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カルミナオンライン  作者: 森
第2章 Falsus in uno,falsus in omunibus.
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2-08



 暗闇の中、雑木林が微風に揺られて不気味な葉ずれの音を立てる。夜行性動物Mobの活動時間帯であるにも関わらず、これから起こる戦闘を察知しているかのように姿を見せない。

 

 明は待機位置で耳を澄まし、息を殺していた。


 涼のプライベートホームの北東、約100m。それが今作戦における明の初期配置だ。さらに約100mほど北東には、ユンカースも潜伏している。


 山間部での索敵に優れた明とユンカースは、早期警戒網の役割を担っていた。黄泉比良坂から直線で移動する不死系Mobの襲撃ルートは、おそらく北東方面、涼のプライベートホームの裏手になる。


 ちょうど良いことに、風は山からの吹き降ろしだ。運が良ければ死体系Mobの腐臭が、明の『サーチ・エネミー』よりも、ユンカースの『捜索』よりも早く鼻腔に届くかもしれない。腐臭を辿れば、闇雲に山の中を駆けずり回るよりも素早く正確にMobの位置を特定できる。


 位置を特定したら登場するのが、明の手に握られている筒状の物体、信号弾だ。


 メールやチャット等のリアルタイムでの連絡手段が充実していた追記事件以前は、花火代わりかクエスト達成の祝砲くらいしか使い道のないお遊びアイテムだった。しかし皮肉なことに、近代的な連絡手段が失われた今、信号弾は堂々と本来の舞台に立とうとしていた。


 明の信号弾に対して、ユンカースは鏑矢を持っている。これも、以前は完全なお遊びアイテムだった。NPC店舗でも販売しているが、メンバーの手持ちにはなかったので、涼が作った一品だ。木工スキル持ちは、木材を素材とするあらゆる物体を作り上げるプロフェッショナルである。その範囲は建築のみならず木製の杖、弓、矢の武具にまで及ぶ。木工スキル全般を鍛えに鍛えた涼は、優秀な矢師でもあった。


 不死系Mobの襲来と『CFA』との遭遇に備えて、十分とは言えないが出来ることはやった。


 村が『乾いた顎のゴシップ』の不死系Mobの標的となる原因になった英雄殿と、涼のプライベートホーム、『バー・クラープラ』のギルドホームだったが、同時に他のプレイヤーが持ち合わせていない武器でもある。


 プライベートホームやギルドホームの敷地は、英雄殿や礼拝所と同じくMobの侵入不可能エリアである。たとえ鍬の刃の幅しかない敷地であっても、飛行Mobや地中Mobを含む全Mobの侵入を阻む壁になる。


 明達は侵入不可能特性を利用して、野戦築城を行った。築城というと大袈裟だが、要は涼のプライベートホームを基点に、ギルドホームの敷地を村の家屋密集地帯を囲むようにして耕したのだ。


 畑や森を含むサツカ村エリア全体をフォローしたかったが、グレード1のギルドホームの敷地面積の上限値を超えるので不可能だった。それでも山側に対して扇形に防衛ラインを設置出来た。山から来る不死系Mobを討ち漏らしたとしても、移動ルートを狭めて、こちらに有利な隘路を形成できる罠を張ったのだ。敷地がいびつな形になってしまったが、耕さずに時間を経過させて荒地にしてしまえば再度の整地が可能なので問題ない。


 村人達は、昼過ぎには『御屋敷』の母屋への避難が完了している。他所の集落へ移動させることができない以上、最も安全なのは涼のプライベートホームだからだ。あそこならばオーナーの涼が許可しない限り、プレイヤーですら侵入できない。


 涼のプライベートホームは、母屋だけでも村人全員を避難させて余るほどの広さがある。各種施設や備蓄食料が充実しているので戸外に出る必要もない。籠城すら可能だ。惨劇を目の当たりにしてパニック状態になるという危険性も封じられる。ホーム周囲にも広大な敷地が広がってるから、安全マージンも十分だ。


 涼は、村人の監視のために母屋に残した。万が一NPCが『Mobのアルゴリズム変更』に該当している場合、予想外の行動を起こすかもしれないからだ。涼は、村人に対する抑えの一手である。さらに念には念を入れて、精霊使いのサライアも敷地内に残した。精霊魔法でプライベートホーム周辺の風妖精(シルフ)を支配すれば、村人達を動揺させるであろうMobの腐臭や怨嗟の声も届かない。


