第8話:尽きることのない銀竜の疑問
駄菓子屋のレジで、おばちゃんに「遠足?」と聞かれた。
遠足みたいなものかもしれない。行き先は山奥の洞窟で、相手は銀色の竜だけど。
リュックの中で駄菓子がガサガサ鳴っている。うまい棒、金平糖、ふ菓子、酢だこさん太郎、ラムネ、ヤングドーナツ。色がバラバラなほうが面白いかなと思ったから、意識してカラフルなやつを集めた。
いつもの山道を登る。春に近づいてきた日差しが木漏れ日になって足元に落ちている。大岩を肩で押して、暗い通路を進んで、祠を過ぎて、奥へ。
広間に入ると、銀華は壁際に座って国語辞典を読んでいた。
辞典を読む、というのも変な話だけど、銀華はこれを本気でやる。「知らない言葉に出会うたびに前後を読むから、結局全部読んでいる」とか言っていた。
「よう」
「透」
銀華が辞典から顔を上げた。僕のリュックに目が行って、真顔で首を傾げる。いつもよりパンパンに膨らんでいるのが気になったのかな。
「今日はパンじゃないんだ。別の、美味しいもの」
「美味しい」
銀華が辞典を閉じた。好奇心のスイッチが入った。表情の変化は相変わらず小さいけれど、瞳の奥にかすかな光が差している。
僕はリュックを下ろして、広間の平らな岩の上に中身を並べた。色とりどりの包装が洞窟の銀の光を受けて散らばる。
「これ全部、食べ物だよ。駄菓子っていうんだ」
銀華が腰を上げて近づいてきた。しゃがみこんで、並んだ駄菓子を一つずつ見つめる。
最初に手に取ったのは、金平糖の小袋だった。
透明な袋越しに中身を光にかざす。洞窟の壁から漏れる微光が小さな粒を照らして、赤や黄色や紫がきらきら光った。
「……綺麗だな」
銀華の声がわずかに柔らかくなった。
ちょっとだけ胸が高鳴った。金平糖を選んだのは良かったみたいだ。見た目の美しさなら駄菓子の中でも群を抜いている。
銀華が袋を開けて一粒つまんだ。口に入れて、ゆっくり舌の上で転がしている。
「甘い」
「砂糖の塊だからね」
銀華が口の中の粒を噛み砕いた。かりっ、こりっ、と洞窟の中に小気味いい音が響く。
「……噛むと、もっと甘い。パンとは違うが、良いな」
少しだけ目を細めた。どうやら、硬い食感が銀華のお気に召したみたいだ。
銀華が手のひらの上に金平糖をもう一粒置いて、じっと眺めた。小さな突起がいくつも生えた、不規則な星みたいな形。指先でそっと突起に触れて、不思議そうに首を傾げている。
「この出っ張りは、何かを真似ているのだろうか」
「確かに星形とは言うけど、えっと……あれ、なんでだろう」
正直に言うと、考えたこともなかった。金平糖は金平糖の形をしているものだ、としか思っていない。
「昔からこういう形だとしか……」
「『平』という字は、平らな形を意味するはず。だが、これは平らではない。なぜだろう」
「確かになんでだろう。僕も知らない」
じっと無言で見つめてくる銀色の瞳に耐えきれず、思わず謝ってしまった。
「ごめん」
「謝ることではない。知らないものがあるのは当然だ」
銀華はあっさりそう言って、手のひらの金平糖を口に放り込んだ。こりっ、ともう一度いい音を響かせる。
ここまではまだ順調だった。
「これは何だ」
銀華がうまい棒を拾い上げた。
「うまい棒。コーンでできたお菓子。味がいろいろあって、これはチーズ味」
銀華が袋を開けて、かじる。
「味は悪くない。だが、柔らかいな。そしてなぜ棒なのだ」
「えっ、棒? 持ちやすいから……かな」
「この形でなければ持てないのか?」
「いや、別にそういうわけじゃ……」
「どういうことだ」
詰められた。理由は知らない。うまい棒は棒だから、うまい棒なのだ。答えになっていないのは自分でもわかる。
「ごめん、それもわからない」
「透は自分が食べているもののことを知らないのか」
「むむ……言い返せない」
銀華は納得しないままうまい棒を食べ終えて、次にふ菓子に目を移した。長い茶色の棒を手に取って、指で押す。ぺこりと表面が凹んだ。
「さっきの棒よりも軽い。中がほとんどない」
「そう、麩でできてるから。ほとんど空気」
「空気を包んだものが食べ物なのか」
