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山奥の衛星写真に映った『謎の未確認生物』 実は美少女になれる銀竜だと、僕だけが知っている。  作者: 亜麻野


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第7話:銀竜の耳に轟く初めての音色

 山道を登りながら、僕はリュックの中身を頭の中で確認していた。


 白銀ベーカリーのパン、水筒、スマホ、それからモバイルバッテリー。


 前に来たとき、僕は銀華に銃の動画を見せた。商店街のグッズの写真も見せた。どっちも良かれと思ってやった。でもそのたびに銀華の顔が曇って、空気がずしりと重くなった。帰り道に引きずるあの感覚が、まだ足の裏にこびりついている気がする。


 だから今日は、楽しいものだけ持ち込むと決めた。


 春休みの午後の山は穏やかだった。新芽の匂いが風に混じっていて、足元の落ち葉はすっかり乾いている。いつもの大岩が見えてきた。重心をずらして肩で押すと、慣れた手応えで入り口が開く。


 薄暗い通路を抜けて祠の横を通り過ぎ、奥へ進む。壁の銀の鉱脈がぼうっと光を帯び始めて、空気がひんやりとしてくる。洞窟の力が満ちている感覚。何年通っても、ここだけは別の場所みたいだ。


 広間に出ると、銀華がいた。


 人間の姿で、洞窟の壁の近くにしゃがみこんでいる。足元には、薄い銀色の欠片がいくつか散らばっていた。剥がれ落ちた鱗だ。それを一枚ずつ拾い上げて、壁際の窪みに丁寧に並べている。


「透か」


 銀華は振り向かずに言った。声はいつもどおり、平たくて穏やかだ。手を止めることもなく、拾った鱗をそっと置いて、次の一枚に手を伸ばす。


「うん。おはよう」


「この時間は『こんにちは』だと透に聞いたぞ」


「あ、そうだった。こんにちは」


 銀華が小さく鼻を鳴らした。呆れなのか笑いなのか、いまいち判別がつかない。


 僕は広間の定位置に腰を下ろした。リュックからパンと水筒を出して、パンを銀華のほうにかかげてみせる。


「今日はパン買ってきた。黒岩さんとこの」


「硬いやつか」


「もちろん」


 銀華はようやく手を止めて、こちらに歩いてきた。僕の隣に座って、パンを受け取る。紙袋を開けて中を確認し、小さく頷いた。いつもの動作だ。


 ちぎって口に含んで、ゆっくり噛む。銀華の食事は不思議だ。必要ないはずなのに、味はわかるらしい。しかも好みまである。


 僕はその横顔をちらりと見た。


 なんだか、いつもどおりだ。前回の重い空気を引きずっている感じは、全然ない。


 拍子抜けした。


 僕のほうは正直、今日ここに来るまでずっと気にしていた。銃の動画を見せたこと、ツキゴンのグッズで嫌な気分にさせたこと。重ねて悪いことをしたんじゃないかと、登りながらぐるぐる考えていた。なのに銀華はけろっとしている。鱗の整理はいつもの日課みたいだし、パンへの反応もいつもどおりだし、僕に対する態度も何も変わっていない。


 まあ、考えてみれば当たり前なのかもしれない。竜にとって、数日前に見た動画の衝撃なんて、僕が感じるほどの重さじゃないのかもしれない。僕がくよくよ引きずっている間に、銀華の時間はもう先に進んでいたということか。


 なんだか、安心した。それと同時にちょっとだけ悔しいような、自分だけ空回りした恥ずかしさがじわっと込み上げてくる。


「透」


「ん?」


「さっきから静かだが、どうした」


 銀華がパンをちぎる手を止めて、こっちを見た。銀色がかった瞳が、まっすぐ僕を捉えている。


「いや、ちょっと反省してた……それより今日は、ちょっと前と違うやつを見せようかなって」


 僕はスマホを取り出した。画面を点けてアプリを開く。洞窟は圏外だから通信はできないけれど、端末に保存してあるものなら使える。


 今日は音楽を保存してきた。もとから入っていた曲もいくつかあるけど、少し前に流行った無料でダウンロードできる曲とか、サンプル曲とか。それらの存在をふと思いついて、これでいこうと決めた。あんまり音楽は聞かないから、選ぶのに戸惑ったのは内緒にしておく。


