2-04
「えっと、農奴監督官の人は……サダヨシ、さん?」
「サダヨシさんはマツさんの旦那さんで、ゼンベエさんとイノさんのお父さんですよ。農奴監督官はサダキチさんです」
「え? ん? ゼンベエさんって、リョウちゃんのファームの従業員さん……だった、よね?」
「それはトクベエさんです」
「トクベエさんの奥さんはイヨさん……」
「惜しいです。トクベエさんの奥さんはイネさん。キヨちゃんとミヨちゃんとソウタロウくんのお母さんです。あと、イネさんはシカさんの姪なので、ヤタロウさん、マタジロウさん、ソウザブロウさん、ヘイゴロウさん、サクさん、トキさん、タケさん、イトさんとは従兄弟に当たります。あと、トクベエさんはシカさんの旦那さんのお兄さんのトウゴロウさんの子供ですから、イネさんとは又従兄弟になりますね。あ、トクベエさんとイネさんはコトちゃんとオトキチくんの代理親です。コトちゃんはイネさんの大伯母さんのタケさんの生まれ変わりで、オトキチくんはトクベエさんの伯父さんのチョウキチさんの生まれ変わりですから」
「……ごめん、リョウさん。もう1回お願いします」
シーダは村人が写った数十枚の画像と、メモ帳を広げたウィンドウを前に、げっそりとした様子だ。他のメンバーも畳の上で足を崩し、ベルナドットに至ってはうつ伏せになっている。きちんと正座をしているのは涼だけだ。
せっかくサツカ村にやってきたのに、英雄殿の中から出られずに半日が経過していた。
クリスタルでサツカ村へ転移した直後、ベルナドットが村人の好感度を高めるためにも、顔と名前とおおまかな経歴を把握しておいた方が良いのではと提案した。社会人経験のある人間なら、常識的な考えだろう。そして妻のフェリーチャは、子供がいる家は特に重要、と追加した。親は、子供の名前を覚えていてもらったら嬉しいというのが根拠だ。なるほど、そうに違いない。
円満かつ友好的な関係を築くためにも、と意気込んでいたギルドメンバーだったが、田舎の濃い人間関係を舐めていた。
たった95人しかいない村人たちだが、網の目のように誰かとつながっている。血縁関係だけでもややこしいのに、代理親としての繋がりもある。複雑怪奇で、全貌が掴めない。
名前が微妙に似通っているのも混乱の元だ。『イ』から始まる女性だけでも、イト、イネ、イノ、イヨで4人もいる。また、村人は全員が同じような髪型と服装をしており、一様に日焼けをしていて、外見的な特徴が分かりづらい。
「リーダー、習うより慣れろ、の方がいいような気がするんですけど」
「こういうのは最初が肝心だろ。それに、村の人達が『あれ』を不審に思ったら、言わなきゃいけないわけだし……。そのための伏線の意味でも、だな」
「それは、そうなんですけど」
明は、ちらりと涼の様子を伺った。
結局、涼はベルナドットの嘘に乗ることにした。
もしも村人が死者が生まれ変わらない事に気づいた時、ベルナドット達が実は、と偽りを告げる。その内容は、大災害で多数の死者が出たため、善行の石段の判定に時間が掛かっているという、まさに姑息なものだ。NPCの中にある楽園信仰と、英雄候補であるキーウェスに対する信頼を利用して、無理を押し通しているに過ぎない。
しかし、大災害があったのは嘘ではない。追記事件後はカルミナ全土でワンダラーMobが湧き、数百万単位のNPCが死んでいる。サベレコリスのような大都市では、飢餓やプレイヤーによる暴行で、現在もNPCは減り続けているだろう。行商人などによってサツカ村に都市部の情報が伝わっても、村人が事実に気づきにくい嘘だ。
涼は、村人が傷つくことを恐れている。それによって村が壊れてしまうことを恐れている。
ギルドメンバーも、その気持ちは同じだ。しかし彼らが嘘を選択したのは、利己的な保身の意味合いも強い。輪廻転生という信仰の根幹が揺るがされることによって、村人のキーウェスに対する敬意が失われた場合、窮地に陥る可能性が高いのはギルドメンバーだからだ。
