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カルミナオンライン  作者: 森
第2章 Falsus in uno,falsus in omunibus.
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2-06




 明は、胸元を撫でて吐き気をこらえながら、ゆっくりと歩を進めた。


 『サーチ・エネミー』を使用すると、術者である明を中心に距離を示すグリーンの同心円状の輪が360度方向に展開する。『サーチ・エネミー』は潜水艦のアクティブ・ソナーのような代物なので、建造物の内部ではあまり意味をなさないが、比較的隙間が多い森では有効だ。


 ピピ、とデジタル音が明の脳内に響き、続いてガイドカーソルが表示される。また『サーチ・エネミー』の半径100m以内にMobが入ったのだろう。それまで黄色に揺らめいていただけだった光点にガイドカーソルが収束して、種別と位置と距離を教えてくれる。


 明の視界には、すでに20を超えるガイドカーソルが表示されていた。それらは全てMobを示す赤い光点を追っている。距離は80から100メートル。


 ガイドカーソルが表示されなくとも、風上の方向に多数の不死系Mobがいることは分かっていた。死体系Mobが放つ強烈な腐臭が漂っているからだ。以前から臭い奴らではあったが、ここまで酷くはなかった。アブソーバのレベル変化によって、明の鼻がこれらの悪臭も拾うようになったしまったのだろう。そう言えば追記事件移行はやけに食べ物や酒を美味しく感じていたが、涼の料理の腕前はもとより、嗅覚が完全に解放されたせいかもしれない。


 Mobはやはり、スサを目指していた。このMobの群れがワンダラーなのかクエストなのか『背教者』なのかは不明だが、今なら『フライト』で高速移動すれば、涼とシーダと合流した後でもスサの村人に避難を促せる。幸いなことに、Mob達は移動速度が極端に遅い死体系を引き連れているせいか、行軍速度は遅々としたものだ。


 明は自分の思考の方向性に、ふっと笑う。これが誰かのクエストなら、スサの村人に避難を促す行為は妨害に当たるだろう。完全なマナー違反だ。以前ならばその可能性が少しでも残されている場合、邪魔をしよう等と考えもしなかったが、今はNPCの危機を見過ごせない。随分と涼に毒されたものだ。


 『フライト』で飛び上がるために木々が開けた場所へ振り向くと、新しいガイドカーソルが動き、6つの目標をターゲッティングする。光点は、プレイヤーを示す緑色だった。


 明は驚いて赤と緑のガイドカーソルを見比べる。両者の距離は約100メートル。完全に風下にいるわけではないとは言え、死体系Mobの腐臭は届いているだろう。にも関わらず彼らは全く距離を詰めようとはせず、まるでMobを尾行するような、あるいはMobに先導されるような形でゆっくりと移動している。


 その時、チチッ、と警告音が鳴る。Mobに発見されたのかと思ったが、ガイドカーソルはエンカウントを示す赤色点滅状態になっていない。だとしたら、6人組が使用する『サーチ・エネミー』に明が引っかかったのだろう。『サーチ・エネミー』は、索敵用のアクティブモードと、受動用のパッシブモードの両方が常時働いている。


 明はちっと舌打ちする。『サーチ・エネミー』の効果時間は最大で約5分。もう少し早くこの場を離れていたら見つからなかっただろうに、運が悪い。チャットやメッセージ機能が生きていれば涼とシーダに事態を報告できるが、そんな贅沢機能が失われた今では、6人組とのコンタクトを選択するしかない。逃亡したら逆に怪しまれる。


 6人組からこの異常事態の情報を取得できるというメリットはあるが、彼らの目的によっては反目してしまうだろう。うまく誤魔化せれば良いのだが。


 緑色の光点の1つが、じわじわと近寄ってくる。草木に囲まれているにも関わらず、移動時の物音がほとんどしない。森の中で音を立てずに行動できるのは、森妖霊族エルヴンか狩猟スキル持ちだ。相手側の斥候だろう。


 明は両手を上げて、敵意がないことを示す。ついでに、がたがたと震えておいた。相手が悪質なPKerならともかく、ノーマルなプレイヤーなら警戒を解くだろう。『メイ』の小柄な体格と可憐な容姿が相手の庇護欲を掻き立てるのは、2年に及ぶカルミナ生活で実証済みだ。


 小弓を構える森妖霊族エルヴンの男性プレイヤーが、樹木を盾にするようにして顔を半分ほど覗かせる。


 その顔には、見覚えがあった。


 ――シモ!?


