第6話:町には歪な銀竜の姿がたくさんある
乾いた破裂音が、洞窟の広間に反響した。
スマホの画面の中では、迷彩服を着た男の人がライフルを構えている。二十メートルほど先の分厚い鉄板に、ぽっかりと穴が空いていた。カメラが寄ると、裏側まで貫通しているのがわかる。
銀華は僕の隣に座ったまま、身じろぎもせずに画面を見つめていた。
前回、僕は銀華に人間の兵器の怖さを口で伝えた。銀の鱗だって貫けるかもしれない、大岩を壊す爆弾もあると。銀華は一応納得してくれたけれど、あのときの反応を思い返すと、言葉だけじゃ実感が足りていない気がした。だから今日は動画を保存して持ってきたのだ。
画面の中で続けてもう一発、鉄板が撃ち抜かれる。表面が歪んで、端にひび割れが走った。
「……これが、銃。人間の、武器」
銀華がぽつりと呟いた。瞬きの回数が目に見えて減って、見開いたまま動かない。興味と警戒が入り混じったような瞳だった。
動画が次のシーンに切り替わった。今度は据え置き型の、さっきよりもっと大きな銃器。画面いっぱいに映ったそいつが火を吹いた瞬間、スマホのスピーカーから、さっきとは比べものにならない重い炸裂音が弾けた。
「きゃっ」
銀華の口から、小さな悲鳴が漏れた。
反射的に肩をすくめて、両手が膝の上でぎゅっと握られている。銀華はすぐに自分の反応に気づいたらしく、わずかに唇を引き結んで視線を画面に戻した。何事もなかったような顔を取り繕おうとしているのが、逆にわかりやすかった。
僕は一瞬、目を丸くした。
銀華が悲鳴をあげた。あの銀華が。
洞窟を揺らすほどの咆哮を自分で出す竜が「きゃっ」って言った。しかもその声がなんというか、えらく人間っぽい。銀華の口から悲鳴なんて聞いたの、初めてだ。
画面ではコンクリートのブロックが粉々に撃ち砕かれていた。銀華はもう悲鳴をあげなかったけれど、膝の上の拳が白くなるくらい握り締められているのが見えた。
「私の鱗は――」
「銀華の鱗まで貫くかは、僕にもわからない。でも、人間が本気になるとこういうものを持ち出すってことは、わかってほしい」
「……鉄を、紙みたいに」
声が微かに震えていた。これまで銀華が見せたことのない類の表情だった。怒りでも悲しみでもない。驚きと恐れが滲んでいる感じの表情。
僕はスマホの画面を消した。これ以上長く見せても仕方がない。伝えたいことは伝わったと思う。
「怖がらせたかったわけじゃないよ」
「わかっている。透は事実を見せてくれた」
銀華はそう言って、ゆっくり息を吐いた。
「だから、余計に約束は守ってほしいんだ。外に出るなら絶対に竜にはならない。それさえ守ってくれたら大丈夫だから」
「ああ。わかった」
銀華は静かに頷いた。でも広間の空気は、明らかに重たくなっていた。
ちょっと、やりすぎたかも。
銀華を怖がらせるために動画を見せたわけじゃないのは本当だ。ただ危険を正しく理解してほしかっただけ。でも結果的に、空気が完全に沈んでしまった。洞窟の壁の銀の光までくすんで見えるのは、たぶん気のせいじゃない。
「あ、そうだ。もう一個見せたいものがあるんだった」
僕は声を明るくして、スマホのアルバムを開いた。
「実はさ、昨日の帰りに商店街を通ったとき、写真撮ってきたんだ。二人で町に行こうって話したでしょ」
銀華の目が、ほんの少しだけ動いた。
「下見っていうかさ、どんな感じか僕も見ておこうと思って」
写真は三十枚くらいある。今度は手振れもない。
商店街の入り口のアーチ、お土産屋の軒先、和菓子屋の赤い提灯、石畳の細い路地。温泉街に続く坂道の途中から見える山並み。白銀ベーカリーの外観も一枚撮った。
銀華がこちらに身を寄せてきた。さっきまでの硬い空気が少しだけ緩んでいる。
「透、この赤いのは」
「提灯だよ。和菓子屋の」
「光っているのか」
「うん。中に明かりが入ってるんだよ。夕方になるともっと綺麗に光る」
「赤い光か」
