合させるとして……って駄目か。Mobがキーウェスは英雄候補じゃない、とか言いふらすんだよな。礼拝所の中にいても声は通る。話を聞かれて動揺されるのはまずい。誘い出されたら終わりだ。他所の村に避難させ……って、これもできないのか」

「どうして他の村へ避難できないんですか?」


 涼が眉を八の字に下げる。そんな情けない顔をするなと思いながら、明は口を開いた。


「これはあんまり知られてないNPCのルーチンなんだけど、NPCはクエストや祈念や戦争なんかの特殊フラグが立った場合や、人口上限を超えそうな時の単身移住を除いて、所属集落のエリア内から出ないみたいなの。出ないって言うより、システム的に禁止されてるって言った方がいいかな。プレイヤーが無理やり連れ出すことは出来るけど、エリアの境で固まるから担いでいかなきゃいけないし、拘束を解いたら猛ダッシュでエリア内に戻っちゃう。行商人やパルミ族なんかの例外はあるけどね」


 明達『バー・クラープラ』の面々は、苦い記憶を思い出していた。


 『バー・クラープラ』は未知の美酒や珍味を求めて、密林や山岳等の僻地に出かける。それらのエリアは凶悪なMobの生息域と被っているだけでなく、自然災害が多い。以前、山火事を察知した明達は近隣のNPCを避難させようとしたことがあるが、彼らは地面に根が生えたように動こうとしなかった。鉄砲水の時も、やはり同様だった。それどころか、苦労して連れ出したNPCは、明達の隙をついて燃えさかる森や、濁流荒れ狂う盆地へ戻ってしまったのだ。まるで、暗闇で光へ突進する羽虫のように。


 運営は、世界を調整しやすくするために、NPCの移動をシステム的に制限したのだろう。仮にNPCがプレイヤーに伴われて大移動してしまったら、ありとあらゆるバランスが崩れる。一度崩れた世界のバランスを修正するのは骨が折れる。


 理屈は分かる。理屈は分かるのだが、目の前でNPCが死地に飛び込んでゆく様は、トラウマレベルの後味の悪さだ。


「……サベレコリスからNPCが離れないのも、そのせいなんだよ」


 シーダが、腿の上でぎゅっと拳を固めながら言う。


「だからツインの時も、NPCがたくさん犠牲になったんだ。エリアを離れることができれば、外縁部のNPCは『サーギングウェイブ』の範囲外に逃げられた。もっと助かったはずだった。サベレコリスがあんな酷いことになってるのに、NPCが離れない……離れられないのは、そのせいなんだよ」


 行き場のない怒りと悲しみが込もったシーダの声色に、全員が押し黙った。


 サベレコリスのNPCは、システムの生贄のようなものだ。


 彼らはMobの攻撃に晒されようと、プレイヤーの非道と搾取の犠牲になろうと、決してサベレコリスから離れられない。エリアから出られないというシステム上の制限、そしてもう一つ、サベレコリスが『大都市』であるがゆえの理由がある。


 ギルドメンバーはそれを知っているが、何も知らない涼に告げるのは躊躇われるようだ。ちらりと明に目をやり、申し訳なさそうに言葉を促してくる。


 明は若干の諦めと共に、ため息をついた。


「NPCがサベレコリスを離れられないのは、出身集落だからってだけじゃないの。英雄殿があるからなんだよ」

「……英雄殿が? どうして?」

「NPCは所属集落エリアから出られない。原則的にはそうなんだけど、自然災害や飢饉なんかで集落を保てなくなった場合に限っては、逃散っていう形で最寄りの英雄殿がある集落に移住する。でもサツカ村には英雄殿がある。村人には、所属集落エリアと英雄殿の二重の縛りがあるから、ここを離れられない」


 メンバーが危惧したとおり、涼の表情が強ばった。


 自分のせいで村が襲われるだけでなく、自分が英雄になってしまったせいで村人達が避難できないのだと考えてしまったのだろう。博愛と自己犠牲精神の塊である涼の思考など、明には簡単に推測できる。