楽園信仰における輪廻転生とキーウェスの存在はセットの考え方だ。善行の石段が嘘なのだとしたら、踊り場にいるとされるキーウェスの存在理由について疑問が湧くだろう。キーウェスが善行を積んで英雄候補になった『魂』ではなく、運営という名の絶対神に優遇された只人なのだという事実を知れば、騙されたと思うに違いない。信じていたものに騙されていたと知った時、復讐が苛烈なものになることは歴史が証明している。
明は、暗い思考の深みにはまろうとしたところで、ふと我に帰った。
涼に釣られて村人を人間だと考え始めているが、彼らはAIだ。基本ルーチンである楽園信仰や、それに伴うキーウェスへの絶対的な信頼が簡単に崩壊するかと言えば、甚だ怪しい。
ただし、AIがどこまで学習するか未知数であることは肝に銘じておかなくてはならない。NPCのAIより劣るはずのカルムイーターですら、本来の習性を無視して、あるいは『獲物が油断しているところを襲う』という習性のみを優先して襲ってきたのだから。
体のいい時間稼ぎの嘘に過ぎなくとも、平和で安全に暮らすためには、村人にも穏やかに暮らして貰わなければならない。
「うーん……やっぱり、全員を覚えるのは大変ですよね。とりあえず、村長さんや農奴監督官なんかの役職付きの人達と、私のファームの従業員を暗記できれば支障はないかと思います。後はおいおい覚えていただければ」
「しかしだなあ、リョウちゃん……ん?」
だらしなく寝そべっていたベルナドットが、跳ねるように起き上がる。そして長剣をずらりと抜くと、外に向かって構えた。
「どうしたんですか?」
涼が戸惑いの声を上げる。しかしユンカースも険しい表情で小弓に矢を番え、シーダはベルナドットの後ろで足を前後に開いて攻撃の構えを取る。フェリーチャとサライアは、魔法の詠唱準備に入った。
明も涼と同じく狼狽していたが、英雄殿すら安全地帯ではないことを思い出した。それにシーダ以外のギルドメンバーは、英雄殿で激痛に苛まれる最中に表へと引きずり出されて、PKerの犠牲になった辛い経験がある。耳を澄ますと、外で複数の人が動く衣擦れの音が聞こえた。
まさかサツカ村のような辺鄙な田舎にPKerが進出しているとは考えにくいが、万が一ということもある。それに英雄殿はプレイヤーのための施設で、NPCは基本的に近付かない。彼らにとっては神聖な建物だからだ。明も気を入れ直すと、魔法攻撃力の増幅効果がある杖を握り締めた。
「え……メイちゃん?」
ベルナドットは大盾に身を隠し、完全な臨戦状態で引き戸を開け放つ。
しかしそこにいたのはPKerではなく、英雄殿に向かって祈る数人の旅装束のNPCだった。
『英雄』と、その対になる『英雄殿』。
NPCにとっては神聖な場所である英雄殿も、プレイヤーにとっては転移先ポイントおよびアイテムボックスの設置場所というシステマチックな施設でしかない。追記事件以降は絶対安全圏および復活場所という重い役目も加わったが、従来の役割も健在だ。
大都市と都市には、あらかじめ運営によって英雄殿が設定されている。サベレコリスのような大都市では、5つ以上の英雄殿があることも珍しくない。カルミナオンライン最大の都市ロンクには、実に12もの英雄殿がある。
大都市の歴史は、英雄の歴史である――公式ガイドブックでは夢のある壮大な描写がなされているのだが、実際のところはプレイヤーのストレスを軽減するためのサービスだ。
ロンクのような巨大過ぎる面積を誇る大都市では、端から端まで徒歩移動するだけでもリアル時間で丸1日以上かかる。その上、大都市では市場、工房、港、貴族の邸宅、宮城等のクエストに関る施設が広範囲に散らばっているケースも多い。クエストだけでなく、単純に装備品を購入したり修理したりするだけでも移動時間でストレスの塊になってしまう。騎乗Mobや水上交通を利用すれば若干の短縮が可能だが、運賃がかかるし、面倒くさいことに変わりはない。