 ベルナドット、シーダ、フェリーチャは、不死系Mobの殲滅を担当する迎撃班だ。母屋から50メートル程度の距離を取って、扇形に展開している。索敵と同時に、Mob発見の合図があった場合、素早く戦場に駆けつけられるようにするためだ。


 不死系Mobへの対処は、現時点でこれで最善だ。しかし、Mobと共にやって来るであろう『CFA』の対処については、全くの出たとこ勝負としか言い様がない。何しろ相手はプレイヤーだ。NPCやMobのように、行動予測ができない。


 『CFA』とMobは、おそらくシモ達のように『サーチ・エネミー』の有効半径である100m程度しか離れていないだろう。Mobとのエンカウントと、『CFA』とのエンゲージはほぼ同時になる。


 最善手は、『CFA』メンバーが涼のプライベートホームを見て、作戦を中止してくれることだ。


 あの巨大な御屋敷を目の当たりにして、プライベートホームだと思うプレイヤーはまずいない。少なくともグレード5以上のギルドホームだと考える。通常、グレード5は高レベル帯のギルドが所有する建造物だ。そのギルドホームには、30名のプレイヤーが居住できる。村にやって来る『CFA』メンバーが何名かにもよるが、シモ達と同じ6人組の場合、多勢に無勢と不利を悟ってくれるかもしれない。彼らが去ってくれるなら、Mobを迎撃するだけで済む。


 次点は、明とユンカースが彼らと交渉して時間を稼ぎ、その間にベルナドット達迎撃部隊が不死系Mobを殲滅することだ。『CFA』メンバーに交戦を悟られないために、不死系Mobとの戦闘時にはエフェクトが目立たないアビリティを使用するように前もって決めてある。


 出来ることはやった。考えられることは考え抜いた。明は自分に言い聞かせながらも、どうしても不備や弱点を考えてしまい、不安で押しつぶされそうになる。


 そもそも、チャット等のリアルタイムかつ遠距離での通信手段がない状態で、メンバーが散開するなど正気の沙汰ではないのだ。しかし、情報取得と広域展開を考慮すると、これしか方法を思いつかなかった。軍隊での教育を受けていれば違った作戦を展開できたのかもしれないが、明は平凡な市民であり、軍隊行動のノウハウなど持ち合わせていないのだ。


  欠点があるとすれば、土妖精族トゥレエのサライアは四大精霊の中で風精霊(シルフ)と最も相性が悪いことが挙げられる。MP消費量は150%、魔法達成値は50%になる。それに、風精霊(シルフ)を支配する『コントロールエレメント・シルフ』を使用すると、サライアは制御にかかりきりになってしまう。貴重な戦力が一人欠けることになる。だが、仕方がない。村人の防衛は最優先課題だからだ。


 明が索敵班を担当しているのも不安要素の一つだ。本来ならば明は、迎撃班に加わるのがベストなのである。明が操る黒魔法は、死霊系Mobとの戦いに適している。死霊系Mobを倒すにはMPへの攻撃が必要だが、黒魔法にはMobのMPを吸収する『マジックスティール』があるからだ。魔法の到達距離を増幅すれば、死霊系Mobのエクストラ攻撃『ソウルフリーズ』の範囲外から魔法を叩き込むことができる。うまくいけば、MPを回復しつつ攻撃というマッチポンプすら可能だ。シーダはMobに密着しなければMPへの攻撃である『虚空掌』を放てないし、フェリーチャとベルナドットは破邪系白魔法でMPを消費してしまう。死霊系Mobに関しては、彼らより明の方がリスクが少ない。しかし、他に索敵の適任者がいなかった。


 他にもある。あの真面目な天然であるユンカースが先に『CFA』と接触した場合、交渉での足止めが可能だろうか。知っていることを知らないフリをするのは意外に難しいのだ。しかし明の『サーチ・エネミー』とは違って、ユンカースの『捜索』はパッシブアビリティなのでMP消費も効果時間もない。彼に最前線の索敵を任せる他はなかった。


 さらに涼と村人達。もしも迎撃班が突破されてしまったら、Mobは敷地の境まで押し寄せる。涼は村人達を抑えることができるだろうか。涼がカルムイーターと戦いに行くと言ったら必死に止めようとした個性豊かな村人達は、大人しく母屋で待機できるだろうか。


 そして、最大の不確定要素である『CFA』メンバー。


 明達と『CFA』メンバーは、利害が完全に対立している。明達は村人を守るためにMobを排除したいが、『CFA』はMobに村人を殺させたいのだ。交渉による穏やかな解決には至らないだろう。