 明は驚きと懐かしさと喜びで緩む頬と、声をかけたい気持ちを懸命に堪えた。


 シモは、明のメインキャラクターが所属する『ブッチャーズブルーム』のギルドメンバーだ。本当のキャラクターネームは『サイモン』なのだが、彼が精密射撃を得意とすることと、フィンランドの伝説の狙撃手『シモ・ヘイヘ』にあやかって、初期メンバーはシモというあだ名で呼んでいた。


 シモは最初期から『ブッチャーズブルーム』に所属していたが、仕事が忙しいせいかログイン時間が短く、『ブッチャーズブルーム』のメンバーにしてはレベルが低かった。そのため、ヤミカゼによるギルド内紛争――ギルドをクエスト攻略に先鋭化する一件で、初期メンバーの中では真っ先に槍玉に挙げられた。


 シモはその直後、初期メンバー宛に迷惑をかけてすまなかったというメッセージを送って、ログインしなくなった。その後、ギルドリーダーのカーチスも他の初期メンバーも引退し、明も『メイ』を作ってメインキャラクターをほとんど使わなくなった。こうして『ブッチャーズブルーム』は、ヤミカゼに乗っ取られたのだ。


 そのシモが、何故よりによってここに。


「あの、すみません。もしかしてクエストの最中ですか?」


 明は慎重に言葉を選んだ。


 シモの手にあるのは、小弓スキルレベルが70以上でなければ装備できない雷属性の弓、メルゲンボウだ。あんなもので頭部を射抜かれたら、『メイ』など即死だろう。シモは『ブッチャーズブルーム』の中ではレベルが低い方だったとはいえ、引退時のレベルは80近かった。中レベル帯の『メイ』とは攻撃力が比べ物にならない。


「わたし達、スサに祝術を習いに来たんです。でもMobが近づいてきてるのに気づいて。ワンダラーだったら、わたし達レベルが低いからどうしようって」


 明はか細い声で訴え掛ける。シモは弓の的こそ明の眉間から外したが、まだ矢を番えたままだ。


 味方であった頃は、小弓スキル一本槍で伸ばしたスキルレベルの高さと、森妖霊族の優れた器用度、本人のプレイヤースキルで放つ精密射撃が頼もしかったシモ。しかしいざその弓が自分に向けられると、恐怖の一言しかない。この近距離では、狙い直して頭を射抜くことなどシモとって朝飯前だろう。


「仲間はヴァンダなので、死霊がいたら危ないんです。ですから……」

「これ、クエストだけん、近寄らんといてください。Mobが流れるかもしれんけん、危ないです。早う他の国に逃げてください」


 この方言、このイントネーション。明の記憶と全く同じシモの話し方に、愛おしさにも似た懐かしさがこみ上げる。これでもシモ本人は標準語で喋っているつもりなのだ。初期メンバーは、シモの素朴な人柄と、その方言から醸し出される独特の朴訥さを愛していた。


「やっぱりクエストだったんですね。あの、良ければどんなクエストか教えていただきたいんですけど……あ、待って下さい!」


 シモは、忠告は終わったと言わんばかりに弓を収めて踵を返した。その表情には苛立ちと苦渋が滲んでいる。


 明は眉間に皺を寄せた。


 シモのこの表情は何だ。


 クエスト中に雑魚プレイヤーごときに手間取ったせいだろうか、それともクエストの内容という貴重な情報を代償なしに得ようとしている不埒なプレイヤーに不快感を抱いているのか。


 しかしシモは、寛容と誠実という、標語のような嘘くさい言葉が限りなく似合う男だった。苛立ちを顕にするとしたら、それは自分自身に対しての感情だ。だからこそシモは男性プレイヤーからの信頼が厚く、女性プレイヤーからの人気も高かった。そんなシモを、レベルが低いという下らない理由で排斥しようとしたからこそ、初期メンバーはヤミカゼを許せなかったのだ。


