第〇二三話 うわごと
レティシアが帰ってから、数日が過ぎた。
彼女がいた十日間がまるで夢だったかのように、屋敷は元の静けさを取り戻していた。だが、俺の心にはぽっかりと大きな穴が空いたままだ。
この短期間で、レティシアが傍にいないと寂しいと感じるようになってしまったらしい。これではいけないと、気を紛らわすためにゴーレムの研究を始めた途端、俺はあっけなく調子を崩し、ベッドに逆戻りとなった。
熱に浮かされ、重く沈む体でぼんやりと考える。
今回のレティシアの訪問は、完全にイレギュラーな出来事だった。ルーシャスの記憶を探っても、彼女との接点はない。全くの初対面のはずなのに、なぜあんなにも好感度が高かったのだろうか?
考えても分かるわけがないか……。
本来の歴史では、俺が彼女を何かから命懸けで守り、その結果、彼女の回復魔法が覚醒して仲が深まる……そんな展開を想像していた。今回の訪問が、今後の未来に悪影響を及ぼさなければいいのだが……。
ふと、ある懸念が頭をよぎる。
そういえば、レティシアが回復魔法を使えない理由……あれは詠唱を覚えられないからじゃないよな?
ゲームの中のレティシアは、詠唱をどうしていた?
……思い出せない。いや、そもそも詠唱している姿を見た記憶がない。レティシアでプレイした時は、すでに聖女として覚醒した後のスタートだった。だから気にも留めていなかったが、彼女は無詠唱で魔法を使っていたのかもしれない。
詠唱は絶対に必要なものだと思っていたが、実はそうではないとしたら?
だとしたら、今回俺が良かれと思って詠唱を教えたのは、完全な失敗だったのではないか?
思考が熱で溶けていくようだ。考えがまとまらない……。
ルーシャスになったばかりの頃は、どうやってレティシアを聖女に覚醒させるか、それしか考えていなかった。
だが、この世界で生きていく中で、守りたいものが増えてしまった。シャドウブレイズ領の皆を、家族を守りたいという思いが日に日に強くなっている。
ゲームでは、ルーシャスが大罪人となったことで、この領は滅ぼされ、閉鎖地区になったとされていた。しかし、逆のパターンも考えられるのではないか?
シャドウブレイズ領に何かが起こった。そのためにルーシャスは怒り狂い、巨大ゴーレムを使って帝都へ進撃した……領民たちの俺に対する信頼を考えれば、その可能性の方が高い。
だが、あの巨大ゴーレムは一朝一夕で作れる代物ではない。つまり、前もって準備していたのは間違いないだろう。だとしたら、もともとは別の目的があったのか……?
レティシアに出会い、彼女に生きていてほしいと願う想いは、より強くなった。
それと同時に、父様や母様、そしてこの領で暮らすみんなにも、笑っていてほしい。
そんな都合のいい未来など、神様だって描いてはくれないだろう。だが、それでも……すでに日記とは違うことが起きている今、どちらも実現させるしかないのだ。
そのためには、シャドウブレイズ家や領について、もっと深く知る必要がある。他の貴族や領との関係も調べなければ。しかし、普通に調べていては時間が足りない。
二年後、レティシアが回復魔法を使えるようにし、さらにその二年後には聖女に覚醒させなければならないのだから。
この体も本当に扱いが難しい。少し無理をすれば、その反動で数日間は動けなくなる。改善するには魔力を消費するしかないが、空の魔石を虹色に変える程度では、消費するスピードより回復するスピードの方が早そうだ……。
駄目だ……熱で思考もまとまらなくなってきた……。
◆ ◆ ◆
意識が朦朧とする中、ふと、唇に柔らかな温もりが触れた。
甘く、少し大人びた香りが鼻腔をくすぐる。次の瞬間、乾ききった喉が潤い、体中にじんわりと力が戻ってくるような気がした。
「……フリーダ?」
ゆっくりと目を開けると、視界いっぱいにフリーダの顔があった。
「あら、ルーシャス。ようやくお目覚め? 十日間も熱に浮かされていたから、心配したじゃない」
艶のある唇が、悪戯っぽく弧を描く。
「十日間も!?」
「ええ。三日経ったところで、いつもと様子が違うって、私の所に迎えの馬車が来たのよ。ずいぶん魘されていたみたいね」
「いつもと、違うとは?」
「鬼気迫る感じでうわごとを繰り返しながら、魔力を盛大にまき散らしていたわ。この屋敷を覆いつくすほどの魔力で、あなたの可愛い専属メイドたちも倒れちゃって大変だったのよ?」
フリーダは楽しそうに言うが、笑いごとではない。
「リリアナが!?」
「リリアナは侍女でしょ? 三人のメイドのことよ」
「三人は、大丈夫なのか?」
「もう回復しているけど、まだこの屋敷には近寄れないみたいね。あなた、自分の魔力がどれだけ異常か分かっているのかしら?」
「そんなに……。それで、俺はどんなうわごとを?」
「それがよく分からないのよ。この大陸のどこの言葉でもないみたいで。聞いたことのない言語と言った方がいいかしら?」
フリーダはそう言うと、懐から一枚のメモを取り出した。
「聞き取れた言葉を、音の響きのまま書き留めてみたのがこれよ」
フリーダからメモを受け取り、目を通して絶句した。
そこには、カタカナで『セカイヲスクウ』『ジャシン』『レティシア』などの単語が並んでいる。俺は無意識に、考えていたことを日本語で呟いていたのか。
聞く言葉も喋る言葉も、この世界の公用語として脳が自動翻訳してくれているのだと思っていたが、そうではなかったらしい。ゲームは二十三言語に対応していたが、俺はずっと日本語でプレイしていた。その影響か……。
「――! フリーダ!?」
突然、フリーダがぐらりと揺れ、俺のベッドに倒れ込んできた。顔が近い。というより、いつの間にか布団に潜り込まれている。
「……うふふ、ルーシャスの魔力……なんだか、酔っちゃいそう……」
彼女は恍惚とした表情で呟くと、そのまま俺の胸に顔をうずめて意識を失ってしまった。
……俺の魔力に当てられたのか、それともただの確信犯か。
やれやれ、と心の中でため息をつき、まだ自由に動かない体のことを考え、俺は再び意識を手放したのだった。
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