 『贖罪』のクエスト内容が『CFA』の極秘事項である以上、『CFA』メンバーは明達を説得するためのカードとして『贖罪』を持ち出すことができない。対して明達には、ホームタウンを守るという絶対の正義がある。クエスト妨害のマナー違反とホームタウンの防衛の二つを天秤にかけた場合、裁定は明達に傾く。


 説得材料を持たず、クエストクリアに焦った『CFA』は、明達を排除するために対人戦闘――PvPを挑むかもしれない。彼らは『おわりのはじまりのジレンマ』が現実帰還の鍵になるとして、精神的に縋っているだろう。後がない人間は、何をしでかすか分からない。


 合法VRMMORPGであるカルミナオンラインでは、プレイヤー同士が敵対するというシチュエーション自体があり得なかった。筋金入りのゲーマーである明でさえ、VRゲームの中で他プレイヤーと争ったのは片手で足りるほどしかない。折衝・交渉の経験値が圧倒的に不足している。そしてPCゲームでモニター越しに争うのと、VR世界で人間を相手に争うのとでは、心理的なプレッシャーが違う。


 どう転ぶか、何も分からない。全てが裏目に出る可能性もある。カルミナオンラインでは、全てのアビリティにコインの裏表のようにメリットとデメリットがある。今作戦も、同様のもののように思えた。


 心臓の音が大きく聞こえる。


 その時、夜の静寂にぴゅう、と笛の音が鳴り響いた。


 ユンカースが放った鏑矢だ。


 明はごくりと生唾を飲み込むと、大きく羽根を広げ、夜空へ飛んだ。







 「どうして仲間に知らせちゃいけないんですか?」


 風妖精族カエリムの優れた聴力が、ユンカースの声を捉えた。


 明は上空から目を凝らして、森の中を探す。ユンカースの初期配置から北東に約50m、小高い丘になっている付近で、蛍光イエローのラインがちらちらと瞬いていた。夜間作戦に備えて明達も装備している『警備員服』デコレーションの蛍光ベルトだ。その側には、鎧兜に身を固めたいくつかの人影がある。『CFA』メンバーに違いない。


 空中で一時停止し、ホバリングしながら鼻をひくつかせると、かすかに不死系Mobの腐臭が感じられた。『CFA』メンバーの位置と涼のプライベートホームを線でつないでみると、ベルナドットの初期配置と見事に交差した。明は小さくガッツポーズを取り、再びユンカースの元へ向かう。


「これは私たちのクエストです。すみませんが、邪魔をしないでいただきたいのです」

「邪魔しないでって言われてもですね、この臭い、不死系ですよね? 僕らの村に向かってますよね? 村に着く前に倒してくれるんですか?」


 5人組のプレイヤーを相手に、ユンカースはしどろもどろになりながらも時間稼ぎをしている。腹芸ができないユンカースにファーストコンタクトを任せるのはメンバー全員が不安がったが、うまく『事情を知らないプレイヤー』を演じていた。不安のひとつが解消された明は、ほっと一息つきながら、両者の間に舞い降りた。


 突然空から現れた人物に、『CFA』メンバーはぎょっとした表情になる。


 虚を付くのは成功した。


 頭上は、人間の視界の死角であり、認識の死角だ。カルミナオンラインには飛行Mobも存在するが、プレイヤーは現実での癖が抜けないせいなのか、頭上の警戒を怠る傾向がある。


「えっと、……こんばんは?」


 明は小首を傾げながら、可憐な微笑みを作った。その姿を見た『CFA』メンバーから険が抜ける。こういう時、『メイ』の美少女然とした外見は有利だ。


「プレイヤー……ですよね? あの、うちのユンカースが何かしましたか?」

「メイさん!」


 ユンカースは半泣きで明の側に駆け寄ると、草の上にぺたんと膝をついた。緊張が解けたせいではなく、何か言いたそうな目をしている。明はユンカースの頭を撫でる振りをしながら、その口元に耳を寄せる。