 もしかしたら、ヤミカゼに使われているのか。


 何の脈絡もなくそう思った明は、矢も盾もたまらず口を開いた。


「待って! 待て! シモ!」


 シモの動きがぴたりと止まる。


「……あんた、誰?」


 シモはぎこちない動きで振り向いた。その顔には純粋な驚きが浮かんでいる。


 彼を『シモ』と呼ぶのは、『ブッチャーズブルーム』の初期のメンバーだけだ。彼の頭上に浮かぶキャラクターネームは、カタカナで『サイモン』。『シモ』とは結びつかない。


 ここで正体を明かすのは正解なのか、誤りなのか、明も分からなかった。しかしもう引き返せない。追記事件以降のカルミナが彼を変えている可能性もあるが、自分が知るシモを信じたかった。


 覚悟を決めると、明はにやりと笑った。


「……久し振り、シモ。グリフレットだよ」







 初期メンバーに別れのメッセージを送ったシモだったが、カルミナオンラインの退会手続きは行っていなかった。それは明も知っていた。退会すると、ギルドメンバーとフレンドの項目から削除されるからだ。


 退会手続きを取ると『シモ』が消えてなくなる。最後は残念な結果になってしまったが、『シモ』として過ごした膨大な時間と楽しかった記憶を思うと、消してしまうことが出来なかったらしい。毎月クレジットカードから引き落とされる月額料金は社会人であるシモには微々たる金額で、思い出を保存しておくためのコストと考えると、別段負担になるものでもなかった。


 そんなシモが再びカルミナオンラインにログインしようと思った切っ掛けは、大型アップデートvol9『クラウィス・リベラ』を知らせる運営からの広告メールだった。


 シモに言わせれば、ログインした理由は「何となく」らしい。その憂いを含んだ笑顔に、明は理由を察した。仕事やプライベートがうまくいっていない時は、楽しかった時代の友達の顔を見たくなるものだ。『ブッチャーズブルーム』の初期メンバーは、小学生男子のような阿呆くさい遊びを本気で楽しむ連中で、気の合う友達と言っても良かった。


 ログインしてすぐにフレンドとギルドメンバーの項目を確認したシモは、カーチスも明(グリフレット)も、リスタもマスラオも、初期メンバーが誰もログインしていない事を知った。落胆しながらも、これまで謎だったサベレコリスだけは一目見ておこうかと転移ストーンで飛んだ直後、キャラクターが固まった。追記事件に巻き込まれたのだ。


「そっか……。やっぱりカーチス達はいないのか」

「うん。けど、グリフに会えて良かった。もう誰もおらんかと思っとった」

「どうかな。カーチス達も名前が削除されてなかったんだろ? 俺みたいにサブキャラ作ってるかもしれない」

「そがだな。で、グリフ。すごい変わっちょるけど、それ、どがしただか?」


 シモは、しげしげと『メイ』を見る。


 無理もない。『メイ』と『グリフレット』は体格どころか性別さえも違う。グリフレットは身長185cmの、人族ヒューマの男性だった。リアルの明より筋肉質な部分を除けば、体格はほぼ同じである。明は、『メイ』を初めて見た涼が、陸に釣り上げられた魚のように口をぱくぱくさせて、妙な誤解をしていた事を思い出した。


「言っとくけど、これ、ネタだから。『グリフレット』の方が本当の俺だからな?」

「……ああ、うん」


 シモはこくりと頷いた。その顔には数々の質問と疑問が吹き出ていたが、明は見なかったことにした。カーチスやリスタあたりなら、吉本新喜劇か大喜利のお題が出た時のようなツッコミ合戦が展開されただろう。しかしシモは、そういったお笑い方面の男ではない。


「あそこにいる5人は『ブッチャーズブルーム』のメンバーか?」

「あれは、『CFA』のメンバーだよ」

「へ?」


 予想を超える名称の登場に、明は間抜けな声を上げる。


 シモはうっすらと笑い、そしてくしゃりと顔を歪めた。


「グリフ……あんな、グリフだけん、話すけどな」


 シモは、ぽつぽつと話し始める。


 追記事件後、シモは独自にプレイヤー救済のため走り回っていた。シモは戦闘スキルこそ小弓しか伸ばしていなかったが、生産系スキルでは狩猟を育てている。平原や森で獲物を狩り、野草を摘み、食料に困っているサベレコリスの低レベルプレイヤーに分け与えていたのだ。


 やがて、その低レベルプレイヤーからシモの噂を聞いた『CFA』と『円卓騎士団』の両者から声がかかった。シモは、ヤミカゼがギルドマスターになっていた『ブッチャーズブルーム』のいる『円卓騎士団』に所属するつもりはなかった。『CFA』の趣旨に感銘を受けたこともあり、活動に加わることにした。


