2-05
移住4日目の朝。
涼、明、シーダ、ベルナドットは、すっかり体に馴染んだ野良着と藁草履を脱ぎ捨てて、本来の装備品に身を固めていた。サライア、フェリーチャ、ユンカースは野良着のままなので、英雄の旅立ちを見守る村人のようだ。事実、見送りなのだが。
「飲み物、お弁当、お菓子……忘れ物はなし、と」
涼はアイテムポーチのウィンドウを指差し確認する。
その身を包むのは、黒豹装備と呼ばれるの黒一色の道着だ。頭、腕、胴、腰、足の一式をセットで装備すると敏捷度を大幅に上昇させる効果がある。素材を落とすブラックレオパードはレアMobなので一式作成には根気が必要だが、敏捷度に難があるヴァンダ・モンクに愛用されている。何しろ、黒豹装備に『ハチドリの指輪』を加えると、敏捷度上昇装備をしていない同レベル帯の人族ヒューマ・モンクと同等の回避力になるのだ。
黒豹装備のヴァンダは、SPだのマフィアだのと物騒な呼び方をされることが多い。ニンジャと呼ばれないのは、その巨躯と褐色の肌が相まって異様な迫力があるからだろう。
「なんだか遠足みたいだね」
「すみません、はしゃいじゃって……」
くすくす笑うシーダも黒豹装備だ。シーダの長い髪は銀色なので、ブルーグレーの目を除けばそこだけモノトーンの世界のようだ。
シーダは涼よりレベルも格闘スキルも高いので、黒豹装備より上位の装備品を所有している。しかし痛覚が限りなく現実に近づいた今では、以前のようにヴァンダの膨大なHPに任せて、被弾しながらゴリ押しするという戦法が難しい。Mobとエンカウントした時の事を考えて、回避力優先の黒豹装備にしたのだろう。
「いやいや、実は僕も楽しみ。イズモの英雄殿って、出雲大社がモデルなんだよね?」
「はい! すっごく立派な本殿とたくさんの社殿があって、大きい注連縄があるところもリアルの出雲大社と同じなんです!」
「観光はカルミナの楽しみの一つだよね」
「ですよね~。イズモもですけど、クマノやイセもすごいですよ」
「オリジアってあんまり来たことなかったからなあ。いい機会だから、他の都市も観光してみようかな」
「お前らは暢気でいいよな……」
ベルナドットは心底不本意そうに、ため息混じりにそう言った。
確かに、これから危険極まりないサベレコリスへと発つベルナドットを前にして、観光という長閑な話題は失礼だろう。涼はぺこぺこと頭を下げた。
彼らの傍らには、山小屋のような建物がある。涼とベルナドット達で作ったグレード1のギルドホームだ。
涼の木工スキルレベルを考慮すると、グレード2に達していてもおかしくない日数が経過している。しかし、家を建てるとなるとメンバーそれぞれの拘りがあり、収拾がつかなくなった。
サライアやフェリーチャが水回りにこだわるのは良いとして、ベルナドットは書斎、シーダは板間の道場、ユンカースは弓道場が欲しいと駄々をこねた。その他にも細々と要望が上がっている。どうやら、夢のマイホームに関しては欲張りになってしまうようだ。涼の『御屋敷』を目の当たりにしてしまったせいもあるだろう。
涼は不動産広告の間取り図大好き人間であり、同時に物造り大好き人間なので嬉しい悲鳴を上げながら図面を引いていたのだが、明に一喝されてしまった。
――みなさん、たるんでいませんか?