「じゃあ、もし私が」

「『英雄放棄』とか考えても無駄だよ。仮にリョウちゃんが英雄放棄しても、壊滅的な被害を受けない限り移住フラグは立たないんだから」

「じゃあ、英雄放棄と、プライベートホームも破棄したら」

「そうだね。英雄殿、プライベートホーム、ギルドホームを放棄したら、村は標的から外れる。でもね、この村の英雄殿はもう祈念のルートに入ってるんだよ。NPCの特殊行動フラグ、祈念や戦争が始まった場合、プレイヤーの行動より優先されるケースがあるって知ってるでしょ? 仮に今放棄しても、すでに祈念フラグが立ってるNPCの祈念が終了しない限り、英雄殿はシステム的に消滅しない。祈念帳にはホウキ――鳥取県のNPCの記名もあった。リョウ英雄殿は少なくとも山陰地方、広ければ中国地方の祈念ルートに組み込まれてる。もう間に合わない。不死系Mobの襲撃と、サツカ村の存在が『CFA』に知られてしまうのは確定してるの。リーダーが言ったように、わたし達に出来るのは村人の被害を最小限にすることだけ。状況は、もう完全に詰んでるの」

「じゃあ……」

「だーかーらー。あのね、リョウちゃん。その場しのぎは最悪手だよ。それと、二手三手先まで考えなきゃいけないのは、思考だけじゃないの。発言もそう。特に今は一秒でも惜しいんだから、余計な話をしてる暇はないの。分かった?」

「……ごめんなさい」


 涼は力なく俯くと、太ももの上で震える指を組み合わせた。明に叱られている時に無意識にする仕草だ。猛省している証なのだが、何故だかその態度が妙に鼻について、明はあからさまな溜息をついた。


「おいおい、どうした。落ち着けよ、メイ。リョウちゃんだって、村を守るために考えたんだろ。英雄の立場やこんな御屋敷を捨てるなんて、そう簡単に言えることじゃないだろ? そんなキツイ口調で言ってやるなって」


 明は、はっとなってベルナドットの顔を見た。


「わたし、そんなにキツイ言い方してましたか?」

「少しな」


 自分の発言を思い起こしてみると、キツイ口調、というよりは涼を小馬鹿にした言葉使いだった気がする。どう考えても好ましいと言える態度ではないし、『女友達』に吐く台詞でもない。


「いや、でも悪いのは俺だ。ここんとこ、俺はメイに頼り過ぎてた。いくらメイでもオーバーフロー気味だろ? それなのに今も作戦やら何やら、全部メイに放り投げようとした。メイ、気がつかなくてすまなかったな。リョウちゃんも、メイを疲れさせてすまなかった」


 言ってベルナドットは、涼と明に深く頭を下げた。


 明の良心がうずく。


 ベルナドットは、自分が泥を被ることでこの場を収めようとしている。サベレコリスでの土下座といい、今の涼と明を気遣った謝罪といい、こういったとんでもない事をごく自然にやってのけるから、この男には適わないし、嫌われたくないと思ってしまうのだ。


