第37話:銀華と一緒に廃鉱山見学
川の音がする。
博物館を出てバスで十分くらい。連れてこられたのは、山の麓にある川沿いのキャンプ場だった。芝生の広場に木製のテーブルがいくつも並んでいて、先生たちが「ここで班ごとにお弁当にしまーす」と手を叩いている。
お腹はペコペコ。朝からバスに揺られて、博物館で歩き回って、さすがに限界。
銀華ちゃんの隣に座った。
あおいちゃんと、同じ班の由紀と麻里奈もテーブルを囲んで、五人で一斉にお弁当を開く。あたしのは母さんが今朝作ってくれた普通のやつで、卵焼きとから揚げとミニトマト。由紀が可愛い二段弁当を広げて「お母さん張り切りすぎなんだけど」と照れている横で、銀華ちゃんがゆっくりと鞄の中身を広げた。
おにぎりが二つと、いつも食べてる気がする硬そうなパン。以上。
「……シンプルだね」
「おにぎりは透が持ってきてくれた」
銀華ちゃんが何でもないように言った。由紀と麻里奈が一瞬だけ目を見合わせた。あたしも正直ちょっとだけ「おお」と思ったけど、ここで突っ込むと話が全部そっちに行くので流す。
「パンの方は?」
「白銀ベーカリーのバゲットだ。朝、買った」
「遠足にバゲット持ってくる人初めて見た」
あおいちゃんが真顔で言って、みんなで笑った。銀華ちゃんだけが何がおかしいのかわからない顔で首を傾げている。その顔がまたおかしくて、由紀が「岩見さんって面白いね」と口を押さえながら笑っていた。
川を見ながら食べた。水が透き通っていて、浅いところに石がごろごろ見えている。四月の終わりで、日差しはそこそこあるけど、川から吹いてくる風はまだちょっと冷たい。
「きゃんぷじょうとは、何だ」
いきなり、銀華ちゃんがおにぎりを齧りながら聞いてきた。
「え? えーと……自然の中で寝泊まりしたり、食事をするところ、かな」
「自然の中で、食事」
銀華ちゃんが周りを見渡した。きれいに刈り揃えられた芝生。等間隔に並んだ木製のテーブル。川岸に積まれた石。水場の蛇口。
「自然の中で食事がしたいなら、すぐそこにあるではないか。透のように山へ登ればいい」
「いやいや、山の中でお弁当広げるのは大変だって。虫もいるし、座る場所もないし、荷物置けないし。旭日くんが変なの」
「ふむ。だから草を短く刈り揃え、石を積んで川を囲い、この台を置いているのか」
銀華ちゃんが芝生を手のひらで撫でた。目を細めて、きれいに切り揃えられた草の感触を確かめている。
「……これは、自然なのだろうか」
なんだろう、やっぱこの子。質問が全部ちょっとズレてる。
でも別に的外れってわけじゃなくて、言われてみれば確かに考えたことなかったなって思う。あたしたちが「自然」だと思って楽しんでいるこの場所は、全部人間が手入れした自然なんだ。普通に生きてたら気づかないようなことを、銀華ちゃんは本気で不思議がっている。
由紀が「でも手入れされてた方が安全だし、いいよね」と笑って答えたら、銀華ちゃんは「手入れをした自然」と呟いてからしばらく黙った。それから「……ふむ。そういうものか」とこぼしていた。麻里奈が「面白い考え方するね」と感心半分で言って、銀華ちゃんは「そうか?」と不思議そうにした。
こんな感じだった。
他にも質問が飛んできて、誰かが答えて、銀華ちゃんが吸収して、また次の質問が飛んでくる。その繰り返し。最初は由紀も麻里奈もちょっと身構えてたけど、銀華ちゃんがこっちの答えに対して一度も否定しないから——「そうか」「なるほど」「面白い」って全部受け取るから——いつの間にか誰も警戒しなくなっていた。
聞かれたことに答えるの、なんか気持ちいい。
ちょっと変わってる。だいぶ変わってる。でも居心地はいい。
あたしは自分のから揚げを一つ銀華ちゃんへ差し出した。「はい、から揚げ」と言ったら、銀華ちゃんは「いいのか」と聞いて、一口で食べて、「……これは、良い」と目を見開いた。
その「良い」の言い方がまた独特で、すごく真剣で、みんなでまた笑った。
◇