「あの、さくさくした食感を出すために……」
「わざわざ空気を入れてさくさくさせる必要があるのか」
「いやまあ、そっちのほうが美味しいから」
「……確かに、良い」
半分呆れたような声だった。でも口元はわずかに緩んでいる。ふ菓子を一口かじって、小さく頷いた。
「甘いな。金平糖とは違う甘さだ」
「黒砂糖っていうやつ。原料が違うんだ」
「なるほど」
頷いたと思ったら、もう次の駄菓子に手が伸びていた。酢だこさん太郎。赤い短冊状の包装を裏返したり表にしたりして、パッケージの絵を観察している。
「これは何の絵だ、生き物か」
「たこ、っていう海の生き物。足が八本あって……えっと、説明しにくいな。柔らかくてぐにゃぐにゃした」
銀華が眉をひそめた。想像できていない顔だ。
「足が八本も」
「海にいる……まあ、今度写真を見せるよ」
「その、たこ、が中に入っているのか」
「いや、たこは入ってない。魚のすり身を酢で味つけした……」
「たこが名前に入っているのに、たこではないのか」
「……うん」
「不思議だ。嘘ではないか」
嘘。まあ、確かに嘘だ。名前負けどころの話じゃない。
「なんていうか、味がたこに似てるからっていう……雰囲気?」
「雰囲気で名前をつけるのか」
「いやまあ……駄菓子だし」
銀華が酢だこさん太郎を開けて口に入れた。しばらく噛んで、何とも言えない顔をしている。
「味がたこに似ているかどうかは、たこを知らないからわからない」
「だよね」
この時点で、僕の中にじわじわと不穏な予感が広がっていた。銀華の質問が止まる気配がない。ひとつ答えると、その答えの中からまた新しい疑問が枝分かれしていく。
ラムネの瓶を振って「なぜ中に玉が入っているんだ」。包装紙の原色を指差して「なぜこんな色なんだ」。ヤングドーナツの袋の裏を読み上げて「原材料名とは何だ、知らない言葉が並んでいる」。
そのうち銀華は食べるのをやめて、全部の包装を岩の上に並べ始めた。金平糖の透明な袋、うまい棒の派手なフィルム、ふ菓子の素朴な紙、酢だこさん太郎の赤い包装。横一列に並べて、腕を組んで見下ろしている。
「絵が全部違う」
「別の食べ物だからね」
「なぜ食べ物を入れる袋に絵を描くのだろう」
「……目立つから?」
「目立つ必要があるのか。食べたら一緒だろう」
「食べる前に選ぶから、見た目でわかったほうがいいんだよ」
「選ぶ。たくさん並んでいるのか」
「うん。店にはもっとずっと沢山の種類が並んでる。その中からどれを食べるか選ぶんだ」
銀華が並べた包装紙を見つめたまま黙った。それから、うまい棒のパッケージに描かれたキャラクターを指差した。
「この者は誰だ」
「えっと、うまい棒のキャラクター」
「キャラクター……、『ツキゴン』のようなものか」
「あー……うん、似たようなものかな。このお菓子のマスコットっていうか」
「なるほど」
銀華はほんの少しだけ目を伏せ、同情するような声音になった。
「この『者』も自分の知らないところで勝手に絵を描かれているのだな」
なんだか変な方向に議論が飛躍した。「キャラクター」の理解度の低さと「ツキゴン」への不快感が織り交ざって、おかしな化学反応を起こしている。
「ねえ銀華、お願いだから質問は一個ずつにして」
「一個ずつ聞いているだろう」
「一個に答えると三個生えてくるんだよ」
「知らないことがあるのだから仕方ない」
仕方ないらしい。
僕はリュックに寄りかかって息を吐いた。嬉しいのだ。銀華がこんなに興味を示してくれるのは、純粋に嬉しい。ただ、質問の密度が高すぎる。答えているうちに自分がいかに「なんとなく」で色んなものを受け入れてきたかを突きつけられる。金平糖の形も、うまい棒の構造も、パッケージの色使いも、僕はこれまで一度も疑問に思ったことがなかった。
でも銀華にとっては全部が初めてだ。当たり前なんてものが存在しない。
「もう勘弁してくれ」
半分冗談のつもりで言った。
銀華がぴたりと止まった。
手に持っていたラムネの瓶を膝の上に置いて、こちらを見ない。視線が駄菓子の散乱した岩の上を泳いで、銀華は何かを考え込んでいるようだった。沈黙が数秒続く。