 己の内側に抱え込んでいる秘密と焦りが、涼に対する悪態となった現れたのかもしれない。涼なら八つ当たりしても、後で謝れば水に流してくれるからだ。


 そこまで考えた瞬間、明の頬が羞恥で熱くなった。


 涼には八つ当たりをする。涼だけには。


 それはつまり、涼に甘えている、という事だ。


「メイちゃん、ごめんね。ベルだけじゃないよ。私もメイちゃんが疲れてるなんて全然気づかなかった。ううん。考えなかった」


 明の頭に上った血を冷やすように、フェリーチャのか細い声が紡がれた。


「私も同じだよ。情報を集めて、分析して、作戦を考えて、夜遅くまでクリスタルを作って……メイちゃんが一番しんどかったのに」


 フェリーチャに続いて、サライアが唇を噛む。


 明は非常に気まずくなり、視線を膝に下ろした。


 疑われ、糾弾されるより、優しく気遣われ、信じられる方が辛い。


「あ、そうだ! 僕、甘草持ってますよ! 狩りに行ったとき見つけたんです!」

「……ユンカース?」


 全員が、突然こいつは何を言い出すんだと呆れ顔になる。しかし当のユンカースは、自信満々でアイテムポーチから植物を取り出し、ずずいっと印籠のように構えた。


「疲れてる時は甘いものっすよ!」

「そっか! 私、メイちゃんが疲れてるのに、麦茶出しちゃった! ごめんねメイちゃん! 待ってて! すぐにココア入れるから! ミルク多めだよね!?」


 ユンカースの言葉を受けて、涼がファイティングポーズのように両拳を固めながら立ち上がった。そして、全速力で厨房へ入って行く。なぜかユンカースもその後を追った。残りのメンバーは、明後日の方向へ進んだ展開について行けず、ぽかんと口を開けた。


「……やっぱ、天然ちゃんの相手は疲れるよなあ、メイ?」

「……ええ、まあ、そうですね」


 ベルナドットと明は、目を合わせた後に揃って苦笑した。そんな二人をよそに、シーダ達は、甘草を生のまま食べさせるつもりだったのだろうか、せめてポーションにしないと飲みにくいのでは、精神疲労ならビタミンEが効くはず等の微妙にずれた話をしている。彼らも天然二人組に毒されたのかもしれない。


 明は、そんな彼らに呆れる振りをして、自分の不甲斐なさと弱さを嘲笑った。


 嘘は、嘘を呼ぶ。


 一度嘘をついてしまったら、嘘で築いた土台の上に立ちたいのであれば、その後も嘘で塗り固めなくてはならないのだ。それが、塗炭の苦しみであろうとも。






 大量のゴザ・すのこ・布団・枕を抱えた涼が、ばたばたと御屋敷の中を走り回っている。アイテムボックスから取り出されたそれらは、イネ達によって1階多目的ホールに敷き詰められてゆく。涼の手持ちの布製品は大抵が少女趣味な小花柄なため、広げられた布団はまるで一枚のパッチワークのようにも見える。


「あ、メイちゃん、おかえり~。森の様子はどう?」

「今のところは異常なし。地形もおおまかな部分は把握したよ。細かいところは明るくなってからやる。そっちはどう?」

「お布団の準備がもうちょっとかかるかな? 終わったら朝ご飯の支度するね」


 結局、村人は涼のプライベートホームに避難させることになった。


 プライベートホームの敷地内には、オーナーである涼が許可したプレイヤーおよび登録済みNPCしか入れない。Mobや未登録プレイヤー・NPCが敷地に入り込もうとしても、物理的に弾かれる。そして敷地内では、オーナーと登録者を含む全てのプレイヤー、NPC、Mobによる加害行動が封じられる。ある意味で、英雄殿や礼拝所を超える絶対安全圏と言える。


 村人を避難させるための説得は、明が拍子抜けするほどスムーズに終わった。


 カルムイーターの襲撃が記憶に新しいせいもあるが、涼が説得に当たったことが大きいだろう。涼はサツカ村の英雄だ。村人達にとって、神にも等しい存在である。システムによって禁止された行為でない限り、彼らは最優先で受け入れる。


 そして村人達が不死系Mobの襲来を告げられても恐慌状態に陥らなかったのは、カルムイーターを撃退した涼と明に加えて、『バー・クラープラ』のメンバーもいるからだろう。村人達は英雄である涼と、キーウェスであるメンバーを完全に信頼している。


「あのさ、リョウちゃん」

「何? あ、そうだ。村のみんなの寝場所なんだけど、ホールにすのこを敷いて、その上にゴザを敷いて、最後にお布団を敷いたら床からの冷気も何とかなると思うのね。でもお年寄りが床で、っていうのは可哀想だから、2階の客間のベッドにしたいの。今はベルナドットさんとリーチャさん以外ひとり一人一部屋なんだけど、明日はちょっと詰めて、ベッドを開けてもらえたらって思うんだけど……ダメかな?」