銀華は広間の壁をちらりと見た。いつも銀色に光っている鉱脈。この洞窟には赤い光なんてどこにもない。
「この白い建物は」
「白銀ベーカリー、パン屋だよ。いつも僕がパン買ってくるとこ」
「ここが」
銀華が白銀ベーカリーの写真でスワイプの手を止めて、まじまじと画面を見つめた。
「漫画にもあったが、本当に家は一つ一つが違うのだな。色も形もばらばらで、面白い」
声に、さっきまでとは違うものが混ざっていた。
「これが――透の住んでいる場所か」
「住んでるのはもうちょっと外れだけどね。ここは商店街。観光客が来る、この辺りで一番にぎやかなとこ」
スワイプのやり方はもう教えてあるから、銀華は自分で指を滑らせて写真を送っていく。一枚ごとに立ち止まって、隅々まで確認している。建物の形、看板の文字、道を歩く人々の姿。
「人間が……すごくたくさんいるな」
「今は春休みだからね。いつもよりだいぶ多いんだ」
写真の中の商店街は、人でごった返していた。アーチの下から奥まで、すれ違うのも大変なくらいの混雑で、土産物屋の前には行列ができている。のぼりや旗がひしめいて、屋台が通りにはみ出していて、とにかく人だらけだった。
僕がその写真を撮ったのは日曜の夕方で、春休みの観光ピークと完璧に重なっていたとはいえ。正直、撮りながら「今は無理だな」と思った。騒ぎになるかどうか以前に、落ち着いて見て回れないだろう。
「……見てのとおり、今はちょっと人が多すぎるんだ」
銀華が写真をスワイプする手を止めた。
「春休みが終わったら、もう少し減ると思う。だからそれまで――」
「待つ」
僕の言葉を遮るように、銀華がぽつりと言った。
少しの沈黙があった。銀華は画面から目を離さないまま、もう一度小さく繰り返した。
「待つ。だから、透が大丈夫だと思ったときに」
「……うん。ごめんね、もうちょっとだけ」
「謝ることじゃない」
銀華はそう言い切ってから、また写真をスワイプし始めた。何千年も洞窟で過ごしてきた竜にとって、数週間なんて瞬きみたいなものなのかもしれない。
ふと、銀華は次の写真で指を止めて言った。
「透」
「ん?」
「これは何だ」
画面に映っていたのは、お土産屋の店頭に並んだぬいぐるみの山だった。銀色っぽい布で作られた、ずんぐりした体に小さな翼がついている。目はボタンで、口の部分が大きな弧を描いていた。値札には『月銀町のツキゴンちゃん』と書いてある。
「あっ、それは……銀竜のぬいぐるみ。お土産用の」
「銀竜」
月銀町のゆるキャラ、ツキゴン……。
銀華の声が平坦になった。
次の写真には、商店街に立つツキゴンの着ぐるみが映っていた。着ぐるみは頭が異様に大きく、全身が銀色のモコモコした素材で覆われている。手には『ようこそ月銀町へ!』と書かれた旗を持って、子供たちに囲まれていた。
その次。土産物屋の棚を撮った写真。ツキゴンマグカップ、ツキゴンキーホルダー、ツキゴンせんべい、ツキゴンタオル。パッケージにはどれもデフォルメされた竜のイラスト『ツキゴン』が描かれていて、翼があって目が大きくて、全体的に丸っこくて、とにかく本物の銀華とは似ても似つかないものだった。
銀華のスワイプが止まった。
「……これが、全部」
「……うん」
「全部、私なのか」
その言い方に、僕は少し詰まった。
「いや、正確には銀華じゃなくて、衛星写真に映った銀竜をモチーフにした……その、マスコットというか」
「ひとつの写真から、これだけたくさんのものが作られているのか」
銀華の声はさっきより一段低く、抑制されていた。怒鳴ったりはしない。でも、明らかに不機嫌な何かが表情の底を流れていた。
「私は、翼がない」
「……うん」
「目も、こんな形をしていない」
「そうだね」
「それに、こんなに丸くない」
最後のは自分の体型の話だろうか。銀華は写真の中のぬいぐるみと自分を見比べているらしく、視線が自分の手とスマホの画面を行ったり来たりしていた。