博物館から少し離れた場所に、昔の廃鉱山の一部を観光用に整備した坑道がある。入口はコンクリートで固められていて、「見学ルート」と書かれた大きな看板が立っている。
中に入ると、空気が変わった。
ひんやりして、少し湿っている。天井が低くて、足元にはLEDの誘導灯が点々と続いている。壁は岩肌がむき出しで、ところどころにパネルや模型が設置されていた。
「昔の坑夫さんが使ってた道具だって」
あおいちゃんがパネルを読み上げてくれる。ツルハシとか、カンテラとか、運搬用のトロッコの模型。銀華ちゃんは午前中の博物館と同じように、ひとつひとつの展示をじっくり見ていた。
坑道の奥へ進むと、見学ルートの目玉らしい広い空間に出た。
天井から吊り下げられたスポットライトに照らされて、そこにいたのは——ドラゴン。
全長三メートルくらいの、いかにも観光地っぽいドラゴンの作り物だった。プラスチックで出来ているらしく、表面はテカテカしていて、二本の翼が大げさに広がっている。口が機械仕掛けでゆっくりと開閉して、赤いLEDが目に仕込まれていた。
「キャー! 動いた! ちょっと迫力あるね!」
由紀が声を上げて、麻里奈が「写真写真!」とスマホを構えた。あおいちゃんも「よくできてるね」と感心している。他の班の子たちも集まってきて、きゃあきゃあ言いながら記念撮影を始めている。
あたしも「おー、すごいじゃん」と一歩近づこうとして——足が止まった。
銀華ちゃんが、動かない。
あたしの斜め後ろで、ぴたりと立ち止まっている。
振り返った。
銀華ちゃんの横顔を見て、あたしの背中を何かが這い上がった。
普段のぽやんとした雰囲気が、跡形もなく消えていた。
機械仕掛けのドラゴンを見つめる銀華ちゃんの目は、冷たかった。氷みたいに。テカテカのプラスチックと赤いLEDの目を、まるで汚いものでも見るように、静かに、完全に見下していた。
何これ。
口元は無表情なのに、目だけが違う。
綺麗だった。怖いくらいに。
さっきまでパンをがりがり齧っていた子と同じとは思えない。こんな顔もするんだ、この子。
そう思った瞬間、隣にいたあおいちゃんも銀華ちゃんの横顔に気づいたらしく、小さく「あ」と声を漏らした。由紀と麻里奈もカメラを構えた手を止めて、一瞬だけ黙った。
ほんの数秒だったと思う。
銀華ちゃんは、ふっと目線を外した。何事もなかったかのように、次の展示へ歩き始める。
「銀華ちゃん、ほんとはドラゴン嫌い?」
我慢できなくて、小声で隣に並んで聞いた。
銀華ちゃんはこちらを向いて、少し考えてから言った。
「嫌いというのとは違う。ただ——あれは偽物だ」
「まあ、そりゃ作り物だけど」
「偽物は好きではない」
それだけ言って、銀華ちゃんは先に進んだ。あたしは何か腑に落ちないものを抱えたまま、その後ろ姿を追いかけた。
坑道の見学ルートは一本道で、壁に沿って歩きながら展示を見て回る形になっていた。途中、銀華ちゃんは岩肌に走る筋をじっと見つめたり、天井の形を見上げて何か考え込んだりしていた。
あおいちゃんが横で「これ、昔の採掘跡だって」「ここは江戸時代の坑道を復元したんだって」とパネルの解説を読み上げてくれるたびに、銀華ちゃんは「ふむ」と頷いて壁を指先で触れていた。由紀が「岩見さん、壁触るの好きだよね」と笑って、銀華ちゃんは「触ると分かることがある」と真面目に答えていた。わかるのか。
ルートの最奥に、それはあった。
坑道がふっと広くなる。天井が高くなって、足を踏み入れた瞬間に空気が変わった。温度が少し上がったような、湿り気が和らいだような——なんだか居心地のいい空気。
壁一面に、銀色の鉱脈が走っていた。
たぶん本物じゃない。パネルの説明を見れば、再現した人工の鉱脈展示だと書いてある。壁に埋め込まれた銀色の鉱石と、それを照らすダウンライト。薄暗い坑道の中で銀色の筋が壁を何本も走っている光景は、演出として綺麗だった。
他の班の子たちが「すごーい」「SNS映えする」とスマホを向けている横で、銀華ちゃんが、すう、と息を吸った。
