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礼拝所の中は、不安と恐怖に包まれていた。
司祭の祈りが響き、女たちは子供を守るようにして強く抱きかかえる。男たちは震える手に鍬や鋤を持ち、扉に向かって身構えていた。蝋燭の明かりもない暗がりの中で、彼らの眼球だけが爛々と浮かび上がる。
明は思わず後ずさった。
しかし涼は一歩前に進み出ると、満面の笑みを浮かべる。
「みなさん。もう心配ありません。狼は全部倒しました」
そして、両肩に担いでいるサダキチ達の顔を見る。
「みんなも無事です。もう大丈夫ですよ」
礼拝所を揺らすような歓喜の声が起こった。
100人近い村人達が、波のように押し寄せる。
彼らは涼の肩からサダキチ達を預かると、抱きしめて泣きじゃくり、無事を喜び、涼へ尽きせぬ感謝を送った。涼はそんな彼らに、助かってくれて本当に良かった、ありがとう、と妙にベクトルが違う労りの言葉をかける。
「リョウねえちゃん!」
大人の足の間をすり抜けて、子供たちが飛び込んでくる。涼は両膝を付き、両手を広げて子供たちを受け止めた。
「リョウねえちゃん、狼、ぜんぶやっつけたの?」
「だーからおれが言ったろ? リョウねえちゃんなら楽勝だって!」
「リョウねえちゃんは強いんだぞ!」
子供たちは口々にはやし立てる。現実の子供が、特撮ヒーローの強さを説明しようとしている時と全く同じだ。少ない語彙で、一生懸命伝えようとしている。明はくすぐったい気持ちになって、頬を掻いた。
「こら! リョウちゃんから離れなさい! 怪我をしてるんだよ!」
シカの一喝に、子供たちは怖る怖る涼の体を見て、目をまんまるに開いた。
「リョウちゃん、こんなに傷だらけになって……」
「可哀想に、女の子なのに……」
シカを始めとした婦人たちは、袖で顔を隠しながらおいおいと泣く。
この村における涼のインプレッションは一体どれくらいなのだろうかと、明は疑問に思う。明が来たことで平均化もしくは共有化されて下がっているはずなのに、この状態だ。もしかしたらMAXに近かったのかもしれない。カルムイーターとの戦闘に向かおうとした涼を止めた女性も、子供も、男性も、態度がキーウェスに対するそれではなかった。例えるなら、村の仲間として純粋に身を案じ、仲間が傷ついたことを嘆き悲しんでいる。
明の場合は、メインキャラクターでも『メイ』でも特に拠点を設けずに転々としているので、特定集落でのインプレッションを上げたことがない。キーウェスはどの規模の集落でも35からのスタートだし、それだけで村の長老以上の丁重な扱いを受ける。それで十分だったのだ。インプレッションが高い場合は、こんなにもNPCの態度が変わるのかと、明は奇妙な感動を禁じ得なかった。
つらつらと考えていると、視線を感じてふと目線を下げた。3歳ほどの少女が腰の後ろで手を組み、もじもじしながら上目遣いに明を見上げている。
「どうしたのかな?」
「……メイねえちゃん、ありがと」
これは、なかなか強烈だった。
古来より、涙と感動を演出したいときは子供と老人を使う、という世知辛い知恵がある。明の脳裏にもそれが過ぎったが、実際にやられると小狡い考えなど吹き飛ぶ。
現実の明は無表情と態度の冷ややかさから、友人に『冷血トカゲ』とあだ名をつけられたほどだが、実は子供好きなのだ。そうでなければ涼の『育児』はできない。子供独特の空気を読まないところと、全く予想できない行動と、気に入った遊びを延々と繰り返すところが面白いと思う。とはいえ、このご時世に成人男性がよそ様の子供を眺めていると母親に警戒されてしまうし、あらぬ嫌疑をかけられそうなので、あえて無視するようにしている。
明は、そっと女の子の頭を撫でた。女の子は、照れくさそうに視線を下げる。涼に抱きついた子供達とは違って、大人しく引っ込み思案な性格なのだろう。同じ環境で育った子供にも、それぞれに異なる明確な個性があるようだ。
そう言えば、小さな頃の涼もこうだった。人見知りが激しく、いつも明の後ろに隠れてベソをかいていた。そんな涼もいつの間にか立派に成長し、いまや堂々と他人の感謝を受け取れるだけの人間になっている。この少女も、いずれはそうなるのだろうか。明はいささかの感慨を覚えながら、村長と向き合う涼を見た。
「リョウさん」
「村長さん」
村長は滂沱の涙を流しながら、涼の手を強く握る。
「……わしらは、どうやってあなたの恩に報いればよいのだろう」
涼は小さくかぶりを振った。
「いいえ、私は当然のことをしただけです。みんなが助かってくれて、本当に良かった。それより、怪我はありませんでしたか? そうだ。家にはまだ薬がありますから、取ってきますね」
村長は涼の目を見つめると、信じられないと言いたそうに首を横に振った。
「……英雄だ!」
突然、ヤタロウという男が叫んだ。
「ついにこの村にも英雄が現れた! 英雄を讃えよ! 我らが英雄、その名はリョウ!」
一瞬の沈黙の後、ぱらぱらと拍手が起こった。それは徐々に大きくなり、リズムを揃え、やがて足踏みも加わる。オペラのカーテンコールのような万雷の拍手と、地鳴りのような足踏み。村人たちは、口々に涼の名を呼びながら、英雄が現れたと繰り返す。
「……これ、もしかして『英雄認定』……?」
明は、目を見開きながら呟いた。