それを解消するために、都市部には複数の英雄殿が設置されている。ロンクの英雄殿のうち4つは英雄認定を受けたプレイヤー達のものだが、彼らの希望によって都市内移動にも便利な、痒いところに手が届く位置に建設された。
便利な場所には人が集まり、人が集まるところに厄介事の種が生まれる。この辺りはカルミナオンラインも現実と変わりない。クエストの大半は都市および大都市で発生し、やがて英雄シークエンスが始まり、英雄が生まれる。英雄が生まれれば英雄殿が建設され、さらに人が集まり、集落の人口が増え、厄介事が発生し――あとはプラスの循環である。
この流れから完全に取り残されているのが、村だ。
カルミナオンラインが正式公開されてから約4年。いくつかの村で英雄が生まれ、英雄殿が建設されている。しかしプラスの循環を生むことはなかった。
なぜならば、村は耕作地面積によって最大人口を縛られているからだ。町以上の集落は各種インフラストラクチャーから算出された雇用数とNPCによる経済活動によって最大値が増加するが、村はその限りではない。耕作地を開拓できるのはプレイヤーだけなので、英雄殿が建設されただけでは集落の規模は大きくならないのだ。
村は、いわゆる育成シミュレーション的な部分でも面白みがないエリアと言える。耕作地を増やして人口の現在値が300人を突破すると町へランクアップし、最大人口の増加ルーチンが雇用数にシフトするのだが、そこまで到達するには膨大な時間と根気が必要になる。2年間の村篭りを経た涼でさえ、70人増やすのが精一杯だったのだから、その果てしない道のりが知れよう。それに、町にランクアップしたとしても、人口を維持できなければまた村に戻る。
もともと、村には食料生産の役割しか期待されていない。また、町が各所に出現すると需要と供給のバランスが崩れるという弊害もある。運営事態がランクアップを望んでいなかったので、このような七面倒臭い仕様になっているのだろう。カルミナオンラインは育成シミュレーションではなくVRMMORPGなのだから、仕方がないとも言える。育成シミュレーションをプレイしたければ専門のVRゲームもあるのだから、そちらを遊べばいい。
かくして、もともとプレイヤーにとって縁が薄かった村は、ますます見向きされなくなる訳だ。
しかしたったひとつだけ、英雄殿の建設が村にもたらす恩恵がある。
それが観光名所としての、あるいは宗教施設としての客寄せ効果だ。
NPCは信心深い。日本にも古くから四国遍路やお伊勢参りがあるように、キリスト教圏やイスラム教圏で聖地巡礼(巡拝)があるように、NPCは各地の英雄殿を回って『祈念』の旅をする。『祈念』の旅人を『祈念者』という。基本的に村から離れることがない農民NPCも、一定の割合でこの行動を起こす。
祈念者は、各地で食事や宿等の施しを受けながら旅を続けるものなのだが、そこは根っからの善人であるカルミナオンラインのNPCだ。大抵はゆく先々で迷惑をかけてはならないとして、路銀を用意している。一人一人が落とす金銭は微々たるものだが、塵も積もれば山となる。
これまで英雄が生まれた村も、祈念者のルートに漏れなく含まれていた。しかし、町や都市が近いなどの理由で宿泊客で賑わうことがなく、恩恵に浴することが少なかった。
対してサツカ村は、英雄殿があるイズモから徒歩1日という絶好の距離にある。最も近い町は徒歩で1時間ほどのオオダだが、村と町を行ったり来たりする規模の集落だ。サツカ村のリョウ英雄殿は、祈念者にとって程よい距離にあるだけでなく、近隣の村民にとっても日帰りあるいは一泊祈念ツアーという貴重な娯楽として台頭しつつあった。