深く。目を閉じて。
あたしは足を止めた。
銀華ちゃんはゆっくりと壁に近づいていった。展示用のロープのすぐ手前で立ち止まり、目を開けて、銀色の鉱脈を見上げた。
「……心地いい場所だ」
小さな声だった。独り言みたいな、でも確信に満ちた響き。
その瞬間——あたしの目が、おかしくなったのかもしれない。
壁の鉱石が、光った気がした。
ダウンライトの反射とは違う。もっと内側から、ぼうっと、淡い銀色の光が鉱石そのものから滲み出ているような。壁を走る銀の筋が、一瞬だけ夜空の星みたいにちりちりと瞬いて、薄暗い坑道の空間全体がうっすらと明るくなった。
息を呑んだ。
あたしだけじゃない。近くにいた由紀が「え、なに今の」と小さく声を上げた。麻里奈が目をこすっている。あおいちゃんも壁を見つめて「照明の演出……?」と首を傾げていた。
でも、すぐに消えた。ダウンライトの白い光だけが残って、壁の鉱石はさっきと同じ、ただの展示品に戻っている。見間違いだったのかもしれない。暗い坑道の中にいて目がおかしくなっただけなのかもしれない。
銀華ちゃんだけが、変わらない顔で壁を見つめていた。
穏やかな顔。さっきのドラゴンの偽物を見たときの冷たさとは正反対の、どこか安心しきったみたいな横顔。
銀華ちゃんが壁に手を伸ばしかけた。ロープの向こう側の鉱石に触れようとして——。
「銀華ちゃん」
あたしは咄嗟に銀華ちゃんの手首を掴んだ。
「触っちゃだめだよ、展示品」
銀華ちゃんの肩が、びくっと震えた。
振り返ったその顔には、驚きがあった。すごく純粋な驚き。あたしの手を見て、あたしの顔を見て、また手を見て。掴まれているということ自体に戸惑っているみたいな、不思議そうな目。
「……温かいな」
銀華ちゃんが、小さく呟いた。
あたしの手が温かい、と言っているのだと気づくのに一拍かかった。
「そりゃね、生きてるもん」
笑って返したけど、なんだか銀華ちゃんの表情が忘れられなかった。手を掴まれたことに、あんなに驚くものだろうか。まるで誰かに手を引かれること自体が初めてみたいだった。
手首を掴んだまま、あたしは銀華ちゃんをみんなのところへ引っ張った。あおいちゃんが「何してたの?」と聞いて、あたしは「銀華ちゃんが展示品に触りそうだった」と笑った。銀華ちゃんは「すまない」と素直に謝って、それからちらっとあたしの手を見た。
まだ離していなかった。離すタイミングを逃したとかじゃなくて——なんとなく、もう少しこのままでいたかった。
銀華ちゃんも、振り払わなかった。
そのまま手を繋いで、坑道の出口まで歩いた。外に出ると、午後の日差しが眩しくて目が眩んだ。
坑道の出口のすぐ横に、木造の売店があった。「鉱山のおみやげ」と手書きの看板。中に入ると、鉱石の標本セットとか、化石のレプリカとか、ツキゴンのキーホルダーとか、よくある観光地のお土産が並んでいた。
あおいちゃんが「レポート用に鉱石の名前メモしておこう」とパネルを読み始めて、由紀と麻里奈は「ツキゴンのグッズ可愛い!」とキーホルダーの棚に突撃していった。
あたしもぶらぶらと商品を眺めていたら、銀華ちゃんが棚の端で足を止めているのに気づいた。
銀華ちゃんが見ているのは、銀原石を使ったアクセサリーのコーナー。といっても高いものじゃない。小さな銀色の石がワイヤーで巻かれたペンダントとか、石のかけらを透明な樹脂で固めたストラップとか。値札は千円くらいのものがほとんどだ。
銀華ちゃんは、一つのペンダントをじっと見つめていた。不規則な形の銀色の石が、細いチェーンにぶら下がっている。素朴だけど、光の加減で鈍く輝いて、ちょっと綺麗。
じっと。本当にじっと見ている。手は出さない。ただ見てる。
何か特別な思い入れがあるのかな、と思った。博物館でも鉱石の展示にやたら食いついていたし、この子は石が好きなのかもしれない。
「これ、面白いね」
あたしはサッと隣に並んだ。
