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カルミナオンライン  作者: 森
第2章 Falsus in uno,falsus in omunibus.
14/20

2-02




 サベレコリスに降り立った明と涼を迎えたのは、人一人いない英雄殿だった。


 『バー・クラープラ』が逗留しているパーチハウスに最も近い英雄殿は、サベレコリス南東部、ウィアトール広場近くのユースフ英雄殿だ。アシッドアイとの戦闘で死亡したプレイヤーが復活したのもここだ。彼らは深刻な精神的ダメージを負い、絶対安全圏のユースフ英雄殿に引き篭もっていると聞いていた。その他にも、ワンダラーに怯えるプレイヤーが集まっているという情報もあった。しかしフロアはがらんとしており、人っ子一人いない。


 明は、もしや『CFA』のプレイヤー救済策が成功し、状況が改善されたのかと微かな期待を抱いた。しかしそれは、英雄殿を一歩出たところであっけなく打ち砕かれる。


「なに、これ……」


 明は力の入らない足取りで階段を下りる。


 ほとんどの家屋は倒壊し、街路という街路には泥が積もり、瓦礫が散乱している。洪水や竜巻等の自然災害か、あるいは爆撃の後のようだ。本来ならば、街区にびっしりと密集する高層建築と幾重にも張り巡らされた市壁で海など見えなかったのだが、今は英雄殿の階段の上にいるだけで、輝く水面を確認できる。


 かろうじて残っている建物の側では、薄汚れた格好で、憔悴した表情のNPCが座り込んでいた。中には裸足の者もいる。涼が血相を変えて駆け寄ったが、数歩ほどの距離まで近づいたところで、彼らは悲鳴を上げて逃げ出してしまった。


 NPCがキーウェスを見て逃げ出す。


 明は嫌な胸騒ぎを感じて、サベレコリスのステータスを開く。


「インプレッション、マイナス86……!?」


 目を疑うような数字が、そこにあった。


 そして、ウィンドウは『オレンジ』だ。インプレッションがマイナスになった時の特徴で、犯罪者の印である。


 サツカ村へ行く前から、ひょっとしたらインプレッションは集落滞在プレイヤー間で共有化もしくは平均化されるように変更されたのではないかと疑っていたが、正解だったようだ。サベレコリスのエリア内部に入ったことで明と涼にもその数値が適用されたのだろう。


 明がサベレコリスを離れてから、1週間に満たない。たったそれだけの間に、どれほどの乱暴狼藉の限りを尽くしたら、こんな馬鹿げた数字を叩き出せるのだろうか。


 涼は、NPCに伸ばした手を空中に固定したまま、茫然自失の態で立ち尽くす。英雄になったことでインプレッションがMAX固定になったサツカ村から、マイナスのサベレコリスだ。善良で友好的なNPCしか知らない涼には到底信じられないような、酷な状況だろう。


「……なんで?」


 涼は半泣きで、助けを求めるように振り返った。


 理由の分からない拒絶は、現実でも相当なショックを受ける。明は、涼を連れて来たのは失敗だったかと唇を噛んだ。


 しかし、涼にもサベレコリスの現状を見せて、覚悟を決めてもらわなければならない。『明るい農村計画』でサツカ村に移住するプレイヤーは、少なくともこの惨状を味わっている。辛さ、というものは、実際に体験してみなければ分からない事も多い。


 涼ならば、無駄に豊富な想像力と度が過ぎる共感能力でカバーするかもしれない。しかし何らかの衝突があった際に、サベレコリスがどれほど悲惨な場所だったか知らないくせにと反論されたら、涼は過剰な負い目を感じて、強く出られなくなってしまうだろう。涼は、そういう性格だ。今更変えようがないし、変えて欲しいとも思わない。深い同情心は時として欠点になるが、人に優しくという美点と表裏一体だからだ。


 ただし、英雄である涼がそんな有様では、プレイヤーと村人達との関係にも悪影響を及ぼす。誘致責任者として、それでは困る。リスクを減少し、無用な争いを回避するためにも、涼が彼らの反論を封じ込められる経験は重要だ。それをお膳立てをするのが自分の仕事だと明は考えている。


 明はインプレッションシステムの変更や、予測できるNPCの変化、プレイヤーの行動等、様々な内容を涼に話した。村であらかじめ話しておいた内容も混じっていたが、惨状を目の前にして聞くと実感の度合いがまるで違うだろう。村では神妙な面持ちで頷いているだけだった涼も、今は懸命に涙を堪えている。