この言葉を皮切りに始まった明の説教大会は、全員を震え上がらせた。
涼には祝術を習得するつもりだったのではないかと説き、ギルドメンバーには涼と村人の好意に甘えてキーウェスとしての本分を疎かにするだけでなく、プレイヤーとして情報収集を怠るのは感心できないと説く。
顔は笑っているが目は笑っていないという表情と、慇懃無礼に辛辣な言葉を立て板に水の如く流れるように淡々と紡ぐ舌鋒は、恐怖の一言だった。途中でベルナドットが、よく噛まないなあと茶化したのだが、ぎろりと睨まれて沈黙した。明が怒ると条件反射的に萎縮してしまう涼だけでなく、ギルドメンバーまでもが姿勢を正して拝聴する羽目になったのである。クリスタル作成のために日々錬金術工房に篭って『精神的拷問』と呼ばれる作業を繰り返している明には、誰も逆らえない。
反省した一同はギルドホームのグレードアップを一時中断して、魔法を会得するソピア組、サベレコリスで新聞購入と情報収集をするサベレコリス組、村に残って敷地確保のため森を切り開く開拓組の3つに分かれることにした。別行動中に、間取り図について考えておくというおまけ付きだ。
サベレコリス組は、最も図体が立派で男性であるシーダが適任だったのだが、シーダも祝術スキルを覚えたいと言い出した。回復魔法の重要性は涼も明も身に染みていたので、シーダの祝術習得に異論はない。ヴァンダの祝術など一発芸に過ぎないが、その一発芸が身を助けるのが現在のカルミナオンラインだ。
では次点のユンカースが、となりそうなところなのだが、ユンカースは現在、狩猟スキルを伸ばしている。狩猟スキルは主に小弓と小剣を使用する。ユンカースはもともとメイン戦闘スキルで小弓を取っているし、近接用に小剣も伸ばしているので、狩猟スキルが一桁であるにも関わらず成果が良い。毛皮と動物性タンパク質の供給源だ。
森妖霊族エルヴンのフェリーチャと土妖精族トゥレエのサライアは、その種族特性と魔法アビリティを活かして整地を進めることが出来る。森妖霊族の種族特性アビリティ『カンパニオの導き』は樹齢10年程度までの樹木を特定の場所に移動することが出来るので敷地確保にうってつけだし、サライアは精霊魔法と付与魔法の複合魔法『クリエイト・マーシュ』を使えば切り株の周辺だけをピンポイントで泥沼にして楽に引っ張り出せる。
余るのは、人族ヒューマゆえに種族特性もなく、パラディンゆえに白魔法を会得しており、さらに男性であるベルナドットだ。かくしてベルナドットは、最も敬遠される初代サベレコリス組に就任した。貧乏くじとも言う。
「じゃあ行ってくるよ、リーチャ……」
「ベルさん、気をつけて下さいね!」
悲壮な表情で妻に別れを告げたベルナドットに、ユンカースが明るい声をかける。
「戻ったら絶対狩猟スキル取ってやる……」
「ベルさんも狩人やるんですか? やったあ! 一緒に狩りに行けるんですね!」
「……嫌味が通じない天然ちゃんとしゃべるのって、虚しいもんだなあ」
「その気持ち、わたしはよーく理解できますよ」
「そっか。そうだよな。メイ、お前も苦労してるんだな……」
ベルナドットと明はがっちりと固い握手を交わす。それを見ていた涼は、確かにユンカースさんは天然だからなあと、と思う。
「それじゃあヤエさん、行ってきますね。みなさんのご飯と、イネさん達の賄いをよろしくお願いします。何か困ったことがあったら、ユンカースさん……じゃなくて、サラさんとリーチャさんに相談してください」
「え!? なんでおれだけ外れるの!?」
「だってベルナドットさんとメイちゃんが……」
涼がちらりと二人の様子を伺うと、ベルナドットは首を縦に振り、メイは眉間を押さえてため息をついた。
「うわー。おれ、そんなに頼りにならないかなあ」
「いいえ。ユンカース様はとても頼もしくて優しいお方です。息子ともよく遊んでいただいて、本当に感謝しております」
「あー、お前とチーくんとは精神年齢が同じくらいだから、ちょうどいいんだろうな」
「だよねー」
「あー、うん。そうだよね」
ベルナドットの言葉に、サライアとフェリーチャが神妙な面持ちで同意する。
「ベルさん、チーくんは1歳ですよ?」
「おお、皮肉が通じた」
「え……あ、ヤエさんまで笑ってるし……」
「すみません。なんだか可笑しくて」
最初はベルナドット達のユンカースに対する軽口を言葉通りに受け取って焦っていたヤエだが、ここ数日で彼らの親密さがもたらすコミュニケーションだと理解したようだ。慣れた、とも言う。それだけでなく、ユンカースに追い討ちをかけるように、くすくすと忍び笑いを漏らすという反応まで見せるようになった。