 初めは『ブッチャーズブルーム』のギルドメンバーだと言うことで、『円卓騎士団』のスパイではないかと警戒されていたが、シモの事を覚えていたケンシンやクロカンの執り成しもあって、狩猟部隊長として活躍することになった。


 しかし、徐々に様相が変わる。各地で湧きまくるワンダラーMob、プレイヤーの犯罪、『CFA』内部での意見の相違、派閥争い。そして部隊長達には何者かによって、『CFA』が打ち出してきた様々なプレイヤー救済策の一部が、『おわりのはじまりのジレンマ』をクリアするために行われてた偽善だったことがリークされた。


 『CFA』も『円卓騎士団』と同じ穴の狢だった。シモを始めとした部隊長は衝撃を受けた。しかし味方を欺いて『おわりのはじまりのジレンマ』をクリアしようとしていたとはいえ、『CFA』が困難な救済策を実施してきたことも事実だ。もしかしたら、木の葉を隠すなら森の中という意図があったかもしれないとしても、救われたプレイヤーは大勢いた。


 また、『円卓』と言えば畏怖されるが、『CFA』と言えば好意の眼差しを向けられる現状を壊すことも躊躇われた。そして、追記事件で実装された『おわりのはじまりのジレンマ』が、現実への帰還の鍵なのではないかという考えは、誰もが抱いていた。


 幹部メンバーと部隊長クラスを集めたギルド会議で、ケンシンは部隊長からの糾弾を受けた。ケンシンは即座に陳謝し、赤裸々な告白をした。その結果、シモ達は沈黙を守ることにした。


 ケンシンは、早く現実に戻らなければ会社をクビになると、非常に生々しい言葉を吐き出したのだ。就業規則では2週間以上の無断欠勤で懲戒解雇になると記載されている。自分の意思に選らないトラブルで出勤できなかったと説明しても、原因がゲームでは心象が悪すぎる。現実はそんなに甘くない。戻れたとしても結局解雇されるか、良くても閑職か激務に回された挙句、出世の道は閉ざされるだろう 。しかし未曾有の就職難の中で、懲戒解雇という烙印を押されることだけは何としても避けたい。


 カルミナオンラインのプレイヤーの多くは社会人だ。職歴に懲戒免職という消えない傷をつけることが、今後の人生を困難にする、あるいは社会的な死刑宣告に近いものであることは重々理解できる。


 部隊長達は、『おわりのはじまりのジレンマ』への参加を表明した。エゴとエゴの着地点は、共犯者になることだった。


「……リークしたのは誰なんだ?」

「分からん。知らん間に、俺や他の部隊長の部屋におんなじ内容の手紙が置いてあった。みんなは、サジさんじゃないかっちゅうとる。あの人、少しずつケンシンさんと仲悪くなっていってたけんね」

「そっか……」


 サジは『ホルモンブラザーズ』のメンバーだ。森妖精族エルヴンの女性プレイヤーで、明と涼はアシッドアイ戦の際に彼女のパーティに入って戦った。レベルもスキルレベルもバラバラなパーティメンバーを巧みな指揮でカバーして、犠牲が最小限になるように、時には自らが体を張って立ち回っていた事を覚えている。


 『CFA』の内部事情。プレイヤー救済策が『おわりのはじまりのジレンマ』クリアのためだったこと。ケンシンの懺悔――あるいは人心掌握術。明の中で様々な情報が濁った水と化し、薄汚い渦を巻く。


「今は『贖罪』っちゅうクエストをやっとる。千人以上の『オレンジ』のインプレッションをプラスにするっちゅうクエストだ」

「は? 『オレンジ』をプラスにするクエスト? 食料配布もシークエンスの一部だって言ったよな。『おわりのはじまりのジレンマ』ってどういうストーリーなんだ?」

「俺が参加したクエストのことしか詳しく知らんけど、ワンダラーの撃退やら、建物の修理やら、植林やら……なんちゅうんか、ストーリー性がなくてな。ルートも合流せんと途中で止まったり、あれもこれも言うてどんどん枝が出て来よるし。『CFA』は大所帯だけん、何とかなっちょるようなもんだ。今、ようやっとルートが『贖罪』の一本だけになったけど、次のクエも見えとるしな」