「……ベルナドットさんたちは、大丈夫かな?」


 涼は溢れそうになる涙を手の甲で乱暴にぬぐう。


「たぶん『ボンジュ・オテル』にいるはずだよ。最後に会った時からパーチを変えてなければ、というかパーチが無事なら、だけどね」


 明は周囲を見渡した。


 英雄殿や礼拝所は泥で汚れているものの、破壊された形跡はない。これらの施設は破壊不可能オブジェクトに分類されているからだろう。パーチハウスも同種の建築物だが、無事であるとは言い切れない。


「メイちゃん」


 突然、涼の目に警戒の色が現れる。半身を引くと、明を守るようにして身構えた。


 明はついっと目を細める。どこからか分からないが、複数の視線が感じられる。


「……『クリエイト・ネイルズリッター・ファイブムーブ』」


 明の左手の爪から、桜貝のような桃色の紙片が5枚、はらはらと地面に舞い落ちる。


 ゴーレム等を生み出す付与魔法、『クリエイト』。その『クリエイト』に属する魔法の中から、明は索敵・追跡に優れたネイルズリッターを生み出した。


 『爪の騎士』ことネイルズリッターは女性キャラクターにしか使えない魔法で、最大20体までの小人騎士を生み出す。男性の場合は『四肢の騎兵』、リムズキャルバリで、こちらは最大数は4体まで。ネイルズリッターよりサイズが大きいため隠密性は低いが、AIの精度が高い。カルミナオンラインにはネイルズリッター/リムズキャルバリの他にも、いくつかの性別限定アビリティが存在する。


「範囲、半径50メートル以内。対象、範囲内のプレイヤーとNPC。報告内容、場所と数。行け」


 指の長さほどの小さな騎士たちは、明に向かって敬礼してから散開した。


 プレイヤーやNPCの場所を探すだけなら『サーチ・エネミー』でも良いのだが、残念ながら障害物が多い場所では正確な位置と数を測れない。今のサベレコリスで最も危険な敵は、皮肉なことにMobではなく彼らだ。


「リョウちゃん、リッターが戻るまで英雄殿に避難するよ。足場が悪いところで魔法職付きのヴァンダ・モンクを襲うバカはそうそういないと思うけど、念のためね」

「了解」


 涼は険しい表情を崩さず、後ろ歩きでじりじりと移動する。


 その巨躯の隙間から、先ほど逃げ出したNPCが壁の脇から顔を覗かせているのが見えた。彼らの目は、明と涼のアイテムポーチに釘付けになっている。ポーチの中に食料が入っているのではと疑っているのだろう。実際に、ベルナドット達に渡すための食料をぎっしりと詰め込んでいるから、彼らの推測は間違っていない。


 ポーチの中身は所有プレイヤーでないと取り出せないし、NPCの力では天地がひっくり返ってもプレイヤーに適わないので、供出を強要することは出来ない。それでも目を離せないほどに、彼らは飢えているのだ。


 重量などないはずのショルダーポーチの紐が、肩に食い込んでいる気がした。







 がつがつと貪り食うとは、このことだろうか。


 涼と明の前では、『バー・クラープラ』の面々が食料に齧り付いている。常日頃から豪快なベルナドットだけでなく、上品なシーダやフェリーチャやサライアまでもが、脇目も振らずに食料を頬張る様は異様だった。普段は遠慮の塊であるユンカースも、涙を流しながら両手で食料を掴む。


 ネイルズリッターの索敵情報によって、プレイヤーとNPCの位置を確認した二人は、安全な経路を選択しつつ『ボンジュ・オテル』に直行した。パーチハウスはやはり破壊不可能オブジェクトにカテゴライズされていたらしく、薄汚れてはいたが健在だった。


 再開の挨拶もなく食事に突入した原因は、ギルドメンバー全員のステータス異常だった。


 まず、1階のテーブルで突っ伏していたユンカースからして異常だった。声をかけても忘我の状態で、生返事を繰り返すだけ。何とかユンカースを誘導してチェックインを済ませ、彼を担いで部屋に入ったところ、今度は薄暗い室内で、全員の名前の横に瀕死と疲弊を示すアイコンが激しく点滅しているというホラーな状況に出くわした。


 空腹状態が続くと、じわじわHPとMPが減少する。身をもってそれを知っていた明は、自分と涼のアイテムポーチから全ての食料を取り出すと、彼らに差し出した。知人が、半ば正気を失った目で震える手を食料に伸ばす様は、二度と見たくない光景だった。