「あー……うん。問題ないと思うよ」


 明は、完全に毒気を抜かれて笑った。


 『グリフレット』について涼の口止めをしておかなければならないと重い気分でやって来たのに、涼は実に彼女らしく、生活環境の向上だけに心を砕いている。二人きりで話す時間を作るために、ギルドメンバーの隙を伺っていた自分が馬鹿らしくなるほどだ。


「掛け布団と枕も少し足りないんだよ。もっとたくさん作っとけばよかった」


 涼は心底悔しそうだ。


 しかしオリジア皇国の庶民は、そのモデルとなった室町時代の文化に従って、板間か土間にゴザを敷き、寝ゴザか寝むしろを掛けて寝ている。サツカ村では、涼がそれはあんまりだということで綿を栽培して作成した夜着や敷布団を作って配布しているが、実はすでに王侯貴族でも有り得ない上等な睡眠生活を送っているのだ。その上に、掛け布団や枕の数を心配し、お年寄りにはベッドを提供しようという発想は、現代日本人だからなのだろう。


 明はやれやれと言いたげに肩を落とす。その視界の端に、ヤエが小皿に乗せたパウンドケーキの切れ端を持ちながら、きょろきょろとしている様子が目に入った。


「ヤエさん、どうしたんですか?」

「あの、ユンカースさんはどちらにいらっしゃるのでしょうか?」

「ユンカースなら、まだ森にいるはずです。何か御用ですか?」

「あの、その、パウンドケーキが良い頃合になったので、味見をしていただきたくて……」


 ヤエはやや俯いて、もじもじしながら言う。頬がうっすらと赤くなっている。


「良ければわたしが味見しますよ。いい焼き色ですね」

「でも切り落とし部分ですし。それにメイさんのお口に合うかどうか」

「いえいえ、ヤエさんが作ったお菓子はハズレなしですから。いただきまーす」


 明はひょいと切れ端を摘んで口に入れる。


 ブランデーを飲みたい、と明は真剣に思った。


 ブランデーに合う肴は幾つかあるが、明はイチジクやアプリコット等のドライフルーツか、それを使用した焼き菓子と合わせるのを好む。ヤエが作ったパウンドケーキには刻んだドライアプリコットが入っており、涼が作るものと全く同じ味で、明のストライクゾーンど真ん中だった。


「ヤエさん、これ、めちゃくちゃ美味しいですよ。パウンドケーキなのにぼそぼそしてないし、しっとりしてて、甘さもちょうどいいです」

「ほんと、すごくおいしいよね! リキュールも染み染み! 熟成したのは正解でしたね~」

「え? これ、焼きたてじゃないの?」

「うん。パウンドケーキは出来立てにリキュール塗って、何日か熟成すると美味しいんだよ」

「ケーキにも熟成ってあるんだ」

「レシピにもよるんだけどね。ほら、結婚式の引き出物とかに入ってる焼き菓子って、常温でも賞味期限長いやつがあるでしょ?」

「ああ、そっか! なるほど、そういう事か!」


 明はぽんと手を打った。


 引き出物に入っている洋菓子類は、真空パックもしていないのに常温保存で賞味期限がかなり長いものがある。てっきり保存料が大量に入っているのだろうと考えて口にしなかったが、長期保存を目的として作られている菓子もあるわけだ。母と涼がよく菓子作りをしていたが、何となく割って入れない空気だったので敬遠していたことが裏目に出た。


「あの、よろしければお茶をお持ちしますが……」

「ありがとうございます。お願いします。リョウちゃんもお茶しない?」

「する~。ちょうど喉渇いたところだったんだ~」


 二人が床にぺたりと座り込むと、ヤエはいそいそとキッチンへ入った。


「熟成かあ……。料理はひと手間が大切って言うけど、ほんとだね」

「うん。カルミナはシクストロだから、リアルと同じレシピで手間をかけてお料理を作れるんだ~。発酵や熟成もちゃんと出来るしね。他のVRMMORPGだと、こういうことできないんでしょ?」