ヤエを『バー・クラープラ』付きにしたのは我ながら良い判断だった、と涼は思う。
気のいいイネ達も、どうしてもサツカ村生まれではないヤエには抵抗があるようで、若干の距離を置いて接していた。イネやフジ達の関係を仲の良いお隣さんとするならば、ヤエについては職場の同僚くらいの温度差がある。仕方がないこととはいえ、涼はそれを気に病んでいた。
しかし『バー・クラープラ』付きになったヤエは、いつの間にか村人とギルドメンバーの橋渡し役になり、それをきっかけに村人と急速に距離を縮めていた。
涼という存在には慣れている村人も、ギルドメンバーにはまだ話しかけづらい。そこでヤエというワンクッションを挟むのだ。
子供たちは、ヤエがキーウェスから聞いた珍しいお話をねだる。若い村娘達は信仰心より好奇心が先立ったようで、見目好いキーウェス達の事を知りたがった。ご婦人方はキーウェス達に不便はないかと、食事のメニューのアドバイスや野良着の繕いまで細々と手を貸す。
子供や女性が好意的になったのならば、男性にも否やはない。オリジア皇国は男性上位の社会だが、家の裏の実権を握っているのはたいてい女達だ。それにヤエは美人なので、サツカ村生まれではないことを別にすれば、もともとの人気が高かったのである。
明によれば、禍福は糾える縄の如し、あるいは人生万事塞翁が馬との事だ。マタジロウが亡くなってから、四方八方に遠慮していたヤエが笑顔を見せるようになったのは、涼も嬉しい。
特にユンカースは、ヤエがメンバーにも馴染む一助になっているようだ。水汲みや荷物運び等の力作業は大変だろうと手伝っているし、ヤエの息子のチョウスケとも楽しそうに遊んでいる。その様子は、非常に微笑ましい。
「まあ、冗談はこれくらいにしといて。ユンカース、リーチャとサラさんを頼んだぞ」
「畏まりました。お帰りをお待ちしております」
ユンカースらしからぬ仰々しいセリフに、ベルナドットは気味悪そうに身を引いた。
「ヤエさんの真似でしたー」
「まあ」
ヤエが目を丸くする。
ユンカースはへらりと笑いながら頭を掻いた。
シーダの鋭い上段蹴りが空気を切り裂く。
スウェーバックを用いて紙一重でかわした涼は、大きく一歩踏み込みながら電光石火のワンツー。そして左フックのフェイントを挟んでから、右ローキックを放つ。
ワンツーが細かいヘッドスリップでかわされ、ローキックの際にシーダが姿勢を沈めたことで関節技の気配を感じた涼は、右足を取られながら左足でシーダの鳩尾に蹴りを入れる。シーダがひるんだ隙に飛び込み前転で距離を取り、再び構え直したのだが、その時にはシーダの拳が目の前に迫っていた。
左頬に激しい衝撃。涼の意識が飛び、気がついたときには大の字になっていた。心配そうに見下ろすシーダを見て、涼は慌てて立ち上がる。
「ありがとうございました!」
涼は空手の礼のように、押忍、と言ってシーダに頭を下げる。
「じゃ、回復いきまーす。『ヒール』」
いい加減飽きてきたのか、明が面倒くさそうな声で白魔法の『ヒール』を唱える。
HPは瞬時にしてMAXまで回復するが、頬にはやはり鈍い痛みが残る。
明がイズモで無事に白魔法を会得できてからというもの、涼とシーダはスサへの道すがら頻繁に組み手をしている。それも、寸止めではなく直接打撃制 (フルコンタクト)だ。
格闘スキルの熟練度を効率的に上げる方法は、自分のレベル±10以内のMobにダメージを与えることだ。『練気』のような自己回復、『硬気孔』や『軽気孔』のような補助アビリティの発動でも熟練度は取得できるが、Mobとエンカウントしていないと意味がないし、取得熟練度は微々たる物である。そこで戦闘系スキルレベルを上げるためには、嫌でもMobとの戦闘をこなす必要があった。
しかし加害禁止コードが解除された現在、与ダメージ対象はMobだけではなくなっていた。
そのカラクリを発見したのは明だ。
自分のステータスを精査していた明は、格闘スキルの熟練度が僅かながら上がっていたことに気づいた。風妖精族カエリムの明が徒手空拳で対象にダメージを与えたのは、追記事件直後に涼に強烈な平手打ちを見舞った時くらいだ。
『素手でプレイヤーを殴る=格闘スキルの熟練度上昇』の公式が成立したのかもしれないと推測した明は、ものの試しにと涼にシーダを攻撃させた。すると、Mobに攻撃した際と同じように熟練度が上がったのだ。