「メンバー、増えてないんですね」


 明がぽつりと言うと、ベルナドットが手を止めた。


「……新聞屋にはずっと尋ね人出してるけど、レスがない。やっぱあの日、12時前にログアウトしてたんだろうな。それか、新聞屋がないような場所にいるか。シュトウさんやハマさんがいてくれたら、心強いんだけどな」

「そうですか……」

「いや、メイが戻って来てくれただけで助かるよ。それにリョウちゃんも。久しぶりだね。大丈夫だった?」

「はい。おかげさまで。あの、それよりどんどん召し上がって下さい。足りなければアイテムボックスから出しますから」


 涼の言葉に、他のメンバーも一斉に顔を上げた。


「……まだ、あるんですか?」


 ユンカースが溢れる涙もそのままに、縋るような目で涼を見つめる。


「はい。まだたくさんあります。あ、でもプディングやオートミールみたいな消化が良いものの方がいいんでしょうか。キッチンを借りられれば作れるんですけど。すみません、あまり考えてなくて、食べやすいものをと思ってお握りやサンドイッチばかり持ってきてしまいました」

「いえいえいえいえ、何でもいいです! ありがたいです! 肉なんて、久しぶりに食べました……」


 ユンカースは、手にしていたハムカツサンドを抱きしめるようにして、何度も頭を下げた。他のメンバーも、食事の手を止めて、あるいは咀嚼しながらこくこくと頷く。


「やっぱ村は、食料事情が違うんだな……」


 ベルナドットがぼそりとつぶやいた。


「こっちは深刻なようですね」

「深刻っつーか、絶望的だな。新市街を見たか?」

「ユースフ英雄殿からここまでの見える範囲ですが、ひどく荒れていていたことは確認しました。まさか……」

「新市街は4日前に、2匹のシーサーペントの襲撃でめちゃくちゃになった」

「シーサーペントが2匹!?」


 明は驚愕を隠し切れなかった。


 街の荒れ具合から、もしや『オレンジ』プレイヤーに対する運営の制裁イベント『背教者』が発動したのかと思ったが、よく考えたら運営が機能していないのに『背教者』という神の鉄槌が発動するはずがない。しかしシーサーペント2匹というのも、十分に驚愕に値する事件だ。


 シーサーペントは水棲のMobで、全長30メートル近い巨大な海蛇だ。レベルは85。普段はダイオウイカやマッコウクジラを狙う豪快極まりない食事や、他の海竜との海の生態系の頂点争いに精を出しているだけで、人など眼中にない。しかし何を血迷ったのか、港湾都市や交易船、海妖霊族マリースの海中集落を襲い、甚大な被害をもたらすことがある。


 そうなった時のシーサーペントは、まさに天災レベルの驚異だ。巨体を利用した巻きつき攻撃は軍艦すら紙細工のように破壊し、口から吐き出す高圧ブレスは城壁を易々と消し飛ばす。そしてシーサーペントのエクストラ攻撃『サーギングウェイブ』は、遠洋では大渦巻きを、近海では津波を引き起こす。


「……漁師は、いなかったんですか?」


 明は恐る恐る伺う。


 漁師とは、漁業スキルをメインに育てているプレイヤーのあだ名だ。林業の場合は樵、狩猟の場合は狩人と言う。


 特定のMobを相手取るとき、生産スキルが戦闘に役立つ事がある。


 シーサーペントはボスMob級の強さを誇るが、あくまでも超希少なだけでアジやマグロ等と同じ通常Mobなのである。よって、漁業スキルの『銛突き』の対象になる。シーサーペント討伐のクエストでも、漁業スキル保有者のレベルの高低によって成功率が大きく変動するほどだ。


 討伐船からシーサーペントに打ち込む銛の命中判定とダメージ量は、漁業スキルの高低に比例する。シーサーペントは不利を悟ると海妖霊族マリースすら手が届かない深海へ逃げてしまうため、力押しがほぼ不可能なMobである。シーサーペント討伐を果たすには、漁業スキルが高いプレイヤーを主戦力に据えて、銛を打ち込み拘束するしかない。


 現実でもその昔は銛による鯨漁があったくらいなのだから、カルミナオンラインの漁師が同じ芸当を披露してもおかしくはない。ただしシーサーペントは鯨の倍もの大きさがあるが。