カルミナオンラインには、『英雄認定』というシステムがある。
英雄候補であるプレイヤーが、NPCに集落の英雄であると認められるシステムで、英雄シークエンスという特殊クエスト群をクリアすることで認定がなされる。サツカ村の場合なら、『サツカの英雄』というシークエンスが発生していたはずだ。
英雄シークエンスの発生条件は未だ確定されていないが、特定集落でのインプレッションの数値や、その集落にまつわるクエスト、シナリオのクリア等、複数のフラグ立てが必要なのではないかと噂されている。
「リョウちゃん、これ、英雄認定だよ。英雄シークエンス出てたの?」
「うそ……。だって、英雄シークエンスなんて出てなかったよ?」
「え!? シークエンス出てなかったの!?」
「うん……」
明は腕組みをして考える。
英雄シークエンスを経由しない英雄認定の情報は、明の記憶にない。明本人は英雄になったことがないので伝聞情報になるが、英雄シークエンスが発生すると、視界に強制的にアナウンスレイヤーが現れて、システムアラート並みの強烈な通達があるらしい。いくらのんきな涼でも、英雄シークエンスの発生に気づかないということはあるまい。
外部インターネット回線に接続出来ないことがもどかしい。ルッチというプレイヤーが運営していた『あなたの街の英雄訪問』というウェブサイトを閲覧できたら、英雄認定について詳細情報を得られたかもしれない。記憶だけでは、この現象の原因が特定できない。
とはいえ、仮に情報を収集できたところで、追記事件のシステム変更に『英雄認定』も含まれていたとしたら、意味がないものになるかもしれない。
NPCにポーションが効きにくかったことといい、これまで積み重ねてきたカルミナオンラインの知識はあまり当てにならない。頭から信じ込んでいると、足元を掬われる。
「メイちゃん、あれって止められないの?」
肝心の英雄は、困惑した様子である。
「無理でしょ。英雄認定はカルミナの基本ゲームシステムだもん。いいんじゃない?」
「そうなんだけど、でも私が英雄はないと思う」
「リョウちゃんにとっては当たり前の事かもしれないけど、彼らにとってはそれだけの事をしたんだよ」
言って、明は自分の言葉に納得した。
カルムイーターの襲撃は、この村の開拓史において最大の危機だったであろう。
村人にしてみれば、『普段は親切で心優しいヴァンダが、村の危機を前にして立ち上がり、自らの死を顧みず敢然と敵に立ち向かった』というシチュエーションなのだ。しかもずたぼろの姿で帰還したヴァンダは、当然のことをしただけだと言い、見返りを求めることもなく、村人の安否を気遣う。
完璧な英雄譚だ。
「英雄出現ってことは、この村にも英雄殿が建設されるってことかあ。クリスタルで移動できるようになって便利だね。あ、そうだ」
明はにやりと笑い、涼の腰をぽんと叩いた。
「サツカのリョウ! 彫像化、おめでとう!」
涼の表情が凍りついた。
カルミナオンラインのメインテーマは、『君よ、英雄たれ』。英雄認定によってプレイヤーが真の英雄となった場合、集落には英雄殿が建設され、そこには英雄像が設けられる。これをプレイヤーは、『彫像化』という。
大都市ならば、英雄殿の前に約3メートルもある巨大な英雄像が建つ。最も有名な英雄像は、西方オクシデントのイーム帝国首都クアドリウムにあるインペトゥス像だろう。これは実に8メートルもの巨大な騎馬像だ。また、インペトゥス像は今にも槍を投げんとする躍動感あふれるデザインでも有名である。インペドゥスは、楽園に入った後もクアドリウムを仇名さんとする外敵と戦うためにこのデザインを選択したと設定されている。
『彫像化』はカルミナオンラインの最大の特徴のひとつで、欧米人のプレイヤーは壮大な英雄像の建設を好む。しかし、日本人プレイヤーは固辞することが多い。謙遜ではない。いくらキャラクターとはいえ、自分の姿が像になって無関係なNPCに崇め奉られるのが恥ずかしいからだ。
「でも、メイちゃんも彫像化されるんでしょ?」
「村人が讃えてるのはリョウちゃんだけでしょ。これは英雄シークエンスじゃないし、英雄認定されたのはインプレッションが高いリョウちゃんだけなんじゃないの?」
彫像化されるのは涼だけだと分かっているから、のん気にからかって遊べるのだ。明自身も、『サツカのメイ』などと呼ばれたりしたら、恥ずかしさのあまり憤死する自信がある。
「まあ、村だから、彫像付きの大きい英雄殿は建たないと思うよ。レリーフとかかな?」
「レリーフでもやだよ……」
涼はげんなりとした表情で肩を落とした。
英雄出現の興奮に沸いた村人は、翌日から総出で英雄殿を建設した。
サツカ村はオリジア皇国の寒村だ。石造りの建物を造る技術を持つ村人がいないため、英雄殿にしては珍しい木造建築になった。それでも村人たちの精一杯の心尽くしとして、切り妻屋根には茅が葺かれ、高床式の内部にはわざわざイズモから取り寄せた畳が敷かれた。礼拝所が未だ板の間であることを考えると、村人たちがどれだけ英雄に感謝し、その英雄を祀る英雄殿を重要視しているのかが知れる。
そして、英雄殿というより神社に見えるそれの門には、レリーフではなく木像が設置された。
そのデザインは、英雄本人のたっての希望により、『力こぶを作る屈強なヴァンダと、その左肩の上に座って微笑むカエリムの少女』となったのであった。