 明の、ベテランプレイヤーとしての経験がけたたましい警鐘を鳴らす。


 シークエンスは複数のシナリオやクエストを含む、最も大きな単位だ。複数のストーリールートが同時に進むことも珍しくないため、シークエンスの進行状況を表す画面は大樹のようにも見える。ルートから単発で派生するクエストの通称を、『枝』と言う。


 次のも見えとる、というのは、『贖罪』の次のクエストが表示されているという意味だ。『贖罪』をクリアしなければ具体的なクエスト名や内容は表示されないが、『贖罪』を示す輪のアイコンの先に、薄い輪のアイコンが表示される。


 段階を踏んでシークエンスをクリアしていないシモは、『贖罪』を受注できないはずだ。しかし、スキルレベル等の受注条件を満たしていれば、『ヘルパー』という形での参加登録ができる。ヘルパーにはゲーム内マネー以外の報酬は手に入らないし、正式クリアにもならない。しかし暫定クリア状態になり、自分自身がそのクエストを受注した際に達成条件がいくらか緩くなるというメリットがある。困ったときはお互い様ということで、明達も見ず知らずのプレイヤーのヘルパーになることがある。


 おそらくケンシンは、公正さをアピールするためにシークエンスウィンドウを可視化して部隊長達に開示しているのだろう。それならば、シモ達にもシークエンスの進行状況が見える。


 ここまではいい。


 しかし、ルートが断絶しているというのは妙だ。少なくとも明がクリアしたシークエンスで、ルートが合流せずに途切れたものなどない。シークエンスでは、複数のルートが複雑に絡み合って、一つのストーリーを作り上げる。推理小説のように次々と明かされる真実に唸らされることも多い。実際に、プロの作家がストーリーを提供したシークエンスもいくつかある。


 さらに、ルートの断絶よりもおかしいのは、食料の配布や『オレンジ』の回復を初めとした、プレイヤーがプレイヤーに対して行う利他的なクエスト内容だろう。


 カルミナオンラインは英雄候補達による英雄譚だ。プレイヤー、すなわちキーウェスがその力を発揮するべきなのは、無辜の民であるNPCのためであって、プレイヤーの、ましてや『オレンジ』のためではない。シークエンスもシナリオもクエストも、ひとつ残らず英雄らしくあるためのストーリーを基盤にしている。


 今やインプレッションの低下による『オレンジ化』は連帯責任になったが、本来『オレンジ』は完全に個人の責任だ。『背教者』イベントでも『深淵』に引きずって行かれるのは『オレンジ』だけだった。『オレンジ』は反社会的な、カルミナオンライン風に言えば反英雄的な行動をしでかした最悪の犯罪者だ。彼らを『オレンジ』から脱却させれば、回りまわってNPCのためにもなるのかもしれないが、それにしてもこのシークエンスは普通ではない。


 それに『CFA』が『オレンジ』からの脱却を狙う。これがどうしても引っかかる。どこかで聞いたことがある。明の頭の裏側で微かな記憶が刺激されて、シナプスがちりちりと踊る。『オレンジ』をプラスにする、『CFA』が『オレンジ』を――明は、はっとなって顔を上げた。


「なあ、シモ。『CFA』ってさ、レベルが足りてないプレイヤーもワンダラー討伐に借り出してたよな? サベレコリスのシーサーペントの時とかさ」


 シモの全身が硬直した。


「インプレッションがマイナスだと負の連鎖になるから、ワンダラー討伐を人海戦術で乗り切ってプラスにしようっていう理屈は俺も分かる。でも、相手はシーサーペントだぞ? それも2匹。『CFA』や『円卓』のピュアプレイヤーが出払ってる状態で勝てる可能性なんて、5%もなかっただろ。ほとんどのプレイヤーが死ぬって分かりきってたはずだ。でも『CFA』はやった。……『贖罪』が発生したのはいつだ?」


 沈黙が、シモの答えだった。


 明は大きく息を吐く。『贖罪』のルートは、比較的早くから標されていた訳だ。だからこそあの、無理のある博打的な行動。ひょっとしたら、あれはケンシン達がいない間に『贖罪』をクリアするため、『CFA』内部の誰かが――邪推すればサジを主体とした行動だったのかもしれない。しかしシーサーペントの撃破は失敗し、サベレコリスの『オレンジ化』は止まらなかった。