「えーと、メイさん? 大丈夫?」
シーダが疲労困憊の明に声をかける。明はソファに寝転び、涼が作った大きなテディベアを抱きかかえたまま、小さく首を横に振った。
明にとってはすっかり慣れ親しんだ涼のプライベートホームであるため遠慮なく寛いでいるものの、シーダ達はよそ様のお宅ということもあってまだ背筋を伸ばしている。涼とベルナドットが村長の家に挨拶に出掛けてから2時間は経っているのに、元気だなと思う。
英雄になったのは涼だけなので自分は大丈夫だと思っていたら、門の彫像を見た祈念者に『メイ』まで拝まれてしまった。あの彫像は、涼の希望で『メイ』まで取り入れられた代物だ。思わず涼を恨みたくなる。
英雄は、絶対数が少ない。全世界を飛び回るプレイヤーですら、英雄に出会うことは滅多にないのだ。ユンカースが涼に握手を求めたように、若干の揶揄と好奇心と敬意を持って接するのが普通である。
プレイヤーですらそうなのだから、英雄に会ったNPCの反応は想像に難くない。明と涼は、まさに神のように崇め奉られたのである。ベルナドット達が武器を構えていたのも、英雄を守る護衛として都合良く解釈してくれた。明は気恥ずかしいやら後ろめたいやらで、祈念者の囲みを突破するだけで精神的に疲れ果ててしまった。
「ユンカース様、お飲み物のお代わりはいかがですか?」
「あ、ありがとうございます。いただきます」
ヤエが麦茶の入った水差しを手に微笑むと、ユンカースは頬を赤くしながら答えた。
明達の世話係として涼が置いていったヤエは、どうやらユンカースのストライクゾーンど真ん中だったようだ。確かにヤエは村人にしては色が白く、目はぱっちりとした二重で顔立ちが整っている。プロポーションも抜群だ。柔らかい声と、おっとりした話し方も品がある。癒し系美女といった感じだ。
「ヤエさん。この家ならわたしも勝手が分かりますから、チョウスケくんに付いていて大丈夫ですよ」
「いえ、リョウさんに任せられた役目ですので。お気遣いいただき、ありがとうございます」
深々と頭を下げたヤエは、明の側にある菓子皿にクッキーを足していく。
涼のファームの従業員達には台所の食料を使用する権限が与えられているらしく、明が滞在していた期間も細々と菓子を作ってくれた。明は酒が好きだが甘党でもある。特にクッキーやマドレーヌなどのオーソドックスな焼き菓子が好きだ。
涼によると、以前は彼女らに洋菓子の作り方を教えても覚えてくれなかったらしい。しかし1週間ほど前に、彼女らの方から教えて欲しいと申し出た。涼は嬉々として教師役を買って出て、まずは基本とばかり焼き菓子を教え込んだのだ。彼女らの焼き菓子は涼が作ったものには及ばないが、なかなか美味である。
「にしても、グレード9のプライベートホームってすごいねー。っていうか、あの楽器もリョウちゃんが作ったのかなあ?」
サライアが部屋の隅に並べられている楽器を見ながら言う。民族色溢れる太鼓や弦楽器には、細かい模様がびっしりと彫られている。馬頭琴の棹の先端にある馬頭の彫刻は、デフォルメの加減も見事だ。
「楽器って、木工スキルだよね。シーダくん、ヴァンダって器用度低いから、加工系育てるのは難しいんだよね?」
「そうだね。器用度ベースのスキルは全部厳しいよ。僕も最初の頃ちょっとだけ裁縫をやってみたんだけど、成功率が低くて、出来上がったアイテムも無星だったから諦めた」
「うわー……無星って……それは切ないね……」
プレイヤーメイドのアイテムの出来栄えは、0個から10個の星で表される。
NPCの店舗で並べられているアイテムは2個から4個、5個以上はプレイヤーメイドか、クエストクリアボーナスアイテムか、Mobドロップくらいになる。星が多ければ多いほどアイテムとしての性能と希少性が高いため、それなりの額で取引される。基本的に市場に出回るのは星2個から7個くらいのアイテムだ。