涼のレベルは48。明は54。シーダは57。Mobと同じようにレベル差が±10の範囲に収まっていなければ熟練度が上がらない可能性もあるが、Mobを相手にするより安全性は遥かに高い。そこで涼とシーダは、フルコンタクトの組み手で格闘スキルレベルを上げることにした。
味方同士で殴り合ってスキルの熟練度を上げる。大昔に明にプレイさせられた16ビットのコンシューマゲームのようだな、と涼は思う。心理的には抵抗があるが、安全性と効率では優れているので文句は言えない。
フルコンタクトで殴り合ってダメージを負っても、明が新しく覚えた白魔法の『ヒール』で回復できる。涼とシーダは格闘スキルの熟練度が稼げるし、明も白魔法の熟練度を稼げる。一挙両得どころか三得の方法である。
「リョウさん、思いっきり顔面に入っちゃったけど、大丈夫?」
「平気です。私の方こそ、鳩尾を蹴っちゃってすみません」
「ダメージ入れなきゃと思うと手加減が難しくて……本当にごめん」
組み手が終わる度に、シーダは涼にあれこれと謝る。
アビリティを使用していないとはいえ、重量級のヴァンダ・モンク同士がダメージを与えるつもりで殴り合うのだ。涼もシーダもアザなどは当たり前で、何度か骨にヒビを入れている。
痛くないと言えば嘘になるが、バレーボールで慣らした涼はそれほど気にならない。練習中にスパイクを受け損なって時速130km近いボールが顔面を直撃したこともあるし、こぼれ玉をフォローしようとして実況席に盛大に突っ込んだこともある。セッターに転向してからは無茶をしなくなったが、それでも膝の痛みや突き指は付き物だった。
それに、カルムイーターとの戦闘時に比べたら、この痛みはむしろ心地良い。跳び、踏ん張り、踏み込み、体を思い切り動かしてスポーツを楽しんだと感じる。現実の傷んだ膝では二度と叶わない、全力での運動。嬉しくて痛みなど吹っ飛んでしまう。
「シーダさんって格闘技やってたんですか? 擒拿法に行く時の動きがスムーズっていうか、すごく早いですよね。……って、すみません。リアルの事聞いちゃ駄目ですね」
擒拿法とは、大雑把に言えばモンクが使用する中国武術由来の関節技のことだ。シーダがローキックの足を取りアキレス腱固めもしくは膝関節からの押さえ込み、止めに移行しようとした動きも擒拿法に当たる。
あまりにも移行の動きが周到だったので、シーダはリアルでも格闘技経験者なのではないかと思って質問した。しかし明にぎろりと睨まれたので、涼は慌てて謝罪する。
VRMMORPGだけでなくPCでのMMO時代から、相手のリアルを聞くのは御法度という不文律がある。相手が話してくれた場合は別だが、あえて訊ねるような無粋な真似をしてはならない。
「ううん、それくらいいいよ。僕は修斗っていう格闘技をやってるんだ。修斗ってうのは……」
「知ってます! 打撃も締め技関節技もありありの総合格闘技ですよね?」
「詳しいね。普通、女の人は修斗って知らないと思うけど」
「格闘家の患者さんが教えてくれたんです!」
涼が務めるリハビリテーション施設の患者には、プロの格闘家もいた。「俺は総合格闘家ではなく、プロレスラーだ!」と誇りを持って言う男性患者もいたし、新しい総合格闘技の流派を立ち上げるために身を削っている患者もいた。40歳を超えてなお現役の女子プロレスラーもいた。選手の健康管理のために、毎日付き添っていた熱心なセコンドやトレーナーもいた。
体を限界以上に酷使する格闘家やアスリートは、怪我だけでなくスポーツ障害などの慢性的な故障が多い。涼は格闘技には興味がなかったのだが、故障原因や患者の心理を理解するために必死で勉強したのだ。
「未経験者よりは擒拿法の入りが早いかもしれないけど、でも僕はどちらかと言えば立ち技が得意なんだよ。組手やってたらつい癖で顔面を狙ってしまって。女性の顔を殴ってしまってすみません」
「いえいえいえいえ。Mobは男性だろうと女性だろうと関係なく攻撃してきます。遠慮なくやっちゃって下さい。そっかあ。シーダさんは格闘家なんですね。もっと色んなことを教えてください」
シーダが組み手終了後に必ず謝罪するのは格闘技経験者だからなのか、と涼は思う。格闘技経験者の拳は凶器扱いなので、練習や試合以外では使わないようにときつく教えられているはずだ。いくらVR世界とはいえ、脳に刻まれた禁忌は消えないのだろう。
『リョウ』のような女性には見えない人間に対しても配慮を忘れないとは、真に礼儀正しい人なのだなと感激した。
「僕のは趣味の延長だから、格闘家ってほどじゃないよ。リョウさんの飛び込み前転の回避も、僕の頭にはなかった動き方だからすごくびっくりした」
「あの回避はですね、バレーの回転レシーブなんです」