「エルヴンがひとり、リョウさんちの方へ行っちゃいました」


 すみません、と続けながら、瞳を翳らせる。


「大丈夫。リョウちゃん達がいるのは敷地内だし、あっちにはリーダー達もいる。わたし達の役目は、彼らを足止めすることだよ」

「……はい」

「状況は?」

「クエだから邪魔するなって、そればっかりです」

「了解」


 明は冷静な口調で答えながらも、森妖霊族エルヴンが先行した件については厄介だなと考えていた。


 森妖霊族エルヴンには、『ラストレラの輪』という種族特性アビリティがある。森の中という限定された範囲で、かつ使用者にしか効果がないが、目視可能な短距離の瞬間移動を繰り返しながら高速移動するアビリティだ。エルヴンのプレイヤースキルにもよるが、ここから涼のプライベートホームまでなら、5分以内で到達できるだろう。


 おそらく、エルヴンが先行した目的は敵情視察――この場合、『バー・クラープラ』の戦力を探るためだ。涼のプライベートホームは、彼らから見てグレード5のギルドホームに相当する。どの程度の戦力があるのか把握したいのだろう。作戦を遂行するか中止するかの判断を下すためにも、情報収集を最優先にせざるを得ない。明が彼らの立場でも、同じ行動を取る。


 エルヴンの移動ルートは、おそらくMobを避ける形になる。ベルナドット達迎撃班ではなく、涼とサライアがエンゲージする可能性が高い。


 森妖霊族エルヴンに多いジョブは、高い敏捷度と器用度を生かせるフェンサー系・シーカー系・アーチャー系、そして魔法使い系だ。もしも精霊使いだったら、サライアと魔法での力比べになる。相手のレベルによっては、サライアが負ける。


 明はちらりと『CFA』メンバーの様子を伺った。


 ユンカースと話をしていたリーダー格のプレイヤーは、マキナという名の人族ヒューマの女性だった。片手直剣と小盾を携えているということから、ジョブはソルジャー系だと分かる。武具の素材は全てアイアン系のウォルフラム。ウォルフラム製の武具は戦闘スキルレベルが45以上でないと装備できないから、マキナ本体のレベルは50から60くらいだろう。マキナ以外のメンバーの装備も必要スキルレベルが40から50前後のもので、明達とレベルに大差がなさそうだった。しかしジョブ関連以外にどのスキルを持ち合わせているのかは、見た目では分からない。レベル・ジョブ・スキル制VRMMORPGカルミナオンラインの厄介なところだ。


 新たに舞い込んできた不確定要素に明は一瞬だけ動揺したが、すぐに気持ちを切り替える。今は自分の役目に集中するしかない。


「彼にも言いましたが、私たちはクエスト中です。すみませんが、邪魔をしないでください」

「クエスト……? 空で不死系Mobの腐臭を感じましたけど、あれはワンダラーじゃなくてクエストMobなんですか?」


 明はマキナに向き直り、驚きの表情を作る。


「あれは、あなた方のギルドホームですか?」


 マキナは明の問いに答えず、逆に質問を重ねた。直感的に明は、返答を避けている、と感じた。


「わたし達のギルドホームでしたら、何か不都合がありますか?」

「……ホームタウンをMobから守りたい気持ちは分かります。しかし、大変申し訳ありませんが、ご協力をお願いしたいのです」

「すみません、話の流れがよく分からないのですが……もしかして、あのMobがわたし達の村を襲うんですか?」


 マキナは神妙な表情でこくりと頷いた。しかしその背後にいるプレイヤー達は、苛立ちを隠そうともしない。特にタウゼントという黒魔法系ジョブの男性プレイヤーは、露骨に顔を顰めていた。ユンカースとも同じやりとりをしたせいで、焦れているのだろう。


 彼らの立場になって考えると、焦りから発生する苛立ちがよく理解できる。


 ギルドホームが存在するならば、多数のプレイヤーが滞在していても不思議はない。この場にいる明とユンカース以外のメンバーに不死系Mobを迎撃されてしまったら、彼らは『贖罪』クエストへの貢献ができないのだ。『CFA』内での評価が下がってしまうだろう。


 それに加えて、彼らは『オレンジ』から即時復帰するために、不死系Mobを倒すことでインプレッションが上昇するクエストをあらかじめ受注しているはずだ。不死系Mobが明達に倒されてしまったら、そちらのクエストも失敗になる。仮に『一定数以上の不死系Mobの討伐』というクエストを受注していたとしても、別口の不死系Mobを探さなくてはならない。