 その後、『CFA』は『贖罪』以外のルートを潰したのだろう。しかし行き止まりになり、『贖罪』だけが残った。この推測は間違っていないはずだ。


「ケンシンさんはな、ほんとは『贖罪』をサベレコリスで、ちゃんとやるつもりだったんよ。でも、サベレコリスはマイナス値がすごいけん。そんで、人が多すぎて無理だが? そんで……そんで、わざとマイナス値が少ない『オレンジ』をたくさん作って、プラスにして、クエストクリアするっちゅう、そういう作戦になった」


 明の脳細胞が反射的に思考を巡らせようとする。しかし、シモの思いつめた表情を目にして、その動きが止まった。


「……グリフ。さっきも言ったけど、早よ仲間と一緒にオリジアから離れた方がいい」


 シモは、今にも泣き出しそうな子供のように、顔を歪めた。


「vol9のアップデートで実装された『乾いた顎のゴシップ』っちゅうシナリオの中に、『深淵の入口』が開くクエストがある。『深淵』から湧いた不死系Mobは、キーウェスに関係ある集落のNPCを半分まで減らして、あとの半分には嘘を……ちゅうか本当のことを吹き込む。キーウェスは善行を積み重ねて踊り場にたどり着いた英雄候補じゃなくて、外の世界からやって来た異邦人だって。その証拠に、キーウェスの親を見たことがあるか、って。噂を吹き込まれた集落は、インプレッションの初期値がマイナス50になる。プレイヤーがエリアに入っただけで『オレンジ』になるちゅうことだ」


 後は分かるだろうと言いたそうに、シモは目を伏せた。


 明の停止していた思考が再び動き出す。いや、動かざるを得ない。


 他のクエストの特性を利用して、本来の目的であるクエストを有利に進めることをカルミナ用語で『ピギーバック』という。『便乗する・利用する』の英語訳である『Piggyback』が語源だ。同時に『おんぶ』の意味もある。


 『CFA』は、『乾いた顎のゴシップ』を利用して、『贖罪』をクリアしようとしている。


 スサが狙われてるのは、祝術のソピアがいるからなのだろう。魔法スキルを教えるソピアや、戦闘スキルを教えるフォルティアは、純粋にプレイヤーのためだけに存在するNPCだ。24時間動き回るプレイヤーの都合に合わせるためなのか、移動はせず、一切の生産活動も行わない。一般のNPCも、ソピアやフォルティアの事はプレイヤーとは別の意味で敬っている。『サーチ・エネミー』で見た場合でも、NPCが青色であることに対してソピア・フォルティアは水色で表示される。


 そしてシモ達があのMobを尾行してたのは、『オレンジ』になった直後、NPCの前で不死系Mob倒すためなのだろう。不死系Mobの暗躍でインプレッションがマイナス50になっても、基本値の35を持つプレイヤーが集落に入れば平均化してマイナス15になる。一人が15ずつ上げれば、『オレンジ』ではなくなる。一致団結が条件になるが、例えば不死系Mobを倒してインプレッションを上昇させるクエストをあらかじめ受注しておき、『ピギーバック』すれば、それほど困難ではない。


 しかし『オレンジ』を千人もプラスにするなら、スサだけでは足りない。他にもシモ達のような分隊が多数存在するに違いない。本隊は英雄殿があるイズモか、メークムか、そんなところだろう。『深淵の入口』を開けっ放しにして不死系MobをPOPさせ続けたなら、いつかは『贖罪』をクリアできる。


 『グリフレット』ならば、ここまでの推測を胸に留めて、これ以上追求せず、分かったと言って引き下がっただろう。しかし今は『メイ』だ。背負っているものがある。沢山の選択肢があったとしても、絶対に譲れないものがある。それが明の行動を縛っていたとしてもだ。


「……『ピギーバック』で『贖罪』をクリアするのか。でもな、シモ。どうして『CFA』は『乾いた顎のゴシップ』の内容を知ってるんだ?」


 『CFA』の別働隊が『乾いた顎のゴシップ』等の新シナリオを担当していた可能性もある。しかし、シークエンスである『おわりのはじまりのジレンマ』を攻略している状態では厳しいはずだ。いくら『CFA』が大所帯とはいえ、新シナリオを受注できるプレイヤーはそう多くないだろうし、戦闘での受傷による痛みに立ち向かえるほど気合の入ったプレイヤーとなると、さらに該当者は減る。