「バレー? リョウさんはバレーをやってたの?」
「はい。格闘技に比べると全然ですけど、使える動きもあるって分かって、ちょっと嬉しいです」
「あの回避から構えの流れはすごいよ。前転から立ち上がると同時に構えを取ってるし、腰を落としてスタンスを広げてるから隙がない」
「格闘技をやってる方に褒められると、なんだか恥ずかしいですね」
「はいはい、終了ー」
明がぱんぱんと手を打ちながら、割って入る。
「うーん。気が合うのはいいけど、男女の会話じゃないなあ。もうちょっと色気のある会話をしてもいいのに、どうして2人ともマッチョ思考なのかな?」
「ちょ……何言ってんのメイちゃん! シーダさんに失礼だよ!」
涼の頬が熱くなる。おそるおそるシーダの様子を伺うと、目を細めて笑っていた。気を悪くした様子はなさそうだ。
ふと、シーダは涼が理想とする男性に似ているな、と思う。
涼の理想の男性は、20世紀末の2Dムービーで見たハリウッド映画のアクション俳優だ。オーストラリア出身のボディビルダーで、売れっ子俳優になり、その後に州知事になった。とある映画では、装備品を満載したゴムボートを黒ビキニ一丁で浜まで引き上げ、迷彩メイクを施し、軽機関銃を振り回していた。初めて見たときは、あまりの格好良さに失神するかと思った。
「それと、シーダさん。リョウちゃんの熟練度を上げなきゃいけないので、すみませんがもうちょっと殴られて下さい」
「ごめん。頭から飛んじゃってた。駄目だな、僕も」
「シーダさんは悪くないです! 私が下手くそだから……」
「そんなことない。リョウさんは上手いよ。だからついガチンコになっちゃうのかもしれない」
シーダが涼に柔らかく微笑みかける。
いい笑顔だなあ、と涼は思う。ヴァンダはとても厳つい容貌なのだが、シーダは不思議とマイナスの印象を与えない。
「でもメイさんが言うとおり、早くリョウさんの格闘スキルを40に上げなきゃね。ハイモンクになったら補正値も上がるから、もっといい勝負ができると思うよ」
「はい! 楽しみです!」
「うん。僕も楽しみ」
格闘スキルレベルが40になれば、モンクからハイモンクにジョブチェンジできる。ジョブ補正が上昇するし、これまでクエストクリア等のボーナスで覚えたものの、ハイモンクではないので使えなかったアビリティも解禁になる。大幅な戦力アップだ。
それに、ハイモンクになればシーダと能力値的な釣り合いが取れるので、『ユニゾン』や『チェーンアタック』ができるかもしれない。
同じジョブの者が同じ行動をする『ユニゾン』、2人以上の前衛職が細かい連携を繰り返して総合的な隙を減少させる『チェーンアタック』。どちらも高レベルプレイヤーですら難しい超高等技術だ。しかし以前から思ってたのだが、シーダとは攻撃手段の選択が似ている。組手を続けて練習を積み重ねれば、もっと同調させることができるかもしれない。
「そうだ。リョウさんの『崩拳』をガードした時、HPを削られたんだ。クリーンヒットじゃなくても熟練度が上がってるかもしれないよ」
シーダにそう言われて、涼はステータスウィンドウを表示する。明確な与ダメージがなかったにも関わらず、格闘スキルの熟練度が上がっていた。
「上がってます! じゃあシーダさんも上がってますよね。私も『靠撃』をガード時、削りダメージがありました」
「じゃあ、組手よりはガード主体で上げたほうがいいってことかな。『硬気功』や『鉄化功』なしで受けるのはちょっと怖いけどね」
「ですね。でもアビリティ使うと削りダメージ通らなくなっちゃいますし」
「ガードしてもHPが削れるって、二人共どんだけ攻撃力高いのよ……」
明が呆れ顔で呟く。
「でもシーダさん、アビリティなしでガードする癖がついたら、Mobの攻撃も素でガードしちゃいそうで怖いです」
「あー……Mobが武器使ってたら腕や足がやられるね。そう言えば最初の頃、リアルの癖でMobの攻撃をガードしちゃって左手を切り飛ばされたなあ」
「うわあ。ちょっと想像したくないです」
「うん。僕も思い出すの嫌」
モンクは、手甲すら装備できない徒手空拳のジョブだ。ゆえに、他のジョブとは異なり、ガードをほぼ使用しない。Mobが刃物を使用していたら、ガードしても攻撃が刺さってしまうからだ。鈍器でも同様で、Mobの攻撃力によってはガードしても骨を砕かれてしまう。よって、基本は回避と受け流し(パリィ)になる。攻撃を完全に避けるのが回避、攻撃を滑らせたり押しやったりして無効化するのが受け流しだ。