「じゃあ、わたし達をヘルパー登録してください! 村が襲われる前に倒しましょう!」

「いえ、その、そうではなく」

「え? では、何を協力すればいいですか?」

「……何もしないでいただきたいのです」


 マキナは、悔しそうに唇を噛み締めた。


「それは、その。あなた方だけでMobを撃退したいという意味ですか?」

「はい」

「えーと……、じゃあ、わたし達は村人を避難させてもいいですか? 村人がいたら、戦闘の邪魔になりますよね? Mobには手を出しませんから」

「……避難も、しないでいただきたいのです」


 言って、マキナは両拳を握り締めながらうつむいた。


 そのリアクションを見て、明はマキナを気の毒に思った。彼女は、この作戦内容を完全に承服しているわけではないのかもしれない。不死系Mobに村を襲撃させて、半数以上を殺させるのだ。後味が悪いだけでなく、人間としての良心が咎める行為だ。


「何なんですかそれ!? 僕らに村人が殺されるのを黙って見てろって言ってるんですか!?」

「ユンカース?」


 突然、喧嘩腰の口調で会話に割り込んできたユンカースに、明は驚きの声を上げた。ただでさえ焦っている彼らを怒らせるのは不味い。彼らはバランスの取れた5人パーティ、こちらは弓職と魔法職の2人だ。PvPに持ち込まれでもしたら、最終的には負ける。


「すみません、メイさん! でも話を聞いてたら、僕、ほんとに腹が立って!」


 ユンカースは目尻を釣り上げ、怒りも顕な表情でマキナを睨んだ。


「だって、避難もするなって……この人達は僕らにヤエさんを……イネさんやトクベエさんや、村のみんなを見殺しにしろって言ってるんですよ!?」


 明の胸がずきりと痛む。見殺しにするという意味でなら、明もスサで同じことをしたばかりだ。


「あなた方のリソースを損ねることについては、謝罪します。しかし詳細は申し上げられませんが、これは全てのプレイヤーのためになる……現実への帰還のために必要ではないかと考えられているクエストです。必ずあなた方の利益になります。ですからどうか、ご協力をお願いします」

「ヤエさんたちが、リソース、だって……?」


 ユンカースの声が怒りで震えていた。


 対して明は、怒る前に「なるほどな」と手を打ちそうになってしまった。


 先程からマキナが申し訳なさそうにしていたのは、NPCを見殺しにする良心の呵責ではなく、明達の財産であるNPCを損ねることについてだったのだ。


 しかしマキナは、別段ひどい事を言っているのではない。NPCはシステムが生み出したAIで、プレイヤーがゲームを円滑に進めるための道具だ。人間の形をしているだけで、Mobやアイテムと同じリソースに過ぎない。


 VRMMORPGで最も嫌われる行為のうちの一つに、他プレイヤーが正当な手段で保有しているリソースへの干渉がある。マキナ達の行動は、この原則に抵触している。VRMMORPGプレイヤーとして、他プレイヤーに所有権・優先権があるリソースの損害を謝罪するマキナの思考は至極正常だ。


 ある意味で、NPCに過剰に感情移入して人間扱いしているユンカース達の方が、プレイヤーらしくないとも言える。意見の相違、価値観の相違と言ってしまえばそれまでだが、少なくとも涼および『バー・クラープラ』と彼らは、相容れないだろう。明自身も、今となっては村人を単なるリソースとして見ることができない。


「ユンカース、落ち着いて」

「でも、メイさん!」

「落ち着きなさい」


 明がぴしゃりと言うと、ユンカースは口をへの字にして押し黙った。


「マキナさん、わたしに、あなたの言葉を信じさせてください」


 明の言葉に、マキナに動揺が走った。


「装備品を見たら分かると思いますけど、わたし達はそれほどレベルが高くありません。もっとレベルが低いメンバーもいます。だからこの村で、現実に戻れる日を待つつもりでした。ここは過疎地だから危険も少ない。ホームがあるから、衣食住も揃ってます。だからこそ、損ねたくないんです。そこは、お分かりいただけますよね?」

「……それは」

「あんたらは今のカルミナの状況、どこまで知ってる?」


 突然、タウゼントが割って入った。その顔に現れているのはクエストを妨害された焦りではなく、義憤に駆られた者のそれだ。


 明はタウゼントの威圧に怯えたように見せかけるために、口元を手で覆い隠した。


 こいつは要注意人物だ、と明の経験が警鐘を鳴らす。この手の怒り方をする人物は、自分が絶対の正義だと信じて疑わず、中庸や他者の弱さを認めない。実はサライアも似たタイプなのだが、彼女はまず内省するという懐の広さがあるし、他者への共感性を決して忘れない。