「透は前に、衛星写真に映ったのがきっかけで町が盛り上がったと言っていたな」
「うん」
「それは聞いた。それをきっかけに、人間が噂を広めたのだと思っていた。だが、これは――噂、どころではない。物として作って、飾って。町の中がこれだらけだ」
銀華はスマホを僕に返した。
「良くない気分になる」
その一言は静かだったけれど、重かった。声に感情を載せすぎない銀華だからこそ、「良くない気分」という平易な言葉の裏にあるものの深さが伝わってくる。
僕は何も言えなかった。
純粋に、町のにぎやかさを見せたかっただけだ。こういう楽しい場所があるんだよ、いつか一緒に歩こうねと言いたかった。でも写真を撮ったとき、僕の目にはあのぬいぐるみものぼりもマスコットも「見慣れた風景」として溶け込んでいて、それが銀華にとってどう映るかを全く考えていなかった。
「……ごめん。写真撮るとき、もっと気をつけるべきだった」
「透が作ったものじゃないだろう。謝ることではない」
「でも、嫌な気持ちにさせた」
「それは、この町の人間がしたこと。透がしたことじゃない」
銀華は腕を組んで、壁の銀色の鉱脈を見つめた。そのまま何かを考え込むように沈黙が続く。
「私のことを知らないのに、私の形を使って勝手にものを作る。歪で、不格好な偽物を」
独り言みたいに呟いた声は、不快感というよりも、戸惑いに近かった。人間が銀竜を消費しているということ。それは僕にとっては日常の一部で、むしろ僕もドラゴンが好きだからこそ、この町を気に入っていた。でも銀華にとっては、自分の存在そのものが勝手に切り取られ、歪められ、見知らぬ人間たちに商品として並べられているように見えたんじゃないか。
どう言葉をかけていいか、わからなかった。
しばらくの静寂のあと、銀華がすっと立ち上がった。
まっすぐな眼差しで虚空を見据えている。何かを決めたような、凛とした顔。
次の瞬間、眩い光が銀華を包んだ。
僕は思わず腕で目を覆った。変身の光は何度も見ているけれど、今日のは特別に強かった。少女の輪郭が膨れ上がり、銀色の鱗が広がり、広間の天井に向かって長い首が伸びていく。
光が収まったとき、目の前が銀色で覆われていた。
キリンほどの体躯。ほっそりとした、けれどしなやかな四肢。翼はない。ただ全身を覆う純銀の鱗が、洞窟の銀の光を受けて鏡のように輝いていた。長い尾が優雅にゆっくり揺れ、銀の首が高く持ち上がっている。
ぬいぐるみとは違う。マスコットとも違う。あんな丸っこくてデフォルメされた、翼付きの偽物とは何もかもが違う。
銀竜はゆっくりと首を下ろして、僕のほうに頭を近づけてきた。銀色の瞳が真っ直ぐ僕を見つめる。
偽物に対する抗議、みたいなものだろうか。
あの歪なグッズたちと自分は違うのだと。本当の姿はこうなのだと。言葉にできないぶん、存在そのもので示しているように見えた。
銀竜の鼻先が、僕の肩にそっと触れた。ひんやりとした感触。硬いのに、優しい力加減。すり寄るように頭を傾けて、目を細めている。
僕は手を伸ばして、鼻先の鱗に触れた。指先に冷たい金属のような滑らかさが伝わってくる。
「本物はさ、もっとずっと格好いいよ」
銀竜の尾が、ゆったりと大きく揺れた。
「あんなぬいぐるみなんか比べものにならない。翼もないし、丸くもない。こんなに綺麗で、格好いい竜は、銀華だけだよ」
鱗を撫でると、銀竜が低いうなりを喉の奥から鳴らした。それが洞窟の壁に反響して、空間がかすかに震える。
銀竜がゆっくりと目を閉じた。
長い首を折り畳むように下げて、僕のすぐ隣に頭を置く。巨大な竜の頭が、膝のそばにある。閉じたまぶたの上に、鱗が淡い光を帯びて、静かに呼吸している。
僕はその鱗を、ゆっくりと撫で続けた。
洞窟の壁の銀が、穏やかに光っている。みんなに人気の可愛いキャラクターは、ここからは見えない。
本物はここにいる。
僕だけが知っている、本物の銀竜が。