そしてモンクの場合は、受け流しの成功後にカウンター攻撃アビリティ【拳撃】【肘撃】【靠撃】【蹴撃】【擒拿法】への移行が可能だ。さらに【拳撃】と【蹴撃】は他のアビリティとの連携が可能なので、うまく繋げると連続攻撃になる。難点は、受け流しからカウンター攻撃アビリティ発生の受付時間が短いこと、連続攻撃となるとさらに短くなることだろう。ただし成功すると、とんでもない火力になる。受け流しからの連続攻撃はモンク系ジョブの真骨頂であり、モンク系ジョブが超攻撃型ジョブと呼ばれる所以だ。
どうしてもガードしなければならない場面では、『鉄化功』というアビリティを使用する。『鉄化功』は体を鉄のように固くするアビリティで、刃物も鈍器もガード可能になる。ただし使用中は移動速度が激減するし、一切の攻撃行動ができなくなる。それに、『鉄化功』も完全に敵の攻撃を防げるという訳でもない。『鉄化功』の防御力を上回れば削りダメージが通る。あくまでガード可能になるだけだ。
「味方同士でも熟練度を上げられるのは嬉しいけど、ダメージを入れなきゃいけないっていうのがネックだね」
「わざと擒拿法をかけてもらうっていう手もありますけど、下手したら関節が壊れちゃいますし」
「格闘スキルのアビリティ……って言うか、他のスキルもそうだけど、手加減を想定してないから難しいね」
「Mobを攻撃するのが前提ですもんね~……」
「困ったねえ」
シーダは、眉を下げて笑った。
涼は、何となくシーダの顔をじっと見てしまう。
一度シーダという男性を意識すると、良いところをたくさん発見する。
穏やかな雰囲気がいい。鷹揚に構えているところがいい。優しくてゆったりした口調もいい。男性を前にすると緊張しがちなのに、シーダとは自然に話せる。家族や明以外の男性と一緒にいて、こんなにもリラックスしたことがあっただろうか。
総合格闘技で自分を鍛えているところもいい。格闘技者には、自分に厳しく他人に優しい人が多いという印象がある。
何より、シーダは背が高い。涼は男性の身長に拘りはないし、事実、たった一人ほどいた彼氏も涼より身長が低かった。しかし彼の方が涼の身長を気にしていて、別れ話の際には体格について酷い言葉を浴びせかけられた。同じ思いをするのはもう嫌だ。それに、できることなら踵の高い靴を履いてお出かけしてみたい。
「癖にならない程度なら、ガードで熟練度を上げるのもいいかもしれませんね。私が最初に受けますから、シーダさん、遠慮なくどうぞ!」
涼は、ふわふわした心に喝を入れるように、両手で頬を叩いた。
スサはイズモの南南東、直線距離で約20kmの地点にある。
ただしイズモの南側は現実で言う中国山地に似た地形になっており、スサもその山間部に当たる。街道は通っているが、舗装されていない曲がりくねった山道を辿ると、実際の距離は30kmから35km程になる。
スサに最も近い村、タンベを通り過ぎてからしばらくしたところで、明がぴたりと足を止めた。その額には、汗が滲んでいる。
現在の季節は夏だ。オリジア皇国ではリアル時間の一週間ごとに四季が移り変わる。南方メレディアス発祥の人族であるヴァンダは『砂人』の異名があるほど暑さに強く、溶岩地帯でも熱さ耐性にプラス補正がつく。しかし風妖精族カエリムであるメイには厳しい気温だろう。体力の塊であるヴァンダとは違って、徒歩移動の疲れもあるはずだ。
「メイちゃん、疲れた? お水飲む?」
「しっ」
明が唇の前で人差し指を立てる。
「……『風精霊の囁き』」
明は風妖精族カエリムの種族特性アビリティ、『風精霊の囁き』を発動させた。
風妖精族カエリムは聴覚が鋭い。音声系攻撃で気絶しやすいという弊害もあるが、デフォルトでニンジャマスター並みの聴覚があるし、人間の可聴域を超えた音も拾える。さらに『風精霊の囁き』を使用すると、半径5km以内の音声を取捨選択して風精霊に運ばせることができる。
『風精霊の囁き』は他の種族アビリティと同様に一日に一度しか使えないし、風精霊が音を運ぶので若干のタイムラグもある。それに、都市部では音が多すぎてカエリムも風精霊も対象を絞れないため使用不可能だ。しかし静かな森の中ならば問題ない。
「……我らの標的はスサだ。欺瞞者キーウェスの専横を許すな」
「Mobがスサを攻めようとしてるの? ワンダラー?」
「待って。……蓋は、開いた。よみ……よもつひらさか? 死者……石段……暗闇……声が小さすぎてちゃんと聞き取れない」
「メイさん、Mobの種類と数は?」
「種類は分かりませんが、人語を話してるのだけで最低3体はいますね。まだ『サーチ』の範囲に入ってないんで、詳しくは分かりません。風精霊も運ぶ音が多すぎるせいで混乱してて、なかなか正確な情報が……あ、え? 風精霊が消された!?」