 マキナ相手ならば、のらりくらりと時間を稼げると思った。しかしタウゼントのような手合いを相手に下手に立ち回れば、言質を取られ、付け入る隙を作ってしまう。


「新聞で分かる範囲ですが……。追記事件の後、ワンダラーが湧いてて大変だってことや、プレイヤーの犯罪が増えてること、プレイヤーキラーがいること、『円卓』や『CFA』がプレイヤー救済に走り回ってること、ですね」

「『円卓』が、プレイヤー救済?」


 タウゼントは鼻で笑う。


「あいつらはクエストクリアで現実に帰る方法を探すって理由を盾にして、プレイヤーから搾取してるだけのクズだ。本当にプレイヤーを救済してるのは、俺ら『CFA』だ」


 その声色には、若干の優越感が含まれていた。


 明は、手のひらで口元を隠しながらにやりと笑った。


 先程は厄介だなと思ったが、どうやらタウゼントはおそらく真性の正義漢ではないらしい。身近に本物のお人好しがいるのでよく分かる。涼ならば『円卓騎士団』を口汚く罵ったりせずに一定の配慮を示しつつ、『CFA』の理念と善意だけをただ懸命に訴え掛けるだろう。そして声色や表情に現れるのは、深い労わりであるはずだ。タウゼントの声色や論調は、相手を悪、自らを善として、善を為す自らの行動に酔っている人間の特徴だ。ならば、与しやすい。


「そうだったんですか……。え? っていうことは、あなたがたは『CFA』のメンバーなんですか?」

「ああ。じゃああんらたは、実際にサベレコリスや他の都市がどうなってるのか知らずに、ずっとここで暮らしてたのか?」

「いえ、最初はサベレコリスにいたんですが、状況がひどくなったのでここへ……」

「他のプレイヤーを見捨てて、か」


 タウゼントは侮蔑を顕にした。


「この村、小さいけど豊かだよな。オリジアで小麦や牧草地を作る余裕があるってことは、米の生産率がかなり高いんだろ? ここの食料があったら、どれだけのプレイヤーが助かるか。それを、お前らだけで囲い込んだのか? サベレコリスの状況を知ってて?」


 ユンカースが、気まずそうな表情で明をちらりと見る。


 サベレコリスを離れ、衣食住の心配がないサツカ村で暮らしていたことについては負い目がある。『CFA』のメンバーは過酷な環境に耐え、プレイヤーの救済を実行してきた。彼らの行動は賞賛されるべきだ。保身に走った『バー・クラープラ』が非難されるのは仕方がない。


「それに、あの規模のギルドホームなら高度錬金術工房や高度調合室もあるんじゃないか? 上位ポーションや転移クリスタル……ワンダラー討伐に必要不可欠なアイテムを生産できる。アイテムがあれば、救えるプレイヤーの数も多くなる。食料だけじゃなく、施設も独占してるってことだぞ?」


 明は罪悪感に打ち震えるふりをしながら、そっとタウゼントを見上げた。


 タウゼントは、意気揚々といった様子だ。頬は紅潮し、鼻息は荒くなり、明らかな興奮状態にあった。他者の落ち度あるいは悪を糾弾するのは、例えようもない快感なのだろう。マキナ以外の『CFA』メンバーも、タウゼントの台詞を肯定するように薄く笑っている。


 明は、彼らの様子に空恐ろしいものを感じた。


 タウゼントの言い分は、一見すると正しいように思える。


 しかしタウゼント達も、『CFA』に属していないプレイヤーから見れば物資独占・施設寡占の狼藉者だ。『CFA』や『円卓騎士団』が錬金術工房を独占してしまったせいでクリスタルを作成できず、サベレコリスに足止めされてしまったプレイヤーがどれだけいたことか。止む終えず軍門に降らなければならなかったギルドが、どれだけいたことか。『CFA』の罪は、プレイヤー救済という美談に覆い隠されているに過ぎない。


 そしてサツカ村を明け渡せという要求がひどく傲慢なものであることも、彼らはきっと理解していない。サツカ村は涼が、実に2年以上もの歳月を費やして作り上げた楽園だ。『CFA』メンバーは『バー・クラープラ』がギルドとして繁栄させた村だと考えているだろうが、だとしても膨大な時間と根気が必要になる。その村を、自治権の保証や優先権も提示せず、見返りもなしに、無償で差し出せと言っている。既得権の侵害どころの話ではない。ただの暴力だ。