 それに、追記事件以前とは違って、食料の生産、調達、輸送、クリスタルや各種アイテム調合等の後方支援で相当な人手を割かれる。大所帯だからこそ、必要とする物資は膨大になる。


「……ああ、やっぱグリフは頭いいなあ。なんも隠せんわ」

「馬鹿言うな。俺は頭なんか良くない。単にビビリなんだよ」


 明は片頬を上げながら、シモの言葉を待つ。


「先に『円卓』が、『乾いた顎のゴシップ』でタイナロンの洞窟を開けとった。今はもう閉じちょるけどな。だけん、『CFA』はこの作戦を思いついた」


 やはりそうかと、明は全身を襲う虚脱感と戦う。


 タイナロンの洞窟は、イーム帝国にある『深淵の入口』だ。かつての『背教者』イベントでも開いたことがある。


 今や2大ギルドとなった『CFA』と『円卓騎士団』が手を組めば、より多くの情報と成果が期待できるだろう。しかしあのヤミカゼが、功名心と優越感を己の糧とするあのプレイヤーが、それを是とするだろうか。極秘裡に『おわりのはじまりのジレンマ』をクリアしようとしていた『CFA』が、それを是とするだろうか。


 利益がぶつかり合う組織の極秘情報が流出しているのなら、そこにスパイが存在していると考えて然るべきだ。『円卓騎士団』からその情報を引き出せるのは誰なのか。『円卓騎士団』の中枢に近づける『CFA』のメンバーは誰なのか。


 シモではない可能性もある。しかし、シモならば容易にヤミカゼの信用を得られる。初期メンバーが誰もおらず途方に暮れたシモが、『CFA』の内部闘争に嫌気が差したとでも言って、情報を手土産に頭を下げてやってきたら、ヤミカゼはどうするだろうか。おそらく勝ち誇ったように、しかし顔には慈悲の表情を貼り付けて迎えてやるだろう。そして、シモをダブルスパイに仕立て上げるだろう。『CFA』の情報を入手できれば、『ブッチャーズブルーム』は『円卓騎士団』の中で頭一つ抜けた存在になれるからだ。


 シモは、蜘蛛の糸に絡め取られた虫だ。あるいは、鼻先に人参をぶら下げられた馬か。


 『CFA』にも『円卓』にも利用され、罪悪感と嫌悪感に苦しみながらも、現実に戻るという餌で走らされている。利己と利他の間でがんじがらめになって、自分の意思だけでは身動きができない状況に陥っている。


 ただ、現在の立場や行動はどうであれ、シモ自身は昔のシモと変わっていないのだと思う。そうでなければ、役に立たない中堅プレイヤーの明に、わざわざ『CFA』と『円卓』の機密を知らせる理由がない。


 あるいは、これはシモの懺悔なのかもしれなかった。後ろめたさ、秘密、罪悪感を抱えていると、心が暗くなる。誰かに話したい、誰かにこれは仕方のないことなのだと、お前は悪くないのだと肯定し、赦してもらいたくなる。


 その意味では、明もシモと同様だ。明も、ギルドメンバーにも、涼にさえも言えない利己的な秘密を抱えている。そしてシモから得た情報の全てを、ギルドメンバーに開示することはできない。シモの信頼を裏切ることになるし、この情報が漏れたらシモの立場が悪くなるからだ。さらなる秘密を負ってしまった。


「……シモ、イズモから西に徒歩1日くらいの距離に、俺の、『メイ』のフレンドとギルドメンバーの村がある。プライベートホームもギルドホームもある」


 シモには悪いが、村に来る不死系Mobは自分たちが叩き潰すと続けるつもりだった。


 しかしシモの反応は、明の予想を超えたものだった。シモは顔面蒼白になり、ぶるぶると震える。


「いけん! そりゃいけん! 近すぎる! プライベートホームやギルドホームなんかあったら、あっちゅう間に標的になる! 早よ離れな、不死系に襲われる! なんでこがなことに……そがなことならんように、俺はカルミナで一番人がおらんところの『深淵の入口』を開けるようにしたのに、なんでグリフの……!」