 僕は再生ボタンを押した。


 スマホのスピーカーから、軽快なメロディーが流れ出した。J-POPのヒット曲。テンポが速くて、サビの歌声が高い。一昨年くらいによく流れていた曲だ。


 銀華は、パンを持ったまま動かなかった。


 表情が読めない。


 目は画面を見ているのか、それとも宙を見ているのか、いまいちわからない。反応がなさすぎて、つまらなかったかなと不安になる。


 十秒ほど経っても何も言わない。


「うるさいかな、止めようか」


 僕は停止ボタンに指を伸ばした。


「止めなくていい」


 僕の手がスマホの上で止まる。銀華は正面を向いたまま、微動だにしない。反応がなかったんじゃない、耳を澄ませていたんだ。呼吸すら控えているような静けさで、ただ音を聞いているんだ。


「これは、何だ」


「音楽だよ。人が歌ったり楽器を鳴らしたりして作る……えっと、音の」


 音楽って何、と改めて聞かれると、うまく説明できないな。


「人間の声が聞こえる。だが、話してはいない。言葉のようだが、ひとりごとのようだ。規則的に繰り返されるが、川の流れとは違う」


 銀華の分析が淡々と続く。言葉の選び方が辞書的で、まるで未知の現象を観察している研究者みたいだった。


 そうか、と思った。


 この洞窟で聞こえる音なんて限られている。銀華の咆哮、銀華自身の声、遠くの雨音、風が通路を抜ける音。それくらいだ。テレビもラジオも当然ない。動画を見せたことはあるけれど、銃声とか猫の鳴き声とか、そういう「情報としての音」ばかりだった。


「説明するより色々聴いたほうが早いかも。何曲か流すよ」


 曲を変えた。今度はロック寄りの激しめの曲。ギターが唸って、ドラムが重く刻まれる。ボーカルが叫ぶように歌い上げるサビ。


 銀華が眉を寄せた。


「なぜ怒っているんだ」


「いや、怒ってるわけじゃなくて……こういう表現っていうか」


「わからない」


 ばっさりだった。


 僕は苦笑して、次の曲に飛ばした。アップテンポのダンスミュージック。電子音がぴこぴこ鳴って、ビートが規則的に弾む。


「なんだこれは。良くない」


「すごく人気あるアーティストのなのに!」


 ダメだ、全然響いていない。でも銀華の感想があまりにもストレートすぎて、ちょっと笑ってしまいそうになる。


 僕はプレイリストをスクロールして、ふと目に留まった曲を選んだ。クラシックっぽいタイトル。もともとスマホに入っていた曲で、僕も聞いたことはない。だけど、ジャンルの違った曲のほうがいいだろう。


 再生した。


 静かなイントロが、洞窟に広がった。


 ピアノの一音目が、壁の銀の鉱脈に当たって跳ね返る。二音目が追いかけて、最初の音の余韻と重なる。洞窟の形状と銀の壁が独特の共鳴を生んでいるのか、スマホのちっぽけなスピーカーから出ているとは思えない響きだった。


 銀華が、目を閉じた。


 今までとは明らかに違う反応だった。体の力が抜けて、肩がわずかに下がる。持っていたパンをそっと膝の上に置いて、両手を太ももの上に揃えた。


 ピアノの旋律がゆっくりと展開していく。高い音が降りてきて、低い音と交差して、また昇る。曲の進行は穏やかで、主張が激しくない。ただ空間を満たすように、音が流れている。


 銀華が壁に手を伸ばした。銀の鉱脈に白い指先が触れる。目は閉じたままだ。


 振動を感じ取っている。音が壁を伝って、鱗に近い成分でできた鉱脈を通って、指先にまで届いているのかもしれない。


 曲が中盤に差し掛かった頃、銀華がぽつりと呟いた。


「静かなのに、何かが動いている」


 声が小さくて、ほとんど息と変わらなかった。


「ここにいるのに、どこか遠くにいるような気がする」


 目を閉じたまま、壁に触れたまま、銀華はそれだけ言った。


 僕は黙ってその横顔を見ていた。


 膨大な時間を、この洞窟のなかで過ごしてきた。水滴と風の音だけが響く、途方もない静寂のなかで。言葉すら持たない時代が大半で、音楽どころか「音を楽しむ」という発想すらなかったはずだ。