 冷静に考えれば理解できるはずだ。しかし、『CFA』という巨大ギルドに属し、絶対の正義の御旗の元にあるという大義名分が、彼らを近視眼的にしている。そして、「自分たちは正しい」という興奮が、集団心理と相まって増大しているのだろう。


 人が最も残酷になるのは、怒りや恐怖に駆られた時ではない。


 自らが正しいと思っている時なのだ。


「いいか? あんたらは俺たちに協力するべきなんだ」


 タウゼントは、最後通牒のつもりなのだろう。得意満面でそう宣告した。


 明は、小さく息を吐く。色々と言いたいことはあるが、様々な感情と共にぐっと飲み込んだ。明とユンカースに科せられた役割は時間稼ぎだ。一時の感情のままに反論して相手を激高させ、自分が立てた作戦を自分で壊すのは参謀として失格なだけでなく、愚か者に堕ちることだ。ここは黙って、彼の嗜虐心を満足させてやったほうがいい。


 しかし、憂鬱な気分になるのは抑えられなかった。


 『CFA』にサツカ村の存在が知られてしまった以上、干渉は避けられない。シモから話を聞いた時点で覚悟していたことだ。『CFA』はプレイヤー救済という正義の御旗を振りかざし、明達の罪悪感をも利用して、食料の供出を促すか、拠点の一つとするか、あるいは低レベルプレイヤーの入植を求めるつもりだろう。明達にはそれを退ける力も、プレイヤー救済という大義名分に逆らえるだけの理屈も存在しない。明達の、涼の楽園は、もう無くなってしまったのだ。


 『CFA』のプレイヤーは、サツカ村を、そして村人を大切にしてくれるだろうか。マキナのような考え方のプレイヤーならば、村人をただのリソースとしか見ないかもしれない。涼が『明るい農村計画』で最も大切にしていた、『村を大事に』の理念に反するプレイヤーだ。


 村が踏み荒らされれば、涼は嘆くだろう。村人が虐げられたら、涼は泣くだろう。それは明の精神衛生上、非常によろしくない。涼が他人に泣かせられると、意味もなく腹が立つ。そしてサツカ村を開墾した涼の努力と、『バー・クラープラ』を迎え入れてくれたと気持ちと、村人の善意に報いるためにも、出来る限り有利な地盤を整えてやりたい。それが、明の役目だ。


 現段階で明に出来るのは、手持ちの札を最大限に有効利用して、ある程度の権利を確保することだ。サツカ村の主導権だけは絶対に譲れない。譲らない。


 それに、タウゼントの言葉には矛盾があるのだ。


「あなたがおっしゃるように、いくらホームタウンの資源でも、今のカルミナの状況で私達が独占してしまったことについては、申し訳ないと思います」


 明は弱々しい声色を作り、上目遣いにタウゼントを見た。


「でも、あの……たとえば今後この村の物資を『CFA』にお分けするとしても、今はMobを総戦力で撃退した方が良い、ですよね? 村人が被害に合ったら……農作業なんかだと、従業員NPCがいた方が効率も良いです。村人の数が減って、集落としての体裁を保てなくなったら逃散しちゃいますし。なのに、どうしてMobが村を襲うのを黙って見ていなければならないんですか? そこがどうしても納得、っていうか、繋がらなくて……」


 タウゼントはぐっと詰まって、唇を噛んだ。


 そう、『村人を避難させるな』という要求と、『物資や施設を供出しろ』という要求は矛盾しているのだ。


 そして彼らは、『村人を見殺しにするつもりか』と言ったユンカースに反論していない。


「もう一度言います。マキナさん、わたしに、あなたの言葉を信じさせてください。もし現実に戻れるのが本当なら……」


 『CFA』メンバーは互いに顔を見合わせると、肩を寄せ合ってこそこそと話し込む。


 その様子と、彼らがこの期に及んで『贖罪』の内容を持ち出せないあたりから、やはり彼らは『CFA』では下っ端、上層部の手足に過ぎず、第三者に『贖罪』の具体的な内容を告げる決定権を持たされていないと確定した。シモが言ったように、『終わりの始まりのジレンマ』に関する情報は『CFA』の極秘事項なのだろう。


 だとすれば、サツカ村の今後について交渉するべき相手は、彼らではない。『CFA』首脳陣だ。ベルナドットの言葉を借りるわけではないが、組織は巨大になればなるほど現実に似る。平社員には、決定権も決済権もない。