 シモは両手で顔を覆って、激しく嘆いた。明はぎょっとなって、咄嗟にシモの服を掴む。両肩を掴んで揺すりたいところだが、30cm近い身長差があるとそれも出来ない。


「待て、落ち着けって、シモ! 『深淵の入口』はお前が開けたのか? どうやって!?」

「知らん! 誰が開けたか俺は知らん! でも、どっかの『深淵の入口』を開けないけんっちゅう話になった時、俺が提案した。『深淵の入口』の中で、一番周りに人が少なくて、一番周りに施設がなくって、一番よく知っとる……島根、黄泉比良坂」


 イズモ地方、イワミ地方は、現在の島根県に当たる。


 『ブッチャーブルーム』の初期メンバーには、サムライやニンジャ等の和物ジョブがいない。和物ジョブのためのクエストや、装備品を作るために、わざわざオリジアに来る必要がなかった。シモの装備品『与一の弓』を作るために来たことがあるが、それは西日本の島根ではなく東日本のシモツケ、現実では栃木県に当たる場所だった。


 なぜ島根を良く知っているのか。シモの、あまり聞いたことがない類の方言は、もしかして。


「シモ、お前、この辺りの……」

「……俺、島根人だけん」


 シモは、そのまま消えて無くなってしまうのではないかと思えるほど、哀れに身を縮こませた。


 現実ではなくカルミナオンラインの中とはいえ、シモは被害を最小限にするために、地元を犠牲にしたのだ。他の『深淵の入口』は比較的大都市に近い。開けばNPCもプレイヤーも相当数が犠牲になる。小を捨てて大を取るのは時に必要な決断だ。シモと同じ立場なら、明も同じ事をしただろう。シモは、身を切られるような思いのはずだ。


 しかし、もしもここでシモと会わなければ、明も、涼も、『バー・クラープラ』のメンバーも、捨てられる『小』に入っていたのだ。切り捨てられる側になって初めてこの言葉の理不尽さと、非道さと、過酷さが分かる。


「シモ。俺も、『おわりのはじまりのジレンマ』をクリアしたらどうなるのか知りたい。少しでも早く現実に戻りたい。『グリフレット』よりかなり弱くなったけど、シモに協力したい。でも、今はできない。俺のフレは、サツカ村の英雄だ。あいつは絶対に村人を見捨てない。シモ、ごめん。うちの村に来た不死系が俺達が潰す。俺は、あいつを助ける」

「その人、村の英雄なんか……」


 シモは顔を覆っていた手を下げて、明の目を見た。


「俺もグリフと行きたいよ。グリフと一緒なら、こがなんなっとっても絶対楽しい。でも俺は部隊長だけん。俺に着いてきてくれとる人もおるけん。ケンシンさんやクロカンさんにも恩があるけん。だけえ、今は『CFA』を離れられん。ひどいことやっとるって分かっちょるけどな。……ごめん、グリフ」

「お互い様だろ」


 明は、皮肉げに口角を上げる。


 その時、明の耳に下生えをかき分ける音が届いた。他の『CFA』プレイヤーがいた辺りの草が微かに揺れている。シモの帰りが遅いことに疑問を抱いた他のプレイヤーが、様子を伺いに来たのだろう。あるいは彼らは、シモの監視役なのかもしれない。


 明がそちらに顔を向けたことで、シモも『CFA』メンバーに気づいたようだ。表情を切り替えて、明に向き直る。


「グリフ、気をつけてな。俺が把握できとらん不死系が、グリフの仲間の村の方にも行っとると思う。このクエで湧く不死系はそがに強くないけん、今のグリフでもいけると思う。でも、不死系はすごいキーウェスを憎んどるらしいけん。『乾いた顎のゴシップ』は、精神的にしんどいクエばっかりらしいけん」

「分かった。ありがとう、シモ。また会おうな」

「うん。また会おうな。絶対だけんな」


 辛くなったらうちに来いと言うべきかどうか、明は少し迷った。しかし、すぐにその甘い、夢のような考えを振り切った。シモは己に架された役割や責任を、途中で投げ出せるような性格ではない。もし放棄してしまったら、それをずっと気に病むだろう。過去の友誼を盾に、今の全てを捨てろなどと言うのは、ひどく傲慢な行いだ。


 明はふわりと浮かび上がり、シモに背を向けた。


 そして未練を断ち切るかのように、一度も振り返ることなく涼とシーダの元を目指した。




シモが話す方言(石見弁)は、そのまま文章に起こすと違う意味の言葉になってしまいそうなフレーズがあったため、若干のアレンジを加えています。

方言指導のMKに感謝。

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