 それが、たった今、スマホのスピーカーから流れるピアノの曲に、こんな顔をしている。


 僕にとってはBGMだった。勉強中とか、寝る前とか、なんとなく流すもの。そのくらい軽い存在だった音楽が、銀華にとっては「初めての体験」になる。


 急に、変な気分になった。


 僕が適当に選んだ曲が、銀華にとって「音楽」の基準になってしまう。


 スマホの情報も、動画も、写真も、パンの味も。銀華が知る外の世界は、全部僕のフィルターを通したものだ。それは前からわかっていたつもりだったけど、音楽でそれを目の当たりにした今の気分は、妙に生々しかった。


 曲が終わった。最後の一音が壁に吸い込まれるように消えて、洞窟に静寂が戻る。


 銀華がゆっくりと目を開けた。壁から手を離して、こちらを向く。


「もう一度」


「え?」


「もう一度、今のを聴きたい」


 おねだり、だ。無表情に近い顔でそう言うのが銀華らしい。でも声の温度はわずかに上がっている。


「うん、いいよ」


 リピート再生にして、もう一度同じ曲を流した。


 銀華は壁に寄りかかって、天井を見上げたまま聴いていた。洞窟の天井にも銀の筋が走っていて、ピアノの音に合わせて光が揺れている気がする。


 二回目が終わると、銀華は長い息を吐いた。


「人間は、たくさんのものを作るのだな」


 その言葉に、僕はどきりとした。


 前回、銀華に銃の動画を見せたとき。あれも人間が作ったものだ。鉄を紙みたいに撃ち抜く銃も、コンクリートを粉砕する兵器も。漫画やパンも。そしてこのピアノ曲も、同じ人間が作った。


 壊すものと、美しいものを、同じ手で作り出す。銀華はきっと、その両方を並べて見ている。


「人間って、そういう生き物だから」


 そう返すのが精一杯だった。うまい説明なんて浮かばない。


 銀華はしばらく黙ったあと、立ち上がった。洞窟の隅に歩いていく。壁際の窪みにさっき並べた鱗の山がある。その中から二枚を拾い上げた。


「透」


「ん?」


「音なら、こうすれば出るはずだ」


 銀華が二枚の鱗を両手に持って、こすり合わせた。


 キィーーーーーーーーーーー………………ン

 

 金属を引っ掻いたような、正しくそうなんだけど、とにかく鳥肌が立つ音。洞窟の共鳴がそれを増幅して、広間の空気がびりびり震えた。


 僕は思わず顔をしかめて両耳を塞いだ。銀華も手を止めて、自分の出した音の残響が消えるのを待っている。


 沈黙。


「……これは、良くない音だな」


 銀華が鱗を見下ろしたまま、淡々と言った。


 その言い方があまりにも淡々としていて、しかも自分で試して自分で結論を出すまでの流れが真面目すぎて、僕は堪えきれなかった。


 ぶふっ、と吹き出した。


 銀華がこっちを見た。僕が口を押さえて笑っているのを見て、少しだけ目を丸くした。それから、唇の端がほんの少し上がった。


「透は良かったのか」


「いや、真逆。良くなさすぎて、笑っちゃった」


「良くなさすぎて……?」


 銀華が鱗を窪みに戻しながら、また小さく口元を動かした。笑っている。たぶん。銀華の笑いは控えめすぎていつも見逃しそうになるけれど、今のは間違いない。口の端が持ち上がって、目が細くなっていた。


 僕も笑っていた。銃の動画のときの空気とも、ツキゴンの写真のときの空気とも全然違う。ただ軽くて、馬鹿馬鹿しくて、気持ちがいい空気だった。


 銀華が元の場所に戻ってきて、僕の隣に座り直した。膝の上のパンを拾い上げて、もうひとくちかじる。


「透」


「うん」


「色々な音楽を、聴いてみたい」


 さっきよりもさらに静かな声だった。おねだりを二回もするのも銀華にしては珍しい。


「いいよ。次に来るとき、もっといろんなジャンルの曲を保存してくるよ」


「じゃんる」


「種類みたいなもの。さっきの騒がしいのとか、怒ってるみたいなのとか、最後のゆっくりしたやつとか。全部違う種類なんだ」


「あの静かなやつが良い」


「了解。似たやつを探してみる」


 銀華は小さく頷いて、パンの最後のひとかけを口に入れた。

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