第〇一七話 ペンダント
小屋の中は、外観から想像したとおり、埃と乾いた木の匂いが満ちた倉庫だった。
壁には蜘蛛の巣が張り、床の隅には何かの資材が無造作に積まれている。特に目を引くものは見当たらない。つまり、本当の場所はこの奥にあるということだろう。
「ふふん、ルーちゃんはこのくらいじゃ驚かないのね。つまらないわ」
レイラが芝居がかった仕草で、壁際にある大きな棚に手をかける。
ギシリ、と軋む音を立てて棚が横にスライドすると、その背後から地下へと続く、冷たい空気をまとった石の階段が姿を現した。
「なるほど、地下に工房が」
「そうよ。でも、ここはもうすぐお引っ越し。次に来たときには、ただの物置に戻ってるから覚えておいてね」
レイラは艶然と微笑み、慣れた足取りで階段を降りていく。
後に続くと、地下には予想をはるかに超える広大な空間が広がっていた。そこは、カンカンと響く槌の音、研磨機の甲高い摩擦音、そして職人たちの熱気が渦巻く、活気に満ちた工房だった。
壁際に並んだ炉からは赤い火が揺らめき、五人ほどの職人たちが黙々と作業に打ち込んでいる。
ここは完成品を並べる華やかな店ではなく、美を生み出すための戦場――宝石を加工する職人たちの聖域のようだ。
「そうね……ティファ、こっちに来てもらえるかしら?」
レイラの声に、作業台で宝石を睨んでいた一人がしぶしぶ顔を上げた。
「えぇ……? 面倒くさいっス」
「はぁ、まったくあなたたちは……。シャドウブレイズ家の嫡男、ルーシャス様よ。そして、こちらがご婚約者のレティシア殿下。殿下に世界一似合うアクセサリーを作って差し上げて」
その言葉を聞いた瞬間、ティファの細められていた瞳がカッと見開かれた。
「ルーシャス様!? 早く言ってくださいよ! お任せくださいっス!」
ティファと呼ばれたその女性は、弾かれたように立ち上がった。
身長は百五十センチほどと小柄だが、引き締まった褐色の肌と、きつく結い上げたブロンドのシニヨンが快活な印象を与える。そして何より、そのエメラルドグリーンの瞳は、今や職人としての輝きに満ちていた。
採石場の者たちもそうだったが、ここでも俺、ルーシャスに対する悪感情はないようだ。
「姉さんの言うとおり、ルーちゃんの魔力は少し抑えられてるみたいだから、二メートルくらい離れていれば平気そうね」
「了解っス。それで、殿下に似合うアクセサリーでしたね」
ティファは改めてレティシアに向き直ると、プロの鑑定士のようにその全身をじっくりと観察し始めた。やがて、彼女は大きくため息をつき、頭を抱えてしまう。
「……無理っス。美しすぎます。どんな極上の宝石も、この方の前ではガラス玉同然に霞んでしまうっス!」
その言葉に、俺は内心で頷いた。彼女は分かっている。本物を見抜く目と、美に対する確かな感覚を持っている証拠だ。
「ティファに頼むのは正解のようだな。とりあえず、ペンダントを贈りたいと考えている。シアに似合いそうな宝石を見繕ってくれるか?」
「了解っス」
ティファは気を取り直し、天鵞絨が貼られた盆にいくつかの宝石を載せて持ってきた。深紅のルビー、蒼玉のサファイア、翠玉のエメラルド。どれも一級品であることは間違いない。だが、それらをレティシアの白い胸元にそっとかざしてみても……
「うーむ……ティファの言うとおり、シアが美しすぎて、宝石の輝きが負けてしまうな」
「だから、言った通りっしょ?」
「これは困ったな」
「困ったっス」
俺とティファが腕を組んで思案していると、レイラがくすくすと笑った。
「ちょっとルーちゃん、レティシア殿下が茹で蛸みたいに真っ赤になってるじゃない!」
はっとして隣を見ると、レティシアが俯き、耳まで赤く染め上げていた。
「……おっと、心の声が漏れていたか?」
「ダダ漏れだったっス」
照れながらも嬉しそうに瞳を伏せる彼女の姿は、それだけで至宝の輝きを放っている。茹で蛸だなんて、レイラには悪いが表現が陳腐すぎる。まるで、朝露に濡れて咲き誇る一輪の薔薇のようだ。
それにしても、これほどまでにレティシアに似合う宝石がないとは……。俺は打開策を探して、工房の中を見回した。
ふと、雑然としたティファの作業机の片隅で、異質な輝きを放つ石に目が吸い寄せられた。
「その机の端にあるのは、もしかして魔石か?」
「さすがルーシャス様、お目が高い。その通りっス」
「宝石の加工だけでなく、魔石の研究も?」
「これはただの研究っスね。魔石を宝石として使えないかって。まあ、なかなかうまくいかないんスけど」
「俺の記憶では、魔石は濃い紫色で、魔力が尽きると透明になるはずだが……そちらの水色の魔石は初めて見るな。ずいぶんと綺麗な色だ」
「これが気になるとは驚きっス。普通はモンスターを倒して魔石を採ると、魔力はすぐ抜けて透明な石ころになるんスよ」
「それは初耳だな。では、市場に出回っている魔石は、後から魔力を詰めているのか?」
「そうっス。魔道具士たちが小遣い稼ぎで詰めてるっス」
「小遣い稼ぎ?」
「ええ。魔道具士の駆け出しが一番最初に覚える仕事なんで」