では1個と0個は何なのかというと、1個は粗悪品、0個は無用の長物である。例えば星1個のポーションの場合、回復量は星2個の半分になる。しかし0個のポーションは、全く回復しない。水と同じ扱いである。
プレイヤーによるアイテム作成の失敗で出来る星0個の物体――無星は、ゴミではないが、ゴミより恥ずかしい物として認知されている。作ろうとしてもなかなか作れないので、専門のコレクターもいるが、値は二束三文だ。カルミナオンラインにおいて『無星』は『無価値』の代名詞である。
ちなみに星が5個以上になると、5個分が大きな1つの星で表示されるようになる。6個なら大きな星ひとつと、小さな星ひとつだ。これは『大星』と呼ばれており、『使えるヤツ』の代名詞である。
「リョウちゃんはレベルアップのポイントをかなり器用度に振ってるんですよ。あとはとにかく時間をかけて」
「うわ、もったいない!」
「え、ほんとに!?」
サライアとフェリーチャの驚きの声がかぶった。
「やっぱりそう思いますよね? わたしもリョウちゃんのビルドにびっくりして、筋力や敏捷度に振るように言ったんです。でも、村の子供たちに木のおもちゃを作ってあげたいからって言って……」
「ああ、それはリョウさんらしいね」
シーダが目を細めながら微笑むと、しかしヤエは身を縮めてお盆を抱え込んだ。
NPCはプレイヤーのシステム的な会話を、理解できない高度な専門知識として捉えている。学者が相対性理論について論議していても、常人には理解不可能なことと同じようなものだ。先ほどの会話で彼女が拾えた内容は、涼が村の子供に木の玩具を作るために、ヴァンダには困難な何かをしている、といったところだろう。ヤエの子供のチョウスケも涼メイドの玩具を使って遊んでいるので、申し訳なく思っているのかもしれない。彼女はこの村の出身ではなく、孤児院出身の養女という経歴もあり、必要以上に遠慮する傾向がある。
「あ、あの、ヤエさん、どうしたんですか?」
「いえ、その……」
様子がおかしいヤエに、ユンカースまでおろおろと慌てふためく。
たとえ相手がNPCであろうと、好みの女性の一挙手一投足に反応してしまうのは男の悲しい性だ。しかしユンカースのそれはあからさま、というより素直過ぎて、見ているこちらが恥ずかしくなる。小学生ではないので、少しは手練手管を覚えていただきたいものだ。
「大丈夫ですよ、ヤエさん。おもちゃ作りはリョウちゃんが好きでやってるんですから」
ヤエはほっとしたようで、笑顔を見せた。
涼が作る木の玩具は、現実にもある知育玩具と似ている。村人のAIが異様に成長しているのも、乳幼児期からの教育の賜物かと明はぼんやり思った。
「そう言えばリョウちゃんって、スキルレベルは低いのに攻撃命中率が高いよね。不思議に思ってたんだけど、器用度のおかげだったんだ」
「そうだね。僕はスタンダードなヴァンダ・モンクだから、Mobの数が多いとミスして討ち漏らすことがあるんだけど、リョウさんがいると拾ってくれるから助かるよ。これからは一緒に戦うんだから、僕とタイプが違うヴァンダ・モンクがいるのはいいことだよね」
「ただいま帰りました……」
噂をすれば影で、涼とベルナドットが戻ってきた。なぜか涼はがっくりと肩を落とし、ベルナドットは苦笑している。
「メイちゃん……、村長さんが参拝客の人達が英雄殿に奉納したお金、全部私とメイちゃんにくれるって……。これ、今までの『祈念帳』……」
「は!?」
「英雄殿は私とメイちゃんのお社だから、私達が受け取るのが筋だって、村長さん、頑固で……」
「司祭は何て言ってるの?」
司祭は礼拝所の運営管理および管轄区域の冠婚葬祭を司る役職だが、英雄殿がある場合は英雄殿の管理も行う。明の知人が英雄になった都市でも、管理は司祭が担当していた。奉納金は、英雄殿の管理維持や祝祭時の振る舞いに使用されていたはずだ。