「あー、たぶん、生き残ってるやつにはシクストロベースのってないね。って言うか、カルミナみたいな戦闘メインのVRMMORPGで料理を手作りしようって人はまずいないだろうし」

「せっかくシクストロなのに勿体ないなあ」


 シクストロとは調理系ソフトウェアのひとつで、プロユースの最高峰である。使用料が高額であるため、通常はVRの調理師専門学校や法人経営の料理教室等などしか使用しない。涼が通っていた料理教室もシクストロを採用していたが、会費はかなり高額だった。


 『食』は、複雑かつ総合的な感覚だ。人間は、嗅覚、視覚、聴覚、触覚のどれかひとつでも制限されると、味覚がかなり鈍化する。また、調理にも繊細な感覚を必要とする。調理系ソフトウェアは、必然的に五感を再現する高性能ソフトウェアにならざるを得ないのだ。


 そしてカルミナオンラインは、シクストロを調理だけでなく五感のコア部分に採用している。


 調理系ソフトウェアを娯楽系VR世界の五感のコアに据える手法は、ここ数年で流行し始めた。それ以前は、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感を各社が独自に開発するか、各種ソフトウェアを組み合わせて基礎を構築するパッケージングという技術が使用されていた。


 調理系ソフトウェア台頭の要因は、精度こそシクストロに劣るものの、使用料が安価な調理系ソフトウェアがいくつか開発されたというコストの問題。もう一つは、調理系ソフトウェアをコアに五感を構築するコネクティングと呼ばれる技術が確立されたからである。カルミナオンラインはコネクティング系VRMMORPGの先駆けと言えるだろう。


 現在のVRMMORPGプレイヤーは、自身は全く料理をしないにも関わらず、調理系ソフトウェアに異様に詳しいという奇妙な状態になっている。


 シクストロを採用しているカルミナオンラインで肝心の調理が流行しないのは、調理設備の充実が難しいからだ。IHヒーターやオーブンレンジに慣れた現代人が、炎や窯で料理を作るのは難易度が高い。そもそも野営時には窯すらないので、調理スキルを使用せずに食事を作ろうとすると、必然的に焚き火で丸焼きか、バーベキューセットでの炭火焼、良くてもダッチオーブンで作る野趣溢れる料理が主流になる。そういった意味では、シクストロの本来の技術である超絶的な調理エンジンを有効利用できていない。


「ゲームだと調理スキルで作ったほうが早いから、仕方がないよ」

「でもあれって味気なくない? 実行ボタン押すだけなんだもん。味だって、調整しても似たような感じになっちゃうし、他の素材をあんまり入れられないし」

「仕方がないってば。パンひとつ作るだけでキッチンの設備も材料も揃えるのが大変でしょ? たぶんカルミナで自家製イーストから作ってるのはリョウちゃんくらいだよ。……あれ? リョウちゃんが料理教室辞めたのって、ひょっとしてカルミナでシクストロ使えるから?」


 涼は明からすいっと顔を逸らし、わざとらしく目線を宙に彷徨わせる。どうやら、正解だったようだ。涼がカルミナオンラインにはまったのは、農村生活を楽しめるだけでなく、シクストロによる調理を思う存分楽しめるからという理由があったらしい。


「えーと、そうそう。ヤエさん達なんだけどね、最近はみんな凄いんだよ。前はお料理の作り方を教えても覚えてくれなかったんだけど、ヤエさんはカレーのスパイスの調合も出来るようになったし、焼き菓子も得意だし、イネさんなんかスモークサーモンも作れるの。お台所での出番がなくなっちゃう」

「へえー」


 明は意地悪く笑いながらも、涼の見え透いた話題の転換に乗ってやることにした。


 涼が直々に指導しただけあって、ヤエのお菓子作りの腕は一級品だ。マドレーヌ、フィナンシェ、シフォンケーキやクッキー類の焼き菓子は売り物でも十分通用する。今朝の食卓に登ったクロワッサンも、しっとりさっくりした食感で見事な出来栄えだった。以前食べたスコーンやマフィンも良かった。