「え!?」
涼とシーダは同時に叫んだ。
純粋に精神的な存在である精霊は、HPを持っていない。彼らを消滅させるには、MPにダメージを与えるしかないのだ。しかしMPを攻撃する方法は多くない。代表的なものは黒魔法の『マジックスティール』、精霊魔法の『ウンブラ』、格闘スキルの『虚空掌』などだが、プレイヤーが風精霊を攻撃するのは考えにくい。
「死霊系……?」
涼は表情を固くする。
MPへ攻撃するMobの中で、最もポピュラーなものは死霊系だ。
カルミナオンラインにおける不死系Mobは、死体系と亡霊系の2つに分類されている。肉体があるものが死体系、ないものが亡霊系だ。そして亡霊系Mobの中でも、特に『ソウルフリーズ』と呼ばれるMP奪取の特殊攻撃を使うMobを死霊系という。
死霊系Mobとヴァンダ・モンクは相性が最悪だ。
死霊系Mobは精霊と同じく精神体であるためHPがなく、MPにダメージを与えないと倒せない。モンクには『虚空掌』があるが、これは掌底を叩き込む近接攻撃だ。『虚空掌』を使おうとすると、『ソウルフリーズ』の間合いに入ってしまう。MPが低いヴァンダ・モンクが『ソウルフリーズ』を食らうと、あっという間に疲弊状態になる。
MPがゼロになっても、死にはしない。しかし疲弊状態では、全能力値が大幅に減少する。死霊系Mobの攻撃は『ソウルフリーズ』だけではない。疲弊状態で暗黒魔法の集中砲火を浴びせかけられれば、回避することも叶わず、やがてHPがゼロになるだろう。
「そうだ。思い出した。この抑揚がないボソボソしたしゃべり方って死霊だ。リョウちゃん、イズモ地方って死霊が湧く?」
「ううん。死霊系の野良Mobはいないよ。出てくるのは全部クエストMobで、特定座標に出現するタイプなの。死霊が他の不死系Mobと一緒に移動するクエストなんてないから、たぶんワンダラーだと思う。……あ、でも」
ふいに涼は、出雲地方について調べた内容を思い出していた。
明が聞き取った『よもつひらさか』。それが『黄泉比良坂』なのだとしたら、『古事記』や『日本書紀』『出雲国風土記』に記された死者の国への道だ。
芦原瑞穂の国(日本)を生み出したイザナギとイザナミの夫婦神。しかし女神イザナミは火の神を産んだ傷がもとで死んでしまった。妻の死を嘆いた男神イザナギは、死者の国へイザナミを迎えに行った。イザナミは死者の国の食べ物を食べてしまったが、あなたが迎えに来てくれたので、戻れるかどうか黄泉の神に相談しに行くと言う。ただし、合図をするまでは決して来てはならないとも言う。しかし待てど暮らせど戻らないイザナミに業を煮やしたイザナギは、黄泉の国へと入ってゆく。そこでイザナギが見たのは、蛆が湧いた妻の姿だった。
恐ろしくなったイザナミは、逃げ帰ろうとした。しかしイザナギが約束を破ったことに気づいたイザナミは、辱めを受けたと怒り狂い、黄泉の化物にイザナギを追いかけさせた。イザナギは何とか化物を撃退したが、最後にはイザナミ自らが追いかけてきた。イザナギは黄泉比良坂にあった大きな岩を用いて、黄泉への道を封じた。そして夫婦神は、永遠に別れてしまった。
その黄泉比良坂があるとされるのが、現実での出雲だ。
「メイちゃん、黄泉比良坂って知ってる?」
「『深淵の入口』のひとつだね。死者の国の入口」
「他にも同じ感じのがあるんだ」
「うん。各国に1つずつあるよ。目的と役割は同じ。オリジアだとイザナギ、イザナミの神話にちなんで『黄泉比良坂』って名前になってて……って、そう言えば、黄泉比良坂はイズモにあったような気がするんだけど」
「うん。黄泉比良坂は東イズモにあるよ。あれ? スサから遠いはずなんだけど……」
涼が困惑気味に言うと、明の顔が盛大に強ばった。
「遠いとか近いとかは置いといて。蓋は開いたって、まさか『深淵の入口』が開いたってこと? あれが開くのって……でも運営が機能してないのに、なんで『背教者』イベントが始まるの?」
「何? 怖いことなの? 運営のイベント?」
「運営の悪意って言われてるイベントだよ。クローズドβとオープンβ時代に1回ずつしか発動したことない激レアイベントだから、古参以外は知らない人が多いと思う。国内に一定確率以上の『オレンジ』がいる時に運営が発動する制裁イベントでね、『深淵の入口』が開いて不死系が湧きまくって、『オレンジ』を『深淵』に引きずって行くの。『深淵の入口』は、運営用の制裁装置なんだよ」
明は視線を落とし、顎に手を当てて瞬きを繰り返す。考え事をしている時の明の癖だ。