「司祭様も、それがいいそれがいいって、にこにこしてるだけなの……」
「ノリは居酒屋の会計で、『ここは私が、いやいや私が』的な感じだったよ。久しぶりに日本の伝統芸能を見た。払うんじゃなくて貰うってのが違うけど」
「あー……目に浮かぶようですね」
サツカ村の村長は好々爺という言葉が限りなく似合う老人で、司祭は福福しい小太りの中年男性だ。二人共笑顔が標準装備で物腰は柔らかいが、押しが強い。
「今日のところは一応貰うって感じになったんだけど、メイちゃんに相談しようと思って」
「村長と司祭かあ……断るのは難しそうだね。でも貰っても使いづらいというか」
明は涼から受け取った『祈念帳』を参照する。
近隣の村人のみならず、イズモよりさらに東のホウキ地方の祈念者の記帳まであった。
「ねえ、リョウちゃん、メイちゃん。それって、一旦受け取って村に還元したらダメ? ええと、たしかプレイヤーから礼拝所への金銭の喜捨は受け取ってもらえないけど、度を過ぎた物納じゃないなら大丈夫……だったよね?」
フェリーチャが人差し指を顎に当てながら、小首を傾げる。
「そっか! そうだよリョウちゃん! 物納すればいいんだよ!」
「あああ! フェリーチャさん、さすがです!」
「英雄殿が畳敷きなのに礼拝所が板間なのがヤダとか言ってたよね!?」
「そうそうそうそう! えーっと、受け取った分だと司祭様の敷畳と円座くらいだったら何とかなる!」
「リョウさんは畳を作れないの?」
シーダが素朴な疑問を口にした。
涼はぐっと言葉に詰まり、うつむいて金髪をいじる。
「畳って、難しいんです。要求裁縫スキルレベルも達成値も高いし、専用の道具もいるし。私が作ったら畳表が毛羽立ってたり、畳縁からびょんびょん表が飛び出た変なのができちゃいます。それに、素材のい草も冬に植える植物だから、時期的に合いません。職人さんに注文した方がいいと思います。高いから、貰ったお金じゃ畳敷きは無理ですけど」
「なるほど。ん? ってことは、英雄殿の畳ってすごくお金かかってる?」
「はい。カルムイーター討伐で支払うはずのお金をつぎ込んだって聞いてます。そんなことしなくていいのに……あ、ヤエさん、ありがとうございます」
ヤエは涼とベルナドットにおしぼりを渡すと、ぬるま湯を張った桶を持ってきて涼の足を洗おうとする。カルミナオンラインでも多くの文化圏で見られる習慣なのだが、使用人が洗うのは貴人の証だ。ヤエは明達の足も洗おうとしたのだが、恐れ多いし恥ずかしいので自分でやった。
「自分で出来ますから大丈夫ですよ。みなさんのお世話も後は私がやりますから、チョウスケくんのところに行ってあげて下さい」
「畏まりました。カレーの下拵えは終わっておりますので、後は味付けのみなさって下さい。スパイス類も粉にしてあります。その他御用がございましたら、お申し付けください」
「スパイスもやってくれたんですか? ありがとうございます!」
ヤエは照れくさそうに笑うと、深々と一礼し、踵を返した。ユンカースが情けない表情でそれを見送る。
「そうだ、ヤエさん。これからもしばらくは台所周りのお手伝いをお願いすると思います。ベルナドットさんたちの家を作る間、たくさん食事が必要ですので。その時はよろしくお願いします」
「あの、私でよろしいのでしょうか……?」
「もちろん! ヤエさんのお料理は美味しいですから!」
きっぱりと明るい声で言い切る涼に、ヤエが顔をほころばせる。
その微笑みに、ユンカースがだらしなく鼻の下を伸ばした。『明』だったらいい加減にしろと突っ込んでいるところだが、今は『メイ』なので明は何とか堪える。
「さて! じゃあ、私はご飯の支度をしますね! やっぱり人数が多い時はカレーです!」
涼は非常に分かりやすく腕まくりで気合を表現すると、台所へ駆け込んで行った。