 大型アップデートvol8で実装されたシーサーペント討伐クエストで一躍有名になったのが、カルミナオンラインの水棲Mobコンプリートを目標に掲げる神出鬼没の変人プレイヤー、クファチブルである。


 他のクエストを完全に無視して漁業に全精力を傾けていた彼は、とあるパーティーがシーサーペントの猛攻の前にあわや全員海の藻屑かと覚悟した時に、何処からともなく愛船と共に現れた。そしてクファチブルは拘束用の銛をいとも簡単に打ち込むと、赤いふんどし一丁という熱い海の男の特殊装備で、愛用の銛を片手にシーサーペントに突撃。見事討ち取り、大漁を意味する艫印を掲げて何事もなかったように去っていったという。嘘のような本当の話である。それ以来クファチブルは敬意を込めて、『海人(うみんちゅ)』と呼ばれている。


 カルミナオンライン内の新聞記者にインタビューを受けたクファチブル本人によると、他のスキルレベルは高くないが、漁業スキルだけはMAXらしい。つまり、漁業スキルレベルさえ高ければ、シーサーペントの単独撃破さえ可能なのだ。


「漁師は、いたにはいたけどレベルが低かった。でも『海人(うみんちゅ)』クラスの漁師がいても厳しかっただろうな。湧いたのは、海の上じゃなくて港だったんだよ。シーサーペントが動くたびに大波が押し寄せてな。俺らも引き波に足を取られて、あっという間に海の中に引きずり込まれた」


 生命にとって必要不可欠な水。しかし水中、水上ではプレイヤーに牙を剥く。


 海妖霊族マリースと水妖精族アクエを除いたプレイヤー種族は、現実の人間と同じく水中では無力だ。移動速度は激減するし、泳ぎが優先されるのでアクティブアビリティを使用した戦闘行動が一切できなくなる。それ以前に、ハードレザー系以上の重装備を纏っていれば泳ぐこともできずにその場で沈む。サムライ系ジョブの場合は水練アビリティを使用すれば重装備でも沈まないが、あくまでも浮いていられるだけだ。


 水中に引きずり込まれたプレイヤーは、呼吸ができないため数分で溺死する。あらかじめ水中呼吸系の魔法を使用していれば回避可能だが、同時に水圧減少・無効系の魔法をかけておかないといずれ水圧で潰される。


 水上・水中戦闘がここまで厳しい仕様になっているのは、VR空間での水泳に慣れたユーザが、現実のプールや海でも同じ感覚で泳いでしまい、事故が多発した経緯があるからだ。水中の現実準拠仕様はハラスメントコードと同じVR世界の倫理規定に組み込まれており、カルミナオンラインも従っている。マリースやアクエの場合、水中で体感する水はゲル状の物体の質感になっており、現実とは全く異なる。


「ちょっと待ってください。『俺らも』って、リーダー達も参加してたんですか? 確かシーサーペントのレベルは85ですよね? レベル差が30もあったら……」

「今はワンダラーが湧いたら、レベルを問わず『CFA』に強制参加させられる」

「そんな!」


 涼が悲鳴のような声で叫ぶ。


 明は、抗議の言葉を続けようとした涼を制すると、挑むような眼差しでベルナドットを睨め上げる。


「レベル不足のプレイヤーがレギオンに加わったところで、回復に手間取るだけでMPと時間の無駄。そんなことプレイヤーなら誰でも知ってる常識です。それでも『CFA』が強制参加を呼びかけるなら、他に何か理由がある。そうですよね?」


 ベルナドットは目を手で覆い隠し、天を仰いだ。


「……インプレッションだよ」


 やはり、と明は心の中で思った。


 マイナスになったインプレッションを回復する方法は、集落に対する貢献しかない。個々人が日常でちまちまとポイントを稼ぐよりは、ワンダラー撃退のような一発逆転の機会に賭けるしかないだろう。参加するプレイヤーが多ければ多いほど、上昇率は高いはずだ。たとえ、大勢のプレイヤーが死んだとしても。


「メイが離れる前から、インプレッションがめちゃくちゃ下がってただろ。サベレコリスにいるプレイヤーのインプレッションが平均化されてるか、共有化されてるんじゃないかって推測してたよな。結局、平均化の方だったよ。悪い意味で『ひとりがみんなのために、みんながひとりのために』ってヤツだな」


 ベルナドットは口の端を持ち上げて、何かを嘲るように笑う。

 