「その件については上司に相談」となるのだ。今は言質を取られないように、玉虫色の会話を繰り出せばいい。


 明は、次なる時間稼ぎの台詞を考えながら、ほくそ笑む。


 しかしその時、プライベートホームの北東50メートル付近で強い純白の光が発せられた。


「……『パーゲーションサークル』!?」


 『CFA』メンバーの僧侶系ジョブらしき男性が、驚愕の雄叫びを上げた。


 驚いたのは明も同じだ。『CFA』メンバーが言う通り、あの光は白魔法の『パーゲーションサークル』。僧侶系ジョブとあだ名されるクレリックやプリーストのみが行使できる範囲系破邪魔法だ。生者であるプレイヤーには無害なため、加害禁止コードが解除されてしまった現在でも問題なく使用できる優れたアビリティである。


 ただし、『パーゲーションサークル』はエフェクトが派手だ。Mobを囲む巨大な白い輪が出現し、急速に収束した後、上空に浄化の光を撒き散らす。自分の居場所を宣伝しているようなものだ。


 位置的に、『パーゲーションサークル』を使用したのはフェリーチャだろう。涼の家の方へ行ったという『CFA』の森妖霊族プレイヤーが僧侶系だったとしても、現時点で『パーゲーションサークル』を使用するのは考えにくい。


 作戦では、明とユンカースが時間稼ぎをしている間に、ベルナドットやフェリーチャ達がMobを殲滅する手はずだった。戦闘状態が『CFA』に知られないように、派手なエフェクトのアビリティは使わないようにしているはずだ。しかしフェリーチャは『パーゲーションサークル』を使用した。それは、『パーゲーションサークル』を使用しなくてはならない状況に陥っている、ということだ。


「マキナ!」


 叫びながら、タウゼントが杖を構える。


「……ちくしょう!」


 両手槍使いの男性プレイヤーは、悲鳴のような声を上げる。


 それを受けて、ついにマキナも片手剣と小盾を構えた。その目の中に、実力行使の意思が見えた。


 彼らも、出来ることならPvPは避けたかったはずだ。こちらは明とユンカースの二人だけとはいえ、見るからに黒魔法使い系ジョブの精霊族と、森に強い弓職がいる。全力で戦えば『CFA』メンバーに凱歌が上がるだろうが、無傷では済まない。痛覚が現実と同じものになっている以上、できるだけ戦闘を避けたかったはずだった。


 タウゼントを包み込むようにして、きらきらと詠唱エフェクトが現れる。


 明も、これ以上の時間稼ぎは不可能と見て、即座に頭の中で魔法を選択、詠唱を開始した。ユンカースが詠唱中の明を守るようにして、弓に矢を番えながら前に出る。


 できれば戦いたくないプレイヤー同士。となれば、選択するのは行動を阻害する状態異常系だ。しかし明が選択したのは、詠唱に時間がかかる状態異常系黒魔法ではなかった。


「……『フィジカルエンチャント・クイックネス』!」


 詠唱完了と同時に、ユンカースの敏捷度が大幅に上昇する。『クイックネス』による敏捷度上昇は、回避力を上昇をさせるだけでなく、副産物として移動速度を高める効果もあるのだ。



「ユンカース! リーダーと合流する!」


 明は羽根を広げると力強く大地を蹴って空へ浮かび、ユンカースは森へ全力疾走する。


 ターゲットが空中と地上に分かれてしまったタウゼントは数瞬だけ狼狽したが、すぐに憎しみの籠った目で明を捉える。飛行Mobは厄介なので、魔法が届く距離にいるうちに倒す。もしくは叩き落とす。それはカルミナオンラインプレイヤーの条件反射のようなものだ。


 そして、風妖精族カエリムの種族特性アビリティ『フライト』は、最高時速280kmという移動系アビリティ最高の性能を持つが、ヘリコプターと同じように、高速飛行に入るまでにはタイムラグがある。さらに飛行中は種族特性アビリティしか使用できないという絶対的なデメリットがある。


 タウゼントは絶対に自分を狙う。それを見越していた明は、にやりと笑いながら次のアビリティを発動した。


「『姿隠し(インビジビリティ)!』」


 風妖精族カエリムの種族特性アビリティ、『姿隠し(インビジビリティ)』。再詠唱時間が24時間という使い勝手の悪いアビリティだが、問答無用でターゲットから逸らす効果がある。


 明は頭を下げて足を上げる高速飛行体勢を取ると、一気に加速した。




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