明は、地下の錬金術工房のアタノールの前で、ステータスウィンドウを見つめながら思い出し笑いをした。
涼が作ったのは、東方オリエーンスの西側辺りで見られる本格的なカレーではなく、『日本のカレーライス』だった。
ラーメン屋がスープを煮込むのに使うような寸胴鍋には、野菜たっぷりのビーフカレー。巨大なお櫃には、輝く白い米。どんぶりに豪快に盛られた、自家製の福神漬けとらっきょうの甘酢漬け。蕎麦のこね鉢のような木製のボウルには、千切りキャベツを中心とした生野菜のサラダ。その傍らにはごま油の香り高い、塩だれ風ドレッシング。さらにロースカツ、エビフライ、コロッケ、鶏のから揚げ、ミニハンバーグ、ゆで卵などの豊富なトッピングもスタンバイしていた。
懐かしい現代日本の料理を目の当たりにしたギルドメンバーは快哉を上げた。
フェリーチャとサライアの女性陣は「太らないからいいの!」と言いながら揚げ物を中心におかわりを連発するし、シーダは通常のスプーンでは物足りないのかサービススプーンで食べていた。ベルナドットとユンカースに至っては「日本人に生まれて良かった!」と正解なのだが間違っている気もする不思議な台詞を繰り返し、頷き合っている始末だ。
食事の後はギルド会議をしようと言っていたのに、心も腹も満たされた彼らは、涼が後片付けをしている僅かな時間に、ろくに話もせず夢の世界へと旅立っていた。涼が彼らを寝室に運ぶ間も爆睡していたのだから、よほど疲れていたのだろう。身長が190cm以上あるシーダを涼がお姫様抱っこする姿は、なかなか壮観だった。
ギルドメンバーも完全に涼に胃袋を掴まれたな、と明は意地悪く笑う。
思い出した途端に、腹が鳴った。時刻は0時を過ぎている。カレーをたっぷり食べたつもりだったが、さすがに腹が減ってきた。
「メイちゃ~ん、夜食持って来たよ~」
「ナイスタイミング! ちょうど小腹が減ったんだよねー」
「そうだと思った。お握り、ここに置くね」
「ありがとー」
明はウィンドウから目を逸らさずに、涼が傍らの台に置いたお握りを頬張る。鮭の混ぜご飯だ。クリスタル作成のアタノールは温度の微調整を繰り返す必要があるので、目を離すことが出来ない。
非力なカエリムの明が、村に移住したメンバーの役に立てるのはクリスタルの作成くらいだ。いざという時に備えて、余裕のある個数を作成しておかなければならない。レア素材の材料が底をついたら、レベル上げの良い目的にもなる。
「あのさあ、リョウちゃん。みんなはギルドホームを建てた後は、しばらくは明るい農村生活を楽しむみたい。今まで農業や牧畜なんかの生産スキルを上げたことがなかったから、結構楽しみみたいだよ。食料確保の意味合いもあるしね。材料が確保できたらお酒の醸造もやりたいみたい。あとは村の人たちと親睦会みたいなことやりたいって言ってた」
「親睦会?」
「っていうか、お祭りみたいなやつかな? 移住記念でお酒でも振る舞おうと思って。うちのメンバー、お酒だけは無駄に大量に持ってるからねー……」
『バー・クラープラ』メンバーのアイテムボックスの中身は、装備品と消費アイテムと酒類という、いっそ清々しい内容で徹底している。村人全員が泥酔するまで提供しても余るだろう。
「あとさ、村の慣習法とか税金とか賦役とか役職とかのレクチャーもね。農奴監督官とか酒類検査官とか荘園差配人って何?」
「あ~……うん。ややこしいよね。私も最初は訳わかんなかった。カルミナの法律って、地域ごとにちょっとずつ違うんだよ。オクシデントだと酒類検査官はエール検査官って言うみたい」
「エールってビールのことだよ。お酒だね」
「そうなんだ。私、お酒飲めないか、ら……」
言いながら、涼は大あくびをする。
「リョウちゃん、疲れてるなら寝た方がいいよ」
「でもメイちゃん起きてるし」