「ねえ、せっかくだし買っちゃおっか。あたしからのプレゼント!」
銀華ちゃんがこちらを向いた。
「……プレゼント?」
「そ。遠足の記念。贈り物ってやつ」
あたしは棚からペンダントを二つ手に取った。同じデザインのやつ。お揃いにしようと思ったわけじゃなくて——いや嘘。お揃いにしたくて。
「ちょっと待って。二つ買ってくるね」
レジに向かおうとしたら、銀華ちゃんがあたしの袖を引いた。
「待ってくれ。私も買う」
「え? いいよ、あたしが——」
「澄香にも同じものを渡したい」
あたしは一瞬、言葉が出なかった。
銀華ちゃんは財布——といってもポケットから出てきた小さながま口——を取り出して、あたしの手からペンダントを一つ受け取った。
「これでいいのか? 相手に同じものを買うのが正しいのか」
「正しいとかじゃなくて……うん、嬉しいよ。ありがと」
レジで二つ分を払った。あたしが一つ、銀華ちゃんが一つ。店員のおばちゃんが「お揃いだね」と笑ってくれた。
売店の外に出て、あたしは銀華ちゃんにペンダントを渡した。小さな紙袋に入ったそれを、銀華ちゃんは両手で受け取った。
丁寧に、壊れ物を扱うみたいに。
袋の中からペンダントを出して、銀色の石を指先で触った。その顔が——ゆるんだ。いつもの無表情じゃなくて、ほんの少しだけ、口角が上がって、目が細くなった。
笑ってる。
この子が笑うと、空気が変わる。冷たい空気があったかくなる。坑道の中で見たあの凄みのある横顔とは正反対の、柔らかくて、ちょっと危なっかしいくらい無防備な笑顔。
「……ありがとう、澄香」
名前を呼ばれた。この子が呼ぶのはあだ名でもなく、苗字でもない。
なんだろう、この子に名前で呼ばれると、すごく——特別感ある。ドキッとして、自分でもちょっとおかしかった。
「うん。大事にしてね」
銀華ちゃんも、あたしにペンダントを差し出してくれた。あたしはそれを受け取って、鎖を広げて首にかけた。銀色の石が制服の胸元でゆらゆら揺れる。
「どう? 似合う?」
「ああ。……良い」
また「良い」だ。この子の「良い」は全部本気だから、嬉しくなっちゃう。
あたしは銀華ちゃんの首にもペンダントを掛けてあげた。白い肌に銀色の石が乗って、日差しの中でちらちらと光る。
今日一日、この子といて——思ったことがたくさんある。
質問が止まらないところ。みんなの答えを全部吸い込むところ。偽物のドラゴンに向けた、あの凍るような目。坑道の奥で銀鉱石がうっすら光ったあの瞬間と、安心しきった横顔。手を掴んだときの、あの驚いた顔。そして今、お揃いのペンダントを握って笑っている温かさ。
全部がバラバラで、同じ子なんだ。
他の子にはない。こういう面白さは、他の誰にもない。
ふと、視線を感じた。
キャンプ場の広場の向こう側。男子のグループがお土産の袋を持ってわいわいやっている中に、こっちをじっと見ている男子が一人。
旭日くん。
あたしたちの方を見ている。心配そうな顔。いや、心配だけじゃない。安心しているような、でもちょっとだけ寂しそうなような、そんな複雑な顔をしている。隣の男子に話しかけられて、慌てて目を逸らした。バレバレだよ、旭日くん。
あたしは思わず、小さく笑った。
旭日くんは昔から、こんな面白い子の隣にいるんだ。
キャンプ場の質問にも、偽物のドラゴンへの冷たい目にも、鉱石が光ったあの不思議な瞬間にも、お揃いのペンダントに笑う顔にも全部、一番近くで立ち会ってきたんだ。
ちょっとずるいかも。
あたしもこの子のこと、もっと知りたい。もっと一緒にいたい。今日みたいな一日を、もっと。
銀華ちゃんが、ペンダントの石を日差しにかざした。銀色の光が彼女の指の間からこぼれて、風に揺れている。
「澄香」
「ん?」
「今日は——良い日だ」
また「良い」だった。でも今回のは、声が柔らかかった。
「うん。あたしもそう思う」
手のひらの中で、お揃いの銀色の石がじんわりと温まっていく。
遠くで旭日くんが、まだこっちをちらちら見ていた。