「サベレコリス……リベルタ共和国で『背教者』が始まらなかったから、運営が機能してないせいなのかって考えてたんだよね。もしかしたら単に『背教者』の発動条件が変わったのか、それとも時限式で解放する設定になってたのか」
「メイさん、その『深淵の入口』ってどうなったら閉じるの?」
「『背教者』なら『オレンジ』が『深淵』で審判シナリオを受注すれば、というか強制受注らしいんですが、そうしたら勝手に閉じます。それ以外となるとちょっと」
「だよね。ごめん」
「メイちゃん、カルミナって神話伝承関連は割と忠実に再現してるよね? 神話だと、イザナギ様が黄泉比良坂にあった大きな岩で塞いだんだよ。えーっとね、岩は道反の大神って言うの」
カルミナオンラインには、神話伝承を元にしたクエストやNPCが多数存在する。
シナリオ『永遠の春と黄金の鐘』は北欧神話における女神イズンと黄金の林檎がモチーフになっており、霜の巨人や鷹の羽衣が登場する。メドゥーサがドロップする『右側の血』を、蛇がからまった杖を持つ男性NPCに渡すと蘇生アイテムと交換してくれるが、これはギリシア神話のアスクレーピオスがモデルだ。その他も枚挙に暇がない。
「うん。岩が封印になってる可能性は高い。でもそれより、『深淵の入口』が開くもう一つの可能性の方が問題だね。蓋は開いた。つまり、Mobが開けたんじゃない。Mob以外の誰かが開けた。運営以外にオブジェクトに干渉できるのは……」
「あ」
涼とシーダははたと顔を見合わせた。
「でもメイちゃん、『深淵の入口』ってプレイヤーにも開けられるの?」
「これまでは不可能だったよ。これまでは、ね」
「……メイさんの言いたいことが分かったよ。今まで不可能だったってことは、追記事件で変更・追加された何かに関係がある。入口が破壊可能オブジェクトになったのか、もしかしたら新シナリオがらみか。もしもあれがクエストMobだったら、参加メンバーじゃない僕たちは、あのMobにも、スサにも、手出しができない」
「ええ。穿って考え過ぎなのかもしれませんけど……とりあえず、今のわたし達ができるのは情報収集だけ、ですね」
明は語尾を吐き捨てるように言うと、大きく息を吐いた。
「あれがワンダラーだったとしても、死霊系ならリョウちゃんとシーダさんは相性が悪いですよね。わたしが先に『フライト』で偵察して来ます」
「でもメイさん、不死系には飛行Mobも多いよ。『姿隠し』でタゲを外せるのは1回だけなんだから危ない。一旦引いて……」
「威力偵察じゃないので大丈夫です。『サーチ・エネミー』ぎりぎりくらいしか行きません。すぐ戻りますので、ここで待っていて下さい。リョウちゃんをお願いします。……『フライト』」
「あ、メイさん!」
シーダが右手を伸ばして制止しようとしたが、明は既に上空3mの位置にいた。背中の羽が激しく振動し、太陽の光を受けて虹色の残像を描いている。
明は険しい眼差しを南の空へ向けると、姿勢を水平状態に移行し、一気に加速した。後には、ぱたりと手を下ろしたシーダと、大きく手を振る涼が残される。
「……なんだろう。メイさんらしくない」
「え?」
「いつものメイさんなら、もう少し慎重に行動するような気がする。マスターが『メイは石橋を叩き過ぎて壊すタイプ』ってからかうくらいなんだけど」
「そう……ですか? どっちかって言うと、メイちゃんはいつも前に立って引っ張ってくれますけど」
涼がきょとんとした表情で言う。明は慎重というより思慮深いのだ。石橋を壊すような愚かな真似はしない。石橋を渡る時はしっかりと安全を確認した後に、涼の数歩先を歩いて導いてくれるだろう。
シーダは驚きの表情を浮かべながら涼を見る。しかしやがてその目が徐々に細められ、暖かい笑顔に変わる。
「そっか。そうだね。リョウさんがいる時のメイさんは、ちょっと違うかな。本当にいい友達なんだね」
「はい。メイちゃんは、私の最高の友達です。でも、あの、メイちゃんが違うってどういうことですか?」
「どっちもメイさんらしいって言う話。なんだか焦ってるみたいに見えたけど、僕の気のせいだね」
「焦ってる?」
「いや、こっちの話。メイさんが空からもここが分かるように、準備をしておこうか。何か目立つものは」
「白い手ぬぐいなら何枚かあります。並べたら旗みたいになるかもしれません」
「それはいいね。じゃあ枝を採って来よう」
シーダは腕まくりをして雑木林の中に入っていく。
涼は慌ててアイテムポーチから斧を取り出しながらも、明が飛んでいった南の空に目を向けた。