「リョウちゃんが寝坊したら、明日の朝ご飯で困るでしょ。メニューは何?」
「焼き鮭と、納豆と、温泉卵と、大根菜とじゃこの和え物と、カブのお味噌汁」
「いいねー。正しい和朝食って感じ。お米炊かなきゃいけないんだから、早く寝なさいってば」
「うん。メイちゃんも無理しないでね~……」
明の背後で、ゆるゆると空気が動く。涼が手を振っているのだろう。扉が閉じる微かな音を聞き遂げた後に、明はアタノールのステータスウィンドウを睨みながら、手を伸ばしてお握りを掴んだ。
高菜の風味と塩味が舌の上で広がり、ゴマのぷちぷちとした食感が歯に伝わる。ゴマは煎りたてなのか、香りも高い。涼のことだから、ウィンドウを見つめながら食べても具がこぼれないように、混ぜご飯のお握りにしたのだろう。食に関する涼の気遣いは果てしなく細かい。
「……あれ?」
明は薄気味悪い違和感に、思わずお握りを持った右手を見た。
先程から、視界から外れた位置にあるお握りを掴んでいる。それは、完全に感覚だけで『メイ』の体を動かし、柔らかいお握りを潰さずに正確に口元まで持ってきた、ということだ。
明は、目の前が真っ暗になるほどの衝撃を受けた。
『明』と『メイ』では腕の長さが20cm以上違う。目視しているならばともかく、これまでは視界の外にある物を掴むなどという高度な芸当は不可能だった。
『メイ』の感覚に脳が馴染み始めている、ということだ。
追記事件以前も、長時間連続でプレイしていると、現実に戻った後でも『明』の固有感覚を取り戻すのに苦労した。まずは目で手足を確認し、末端からゆっくり動かし、全身を手で撫でて感覚を補正する。急に立ち上がると重心の違いで直立することも難しかったし、直立できたら出来たで、今度は視点が違いすぎて目が眩む。完全に自分の体を掌握するまでに、約30分が必要だった。VR技術が推奨する『現実の肉体≒ VR世界でのキャラクター(アバター)』に逆らったデメリットである。
もう10日間以上もログアウトしていない。240時間以上連続で『メイ』だ。
『明』に戻れなかったことがないので考えた事がなかったが、10日以上も『メイ』のままならば、『明』を取り戻すのに一体どれだけの時間が必要なのだろう。これまでと同じ30分だろうか。単純に掛け算をして10時間だろうか。
しかし、もしも脳が徐々に『メイ』の固有感覚を『明』のものに上書きしているとしたら、あるいは『メイ』が主で『明』が従という切り替えになったのだとしたら、『メイ』が『明』を蚕食しつつあるのだとしたら。
その時、アタノールのウィンドウでアラートが表示され、温度許容点を超えたことを示す。失敗だ。貴重な素材を無駄にしてしまった。
「……ちくしょう!」
明はアタノールを力いっぱい殴った。『明』ならば工房中に殴打音が響いたに違いないが、『メイ』の非力な拳では小さな甲高い音がなるだけだ。おまけに、手が痛い。
追記事件から1週間以上経過してもログアウトしたプレイヤーがいないので、現実の肉体は何らかの形で保護されているものと安心していた。しかし、まさか脳にタイムリミットがあるかもしれないとは。それも他のプレイヤーにはない、性別と身長を大きく偽った明だけのタイムリミットだ。
サツカ村で平和な農村ライフを楽しみつつ、外部からの助けか『CFA』や『円卓騎士団』の働きをのんびり待つ腹積もりだったが、そうは言っていられない。それに、もしもピュアプレイヤーまで自分達のように日和見に構えて、安寧の上に腰掛けてしまったら、時間だけがただ過ぎてゆくことになる。追記事件で実装された『おわりのはじまりのジレンマ』が鍵になっているに違いない。あれをクリアすれば、何らかのヒントがあるかもしれない。しかし、中レベルの『メイ』の分際で何ができるのか――。
波のように押し寄せる不安と焦燥と無力感に溺れそうになりながら、明は強く歯を食いしばった。