 彼の憤りを継ぐようにして、サライアが柳眉を逆立てた。


「『CFA』や『円卓』はプラスに戻そうとして『善行』を積んでるんだよ。ガイドラインも配ってる。でも、脳みそ足りないアホ共の『途絶行為』の方が多過ぎてどうにもならないの。強盗や強姦はリアルでも重罪だけど、カルミナじゃ死刑クラスの『途絶行為』だからね。たくさんのプレイヤーが『善行』を積んでも、一人の『途絶行為』で帳消しにされる。最悪だよ」


 サライアは、私たちは絶対にそんなことしないし、許せないと怒りで震える声で付け足した。


 『バー・クラープラ』の面々が犯罪に手を染めていなかったのは、彼らが飢えていたことからも分かる。中レベル帯のプレイヤーがNPCから力ずくで食料を奪うのは簡単なことだからだ。


「インプレッションがマイナスだとお店で何も売ってもらえないでしょう? だから、飢えたプレイヤーはお店や家を襲って食べ物を奪うの。それで、またインプレッションが下がる。売ってもらえないから奪う。下がる……」

「シーサーペントの時も嫌らしい連中がいたらしいんですよ。討伐終了直後に瞬間的にプラスになって、食べ物を売ってくれるようになるかもって店で待ち構えてたり……」


 フェリーチャもユンカースもここぞとばかりに不満を口にする。


 いいギルドだ、と明は心の底から思い、何かに感謝した。


 2年近く共に行動しているので、彼らが良い人間だと知っている。しかし、極限状態でも悪事に加担することなく己を律するのは容易ではなかっただろう。


 女性が二人いることや、夫婦が含まれていることから、正しい連帯意思が働きやすかったのかもしれない。しかし逆に言えば、彼女らを守るためという口実で負の集団心理が働いても不思議ではなかった。明もサベレコリスに残っていたら、どちらに傾いていたか分からない。彼らはその誘惑に勝ち続けていたのだ。


「『CFA』のリーダー……ケンシンって名前だったと思うけど、その人は何とかプレイヤーをまとめてプラスにしようとしてる。一旦プラスになれば、相乗効果が期待できるからな。でも、『CFA』内部ではサベレコリスを見捨てて他の都市に移住した方が良いって意見が多数派らしい。何万人もの飢えるプレイヤーをプラス方向でまとめるのは不可能だろ。そんなことが出来るくらいなら、リアルの世の中だって争いが消えてる」

「放棄、ですか……」

「ああ。それにな、シーサーペントの『サーギングウェイブ』で、港だけじゃなくて、倉庫街も、問屋街も、街区も流された。これ以上悪くなることはあっても、良くなることはもうないだろ」

「倉庫街……じゃあ食料も、素材も全部?」

「全部だ。レギオンメンバーも9割以上が最初の『サーギングウェイブ』に巻き込まれて死んだ。俺らもシーダ以外は全員やられた。戦ってなかったプレイヤーも、3,000人以上が波に巻き込まれて死んでる。死人が多くて英雄殿のキャパがオーバーになってな、順次復活とかやらかされたよ。全員がここに揃ったのは昨日だ」


 明と涼は息を飲んだ。


 ちらりとメンバーに目をやると、彼らは復活の激痛を思い出したくないのか、あるいは仲間と合流できなかった時間の恐怖を思い出したくないのか、視線を床に落として沈黙している。


「運が悪かった、って言ってしまえばそれまでだけどな、シーサーペントの時はフォーテス王国でアンルリーホーンが4体も湧いてて、『CFA』も『円卓』もトップレベルプレイヤーが全員出払ってた。残ってたプレイヤーだけじゃ、シーサーペントなんか手に負えない。みんな腹を空かせてて、HPやMPがMAXな奴なんてほとんどいなかった」


 明は、驚きを通り越して唖然とした。


 アンルリーホーンはレベルの80のボスMobだ。こちらは明もメインキャラクターで戦ったことがある。


 巨人系Mobにカテゴライズされるアンルリーホーンは、6メートルを越す筋肉質な巨躯と、それに見合った膨大なHPを持ち、魔法抵抗力も高い。豪腕で振るわれる両手斧は威力・範囲共に脅威の一言だ。タンクとして大盾を持って参加したレベル90の明さえ、防御時のヒットバックで後ずさったし、エクストラ攻撃『ホライズンハッカー』は防御に成功してもHPを削られた。力だけならボスMobの中でもトップクラスだ。あの攻撃の重さは今でも覚えている。