 ふと、明は疑問を抱く。


 プレイヤーからNPCへの文化の伝播はブロックされている。カルミナオンラインの特徴の一つである『カルチャーブロックシステム』だ。各国の特色を守るために、衣食住に渡って実に細かい規定がなされている。


 唐辛子やじゃがいも、トマト、ナス等の現代ではありふれた食材も、15世紀中頃から始まる大航海時代にアメリカ大陸原産の植物がヨーロッパを経由して、その後何百年もかけて世界的に広まった代物だ。16世紀頃の文化をモデルとするカルミナオンラインの中では、食材として一般に普及していない。地域によっては、トマトが観賞用だったり、酷い場合は毒物扱いだったりする。


 今現在、アメリカ大陸は『灰大陸』と呼ばれる未実装地域である。これらの食材は、南方メレディエス西の洋上に浮かぶ諸島でしか採取できない。プレイヤーはわざわざ現地に赴いて採取するか、プレイヤー店舗での売買でしか確保できない。『カルチャーブロックシステム』のせいで、NPCには栽培が広まらないのだ。


 これほど厳しい『カルチャーブロック』が働いているカルミナオンラインで、中世の日本――室町時代の日本人であるヤエ達が、西洋の菓子を作ることなど有り得るだろうか。


 ひょっとしたら、ヤエ達が涼の従業員NPCであるからかもしれない。サツカ村における涼のインプレッションの高さに寄るものなのかもしれない。涼が英雄になったことによる、数々の特典の一つなのかもしれない。


 だが明が知る限り、『カルチャーブロック』を突破した例は、これまで一つとして存在しなかったのだ。


 そこまで考えた明は、咀嚼を止めた。


「ねえリョウちゃん、前はヤエさん達、料理を覚えてくれなかったの?」

「うん」

「でも、今は覚えるんだよね。いつ頃からそうなったの?」

「いつだったかな。結構最近だよ」

「……追記事件の前? 後?」

「……後、かも」


 涼もパウンドケーキを頬張るのを止めると、眉間に皺を寄せる。


「あれ? おかしいな。そう言えば、どうしてみんな急に、お菓子のレシピを覚えたり、作ってくれるようになったんだろ。前はそんなことなかったのに。教えてもすぐ忘れちゃって……。そうだ。追記事件の後、メイちゃんに言われて村に帰ってからだよ。『クラウィス・リベラ』で冷燻レシピが出たから、サベレコリスでお肉とか塩漬けサーモン買って、ここで燻製にして……スモークサーモンをサンドイッチにしたら、イネさんが美味しい美味しいってたくさん食べてくれて。作り方を教えて欲しいって。お魚だから食べやすいのかなって思ってたんだけど」

「っていう事は、英雄認定の前、か。もう一回聞くけど、追記事件の前はそういうこと……NPCへの他文化の伝播がなかったんだね?」

「……うん」


 明は、口元に手をやって考える。


 追記事件で変更になったのは、Mobのアルゴリズムだ。NPCではない。現にサベレコリスのNPCは、所属エリアや英雄殿に縛られたままだ。


 明の脳内で、はっきりとした形にならない薄気味悪い疑問がぐるぐると回る。


 この村で、奇妙に感じたことがいくつかある。


 カルムイーターと戦いに行くと宣言した涼を止めた村人達。ポーションがほとんど効かなかった村人達。明が知るNPCとは、あまりにも違う村人達。


 同時に、それに似た奇妙な違和感があったことを思い出した。村に来た後ではない。もう少し前だ。そう、追記事件の直後だ。


「Mob……。そうだ、Mobだ。なんで『モンスター』じゃなくて『Mob』?」


 明は慌ててウィンドウを呼び出すと、『追記事件』のアナウンスを表示した。ワンダラーMobの実装、全Mobの行動アルゴリズム変更など、そこにははっきり『Mob』と記されている。公式アナウンスなのだから、『モンスター』と記述されてしかるべき場所にだ。