しまった、と思った。拒否されたと受け取ったのかもしれない。
口を開きかけたとき、銀華のほうが先に喋った。
「手間がかかっているな」
さっきまでとは、声の質が違った。
駄菓子の山を見ながら、銀華は続けた。
「金平糖のあの出っ張りも、袋に描いてある絵も。どれも食べることとは関係がないのに、誰かが付けた」
銀華の指が、食べ終わった金平糖の袋をなぞった。
「関係ないことに、なぜこれほどの手間があるのだ」
質問の密度がとかうっとうしいとか、さっきまでの冗談は頭から吹き飛んでいた。
銀華が聞いているのは、駄菓子のことじゃない。
必要ないのに手をかけること。形を整え、色を選び、名前をつけて、絵を描くこと。銀華にとっては、それが根本的に不思議なのだ。
銀竜からすれば、生存に必要ないものに使う時間は無駄に見えるのかもしれない。でもたぶん、銀華は無駄だと批判しているわけじゃない。
僕は必死で考えた。
「……楽しいから、じゃないかな」
「楽しいから」
「うん。作るのが楽しいとか、誰かが食べて喜ぶのを見るのが嬉しいとか。そういう気持ちで、ずっと続いてきたんだと思う」
うまい答えじゃなかった。でも、銀華と駄菓子を食べて、僕はそう思ったから。
「銀華がさ、パン食べるとき」
「パン?」
「白銀ベーカリーの、硬いやつ。食べて、すごく嬉しそうにするでしょ。竜の姿になって吠えた」
「……あれは、嬉しいのか」
「きっと。あのとき、僕もすごく嬉しいんだ。銀華が喜んでくれたから。パン屋さんも、きっとそういう気持ちで焼いてるんだよ。食べた人が喜ぶのが嬉しいから、毎朝早起きして生地をこねてる」
銀華は黙って聞いていた。
「楽しいから作る。喜ぶ顔が見たいから形を整える。金平糖の突起も、袋の絵も、全部そういうことだと思う。必要ないけど、あったほうがいい。なくてもいいけど、あると楽しい」
言い終えてから、自分でも「ああ、そうか」と思った。
銀華に説明しているつもりだったのに、自分自身で納得し直していた。必要ないものに手間をかける理由。僕だって改めて言葉にしたのは初めてだった。
銀華が長い沈黙のあと、口を開いた。
「……楽しいから」
反芻するように、その言葉を繰り返した。
それから銀華は、手元に散らばった駄菓子の包装紙を一枚ずつ拾い始めた。金平糖の袋、うまい棒のフィルム、ふ菓子の外装、酢だこさん太郎の赤い包装。どれもくしゃくしゃのまま放っておいたものを、指先で丁寧にしわを伸ばして、小さく折り畳んでいく。
「何してるの」
「問いの残骸」
「残骸って」
「ここから出た疑問は、解けていない。だから取っておく」
銀華は折り畳んだ包装紙を、壁際の窪み――いつも鱗を並べているのと同じ場所に、丁寧に置いた。銀の鱗と並んで、色とりどりの小さな四角い紙が整列する。
その光景がなんだかおかしくて、同時に胸の奥がじんわりした。
「透」
「うん」
「今日の菓子は全部よくわからなかった。なのに、良い気分だ」
「それってさ、僕がさっきいった『楽しかった』ってことなんじゃないかな」
「楽しい……」
「うん。知らないことだらけで、考えるのが楽しかったんだよ」
銀華は少しだけ目を見張り、手元の『問いの残骸』へと視線を移した。
「そうか。私は今日、楽しかったのか」
納得したように、ゆっくりと頷く。
それ以上は何もいわなかった。広間に静けさが戻って、壁の銀がぼんやりと光っている。
◇
帰りの山道を下りながら、僕はさっきの質問攻めを思い返していた。
うっとうしかった。正直に言えば、途中から頭がパンクしそうだった。答えを絞り出すたびに新しい疑問が飛んできて、自分の無知と一緒に突きつけられる。でも、不思議なことに、今はもう懐かしい。洞窟を出てからまだ十分も経っていないのに。
明日も同じことになるのかな。駄菓子じゃなくても、何を持っていっても銀華は「なぜ」と聞く。答えると枝分かれする。そして最後に、本質的な問いをぶつけてくる。
やっぱり、少し面倒だ。
不意に思った。これが父親の気持ちか、と。
――いやいや。
夕方の風が、汗ばんだ首筋を冷やした。