 アンルリーホーンは、他の巨人系Mobと同じくいわゆる正統派のボスMobだ。トリッキーな攻撃こそないが、しかし正統派ゆえに小細工が一切利かない。それが4体。確かに、ケンシンのようなトップレベルプレイヤーが総力を持って当たる必要がある。


「それだけじゃないっすよ。『サーギングウェイブ』で死んだ後の方がひどかった……。デスペナでロールバック食らったから料理アイテムも復活したんですけど、戦闘に参加してなかった高レベルプレイヤーが集団で英雄殿で待ち構えてて……痛くて転がってる僕らを英雄殿から担ぎ出して、食べ物出させたら殺して……あれって、『プレイヤーキル』って言うんですよね?」

「……ひどすぎる」


 涼は恐怖からなのか、怒りからなのか、唇をわななかせた。


 その拳が、ゆっくりと硬く握られてゆく。


 明は咄嗟に涼の大きな手を掴み、力いっぱい握り締めた。まさかこんなところで怒り狂いはしないだろうが、カルムイーターとの戦闘時のような途方もない爆発は、あまり人前で晒しても良い類のものではない。


 プレイヤーキル、PKは現在では死語に近い言葉だ。PKを行うプレイヤーを指す言葉、PKerも同様である。


 VR技術を用いたゲームの興隆は、犯罪を助長するとして対人戦闘要素を駆逐した。カルミナオンラインのようなVRMMORPGでは敵はファンタジー調のMobだし、主に銃器を用いる対人戦闘であるFPS(First-person shooter)は存在自体が抹消された。


 PCを使用する旧態然としたMMORPGやFPSでは対人戦闘が未だ現役だが、プレイヤー人口は相当少ない。コアなゲーマーか、21世紀のPCMMO世代くらいだろう。カルミナオンラインのような合法VRゲームでは、基本的にMobと破壊可能オブジェクト以外に危害を加えることができないので、PKという行為は存在し得なかった。あるいは、プレイヤーにPKという考え方自体がなかった。


「ひどいし、悔しいよ。あいつら、『無限増殖だ』って笑ってた!」


 サライアが血を吐くように叫ぶ。


 涼も、体の奥底から湧き上がる憤怒を堪えるようにして、きつく奥歯をかみ締めていた。エナメル質が強く擦れ合う耳障りな音が、室内に響く。


 メンバーが合流できたのは昨日。順次復活のせいで合流が遅れたのかと思いきや、悪質極まりないPKerの餌食になっていたとは。ユンカースが茫然自失の状態だったのも、ギルドメンバーが異様なほどに荒んでいたのも、復活の痛みだけでなく、PKerによるものだったのだ。


 ユースフ英雄殿にプレイヤーがいなかったのは、PKer情報が行き渡っていたからだろう。プレイヤーは、少数のPKerによって、英雄殿という絶対安全圏を奪われたのだ。


 いや、礼拝所やパーチハウスも、もはや安全ではない。強引に表まで引きずり出してしまえばいいのだ。あとは手際よく殺して、最寄の英雄殿で待ち構えていれば、獲物がロールバックした状態で復活する。激痛にのた打ち回る獲物をさらに痛めつけて、食料やアイテムを強奪する。


 明は、『飢えは人間に、全てを放棄させる』という言葉を再び思い出した。


 襲撃者達が放棄したのは、『バー・クラープラ』が決して手放さなかった罪悪感と憐憫の情だろう。人間の人間たる所以とされる感情だ。そこに、VRMMORPGプレイヤーの『システムを利用し尽くす』という習性が乗っかった。デスペナルティによるロールバックは、逆説的に言えば『新システム』だ。彼らは、自らは犠牲を払わず、効率的にシステムを利用したに過ぎない。ある意味で、反吐が出るほど正しいVRMMORPGプレイヤーだ。


 そして、涼が英雄殿の前で感じた視線は、NPCではなく、PKerのものだったのかもしれない。


「最初から無理だったんすよ。カルミナのデイリーアクティブユーザって5万人くらいですよね? アップデート後だったからもっといただろうけど、でもみんなが高レベルってわけでもないのに、カルミナ全体をカバーするのは無理があったんですよ……」


 ユンカースが両手で頭を抱えながら、悲痛な声でつぶやく。


 室内に、耳が痛くなるほどの沈黙が落ちた。




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