 カルミナオンラインにおいて、プレイヤーと敵対する存在の正式名称は『モンスター』だ。『Mob』ではない。『Mob』はあくまでもプレイヤースラングなのである。


 『Mob』の語源は諸説あるが、英語のmob(群衆・大衆)と、Movable object(動く物体)の略を合わせた言葉とされている。モンスターや村人等、プレイヤーによって操作されていない可動物全般を指す。21世紀のMMORPGには、敵=モンスターと言い切れない作品もあった。そこで敵とモンスターと区別する必要性から、Mobという言葉が生まれた。


 ただしVRゲームでは、プレイヤーを襲う敵は必ずモンスターだ。PCのMMOとは異なり、VRゲームは限りなく現実に近いため、対人戦は人間の暴力性や残虐性を助長するなどの世論によって、規制され続けてきた結果である。戦争等の対人イベントが存在するVRゲームでも、プレイヤーは参加できない仕組みになっている。この場合は、エネミーという言葉が使用される。Mobというスラングは、現在では死語に近くなっているのだ。


 では何故カルミナオンラインのプレイヤーがモンスターを『Mob』と呼ぶのかと言えば、クローズドβ時代は公式サイトでMobと呼称されていたからだ。オープンβからは『モンスター』に改称されたが、すでにMobという単語はクローズドβプレイヤーに定着していた。その後に参入したプレイヤーも、彼らに倣ってMobと呼ぶようになった。モンスターの略であるモンスと呼ぶプレイヤーもいるが、それはかなりの少数派だ。


 『Mob』を本来の意味で考えるなら、村人達NPCもMobだ。Mobのアルゴリズムの変更が、モンスターだけでなくNPCにも適用されているとしたら。


「あの……ごめんね、メイちゃん。こういうのも、ちゃんと報告しなくちゃいけなかったんだよね」


 明が突然の謝罪に驚いて顔を上げると、涼はこれ以上ないほど縮こまっていた。


「私、ほんとに頭悪くて、気も利かないし、メイちゃんの足引っ張ってばっかりで……ごめんなさい」

「涼ちゃんは村人の側にずっといたから、逆に気づかなかっただけだよ。ほら、毎日顔を合わせてると太ったとか痩せたとかの変化に気づきにくかったりするじゃない? それと一緒。仕方がない事なんだから、謝らないの」


 明は小さく笑って、涼の腕をぽんと叩いた。


 サツカ村のNPCは、AIが異様に発達している。涼が人口30人の寒村に入植し、ゲーム内時間で実に24年以上に渡って鍛え続けた成果だ。だからこその学習能力なのだろう。


 それに、涼がサツカ村の英雄になったことも関係しているのかもしれない。明は英雄になったことがないので詳細は分からないが、英雄には任命集落でのインプレッションがMAX固定になる事以外にも様々な特典があったはずだ。文化の伝播なども含まれているのかもしれない。


 しかし涼の言葉が確かなら、変化は追記事件の後、英雄認定の前から始まってる。


「リョウちゃん。リョウちゃんの初期配置は不死Mob迎撃班にしようかなって考えてたんだけど、変えるかもしれない」

「うん。分かった」

「……理由、聞く?」

「何で?」


 涼は、剣呑な表情で小首を傾げた。


「それと、ね。『グリフレット』の事はみんなに言わないで欲しいんだけど」

「うん。分かった」


 こくりと頷く。


 涼は欠片たりとも明を疑っていない。疑わない。


「お待たせいたしました。お茶をどうぞ」


 ヤエが銀盆を左手に現れる。


 盆に乗っているのはロイヤルミルクティーとレモンティーだ。明が好む砂糖とミルクたっぷりの濃いロイヤルミルクティーと、涼が好む微糖のさっぱりしたレモンティー。オリジア皇国の民であるヤエにとって、紅茶は他文化圏の飲料であるにも関わらず、ごく自然に運んでくる。


 明は、未知の生物への恐れを感じながら、ヤエを見上げた。




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