「なるほど。では、この色は?」
「誰が魔力を詰めても魔石の色は濃い紫色になるんスけど、ごく稀に、モンスターの魔力が抜けきらないまま固まっちゃう魔石が存在するんスよ」
「つまり、この水色の魔石はレア物ということか」
「レアってほどでもないっス。むしろ、魔石としての価値はゼロっスよ」
「なぜだ?」
「原因不明で魔力が抜けず固まってるから、新しい魔力を入れられないんス。だから魔道具の動力には使えない」
「なるほどな。ティファは、この価値のない色付きの魔石を、宝石として再利用できないか考えているわけだ」
「そのとおりっス! すぐにそこまで考えが及ぶなんて、ルーシャス様、激ヤバっスね!」
改めて水色の魔石を手に取ってみる。南国の海をそのまま閉じ込めたような、鮮やかで透明感のある青。光にかざすと、内側から無数の光の粒がキラキラと瞬いた。前世の記憶にあるパライバトルマリンという宝石に、その輝きはよく似ていた。
俺はそれを、レティシアの胸元にそっと当ててみた。
「……これなら、しっくりくるな」
彼女の白い肌と白銀の髪に、この神秘的な青色は驚くほど調和していた。宝石が彼女の美しさを引き立て、彼女が宝石の輝きを増している。
「くるっス!」
ティファも同じ意見のようだ。
「加工するにあたって、何が問題なのだ?」
「普通の魔石は衝撃で割れるんスけど、この色付き魔石はもっと脆くて、加工しようとするとこうなるんス」
そう言ってティファは研磨機を動かし、近くにあった赤い魔石を砥石に当てた。すると、魔石は甲高い音を立てる間もなく、サラサラと赤い砂のように砕け散ってしまった。
「ここまで粉々になるのか……。硬すぎるというわけでもなさそうだな。魔石はモンスターの体内で結晶化されると言われている……。たとえば、体内と同じくらいの温度のお湯に浸してみたら……いや、待てよ。必ずしも体の中が温かいとは限らないな」
ストーンゴーレムは石そのものだから体温はない。変温生物のようなモンスターも、体温は外気に左右される。
「ん? 何をしている?」
俺が考え込んでいると、ティファが金属のタライを持ってきた。
「えっ? ルーシャス様が体内の温度と同じお湯にって言うから試してみているっス」
「ゴーレムや爬虫類系のモンスターなど、体温が一定でない者もいるからダメかと思ったんだが……」
「ゴーレムは分かりませんが、『倒した瞬間の体温』で固定されるって考え方はどうっスか?」
「……なるほど。そういう考え方もあるな!」
ティファはすぐに行動に移した。タライに用意したお湯を張り、その中に研磨機の砥石を沈める。そして、緑色の魔石をそっと押し当てた。
工房の職人たちが、いつの間にか作業の手を止め、固唾をのんでその様子を見守っている。
甲高い音はしない。ただ、静かにお湯が揺れるだけだ。
「……割れないな」
「……割れないっスね」
ティファがお湯から引き上げた緑色の魔石は、見事に角が取れ、美しい輝きを放っていた。
――おおぉぉぉっ!
その瞬間、沈黙を破って、職人たちから割れんばかりの歓声と拍手が巻き起こった。
「ルーちゃん、すごいわ! 今まで捨てられていた魔石が宝石になるなんて、歴史的な大発見よ!」
レイラがぴょんぴょんと跳ねて喜ぶと、その豊満な二つの山が重力に逆らうように揺れる。正直、そちらのほうがすごい光景だった。
「その水色の魔石で、シアのペンダントを作ってくれるということでいいか?」
「任せてください! 明日までに、最高の逸品に仕上げてみせるッス!」
もっと時間がかかると思っていたが、職人の魂に火がついた彼女は頼もしい。
「そうだ! それとは別に、その砕け散った魔石の欠片を、いくつか丸や四角に削ってもらうことは可能か?」
「丸くっスか? できますけど、何に使うんスか?」
「俺のスキルがゴーレムなのは知っているだろう。その実験材料にしたい。魔石の形によって、ゴーレムの性能がどう変わるのか試してみたいんだ」
「分かったわ! ティファはレティシア殿下のペンダント製作を最優先で! 他の者たちは、ルーちゃん用の魔石の加工を手伝いなさい!」
――はいっ!
レイラの一声で、職人たちは再び熱気を取り戻し、お湯を沸かしたり、新たなタライを用意したりと、慌ただしく動き始めた。
「よかったのか?」
「この魔石を宝石にするプロジェクトは、もう三年前から研究していたのよ」
「そんなに前から?」
「そう。もう諦めかけていた矢先に、光が見えたんだもの。ルーちゃん、最高よ! お礼に、みんなにはルーちゃん用の魔石加工で新しい技術の練習をさせてあげるわ!」
そう言って俺に抱きつこうと迫ってくるレイラを、リリアナが素早く制止した。
「変態はルシャ様からお離れください!」
「もぅ! 少しくらいいいじゃない!」
「それでは、ルシャ様。あとはこの変態に任せて、私たちは帰りましょう」
「そうだな。これ以上いても、邪魔になるだけだろう」
俺たちは、活気を取り戻した工房を後にするのだった。
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